素顔のひとり言

キロに対するさまざまな評価

久しぶりに書店で、長時間立ち読みをした。長時間といっても、実際には25分くらいだが、ほとんど普段、立ち読みというものをしない私には、珍しいことであった。読んでいたのは伊東龍一著『西洋手相術の世界』という新刊である。この本の手相術そのものに対しての記述は特に目新しいものではない。難を云えば、図解が余りにも不明瞭で、読者に対して親切とは云えない。

ただ、私がこの本を立ち読みしたのは、その後半の大部分で、西洋手相学に対する歴史を、かなり突っ込んで書いていたからである。実際この本のタイトルは『西洋手相術の歴史』とした方がお似合いなくらいである。特に、彼がページを割いていたのはキロに関しての記述で、それもどちらかというと批判的な記述であった。

キロと云うのは、19世紀後半から20世紀にかけて実在した英国生れの手相研究者で、今なお世界的に名声を誇っている伝説的手相家である。実際、私が手相研究を始めたのも、彼の的中エピソードに刺激されたところが大きい。しかし、この本では、その伝説的エピソードの数々が、かなり疑わしいものであることを明かしている。

確かに、キロに関しては、アメリカの現代手相家フレッド・ゲッティングなども、以前から批判的に記述している。彼が著述の中で公開している著名人の手型は、修正されたものである可能性が高い、というのだ。その点に関しては、私も異論がない。明らかに修正された、と思われる掌紋記号などが著述に散見されるからだ。しかし、そのことと彼の手相学に対する功績を一緒くたにして批判するのは、どうだろう。

キロの著述を読むと、彼が実際に多くの地域や場所を廻って、膨大な手形を採取し、さまざまな科学論文にも目を通し、種々な著名人の手を見ていたことは確実である。そして、世界的に読まれることになった『手の言葉』を初めとする何冊もの著作を残したことも事実だ。又、彼の名声を一躍高めた新聞紙上での終身刑予言も偽りとは云えない。

彼が自分の著述の中で、実践エピソードに対し、かなりの脚色を行っていた可能性はあるが、それは現代でもしばしば行われることであって、必ずしも詐欺師的な行為とみなすことは出来ない。私自身は好みではないが、自分を誇大宣伝する占いの輩は現代でもゴマンといる。彼は貴族の家系を名乗るなど虚飾性があったことは事実で、自己陶酔型の性質も持っていた。ただ、稀に見る美貌の占い師であっただけに、多少の虚飾や自己陶酔は許されるだろう。何よりも、私のような後進としての研究者を多数輩出させた功績は称えられるべきであろう。

もっとも、彼の手相術そのものは、伊東氏の云うように、特別目新しいものでもなく、優れているとも云いがたい。当時としては、比較的体系だって書かれてはいるが、多少、偏見があることは事実だ。大体、今から百年以上も前の著述を、何の疑念も抱かず、そのまま用いようとすること自体、私に云わせれば信じがたいことだ。これは占術世界では、洋の東西を問わず、未だに続けられている悪習である。もちろん、古代からの知恵は、尊重すべきではあるが、そのまま用いて現代に当てはまるとは限らない。すべての占いは、完成品ではなく、未完成だからだ。


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