今日の迷言・余言・禁言

なぜ占い師は「議論」を戦わせないのか

最近、TVのワイドショーなどで時折、出演しているコメンテーター同士が、見解の相違、考え方の違いで議論を戦わせるケースが多い。元々、全員の意見や考え方が“一致する”ということ自体がおかしいのだが、なぜか日本の「ワイドショー」などでは、これまでそういう風な形で“一方向にながれる”ような番組構成が多かった。多くの人達が“同じような考え”なら、その辺のところに話を持っていくようにすれば、どこからも攻撃を受けずに済む。或る意味では、誰も傷つかなくて済む。だから、そういう方向で話をまとめましょう、という事前の“打ち合わせ”があるのか、ないのか知らないが、とにかく無難ともいうべき番組が多かった。ところが「新型コロナ」の問題が発生して以来、それぞれへの“関わり方”が微妙に異なるせいもあって、各番組のMCとかコメンテーターとかの“捉え方”“考え方”“反応の仕方”の違いが浮き彫りになりつつある。そして、TV局自体も明確な“方向性”を持っていないので、コメンテーター同士が衝突し合った場合、最終的に“どの意見でまとめるか”判然としていないような印象を受ける。けれども、本来、個々の意見とか考え方とかいうものは異なっているのだから、まとめる必要などないので、そういう意味では本来の“在り方”に戻ったと言っても良い。さて本来であれば、こういう“謎”の騒動では、今後の可能性とか、収束の見通しとかに関して「占い師」に問うことがあっても良い気がするのだが、そういう情報番組はまずない。それだけ「占い」というものが社会から遊離している証拠と言えよう。もっと言えば「社会的な信用を置かれていない」ということだ。真摯な問題を取り扱えるような人物がいないということだ。政治や経済も絡むような問題とか事件に対する将来的な展望を、占ってもらいたくなるような“見識ある占い師”が見当たらない、ということであろう。この“社会からの隔絶感”はなぜ生じるのか。一つには、占い師同士がまともに意見や考え方を戦わせていないことにある、と私は思っている。「なあなあの世界の人達」を誰が信用するだろうか。もっと、占い師は、普段から「占い」そのものに対する根本的な議論をすべきなのだ。著名であるとかないとか、人気があるとかないとか、そういうところからではなくて、ほんとうに人類のためになる占いとは何なのか、人類として“遺していくべき占い”とは何なのか、もっと議論すべき時期に来ているのだ。


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