今日の迷言・余言・禁言

“愛情”としての介護と“職務”としての介護

寝たきりになった夫(82歳)の介護を、妻は自宅で献身的に続けていた。けれども、妻自身も77歳で本当は介護を受けたい年齢だった。二人のことを心配する長女が、何となく気になって電話した時、母親は電話に出なかった。こういう時、“血は水よりも濃い”で、嫌な予感は大体が的中する。娘が急いで実家を訪ねた時、既に母親は首をつって息絶え、父親の方は首に紐が巻かれていたが死んではいない気がした。すぐ救急隊員が駆け付けて父親の方は命を取り留めた。7月3日夕方に大阪で起きた無理心中未遂である。前日、座間市では95歳の母親の首や腹など刺して殺害してしまった67歳の娘が、放心したようになって発見されたばかりだった。6月18日には神奈川で、病身82歳の夫が自宅で絞殺され、介護していたはずの77歳の妻が近くの川から遺体で発見された。4月10日にも、病身78歳の夫を殺害した妻(72歳)が、浴室の扉を利用して首つり自殺している。同じような事件が立て続けに起きている。皆、共通しているのは、高齢であり、持病を持ち、自宅介護を続けていて疲れ果て「愛」が「殺意」に変わっていることだ。そう「愛」はしばしば「憎しみ」に変わる。「殺意」まで進むことは稀だが「憎しみ」に変わることは稀ではない。だから“愛情としての介護”は危険なのだ。よく自宅で介護することを“美談”のように扱うマスコミもあるが、実際の介護による心身の負担は生易しいものではない。しかも、病院や施設のように“代わりの者”にバトンタッチできる時間がない。24時間の介護を多くの場合、一人でこなさなければならないのだ。しかも、その労働に見合う対価は一銭もない。時として「愛情」が「憎しみ」に変わったとしても、致し方のない場合がある。そういう点からいえば、半強制的にでも病院や施設で介護してもらう形を取った方が、互いに「愛情」を持続できるものなのである。なぜなら介護する方も、病院や施設に出向いた時だけで、心身とも余裕が生まれるからだ。多少、介護される側が“わがまま”を言ったとしても許せるのだ。心身に余裕がなくなると、ちょっとした一言が双方ともに許せなくなったりする。いがみ合いながら介護する姿を招いてはならない。


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