四柱推命の源流

「東洋占術の王道」とも言われる四柱推命ですが、その原初の姿から現在に至る種々な研究までを本当に正しく認識している占術家はほとんどおりません。 そこで、原初からの中国系占術が誕生し、変遷していく真実の姿を皆さんに公開しようとするものです。

八卦と干支暦と十二支方位の秘密

実占において「干支暦」を使用しながら、干支暦法の仕組みを正しく理解していない占術家は少なくありません。よく干支暦のことを「旧暦」だと云っている方がいますが、それは間違いです。暦を「太陽暦」と「太陰暦」とに区分すれば、二至(冬至・夏至)二分(春分・秋分)四立(立春・立夏・立秋・立冬)に基づく現在の「干支暦」は、明らかに太陽暦に属している暦です。

この二至二分四立は、天空上の通り道である「黄経度」を8等分している区分点です。干支暦上では、立春、立夏など四立のときに季節(春・夏…)が始まり、春分、夏至など二至二分のときに季節の頂点に達します。実際の生活上では、もう少し季節が遅れて感じがちですが、それはこの黄経度区分が「日照時間(日光と月光の比率)」を基準としていて、気温などを基準として区分してはいないからです。気温は、その年によって変わりますが、光の照射時間は毎年同じだからです。

通常、干支暦上の1年の起点は「立春」(2月4日頃)に置かれています。そこから「啓蟄」(3月6日頃)、「清明」(4月5日頃)、「立夏」(5月6日頃)、「芒種」(6月7日頃)…と1カ月ごとの区切りが続いていきますが、この区切りを「節」と呼びます。通常の暦の「月」と同じく12節あります。それぞれの節間の中間には「春分」「穀雨」「小満」「夏至」…と続く「中」と呼ばれる区切りがあり、12の節と12の中を合わせて「24節気」と称します。

参考のため中国の干支暦法と、西洋の12星座暦法と、黄経度による比較を図表化しておきます。【図表1】

中国の干支暦法と、西洋の12星座暦法(図表)

この図表において「七政暦・月将」と記してあるのは「中国式西洋占星術」における十二支表記です。

双方の十二支がずれていることに違和感を持たれるかもしれません。これは間違いでもなんでもありません。実は「十二支」というのは「十二方位」として天空上で固定されているので、このようなずれが生じたのです。つまり、干支暦上の十二支は「北斗七星が指示している方位」としての十二支であり、七政暦上の十二支は「太陽が位置している方位」としての十二支だからです。

多くの占術家は誤って解釈しているのですが、われわれが使用している干支暦における「月(節)」の十二支は、その期間、太陽が位置している十二支方位ではなく、北斗七星が指示している十二支方位なのです。より正確に云えば、天空上において太陽と月とが会合する「新月の日」、戌の刻(現代の午後8時)、北斗七星の柄が指示している方位こそ、「その月(節)の十二支」と干支暦上では定めてあるのです。つまり「十二支方位」というのは、月(節)干支が登場するはるか以前から固定されていて、それは易の八卦制定よりも早いのです。どうしてそう言い切れるのかというと、易の「八卦名」が十二支方位に影響を受けているからです。

中国史家も含めて、ほとんどの人が誤って解釈しているのですが、「易」の誕生が先ではなく、「十二支方位」が先に存在しているのです。そう解釈しなければ、易の卦名も、易の方位も、つじつまが合わないからです。易の「八卦名」には、すでに説明したような「聖獣名」の一部分も組み込まれています。したがって、ここでも蒼龍・朱雀・白虎・玄武の方位設定は極めて速かったことが窺われます。

具体的な例を記していきましょう。
まず、八卦名を列挙します。

「坎(かん)」・「艮(ごん)」・「震(しん)」・「巽(そん)」・「離(り)」・「坤(こん)」・「兌(だ)」・「乾(けん)」という八つの名称です。それぞれの八卦には「方位」が定まっています。

北方位→「坎方」、北東方位→「艮方」、東方位→「震方」、南東方位→「巽方」、南方位→「離方」、南西方位→「坤方」、西方位→「兌方」、北西方位→「乾方」といった方位配当です。ここで付け加えておきたいのは、すべて45度方位で、30度になったり60度になったり「気学方位」のように方位角度の広さが変わることはない、という点です。したがって、易方位と十二支方位との対応に関しても、易の八方位すべてが「一つ半の十二支方位」にまたがって位置しています。

このような配当の結果、

「震」には「(十二支の)辰」が含まれ、

「巽」には「(十二支の)巳」が含まれ、

「離」には「(聖獣の)朱雀」の「雀」一部が含まれ、

「坤」には「(十二支の)申」が含まれ、加えて「(十二支の)未」の属す五行「土」が含まれ、

「兌」には「(聖獣の)白虎」の「虎」一部が含まれ、

「坎」には「(十二支の)丑」の属す五行「土」が含まれ、

明らかに、十二支や聖獣や五行の影響を受けて八卦名が成立していると想定されるのです。

これらの関係を図解すると【図表2】のようになります。

八卦方位と十二支方位(図解)

いちばん内側が十二支に対応した「八卦方位」で、それに続いて北斗七星が指示している「十二支方位」、その外側十二支は干支暦には出てこない「太陽方位」、さらにその外側に原初の「中国28星宿」を対応させた図解です。インドや日本では「27宿」として扱われることが多い星宿ですが、中国では28星宿が本来の姿だったのです。


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