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過去の占いコラム

素顔のひとり言(エッセイ集)


占い依頼者との「距離」について


当然のことながら、占い師は常に何らかの悩みや問題を抱えた相談者や依頼者と相対して仕事を行っている。初めての依頼者もいるが、その多くは過去に“占っている方”で、いわば“常連さん”に属する方も多い。占いの利用の仕方はさまざまで「問題の解決」に利用される方、純粋に「未来の選択」に利用される方、精神的な「心の支え」として利用される方、新たなことへの「心の準備」として利用される方…とさまざまである。そして利用の仕方としては、そのどれもが間違っているわけではない。「占い」に“利用の規約”など、存在しないからだ。初めてでなく、何度目かになる方は、多分それなりの“利用価値”があったから、再び来てくれたのだろう。私はあまり顔を憶えない方で、以前お客さんから「もう四回目なんですから、いい加減、私のこと憶えてください」と叱られたことがある。そういう感じで、記憶力の良くない私は間隔をあけての二度目とか、三度目とかだと、初対面のように思って“同じ占い結果”を話したりする。したがって、よほど個性の強い方でなければ、記憶に残らない。そういう私でも、比較的間隔を置かず何度も来られる方や、若い頃に何度も見ているような方はさすがに忘れない。プロとして占いを始めて、たいした進歩もなく、もう何十年にもなるが、その何十年間にもわたって“占い続けている”ような奇特な方もいる。正直なところ、何十年間も「なぜ私なのか」よくわからない。私の場合、何十年間も通ったからと言って、御世辞ひとつ言うわけでもない。そう、私はそういうのが嫌いなのだ。基本的に誰であろうと、私の態度は変わらない。

よく水商売などだと「一見さん」と呼ばれる初対面の方と、顔馴染の「常連さん」とを分けて扱うような傾向が見受けられるが、私はそういうことが嫌いなので、基本的に誰も分け隔てしない。占い師の中には、長年の常連さんを「友達」のように扱う方もいると聞くが、私にはできない。私生活において“友達になる”ことはできるが、職場である「占いの場面」でそれはできない。というよりも、そうなってはいけない、という思いが私にはある。占いの依頼者・相談者との距離が近すぎると、本来の“占いとしての判断”が難しくなってしまう場合があるからだ。例えば、非常に良くない結果が出た場合、お客さんとの距離間があればそれを正直に伝えられるが、距離間が無くなると正直には伝えられなくなる。いや私の場合は正直に伝えるが、なんとなく気まずい雰囲気になる。だから身内や友達のことを占うのは、本来はあまり好きではない。どちらかと言えば知らない人の方がいい。それに自分自身のこととか、身近な人のこととかはどうしても感情が混じる。それも占いにとっては良くない。私の尊敬する師は「明哲虚心」という表現を使った。占いを行う時には、心の中に「曇り」があってはならないし、自らの「心」が入り込みすぎると判断を乱してしまう。思い込みの判断は失敗の元なのだ。そうはいっても、何度も来てくれる常連さんには、少しでも良い結果を引き出してあげたい、と思う心情が働く。当然と言えば当然のことだ。

私はかねがね「占い」というのは、最終的に「占い師と依頼者の二人三脚」が“ベストな回答”を引き出すものだと思っている。つまり、占いの依頼者が、その占い師に対して全幅の信頼を寄せ、真摯に偽りのない現状を語り、それに応じて占い師が全身全霊で占って“最良のアドバイスと解決策”を見出していく。どちらも「占いの神」に対する“真摯な想い”が一致したときに「最良の答え」が自然に導き出されてくる、システムになっていると思うのだ。占い師に対する全幅の信頼がないとか、真摯に現状を語ろうとしないとか、互いに距離間を抱きながら占うというのでは、決して“ベストな回答”は引き出されない。そういう意味では「占いの神」に対する想いは一致していなければならないし、占いへの「問い・願い」も一致していなければならない。つまり、占い師と相談依頼者とは“占いの場”において友達になるのは好ましいとは言えず、或る程度の距離間は常に必要なのだが、その問題や悩みに対しては“共有観”を持たなければならず、そういう意味では決して距離間があってはならないものなのである。

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