素顔のひとり言

積み上げられていく本と追いつかない読書

ここ2週間ほどで占い関連の本が20冊近くも増えた。その中にはインターネットで購入したもの、通常書店で購入したもの、ブックオフで購入したもの、知人から贈られたものなど種々な入手経路があるが、短期間のうちに読むのが追い付かないほど増えてしまった。中でもネットからの購入が一番多い。アマゾン・ドット・コムからの古書の購入は、一度購入すると面倒な手続きが不要になるので、ついつい占い関連の珍しい書名を見ると求めてしまいがちになる。それに送料を別とすれば安いことも魅力だ。占いの専門書店から購入すれば5倍も十倍もするだろうと思うような価格で売り出されていることもある。私は最初一括して送られてくるものだと勘違いしていたが、実際にはバラバラでアマゾンに出店している古書店から個別に送られてくる。だから、ときには本より送料の方が高くつくこともある。それでも、私にとって貴重な古書を手に入れると、新たな仲間を得た時のような嬉しさを感じる。

このマンションへと移って1年余りとなるが、確実に増え続けているのは本だけで、預金額等はどうも減っていくような気がする。書棚からはみ出した本はリビングのサイドテーブル付近に積み上げられ、スッキリしていたはずのその部分は、徐々に妖しい雰囲気へと変わりつつある。本当は一冊ごと読み終わってから購入すれば良いのだが、途中で止まったまま次の本へと進む悪い癖がある。以前は読むスピードももっと速くて1時間もあれば1冊くらい読めたのに、最近は読み進むのも遅く、なかなか先へと進んでくれない。その結果として途中で止まって次の本へと進む「読み散らかし」の癖がついてしまったようだ。書く作業にしてもそうだが、昔はもっと早く書けたのに今では原稿を書き上げるのにやたら時間が掛かる。なんでこんなにのろくなってしまったのか。

そういえば先日、TVで物忘れが進む認知症患者を取り上げていて、自分もその予備軍ではないかと思うほど、物忘れが多くなっている。一番出て来ないのは人の名前で「あの人…」と顔は出て来ても、その名前はどうしても思い出せないことが多い。もっとも私の場合、人の顔や名前を記憶するのは昔から苦手で、大体お客さんの顔だって1度見ただけで記憶している顔や名前等はめったにない。中には4度くらい来ていても記憶していないケースもあって、お客さんの方から「いい加減憶えてくださいよ」と叱られたりもする。

まだ20代の頃、書店内で弟とすれ違って気付かないことがあった。女性と喫茶店で待ち合わせて、その女性が座席にいたのにも関わらず通り過ぎて出て来てしまったこともあった。これは裸眼だと視力が悪いせいもある。それでも、例えば特徴的な手相やホロスコープなどの記憶は鮮明で、だから顔や名前は思い出せなくても手相やホロスコープを見ている内に記憶が蘇ってきたりすることも多い。

読書に関しても、私に影響を与えた良書の場合は、その内容の一部を未だに諳んじていたりする。何回も繰り返し読んだからだ。そのかわり意味がないと思いながら通読した本の内容はあっという間に忘れる。今回購入した本の中には、最新の本もあれば今から40年以上前に出版されている本もある。書店で手にとっても、財布の中身と相談のうえ買えなかった本もある。そういう本が何十年も経過した後になって私の手元に届くのは、少年の日が蘇って来るような何とも心地良い気分にさせてくれる。もしかしたら私はこの感触が欲しくて、必要以上に古書を買い求めているのかもしれない。

私はこれまで二度、占いの書籍を大量に古書店へと売っている。最初は二十代の始めで所有していた本の半分くらいを売った。占いの専門書店へではなかったので、信じられないほどの安値で本が消えた。二度目は三十代の前半で、この時はちょっとした事情があって所有していた書物の全部を売らざるを得なかった。購入時に一冊何万円もした箱入り本も多かったので、今考えても惜しいとしか言いようがないのだが、とにかく全てを失った。私はこの時、再び占いの書物で室内があふれかえるようになるなどとは夢にも思わなかった。何もなくなって、魂の抜け殻のようになって生きていた時代であった。

ところが、人生は解からない。それから数カ月もしないうちに私は次々と古書や新書を買い求め、恐ろしいほどのスピードで書棚が埋まっていくのだった。もちろん、その前に購入していたような高価な本は、それ以降滅多に購入しない。大体が私は箱入り本と云うのは好まない。あの箱と云うのは一体何の為についているのか。そういう本を購入しても、すぐ箱の方はゴミ箱へと入れてしまう。油紙が付いている場合は、それも一緒に捨ててしまう。面倒な本は嫌なのだ。けれどもそれが仇となって、古書店に売りさばくとき徹底的にたたかれる。それでも私は中のページを破いたり、折を入れたり、線を引いたり、書き込みをしたり、自分が所有者だったことを次の持ち主に伝える印しを残すに違いない。


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