素顔のひとり言

平和で物静かな朝

東南アジアの国から日本に戻って来ると、我が国がいかに平和で物静かで美しく整備された国であるかが解かる。インドネシアでもタイでも感じたが、今回訪れたベトナムほど“オートバイで埋め尽くされている国”は他にない。とにかくオートバイの数が多い。異様なほど多い。何処にでも乗りつける。歩道にも平気でバイクは乗り上げて来る。だから怖いのだ。車の隙間を縫うように走り過ぎていく。まるで暴走族に追いかけられてでもいるような不思議な圧迫感がある。慣れないと道路を横切るのが難しい。これはエジプトでも感じたし、インドネシアでも感じたものだが、とにかく人が横断歩道を渡っていても、平然と次々車やオートバイが通り過ぎていく。青信号とか、赤信号とか、あまり関係が無いのだ。もしも途中で怯えて立ち止まったりすれば、間違いなくその人はオートバイに跳ねられる。ここではいったん横断歩道を渡り出したなら、途中で止まることなく普通の速度で渡り続けなければいけない。足が悪くても、老人や幼児で歩みが遅くても、一般的な速度で歩き続けないと跳ねられる可能性がある。とにかく青や赤の信号機を鵜呑みにすることなど出来ないのだ。信号機絶対の日本人にとって、眼の前に飛び出してくる車やバイクを常に意識しなければ道路を歩けない街は日を追うごと苦痛になって来る。車やバイクからの警笛音も四六時中聴こえて来る。街中が警笛音だらけなのだ。ホテルの窓からもそれは響いて来て日本人の神経を逆なでする。一週間もいれば普通それらの音に慣れていきそうなものだが、最後まで慣れることは出来なかった。第一、横断歩道の信号機そのものが、あまりにも少なすぎる。信号機があっても車用の信号機で、歩行者用の信号機が無いのだ。だから交通量の激しいメインの道路を向こう側に渡るのには、或る種の勇気と決断を必要とするのだ。実際、多くの人が横断歩道の途中で困っている姿を見かけたものだ。しかも、観光客が困っていても、誰も地元の人が手を貸すでもない。おそらく日本なら、お年寄りなどが困って立ち往生していたなら、誰かが手を貸したりするだろう。そういうような意識や様子はホーチミン市民にほとんど見掛けない。うろうろしてるんじゃない―とでも言いたげに警笛音を鳴らしながらバイクで走り過ぎていく。しかも、歩道自体が狭い所が多い。或いは歩道自体は狭くなくても、その歩道にバイクや人や物が置かれているため実質歩道が無くなってしまっている箇所も多い。だから車道の端を車を気にしながら歩かなければならないのだ。

多分、日本は特に私が暮らす札幌市内は道路等いたるところが整備されていて、碁盤の目のようになっていて道幅も広く、そういう面で街歩きに不安を感じないから、余計に喧騒とした街が怖く感じられるのだろう。とにかく横断歩道だけでももう少し増やして歩行者用の信号機も取りつけて欲しいものだ。そうでないとせっかくの観光客がおびえることになる。いたるところで建設途中の工事現場があり、バイクも多いせいで街全体が妙に埃っぽいのも気になった。日本に戻っても喉のイガイガが取れない。もうひとつ、治安の悪さも観光客を怯えさせる原因になっている。スリや引ったくりや騙し商法も多い国なのだ。私は昔、イタリアで観光馬車に乗って大金をふんだくられた経験がある。料金表示をしていない国はそういう部分があるから注意しなければならない。日本人は料金交渉というものに慣れていないので、ついそれを忘れて乗り込んでしまうケースが多い。またイギリスでは危うくバッグをひったくられそうになった記憶がある。何人かが私の後ろに来て歌い出し、徐々に接近し、バッグを触り始めていたところで振りかえったら、あっという間に居なくなった。そういう海外の街に比べれば、日本は天国である。余程のことがなければ気を許して歩いていても心配はない。我々はともすればこの平和で自由で不安のない生活に慣れてしまって、日本の国に暮らすことの良さを忘れがちになる。基本的に誠実さと勤勉さを持っている日本人という人種に生まれてきたことへの感謝も忘れがちとなる。そう我々は素晴らしい素質や性質を祖先から授かっているのだ。先ごろ「世界で最も好感をもたれている国」のランキングで日本は第一位であったらしい。毎日、ホテルの窓から外の喧騒が聞こえていたせいで、我が家に戻って物静かな朝を迎えると、それ自体が素晴らしいことのようにさえ感じる。刺激の少ない国ではあるが、穏やかな日々を送ることで我々は長寿の国になっているのに違いないのだ。


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