素顔のひとり言

年末年始のもう一つの顔

不景気だ、雇用不安だと云っても、年末年始の街は買い物袋を抱えた人であふれている。北海道の場合は寒いので晴れ着などを着ている人はあまり見かけないが、あちこちから福袋の売り込み声などが聴こえると正月なのだと実感させられる。

このところ初詣に行く時間が徐々に遅くなり、2年前は午前0時の前から神社の前に並んだのに、昨年は元旦の午前中になり、今年は二日になってから初詣に行った。2年前の正月は切羽詰まった願い事があり、どうしてもそれを叶えなければ…と云う思いがあった。その必死の思いが通じたのか、苦しい時の神頼みが効いたのか、私の願い事は正に奇跡的な形で叶えられた。したがって本当はもっと持続すべきなのだろうが、どうも喉元過ぎれば…で、日頃から神社に出向くことが少なくなった。もっとも、自宅の神棚に合掌し、祝詞をあげることは毎日のように行う。

このように書くと宗教的には神道なのかと誤解されそうだが、私は特に固有の宗教に属してはいない。大体、祝詞の前には仏壇に向かって読経するし、祝詞の後にはキリスト教の聖書一節を読む。まあ、仏教→神道→キリスト教の巡りを軽く行うのが私の習慣なのだ。このようなことを書くと、一つの宗教だけを信じている方からはお叱りを受けるかもしれないが、元々神仏と云うのは狭量ではなく、同時にいくつもの信仰をもったからと云って罰が当たるようなことはない。ただ問題は死んだときで、あの世から引く手あまたで悩むのではないかと…まあ、その辺の心配くらいだ。

エジプトへ行った時、イスラム教のモスクからは午前5時前になると、あちこちの方角から拡声器を使った祈りの声が響いてくる。我々の泊まったホテルはモスクからは離れていたはずだが、それでも大音響の祈りの説教は眠りを覚ます。近所迷惑など構っちゃいない。とにかくアラー神なのだ。まあ私もイスラム教も取り入れようかと思ったが、何しろ1日5回もお祈りしないといけないのではとても続かない。アラブ人はエライ!…が、しつこい。あのしつこい性格は信仰心と関係があるのか。

とにかく、信仰心が強いのか弱いのか分からない私は、なんでも祈っておけば悪さはされないだろう…という安易な発想で、あちこちに出向くたび神社、仏閣、教会、遺跡の神など、あらゆる所で手を合わせるようにしている。ただ私だけでなく、多くの日本人は年末年始になると神社に行ってにわか神道の使徒と化す。クリスマスの時にはケーキを買ってキリスト教徒となる。身近な人が亡くなると数珠を持って仏教徒となる。私だけが三信仰の信者なのではない。私は「普通の日本人」に多少色付けしたような信仰の仕方をしているだけだ。

「普通の日本人」と云えば、年末年始に特有の現象として、普段あまり家族や親戚と付き合いのない人であっても、この時期になると急に血縁・家系と云うものと向き合うことになる。普段は離れている親子・兄弟・親戚でも一緒に向き合う機会が出て来るのが年末年始の特徴だ。例えば普段は仕事、仕事で深夜にならないと帰宅しないような父親であっても、年末年始だけは会社人間から解放されて父親としての顔を見せる。或いは普段、愛人宅に入り浸りの親父が、何故か家族思いの父親面をして家に居たりする。逆に普段は親など糞食らえと顔も合わせようとしない息子や娘であっても、年末年始だけは実家に戻ったりするから不思議だ。親戚同士が集まる家庭などは、奇妙なライバル心なども働いて、ぎこちない顔合わせが実現したりもする。この年末年始特有の「顔」は何なのだろう。

誰だったか忘れたが、作家で愛人生活を続けていた女性が、年末年始だけは嫌でも自分が愛人であることを実感させられる…と何かに記していたのが印象深い。そう、年末年始とは誰もが「家族としての顔」に変わる時期なのだ。昔、私は年末年始が嫌いだった。仕事にも恵まれず、金運も乏しく、恋人にも裏切られ、孤独で虚ろに過ごしていた30歳過ぎくらいの年末・年始にかけてが最も嫌いだった。親も亡くなり、兄弟とも離れていた私は、信じていた恋人にも裏切られて将来が見えない時期であった。長い人生の中には、何らの希望の明かりさえも見い出せない時期と云うのがある。そういう時、人は往々にして焦るものだが、溺れた時に焦ってもがくとますます溺れてしまうように、慌てず流れに任せていることも人生には時として必要なのだ。運命は必ず救いの手をさしのばす。その時、手を差し出せば良い。運命の神と云うのは決して見放してはいないものなのだ。


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