素顔のひとり言

時代は循環暦のように

先日、書店に寄ったら、芥川賞を受賞した2作品『蹴りたい背中』と『蛇にピアス』が山のように積み上げられていました。

すでに綿矢りさ『蹴りたい背中』は100万部、金原ひとみ『蛇にピアス』は50万部、それぞれ売れたそうです。19歳と20歳の女性たちが書いた、ということも購買欲を誘っているのかもしれません。若い人たちの小説離れが叫ばれて久しい中、これだけの売り上げをあげたのは奇妙といえば奇妙です。昔の定義に従えば、芥川賞は純文学、直木賞は大衆文学に送られる賞で、その結果として売れるのは直木賞の本だけ、と相場が決まっていたものです。それが、今回は逆転してしまったのです。

同じように、芥川賞を受賞しながら爆発的に売れた小説があります。今から27、8年前の村上龍の『限りなく透明に近いブルー』です。このとき、村上龍は24歳でした。

『蛇にピアス』と『限りなく透明に近いブルー』には、ある種の共通点があります。

作品の内容は、ある意味で退廃的であり、時として虚無的でさえあります。それでいて、若者特有の生命力があり、時代への飢餓感が感じられるのです。

実は、私は『限りなく透明に近いブルー』が芥川賞を貰ったとき、趣味で小説を書き始めたばかりでした。それで、良く覚えているのです。 こんな小説のどこが良いのだろう、と思ったのを忘れることができません。実際、私だけでなく、評論家や作家の中にも、この作品に対して批判的な人はたくさんいました。でも、そうではなかったのです。時代への飢餓感の表われはさまざまです。時代の波に飲み込まれそうになりながら、必死に何かを手探りで捜し求めようとする姿、生きている証を留めようとする姿、みずからの存在を確かめようとする姿――それらは若者の感性と言葉とでなければ、本当の意味では表現し得ないものなのです。時代の風俗と同時にでなければ、表現し得ないものなのです。

食み出しっ子にしか、時代を見事に切り取って見せることはできません。

最近、テレビドラマでも「白い巨塔」や「砂の器」が人気を集めています。これらの原作は、共に25年以上前の作品です。どちらの作品も時代というものが背景にあるのですが、食み出しっ子が主人公ではなく、エリートとその背後にあるものがテーマです。一番最初に「白い巨塔」の主人公を演じた俳優・田宮二郎は、ドラマの最終回が放映されてまもなく、謎の猟銃自殺を遂げています。


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