素顔のひとり言

雷蔵とGACKTの眠狂四郎

まだ幼い頃、私は兄に連れられて映画「眠狂四郎」を見た。何故か市川雷蔵という俳優の物言いと横顔に惹かれた。どこかもの憂い翳(かげ)があった。その独特な物言いにも、その横顔の表情にも、言い知れぬ翳があった。幼心で聴いた「俺に近づいた女はことごとく不幸になった…」というセリフも頭から離れなかった。いかにも役者らしい雰囲気の美男俳優として人気があったが、病気を抱えていたらしく30代であっけなく逝った。あの声には、あの横顔には“死が貼り付いて”いたのだ…と後で思った。大人になってから、改めて映画「眠狂四郎」シリーズを見る機会に恵まれたが、幼い時以上の感慨を持った。今の映画では表せない“時代劇としての美学”が貫かれていた。滅多に“剣を抜く場面”は見当たらないのだが、反って其れが“剣の達人”であることを証明していた。横顔や言葉や眼の動きの翳りが“人の命を奪う”虚しさを表しているように見えた。

あれから何十年も経って、再び眠狂四郎と出逢うとは思わなかった。しかし、今度の狂四郎は雷蔵ではなくGACKTという歌手・俳優だった。確かに美男という点では雷蔵には劣らない。ただ雷蔵のニヒルさは天性であり、占星学的にも“グランドクロス(大十字形)”惑星配置を出生図に持って生まれた役者だからこそ描き出せた世界でもある。時代背景として描かれている“黒ミサの世界”や“宣教師の私生児”という出生秘話など、江戸時代の暗黒部分を描写するのに雷蔵ほどふさわしい役者はいなかったのだ。いや役者でなくても、惑星による大十字形をホロスコープに持って生まれた人が“十字架を背負って”人生を歩んでいることを多くの事例から知っていた。私は100歳を超えながら毎日仏道修行にはげみ続ける住職にも大十字形を見たことがあり、ピエロの詩集を出し続けている詩人にも大十字形を見たことがあり、九死に一生の事故に遭いながら超能力者として活躍した人物にも見たことがあり、半身不随に陥りながら作家として活躍した人物にも見たことがある。文字通り重い“十字架を背負って”生きていくことを宿命づけられた人達ばかりだ。

GACKTの生年月日が判然としないので何とも言えないが、出生年代から考えて惑星“大十字形”はない生れのはずだ。彼は彼なりに眠狂四郎を理解しようと努力したのだろう。それは何となく解かるのだ。この舞台にかける意気込みのようなものも、それなりに伝わる。ただ彼は眠狂四郎という人物の根本が解かっていない。眠(ねむり)は、決して社会に背を向けたアウトローなのではない。粋がっての浪人でもない。その道を歩むしかなかった“宿命の児”としての無頼の徒なのだ。現代的な観点から“無頼の徒”を捉えると無教養な者を連想しがちだが、それは違う。元々は武家に育ち、剣術の達人でもあるので、間違いなく幼い頃から、武家としての教育を受け育っている。立ち振る舞いについても当時の武家はうるさい。つまり深い教養・修業を基礎として独自の“円月殺法”に辿り着いたのであって、ただ単に喧嘩に強かったのとは訳が違うのだ。性格的にも、宣教師の血が入っているので冷酷な人物などではない。それなのに“無頼の徒”として生きていかなければならない“苦悩”が、眠に或る種“凄味”を与えているのだ。だから、そういう“壮絶な葛藤”が言葉の端々に滲み出なければ眠狂四郎ではない。その部分が、GACKTには解かっていないのだ。それゆえに言葉が軽くなる。感情を顕わにすべきでない部分で、感情的な物言いになったりする。諸行無常を知っている眠は、そう単純に感情を顕わになどしないのだ。感情を抑えた台詞回しは市川雷蔵の独壇場だった。何故、そうしたのかをGACKTには知って欲しい。もっとも、舞台演劇としての公演なので、やや誇張した表現を求められての演技なのかもしれない。そうだとすれば演出家の方に責任がある。もっとも舞台であるがための長所も存在し、背面映像を殺陣に取り入れて迫力を出しているのは大変に良い。映像・音・光が見事に調和し“円月殺法”の美的表現には見事に成功していた。成功と言えば、高齢の女性達が座席を多数陣取っていることには驚いてしまった。GACKTのファンなのか、それとも眠狂四郎のファンなのか、オペラグラスでしっかり見届けようとする人が多いことにも微笑ましさを感じた。昔、能の舞台を見に行った時、意外にも若い人が多数来ているのに驚いたことがあったが、今や年齢などお構いなく、それぞれの道を突っ走るような日本人が増えてきたことは“充実した日々の過ごし方”として、平和で善い国になった…証拠と言えるのではないだろうか。


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