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過去の占いコラム

素顔のひとり言(エッセイ集)


デフレとインフレが世界を変える


安いといえば人は集まる―TVを見ても、新聞を見ても、最近は“安い”“安い”のオンパレードである。まるで“安く売ることが時代を制する者だ”と言わんばかりの報道が多い。確かに“高級品”“ブランド品”“高価格商品”の売れ行きは総じて良くない。百貨店業界の落ち込みがそれを象徴している。景気自体がパッとしないのだから、少しでも安い商品へと客が流れるのは、ある意味で当然ともいえる。私自身だって、懐具合が良くないときには自然と“安い”方に傾く。どんなに高級で良い品物であると解っても、そちらには手が伸びない。消費者の感覚というのは比較的みんな似ているもので、例えばインターネットの商店街で、昨日まで在庫があった商品が今日になったらもう無くなっている―というケースは珍しくない。元々高価な品やブランド品でも、珍しく安くなっていて「欲しい」と思っても何故かすぐには決断がつかなくて翌日になったら、もう「売り切れ」と表示されているケースだ。その瞬間、高価な品物であっても通常より安ければ欲しい人は多いのだ、と気が付く。そして決断できなかった自分を悔む。まるで“セール品の山”に群がる主婦のようで何とも浅ましく、恥ずかしいが事実なのだから仕方がない。良いモノを安く求めたい―という心理は自然なことなのだから、恥じる必要はないのかもしれないが、もしかして待っていれば“もう少し安くなるのでは…”などと邪まなことを考えた自分が情けないのだ。

日本国内のニュースだけ見ていると、あたかも世の中は“デフレ一色”で、ものみなすべてが値下がりしているように感じられるが、新興国などでは必ずしもそうではないし、天然資源はむしろ“じわじわと値上がりしている”モノも多い。どちらかといえば先進諸国の株価が依然停滞し、天然資源豊富な新興諸国の株価が再び上昇し始めていることは注目すべきだ。世界は広く、世の中は複雑で、何事も一辺倒の見方だけで捉えられるものではない。

最近の日本では「モノが売れない」とよく言われるが、実際には「モノが溢れていて」いつでも手に入るから買わなくなって来ているだけなのかもしれない。或いは“吟味しながら買う”ようになっただけなのだ。情報化社会は「選択・選別の時代」でもあるが、同時に「縁の時代」でもある。人でも物でもそうであるが“縁”があって初めて“知り合う”ことができ“触れ合う”ことができる。人でも物でも溢れているからこそ“出逢い”は貴重で、それによって“人生が劇的に変化”していくこともある。私は時々、本をまとめ買いする。その多くは占術書だ。ネットで注文することもあるし、カタログから注文することもある。新刊の場合もあり、古書の場合もあるが、古書は総じて価格が高い。このデフレの時代に、古書だけは価格が中々下がらない。モノの価格というのは“需要と供給”の関係で決まっていくものなので、そういう点では“高くても求める人々がいる”証とも言えるだろう。高くても“出逢えて良かった”と思う本もあれば、中身を見て唖然としてしまう本もある。新刊書ではるかに安く、きれいで読みやすい類似本があったりすると我が眼力のなさにガックリと来る。もっとも、カタログだけで購入する本は書名と著者名しか判らない。ほとんどは表紙さえも見ることは出来ない。言ってみれば勘で買うのだ。だから最近は高額な本はなるべく買わない。私は“財産”としてとか“収集家”として本を購入するわけではない。あくまでも実占上の参考になるか、研究対象としての価値があるか、という観点から購入する。だから、仮にそれを所有していて財産としての価値が上がったとしても、そのこと自体には何ら興味がない。大体、貴重な本なら売るわけがない。それに私は購入した本に対して“丁寧に扱った”試しがない。それが貴重であればある程、線を引いたり、折り曲げたり、破いたりで、ボロボロにしてしまう。きれいなままなのは私にとって“つまらなかった本”だ。

それだけに、それが新刊であれ古書であれ、滅多に出会えないような貴重な本に出会った時の喜びは大きい。人でもそうであるが、出逢いというのは「縁」で、今のように情報があふれ、物や場が溢れていればこそ、かえって“出逢えそうで出逢えない”ケースは多いものだ。それだけに“出逢い”は大切にしたい。占いだって「お見合い」ではないが“波木星龍のような占い”を求めている方はまだまだ“いるもの”と思われる。けれども、縁がなければ、結局“実際に占って”差し上げることは出来ない。不思議なもので、九州在住の方であっても、占う機会に恵まれる場合もあるし、同じ札幌市内に居ながら、中々巡り会えないままの方もいる。

話は戻るが、新興諸国の中には明らかに“経済が右肩上がり”で、その内、先進諸国を抜いていくだろうと思われる国もある。そして、それを私に予感させるのが、デフレとは逆の物価全体がインフレ気味になりつつある地域だ。早い話が、やや乱暴な論理かもしれないが、デフレ気味の国は景気が下降しやすく、インフレ気味の国は経済が上昇しやすいのではないだろうか。その色分けが、最近妙に判然としつつあるような気がするのは私だけであろうか。何十年か経った時、今の新興諸国の方が、全体的に世界経済をリードしている…というような状況が現出するのかもしれない。

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