素顔のひとり言

私が予告した通りとなった中川昭一の死

自民党の中川昭一氏が亡くなった。

私はこのコーナーの中で、時々、予言めいたことを書く。意識して「書く」と云うよりも何となく「書いてしまう」と云う方が正しい。占術家なのだから、予言めいたことを書くこと自体に罪はないのだが、その「書いてしまったこと」が、あまりにも厭な形で的中してしまうと、暗然たる気持ちになってしまう。今回など、まさにその典型と云える。

まあ、私の書くモノに注目してくれる方は少ないだろうから、その中で「忠告していたこと」が防げなかったとして、だれも責めることなど出来ない。ただ、無性に虚しく、辛いのだ。私の無力さが…人一人救えない事実が哀しいのだ。

私が予告していた内容に関しては、このコーナーの「故・中川一郎を振り払え 2009.2.19記」を読んでいただきたい。もちろん、2月19日に記した内容そのままであって、その後に手を加えたりは一切していない。彼がG7の記者会見後、大臣を辞任した直後に記したもので、初当選の頃の端正だった顔立ちが崩れて来ていることを指摘し、父・一郎氏に酷似してきていることの危険性を訴えかけた内容だ。

この時、私は札幌在住の人間であるから、十勝の中川氏の地元関係者が、一人でもこのコラムを読んでくれないものか、誰かから伝え聞いてもらえないものか…どこかで願っていた。この時のコラムを実際に読んでもらえば分かるように、そういう書き方になっているのだ。もっとも、仮にこれを関係者の誰かが読んだとしても、知ったとしても、だから何かが出来たか…と云えば、そうとは云えなかったのかもしれない。自分自身の過去を振り返っても、私は自分の母親の死も、父親の死も、漠然に予知はしたのだが、そして忠告はしたのだが…まともに信じてはもらえなかったし、聞き入れてはもらえなかった。自分自身の身内でさえも、信じてもらえなかったし、救うことが出来なかったのだ。

時折こういう場面に出くわす私は、改めて「自分の役割はいったい何なのだろう?」と思うことがある。幼い頃、私は「予言者」と云うものに憧れていた時期があった。それはたぶん少年雑誌で、オカルト的な記事が掲載されるとき、ことさら「過去の歴史を揺るがした派手な予言」が取り上げられ、それを予言した占い師を或る種の神秘の象徴として、又は「超能力者」のような魔力を持つ姿として、私のような「変わった子」の憧れとなるような存在に仕立て上げていたからかもしれない。

単純な私は、例えば手相家キロがロシア皇帝ニコライ・二世に対して「皇帝は不慮の死、しかも銃弾によって埋葬される運命を持たれる」と述べたとか、毒殺魔メイヤーに対して「あなたは何人もの人を金のため殺害し、死刑を言い渡されるだろうが、あなたの生命線は死刑と云うことに終わらず、終身刑として生き延びるだろう」と語ったとか、ドラマチックに本の中に記してあると、それをそのまま信じて「憧れの存在」としたのだった。

けれども、自分が実際に占い師となって、目の前に「悩める人」を前にしたとき、そのような「単なる予言」が何の役にも立たないことを痛いほど知らされた。考えてみれば当然のことで、お金を払う立場の依頼者にしてみれば「今後どうなっていくか」よりも「現状を打開するためにはどうすれば良いか」の方が、何よりも知りたいことなのだった。

ただ、差し迫っている問題などの場合、結果は目に見えていて、どうすれば良いか?と問われても、占いそのものではどうしようもない時もある。私は、或る時期から風水や方位や改運に力を入れるようになったが、手遅れでない限り「改運させること」は可能だと思うようになった。私はいつも言うのだが「人間の持っている能力や素質」などと云うものは、実際には誰でもそんなに違わない。「先天運」の違いと云うものは多少あるが、それだって大きく違っているものではない。ところが、占いを信じる人の中には、先天運の違いを「決定的な違い」のように誤解している人が多い。この思いこみが「運勢の飛躍」を阻んでしまいがちなのだ。

ただ、どんなに能力や素質に恵まれ、強力な先天運を持って出生していても、人生がことごとく順調に行く…などと云う人はあり得ない。そこが人間の運命の「神に勝てない部分」だ。そして「神の公平な部分」だ。したがって、そういうときに「羽を休める」ことは、むしろ人生の王道なのだと知ってほしい。「生き急ぐ人」は時々強引に自らに鞭打ち、羽を休めることを拒絶し、人生の階段を踏み外してしまうものだ。「運命を知る」と云うことは、そういう命の歩みを把握しておくことなのだ。


最近の記事はこちら

波木星龍の公的な「予言の的中率」

占い師の評価というのは、必ずしも“的中率”にあるわけではないが、そうは言っても“どの程度的中しているのか”は、その評価の重要なポイントであるには違いない。よく“口コミ”と言われる“やらせっぽいサイト”…続きを読む

自らが創り出す「未来」

占星学や推命学の研究者の中には“先天的な運命”を動かしがたいものとして、本人の“意志”とか“選択”とか“努力”などを認めないような判断の仕方をされている方が多い。私自身も占星学や推命学の研究者であるか…続きを読む

あまりにもお粗末な「ツタンカーメン」番組

こういう番組をどう捉えれば良いのだろう。制作サイドは日本の視聴者をあまりにも軽んじすぎているのではないだろうか。7月18日のTBS古代エジプト世紀の大発見プロジェクト「ツタンカーメンと伝説の王妃330…続きを読む

日進月歩で「後退していく」占いの世界

世の中、日進月歩で進んでいくものが多い中で、まるで“後退りしている”ような世界が「占いの世界」だといってもよい。どうして後退りなのか、ここ20年ほど「新たな研究」「新たな学説」「新たな占い」「新進気鋭…続きを読む

人は“さまよいながら”生きていく

人間社会は「勘違い」で成り立っている。例えば、私は“書きもの”などでは何でも明確に“ズバズバ書く”ので、現実にもさぞかし「即断即決の人」「迷いのない人」「怖い人」であるかのよう誤解されがちだ。とんでも…続きを読む

Copyright© 2015 NAMIKISEIRYU All Rights Reserved.