素顔のひとり言

「占い」の進歩と後退

近年になって私は海外に出向くたび、その国の言語で書かれた占いの書籍を何冊か購入してきた。中華系言語の書籍がもっとも多いが、英語、タイ語、ハングル語、インドネシア語、ドイツ語、ベトナム語、アラビア語等…実にさまざまな言語で書かれた占い本を日本に持ち帰った。手相に関する本がもっとも多いが、人相、占星学、風水、紫微斗数、易占など図解・写真・実例が多いものを主体に収集してきた。ほとんどの場合、文章がきちんと読めるわけではない。占いの本なので、何となく書かれてあることが感覚的に理解できるが、実際にきちんと把握できているわけではない。それでも、実例が多数掲載されている本や、独創的な研究が記されている本は、私の新たな研究意欲を刺激する。そういう点で私には有益なのだ。

日本では書店巡りをしても、最近はあまり刺激のある占い書籍と出逢わない。続々と新刊は出ていても、どれもこれも似たり寄ったりの内容で、独自の研究とか、多数の実例データによる実証とか、新たな新説・奇説とか、既存の通説に対する批判とか、その人にしか発表出来ないような占い書籍や秘伝書というものをほとんど見かけない。確かに日本の占い書籍は海外と比べて解かり易く、図解や表記が整理され、文字配列も整っていて、一般読者が読み易い内容となっているものが多い。けれども、歳月を掛け研究・実占してきた結果として、自分が心血を注いで書いたという―自負というか、情熱というか、気迫というか、我々読者の心に迫って来るものがあまりにも乏しい。

もちろん、これは著者ばかりを責められないことで、出版社側も大多数の読者達も“易しいもの”“解かり易いもの”“面白いもの”を占いに求め過ぎた結果が招いたことなのだとも言える。今年訪れたベトナムは社会主義国家で表面上は占いを禁じている国なのだが、大型書店で売られていた多数の占い書籍はいずれも百科事典のように分厚く大判のハードカバー本で、日本の占い書籍とは比べ物にならない。しかも書店内の中央部分の一角を山のように埋め尽くしていた。中華系の占い書籍もあれば、西洋系の占い書籍もあったが、総じて大判・百科事典型でもう少し小型で薄ければもっと購入して帰れたのに…と残念でならない。多数の本が売られるということは、当然購入していく人も多数いるということで、日本でならこういう専門書的本は並べても売れないと思うので、そういう意味でも興味深かった。そういえば、かつては共産圏だったチェコのプラハでもオカルト書店は存在し、多数の占い書籍が並べられていた。しかも、本格的な分厚い占星学書が多かった。ヨーロッパの書籍は総じて図解や写真が少なく見た目に地味で華やかさや解かり易さに欠ける。その代わり入門書は実例を多く掲げている本も少なくない。ヨーロッパの書籍価格は比較的高く、インドネシアの書籍価格の5倍以上するのが普通だ。マカオの占い書籍も驚くほど安かった。私の場合、文字が読めなくても感覚的に分かり易い手相書の数が多いが、それぞれの国にはそれぞれ固有の見方、判断の仕方というものが時々存在する。そういう見方を知って、研究意欲を掻き立てられることもある。

あらゆる学術が日進月歩の時代、占いだけが立ち止まってこのままで良い筈がない。ところが日本の占い業界では誰ひとりとして危機感を共有する研究者がいない。大体、日本には本当の意味で研究者と呼べるような占い師が見当たらない。それが証拠に“占い界の大御所”とか“占いの第一人者”とか呼ばれているような人で、未来を見据えて占い学識や技術を総合的に探求していこうとする機関を設立しようとする動きが全く見られない。存在するのは、いずれも金儲け主義の機関ばかりで、いたずらに権威付けばかりを優先し、少しも後世の人達の為に真摯にデータを取るとか、実例を集めるとか、新しい理論を構築するとか、客観的な検証を重ねるとか、学術らしいことには何一つ指を染めようとはしていないのだ。だから「占い」そのものは進歩が止まっているどころではなくて、むしろ後退し続けている―という事実にさえ気付こうとはしていない。けれども、このようなことは何も占い業界だけなのでもなく、現代という時代だけなのでも実はないのだ。

例えば、今から4500年前のエジプトのギザでは、誰もが知っているような三大ピラミッドが作られた。あのピラミッド作製の技術は今日からみても優秀なものだった。より厳密にいえば、ギザのピラミッド群の中でも技術的に最も正確なのは「クフ王のピラミッド」で「カフラー王」「メンカウラー王」と続く。ところが、この順序自体、本当はおかしいのだ。誰もそれを指摘しないが、本来であれば、王位の順序はクフ→カフラー→メンカウラーなのだから、技術的にはメンカウラー→カフラー→クフの順となっていなければ技術の伝播としておかしい。つまり、後世になるほど技術が後退していったことになり、きちんとした技術の継承がなされていなかった可能性があるのだ。三大ピラミッド以降の時代に作られたピラミッドなどは見るも無残に砕け散っていて、技術の劣っていた(後退していた)ことを露呈している。

このように一見、歴史は徐々に進歩していくかにみえるが、実際には後退してしまうケースも多く、特に技術面はそういった要素を多分に持っている。占いの技術・能力にしても、明かに現代は進歩している分野と後退している分野とがあり、例えば「観相(人相)術」等、その後退の典型と言える。私が思うに、観相術は日本の江戸後期~大正後期頃がもっとも技術的に飛躍した時期で、それ以降は急速に技術継承が失われ、昭和後期を過ぎるともはや優秀な技術を持った観相家はことごとく喪われてしまった。そして、それと比例するように技術書としての観相学書も優秀な書籍は何一つとして出版されなくなってしまった。もちろん、ここでは観相のみを取り上げたが、他にもそのような形で失われていった占いの知識・技術は多い。私のように素質がないものではなく、もっと優秀な素質ある者が、このような事実に気付いて現状を打破すべく手立てを打ってくれることを願わずにはいられない。


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