素顔のひとり言

背伸びし過ぎた人生と世間の評価

元タレントの飯島愛が死亡していたらしい。突然の芸能界引退から1年半、彼女のニュースがこういう形で飛び込んでくるのは何とも哀しい。

私の個人的な記憶では、彼女がはじめて脚光を浴びたのはAV女優としてより「Tバックの女王」としてで、一種のファッションカリスマのような形で、当時旋風を巻き起こしつつあったTバックショーツ姿の代名詞として注目されたのだった。つまり当時の「イケイケギャルの典型」として華やかなスポットライトを浴びたのである。決してタレント的才能が注目されたわけではなかった。実際、彼女はその役割を見事にこなし、Tバックスタイルで種々な雑誌グラビアやTV番組などにも出演していたように思う。ただ最初の内、超ミニスカートのTバックスタイルで売って来た筈の彼女は、途中からジーンズ姿となり、ワイドショーのコメンテーター的な姿しか見せなくなっていった。「さわやかな毒舌」は最初の内、ギャル風でおもしろかったが、だんだんつまらなく小ざかしいだけになっていって、多分その辺は自分でも徐々に気付いていたはずで、引退する半年前位からはトンチンカンな突っ込みも目立った。

彼女の人生を大きく変えたのは自伝的要素もある『プラトニックセックス』という本を著わし170万部という思いもかけぬほどのベストセラーとなったことからだろう。私は、もし彼女が、この本を出さなければ、芸能界から引退することもなく「ごく普通のタレント」として活躍し続けていられただろうに…と残念でならない。この本を出したことで、そうしてこの本が予想外なほど売れてしまったことで、彼女は自分と云うものを見失い、錯覚し「作家・文化人らしくならなければ…」と妙に背伸びする生き方へと突っ走って行ってしまったのだ。この本は「エイズ撲滅運動」と云う奇妙なキャンペーンに見事に利用され、その結果もあって予想外の売れ行きをもたらした。ところが、彼女自身はそれを「自分の描いた作品」が評価されたものとして、自分が或る種エイズ世代を代表しているのだと気負い、妙な方向性に舵を切り始める。

最近、タレント本が脚光を浴びるケースが多い。けれども、その多くは本人が執筆した作品ではない。ゴーストライターがいて、本人から聞き取りを何回も行って、一種の「自伝らしい小説」に仕上げるのだ。本当に自分自身で執筆しているタレントなど、ごく一部でしかない。アントニオ猪木などは出版会の席上「オレまだ読んでないから…」と正直に語っている。ただ、そういう本であってもベストセラーになると、世間的扱いは「作家・文化人」となって、もたらされる仕事にも違いが出て来る。たとえば「お笑いタレント」であっても、文芸雑誌から執筆依頼が来たり、お堅い講演会の依頼が来たりする。そういう扱いを受けるようになると、自然と本人の中にも文化人的な意識が芽生えて来るのだ。そして、そこに落とし穴がある。

芸能タレントは元々芸能タレントであって作家ではない。お笑いは「笑わせるプロ」であって執筆のプロではない。ところが世間的な扱いに惑わされ、作家・文化人として振る舞おうとすることで、本来の自分自身との間にギャップが生まれて来ることになる。元々が「Tバックの女王」であった頃には違和感のなかった飯島愛に、背伸びし過ぎた発言が目立つようになったのはその頃からなのである。何故、周りはその辺を察して、入って来る仕事の種類を軌道修正してあげられなかったのか。これは彼女一人の問題ではない。似たような経緯から、自分を見失いかけているタレントは他にも何人かいる。

近年、インターネットが発達したせいで、世間的評価と云うか、大衆からの視線と云うか、常識的な指摘と云うか、あらゆる形で一瞬の内にネット上を駆け巡り、TV・ラジオ・新聞・週刊誌・雑誌など、ありとあらゆる形で有名な人やモノのイメージが「勝手に形作られてしまう」ケースが多くなった。政治家も、スポーツ選手も、タレントも、歌手も、芸術家も…いったん社会に浸透してしまったイメージはそう簡単にはぬぐい去れない。韓国などではインターネット上の心ない書き込みによって、何人かの女優が自殺したという。

私は元々匿名での書き込みには疑問を持っていて、例えば私の占いなどでも、実際に私の占い鑑定を受けたことがないのに、ネット上の問いかけに対して「まるで過去に受けたことがある」かのように批判的感想を述べている者がいたりする。どうして受けたことがないのかが判るのかと云うと、私は鑑定の仕方に癖があって、直接鑑定では或る順序に従って鑑定しているからだ。ところが、その書き込みの主は私なら行わない順序を述べている。だから実際には受けていないと判るのだ。そういう偽評価が許されるネット上の書き込みには、疑問を感じるのが当然であろう。

もっとも私のように元々世間的評価と云うものに無関心なタイプなら、どのように的外れな評価でも良いのだが、必要以上に周囲を気にし、世間を気にする人にとっては、ある事ない事を書き込まれてしまうと悩むのは当然と云える。問題は、そこから自分と云うものを見失わないことである。人間というのは弱いので、世間の評価が定着してしまうと、たとえ本当はそうでなくても、そうなのではないか…と自分自身の方に疑問を抱くようなケースまで出て来る。自分を完全に見失っていくのだ。そうなると、今度は世間の視線にさらされること自体が怖くなってくる。これは何も芸能人とか、政治家とか、スポーツ選手に限らない。一般の人であっても、ごく普通の会社勤めでも、そういうことは起こり得る。自分自身を疑うほど悲しいことはない。社会の評価、世間のイメージ、周囲からの眼…くれぐれも、これらに踊らされた人生を歩み出さぬよう注意されたい。


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