素顔のひとり言

実力とチャンスと運と…

全英のゴルフで日本の石川遼が好スタートを切っている。17歳でメジャー出場2度目を掴んだこと自体チャンスだが、今回は「ゴルフの申し子」タイガーウッズと一緒に回れるチャンスも与えられた。世界中のマスメディアとゴルフファンが見守る中でプレーできる。ウッズ自身が言ったように「一緒に決勝リーグで顔を合わせる」結果を残すことが、今後の石川遼の人生を決定づけるかもしれない。

別にグルフの世界だけでなく、あらゆる世界で「実力」だけではなく「チャンス」と「運」も合わせた形で人生・運命の道筋が織りなされていく。例えば入試、入社にしても、出世・成功にしても、結婚・出産にしても…あらゆる場面で、実力だけでなくチャンスや運が結果を左右していくケースが多い。

西洋のことわざだったと思うが「幸運の女神に後ろ髪はない」と云う教えがある。つまり、幸運がやって来た、チャンスだ…と思ったら、その時すぐ捉まえないと、行き過ぎてから慌てて捉えようとしても、後ろ髪がないのでもう捉まえられない…と云う教えだ。長い人生には、どんなに不運を嘆くような人であっても、一度や二度は「幸運の女神」が通り過ぎていくものだ。ただ、それは多く予期せぬ形で表れるし、決断を躊躇しがちな状況の時に出現するものだ。一瞬の判断でそれをモノにできるか、躊躇して見逃してしまうかは本人の性格に委ねられるところが大きい。もちろん「幸運」だと思って飛びついたものが、実際には「幸運の女神を気取った悪魔」で人生の階段から引きずりおろされていくケースもある。そういう点から云うなら「運も実力の内」と突き放す賢者の発言も、言い得て妙といえようか。

石川遼に話を戻すと、彼が注目を浴びたのは「15歳で優勝」したからだ。これはもちろん実力があったからだが、優勝候補が次々と脱落していく幸運も手伝っていた。実はチャンスと云うのは、そういった形で訪れることが多い。ギャンブルで大勝ちするときなどでも、奇妙な偶然が伴っているケースが多いものだ。私は昔、パチンコでいったん席を立って帰りかけたら、顔を合わせたくない人が入って来たので慌てて座り直し、再び打ち出したらすぐ大当たりとなって、それから22回連続で当たり続けたことがあった。これも若い頃だが、風邪で寝込み、会社を休んで横になっていたとき、たまたま聴いたラジオから流れた「歌詞募集」に応募して大賞を獲得し20万円を得たことがある。暇つぶしに寝ながら詞を書いて応募したのだ。入賞すると思っていなかった私は住所を書いていなかった。それに「女性名」で応募していた。新聞社から連絡があった時、慌てた私は「妹は今外出中ですので…」とうろたえてしまった。結局、女性名で応募したことを告白したが、その時の新聞写真には私の「思索にふける姿」が大写しされ、その上に大きな女性名としての活字が躍っていて、何とも恥ずかしく、応募したことを悔やんだものだ。

かえって一生懸命頑張って努力したような時には不運に見舞われたり、チャンスを逃してしまったりするケースも多い。中学生の頃、身体を鍛えようとエキスパンダーでトレーニングを始めたら、手が滑って頬骨を直撃し、骨折して顔が包帯でぐるぐる巻きとなってしまったことがある。勤めた会社では、組合のトップとして会社側と賞与交渉をし、他の社員達を喜ばせることは出来たが、自分自身は完全にとばっちりを食らって昇給・昇進がストップされた経験もある。人間、頑張り過ぎるとろくなことがない。

実力と云うのは誰でも日頃から努力していれば徐々に身についていくものだ。そして実際には一般の人が思うほど、人間の能力や素質には大きな差があるわけではない。これは例えば手相の違いなどを観察していれば判る。もちろん、素晴らしい能力を発揮している人とそうでない人との差は歴然だが、それは「運」の方であって「能力・素質」の方ではない。それに「運」の方だって、いつの間にか変化していくもので、今現在、運の良い人がいつまでもその運を継続するとは限らないし、逆に今現在どんなにチャンスや運を失って居たとしても、それが永久に続いていくほど神仏は無慈悲ではない。或る時を境に、ぐんぐんと幸運に恵まれ出すケースだって山ほどあるのだ。そしてそれに比例するように手相も変わっていく。つまり「不運な手相」から「幸運な手相」へと大変身を遂げていくのだ。そういうケースを私は何人も見ている。だから今現在、どんなに不運でチャンスに恵まれていなくても、そんなことは気に病む必要は全くない。心がポジテヴで未来に向けられていさえいれば、いつか必ず幸運の女神はほほ笑んでくれるものなのだ。日頃から何事にも否定的な感情が強いと、幸運の女神もおいそれと近づきにくいようだ。それさえ無くせば、必ずチャンスは来る。人生は長いのだ。但し、最初に戻るが、躊躇や迷いは禁物だ。ここぞと思ったら、迷うことなく女神の前髪を掴むのだ。決して後ろ髪を掴もうとしてはならない。


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