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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


共感できても支持できない表現


近年はすぐ誰がどう発言したかが拡散する。特に芸能人、政治家、文化人などの場合がそうである。ある意味で、それは“有名度”を測るバロメーター的な部分もある。そういう意味で影響力の強いホリエモンこと堀江貴文氏が昨日ツイッターで《前の席のくそ野郎が「席を倒してもいいですか」と聞いてきやがる。ウゼェ。勝手に倒せや》と投稿した。それに対して、賛否双方から様々な反応があったようだ。実は私も以前から思っていることだが、公共車内で前の席から後ろの席へ「席を倒して良いですか」と問うことはマナーのように言われているが、果たして本当にそうなのだろうかと思う部分があった。なぜなら、そう問われて“拒否できるか”という問題があるからだ。仮に拒否したなら、相手の方はすんなり理解して倒さずに居てくれるのであろうか。それが巨漢のいかつい男性だったなら、とても拒否できる自信もない。そう考えると、元々が倒せるようになっているなら、そうしても良いという風に受け止めて黙って倒しても良いのが“暗黙のルール”のような気もするのだ。ただし、ここで私が書きたいのは、そのことではない。ホリエモンの“表現方法”というか、文章についてなのだ。彼は、ツイッターだから、普段通りの“話し言葉表現”を用いているだけだというかもしれない。けれども、会話として成り立つ表現が、そのまま文章でも成り立つかというと、それは違う。やはり文章というのは、いったん読み切って、それを脳内で並べる作業をしてから、心で受け入れるものなのだ。日頃から“ぞんざいな表現”を使っているから、特に友人や仲間とは、それで通じ合っているから良いではないか、と彼は言うかもしれない。確かに会話であれば、それで良いのだ。けれどもツイッターは“公共”に流れるもので、友人や仲間だけが目にするものではない。どういう人が読んでも、それなりに理解しやすい言葉や表現を用いるのは、ベストセラー作家でもあるホリエモンなら私が言う以前のことだろう。昔の彼は、もう少し“丁寧な表現”を用いたような気がする。最近、何かが違ってきたのか、その表現の“ぞんざい度”が増してきているような気がする。せっかく、日本を代表する文化人の一人なのだから、そして、その主張は、そういう部分を除けば十分に共感を得られることも多いのだから、少しだけ考えた方が良いような…。

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