素顔のひとり言

日進月歩で「後退していく」占いの世界

世の中、日進月歩で進んでいくものが多い中で、まるで“後退りしている”ような世界が「占いの世界」だといってもよい。どうして後退りなのか、ここ20年ほど「新たな研究」「新たな学説」「新たな占い」「新進気鋭の研究者」「占い用の機器開発」と呼べるようなものがほとんど見られないのが「占いの世界」だからである。その証拠に手相や人相の「占いサイト」はほとんどない。それは未だに“コンピュータ化できない”からである。もし、本気でコンピュータ化しようとすれば、途方もなく開発費用が掛かり、占い料金が高騰する。だから出来ない。たまにあるのは“お遊び用”である。では、生年月日を基にした占いは“コンピュータ化”が進んでいるのかといえば、そうでもない。まず第一に日本では「生年月日」だけ打ち込んで表出する形式のものが大多数である。ホロスコープにしろ、四柱推命にしろ、そうである。本来は両占術とも「出生時間・出生地」が判然としていなければ、占えない仕組みとなっている。まあ、私のような「名人(迷人)」なら生年月日だけでもなんとかなるが、本当はそれだけではデータ不足で正しい方式では占うことができない。ところがほとんどの“コンピュータ化された占い”は生年月日だけのデータで表出している。時折、出生時間とか出生地とかのデータを取り入れて占う形式のものもあるが、それで著しく的中率が高くなるかといえばそうではない。これらの占いは、その一部だけを取り出して“データ化”すると“矛盾のない答え”が出てくるのだが、全部を組み込もうとすると、必ず“矛盾に満ちた回答”として表出される。だから、妙な言い方だが、データが不足している方が“的中している”と勘違いさせる現象が起こる。私は、昔、依頼を受けて西洋占星術の“ソフト開発”に協力したが、複雑に組み込めば組み込むほど、結果として「矛盾した回答」が出て来るという悲劇を味わった。実際の対面による直接鑑定なら、こういう矛盾は生じない。当然のことながら、その辺は考慮し選択しながら、矛盾がないように回答していくからだ。人間の頭脳は“それ”ができるが、コンピュータはいまのところ“それ”ができない。もう少し複雑な機能を搭載すれば可能となるかもしれないが、それには開発費が膨大にかかる。結局、人間の対面式による直接鑑定に勝てないのが、現在までの“コンピュータ占い”=「占いサイト」なのだ。これはどの占い師のサイトであろうと同様である。少なくとも現状では「占いサイト」の運営会社が、より“完璧な占い”にしようという方向に向かっていない。なぜなら、それでは採算が合わないからだ。

いや採算の問題だけではない。「占いサイト」の運営会社は、これまで多くのユーザーからの反応を受け取っている。その結果として「占いサイト」のユーザー達が占いに対して“的中すること”を望んでいない、ということを把握している。「占い」に“的中”を望む人は「占いサイト」ではなく、直接、占い師のもとを訪れて鑑定を依頼する。賢いユーザーは両方を使い分けていたりする。つまり「占いサイト」では、的中そのものよりも、“精神的な癒し”として、或いは“勇気を与える起爆剤”として、心地良い言葉が並んでいる内容であること、を求めているのだ。その内容が実際に的中しようがしまいが、そのこと自体に価値を見出してはいないのである。そういう意味では“精神的なカンフル剤”としての「占い結果」であれば大いに満足する。逆に、そうでないなら例え的中していたとしても“好ましくない占い”ということになる。運営サイト会社は、当然のことだが“そういう意向”を尊重する。したがって、当たる当たらないなど、極端な話どうでもよいのだ。表面上「100%的中」とか「その的確な占いに涙した」など宣伝文句を並べているが、実際にはいかに“悦ばれるもの”を書くかだけに全力を傾けている。したがって、占い師本人が文章をまとめることはなく「キーワード」のみ貰って、文章力あるライターが“癒しを与えられる文章”、或いは“勇気を与えられる文章”を書く。その方がはるかに“評判の良いサイト”となるからだ。

実際、占いの「価値」というのは、人それぞれ違っている。最終的に人は「価値」に対して対価を払う。占いの場合、それは必ずしも“的中する”こととは限らない。近年、特にこの傾向が顕著になった。昔は、占いの“的中性”だけが求められた。もちろん、今でも“的中性”を求める人たちはいる。けれども、現代は“それだけ”を求める人は少ない。昔と違って、悩みが多様化し、複雑化しているせいもあって、ただ単に“的中させれば”済んだ時代ではなくなったのかもしれない。もちろん、それぞれの“利用の仕方”があって良いし、どういう意図であろうと“利用価値”があるのであれば、それで対価を払っていただけるのであれば、それで良い。単なる“相談者”であっても、困ったときの“救済者”であっても、求める人がいて、私の「価値」を認め、それに対しての対価を支払っていただけるのであれば、本当は「占い」そのものではなかったとしても、今の私はOKである。この“柔軟さ”は若い頃はなかった。100%なかった。正に私は“丸くなった”のだ。


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