素顔のひとり言

人生における空白期

私の所にはさまざまな人達が占いを学びに来る。年齢的にもさまざまだが、その生い立ちや職歴や環境なども一様ではない。趣味で学ぶ人もいるが、プロ占い師を目指す人の方が圧倒的に多い。そして実際プロとして巣立って行く人もいれば、途中で挫折してしまう人もいる。挫折でなくても、私の教え方や占いそのものに疑問を感じ去っていく人もいる。私は基本的にすべてフリーで制約と云うものを設けていない。いつから学び始めても良いし、いつ辞めてもかまわない。完全な初歩からスタートしても良いし、或る程度、他の教室や本などで知識を蓄えた上で学びに来ても良い。但し、あまり速攻で吸収しようとし過ぎる人がたまにいるが、こういう知識・技術は単なる頭の記憶だけでなく、人間的な人生に対する対処能力のようなものも必要なので、そういうものもそれとなく授けていきたい私は通り一遍となるような授業の仕方をしていない。したがって、即効吸収で学びとろうとする人にとってはまどろっこしい部分があるかもしれない。よく習得に何カ月掛かるか、何年掛かるかと訊かれるが、これはマンツーマンで教えるので一律ではない。実際、私の所に3ヵ月ほど学んですぐプロとして看板を掲げてスタートした人もいれば、7年ほど経って、種々の占術を身に付けセミプロからスタートしている方もいる。

例えば過去に接客業を経験している方や、営業分野で働いていた方は商売として成り立たせやすく、技術部門で働いていた方などは時間をかけ習得し納得しないと実占には踏み切らない。それぞれが自分に合った方法で仕事とされていくのが一番良く、私は自分のやり方を押しつけるようなことは一切しない。それに第一、私の歩んできた方法が良いとも思っていない。私の場合、プロとなって間もなくの頃から「占い教室」を同時並行していたので、教えて来た期間は長く、さまざまな人達に占いの手ほどきをしてきたことになる。

その中には当初高校生だった少女もいれば、70代の会社経営者もいる。風俗嬢もいれば、公務員もいれば、高校教師もいれば、スピリチュアルカウンセラーもいれば、女性実業家もいれば、日雇労働者もいれば、無職の人もいる。その後の経過のハッキリしている方もいるが、突然止めてしまって、その後の消息が皆目分からない方もいる。たまに懐かしい方から便りがきたり、電話があったりして、元気なことを知り安心することも多い。モロッコだったか、ザンビアだったか、そっちへと本業を兼ね居住することになったと報告してきた方は、その後全く連絡がない。考えてみると、日本人も行動的になったものだ。行動的と云えば、私が占いを教えていた高校生は卒業以前に親元を飛び出し、男性関係が派手になり、一人暮らしを始めてしまった。風水を見て欲しいと云うので彼女の部屋に云ったが、引っ越したばかりで段ボールが積まれ、洋服が脱ぎ散らかしてあって、風水も何もあったものではなかった。窓にはカーテンもなく、近所の子供たちの嬌声が路地裏から響いて来る。押し入れの書棚代わりの段ボールに、私の著書だけが場違いのように多数の漫画本と一緒に並べられていた。その後、ネット関連のアルバイトをしていると聞いたが、今どうしているのかは分からない。時間にはルーズであったが、霊感型の素質ある少女であっただけに、いつか占い師として活躍するようになることを心から願っている。

彼女だけでなく、若くして占い師を目指すような人達には感受性が鋭すぎて、一般社会と云うか、世の中と云うか、世間に背を向け、引き篭もりがちな人達も少なくはない。或いは一時期、社会から逸脱してしまうようなケースもないではない。けれども、そういう人生における空白期と呼べるような時期であっても、占いと云う仕事にマイナスとはならない。占い師はなるべくさまざまな人生体験・苦悩経験を持っている方が良い。他人の苦しみを本当に理解するためには、まず自分自身が肌で体得していることが何よりだからだ。あまり苦労することなく占い師として人気を得ている人達は、概して自分の生き方を押し付けがちになるか、非現実的で絵空事のアドバイスをしがちなものだ。

20年ほど前まで、占い師に対して若い人達からの相談と云えば恋愛か結婚と相場が決まっていた。ところが最近は就職・転職・適職に関しての相談が多くなった。それも深刻な内容が多い。人は誰しも、自分が世の中にとって価値のない人間であるとか、何の役割も果たせていないであるとか、実際に役立つ能力に欠けているであるとか、どこの企業や職場も受け入れてくれないであるとか、もう自分の力など何もないのだとか、要するに自分は世の中から放り出されたのだとか……種々の錯覚に陥る時期がある。

若い人の場合、これらは錯覚である場合がほとんどだが、錯覚とは思えないような状態を作り出している時期もある。運命学(占術)の価値が、実際の就職相談以上に大きいのは、こういう不遇としか言いようのない時に人間の運命には、どのような人であってもそういう一時期が存在している、と云うことを占いと云う指標を使って教えてあげられることである。ただ単に励ますのではなく、見通しを持って励ますことが可能なことである。そしてそれこそが窮地に追いやられている人たちにとって喉から手が出るほどに欲している命綱となることもあるのだ。


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