今日の迷言・余言・禁言

「倖せ」というのは、その人の価値観によって変わるものです。

世間的に見れば、どんなに「倖せ」そうでも、本人の価値観が通常と大きく異なっていれば、その人にとっては「倖せではない」境遇もあります。

逆に、世間的には「不幸せ」な状態であっても、本人の価値観から見て大いに満たされているなら、「倖せ」を感じられるのです。

宗教が多くの人を救うように見えるのは、この「価値観」を転換させるからです。

価値観が変われば、世間がどう見ようと本人の実感として「倖せ」を得られるからです。


最近の記事はこちら

通った高校の校舎裏で出産(?)

6月18日の午後3時55分頃、一人の生徒が校舎裏側の砂丘で“生き物らしきもの”を発見した。驚愕した生徒は、慌てて学校内に戻って教師にそのことを報告、裏庭へと連れて来た。実際に戻ってみると、それはへその…続きを読む

「母親」は「息子」を道ずれにした

親戚が集まった時、表立っては言えないけど、誰もが暗黙に頷き合うような“死”というのがある。この場合も、きっとそうだったに違いない。親戚たちは二度集まり、棺は二つ並べられていたからだ。そして誰もが神妙だ…続きを読む

札幌―東京間「新幹線」4時間半は魅力だが…

JRは「北海道新幹線」の一番のネックと言われていた“時間の短縮”を本気で考え始めたようだ。現在のままだと東京―札幌間は5時間半くらいかかると言われ、それなら飛行機が良いかなと、誰でも思ってしまう。特に…続きを読む

「正しい生き方」は“正しくない”のだ⁉

世の中には何でも“正しく”なければ気の済まない人達がいる。そういう人たちは「あれもダメ」「これもダメ」と言って、世の中に“規制”や“罰則”を増やしていく。そして、そういう人たちは「私たちは世の中を良く…続きを読む

「スクールバス」がハンマーで襲われる

“人種の違い”というものを感じさせられる時がある。昨日、アメリカから入ったニュース映像は正にそんな感じだった。何しろ、高校生たちを乗せた「スクールバス」の車内で女子高生同士のけんかが始まったのだ。スマ…続きを読む

Copyright© 2015 NAMIKISEIRYU All Rights Reserved.