素顔のひとり言

「波木流」と呼ばれるものの正体

私は“世間の評価”というものをあまり信用していないし、あまり気にしていない。だから、私自身に対して世間がどのような評価・評判や、どのような噂・中傷や、どのような“見方・捉え方”をしようと一向に構わない。それ自体は構わないのだが、嘘をつかれたり、根も葉もないことを書かれたり、実際とは異なる部分で評価を受けるのはいささか心外ではある。

私は小学生、中学生の子供の頃から人気がなかった。人一倍大人しく、口数が少なかったし、顔貌も特に良いわけではなく、くそ真面目で性格的にも面白みがなかったので、人気が出ないのは当然だった。頭は多少良かったが、それとて抜群に良かったというのではなく、まあクラスで2,3番といった程度の良さに過ぎなかった。

社会人となって働くようになっても、その傾向は変わらなかった。特に十代後半から二十代にかけては性格的な暗さのようなものも加わって余計に存在感が乏しかった。それでも会社の中で社内報を発行するようになった時、その編集長となって手腕を発揮し、若いが仕事は出来る―という評価は受けるようになった。けれども、人気は相変わらず全くなかったし、尊敬はされても愛されない―という十代からの傾向を引き摺っていた。

占いの仕事をするようになっても、基本的な部分は変わらなかった。口数や愛嬌こそ多少は客商売となって出てきたが、性格の根底に変化はなく、営業的要素はゼロにひとしかった。人気商売ではあっても相変わらず人気は出なかった。そういう中でも、この仕事を続けて来れたのは何と言っても“占い”が好きだったからだ。客を相手に占うこと自体が好きだったし、占いを教えることも好きだったし、占いの仕組みを研究することも好きだったし、占いについて種々書くことも好きだった。だから収入としてぎりぎりだった時代も乗り越えられたのだと思う。

今現在でも、私には自分の社会的な評価が、客観的に見てどのようなものなのか、正直よく分からない。分かっているのは、多分“得体のしれない占い師”のような評価が全体的にはもっとも多く、そしてもっとも的を得ているような気がする。自分自身、この業界にとって特別必要とされた記憶はないし、だからと言って存在感がないのかと言えばそうでもなく、占い理論上の評価も、実占上の評価も、人によって大きく分かれるのではないか―という気がしてならない。

たまたま或るところで“波木星龍”への批判を眼にした。先にも述べたように、どう評価されようとそれ自体は構わないのだが、お門違いの批判はあまり気持ちの良いものではない。そこには「自己流のくせに、いちいち波木流と名のっているのが鼻に着く」とあった。ナルホドと思った。このような書き込みは多少は占いに関して知識があるから記すのだろう。では、この方は“細木数子の六星占術”や“島田秀平の手相術”に対しても、同じような感想を抱くのであろうか。私が思うに、多分、違うと思う。彼らのように名が通っていれば、TV等で活躍していれば自己流ではあっても「自己流」という表現はしないに違いない。中途半端な存在だから「自己流」と表現されるのだ。実は、私自身は最初「波木流」等という言い方は好まなかったし、そういう言い方はしていなかった。ところが雑誌社やコンテンツ会社や占いソフト会社が「波木流」という表現を用いたので、いつの間にか私も面倒になって「波木流」と記すように変えてしまったのだ。その方が分かりやすいなら、それで良いと思ったからなのである。

そういう事情であるから、もしも「自己流」に改めろ、というのならいつでもそういう風に変えて構わない。「波木流」の名称になど何の未練もない。私は自分の研究成果としての占いが、オーソドックスな占いと異なる部分が大きいので、それと区別する意味で表現しているだけの話であって、それを自己流と言われるなら、確かに自己流以外の何物でもない。ただ「自己流だから信用出来ない」という考え方があるのだとすれば、古今東西で名を成した占い師はことごとく「自己流」の部分を持ち、それだからそこ“その流派”なり“その一門”なりを築いていった―という事実をどう受け止めているのか、ぜひお訊きしたいものである。

大体、占いにおいて「オーソドックスである」ということは何の進歩も発展もないということで、何千年も前の理論や方法や技量にしがみ付き、そこから前へ一歩も進み出ようとしていないことの表れでしかない。日進月歩の現代において、そういう“不研究な態度”が許される―と考えること自体が私には理解できない。もっとも、このように記したからと言って、名称だけを取り換えたり、流行の何かに便乗したり、理論上全く成り立たないものを創見することを求めているのではない。あくまで占術としての基礎的な知識や理論や技術を把握したうえで、より合理的であったり、より真実に近いものを探っていく過程で“見い出された見方・理論・捉え方”であることが大前提ではある。ここを履き違えると、それこそ何の役にも立たない“身勝手な見方”“実用化出来ない理論”となって、自己流にすること自体が無意味となる。あくまでも、今後の真摯な研究者の為、或いは後世の占いに真実を求める人達の為、構築された理論や技術でなければならない。

少なくとも、私の研究や理論や技術はそういう意図のもとに行われてきたものなのであって、私個人が認められようと、認められまいと、そんなことはどうでも良いのである。一人でも良いから、私が本当に成し遂げたかったことを理解する人が表れて、中途半端でしかない現在までの私の研究を後世へと引き継いでもらいたいものだ。


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