素顔のひとり言

情緒不安定さを助長させる時代と社会

岩手県の山道下の川面で宮城県栗原市の17歳少女が遺体で発見された。その少女の背中には花と蝶の刺青があったらしい。昨日たまたま入った喫茶店に置かれていたスポーツ新聞では早くも、その少女のブログの一部が公開されていた。スポーツ新聞と云うのは、時々週刊誌よりも早く、事件の核心を伝える場合がある。それに事件の登場人物や、旬な注目人物の生年月日やプロフィールを記してあることも多い。これらが、若い時の私の占星学研究にずいぶん役立ったものだ。

この少女のブログ内容から察するに、彼女は相当に情緒不安定な内面を持っている。強く生きよう…強く生きなければ…と云う思いと、どうせもう…みたいな半分やけっぱちで厭世的感覚とが交互に訪れているような気がする。刺青は今年の1月~2月にかけて入れたようであるが、ブログからすると強制された感じではなく、自ら「強くなりたい一心で」入れていったものらしい。夜になると不安感が増し、情緒不安定な人特有の将来に対する絶望感や見えない或る種の存在に対する恐怖感が襲ってきていたようだ。

このような感覚と云うのは、日常を現実的な感覚・感性で生きていて、情緒不安定な日々や感覚を体験したことがない人達にとっては理解に苦しむところなのだが、実は占い好きな人の中には情緒不安定な人たちが驚くほど多い。それは一つには、心霊的感受性の強さが、種々の幻想・幻覚を生み、実際の生活における不安定な状況と溶け合って、より一層妖しい世界へと本人を誘い込むようなことになりやすいからだ。俗に云う「霊媒体質」(日頃から心霊現象と遭遇しやすい体質)で、女性の場合は特に生理前後になると、情緒不安定さが増して厭世観が強まったり、憂鬱症が強まったり、自暴自棄となったり、対人恐怖が強まったりする。

以前、私はこのコーナーで古代日本の社会においては、刺青には呪術的な意味合いがあったことを示唆した。卑弥呼の時代、日本人のだれもが刺青をしていたことを『魏志倭人伝』は記述している。古代人の刺青は呪術的な意味合いが強いのだ。したがって現代でも精神的に弱い人が、それを知ってか知らずか呪術的意味合いを込めて自らの身体に刺青を入れ、本能的に情緒不安を消そうとしていた可能性は大きいと考える。我々くらいの年齢になると、刺青と云えばすぐに「任侠の世界」を思い出しがちであるが、今や世界的にも「呪術とアート」と云う刺青本来の役割の時代が来つつあることは確かだ。とは云うものの日本ではまだまだ通常社会で受け入れられる段階ではなく、実際には白い眼を向けられるケースが多い。

そういうことを少女が理解していたかどうかはともかく、彼女にとっては「強くなる」ための刺青も情緒不安を煽るだけになったのかもしれない。文章の内容からは、もしかしたら単に情緒不安だけでなく、薬物も使用していたか…に思える記述もあるが、その辺は微妙で何とも言えない。

ただ情緒不安定な性質は個々の意志の弱さが引き起こしているとしても、それを助長させるような時代背景や社会背景が、近年ますます強まってきていることも見逃してはならない。それが証拠に自殺者は年々多くなっていて、うつ病患者も年々増えつつある。人が人を信じられなくなったり、人が社会を信じられなくなったり、人が未来を信じられなくなったりしているような気がするのだ。人生という坂道を何かでつまづき、転んでしまったなら、もう転げ落ちていくしかないような、誰も助け起こしてくれないような「見て見ぬふりをする」習慣が、家族や、友人や、福祉分野でさえも、まかり通りつつあるのが現代の日本社会ではないだろうか。

確かに、その一方では不慮の災害に対して「善意としての寄付金」が山のように集まる。決して日本人は「助け合いの精神」を忘れたわけではない。けれども、それはどこか「みんなが行っているから…」という偽善的な要素が組み込まれてはいないだろうか。身近な家族や、友人や、仲間や、近隣の人が、必死で助けを求めている時に、我々は何の躊躇もなく救いの手を差し伸べているだろうか。お金に困っているとか、病気や怪我をしたとかの解りやすい時には、確かに手助けをすることが多い。だが、精神的に苦悩している、精神的に弱っている、精神的に立ち上がれないでいる…などの時、おろおろするか、見て見ぬふりをするか、完全に無視するか、本人が手を差し伸べやすい環境や雰囲気を作り出せているケースは少ない。

ネット社会は「心を開放する場」を沢山提供し、実際利用されているのに、情緒不安は増し、うつ病は増え、自殺者も後を絶たない。占いというものを、それら予備軍ともいうべき人が多数利用している以上、何らかの手立てを、占いに携わる私自身も考えていかなければならない。


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