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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


日本人の「融通性の欠如」を考慮しなければ…


昨日、つくば市で“哀しい出来事”が起きた。4月から“在宅勤務”となっている父親が、自分の娘をチャイルドシートで後部座席に座らせたまま自宅に戻ってしまったのだ。長女8歳の方を車で学校へと送り届けて帰宅した時、後部座席に次女2歳が座っていることを忘れてしまったらしい。車内に7時間もの間放置していて、気付かなかったというのだから、本人が言うように「仕事のことで頭がいっぱいだった」に違いない。やがて、長女を学校に迎えに行く時間になって、それでも気付かなくて、学校について車から出る時になって、ようやく気付いた、というのだからどうしようもない。日中、27.8度にも達した気温の“車の中”で、次女の方は亡くなってしまった。「過失致死容疑」に当たるのだろうが、日頃、いかに“仕事中心”で生活してきたか、家族と一緒に過ごす時間が乏しかったか、おそらく、今になって悔いているに違いない。もし、日頃から子供達と一緒に過ごす時間が多かったなら、どんなに仕事に追われていようと、仕事上の問題を抱えていようと、長女を送り届けた後で、これで責任は果たした、という気持ちにはならない。帰りには、次女の方に話しかけるとか、車から降りてすぐ、次女にジュースなど飲ませてあげるとか、何かを行ったはずなのだ。それらを全くしなかったのは、自分の家族を“本人・妻・娘”という形でしか意識していないからである。“長女”と“次女”という、それぞれの認識の仕方ではないからなのだ。妻である母親も仕事で外出していたから、妻の方にも、多少の過失はある。これまで、夫は、娘たちのことに対しては、妻に任せきりだったに違いない。こういう時代になって、在宅勤務に変ったことで、長女を学校へと送り届けてもらえる。そして、次女の方の面倒も必要な時には観てもらえる。妻は、そう思っていたに違いない。けれども、夫には余裕がなかった。実は、日本人の多くは“在宅勤務”は苦手なのではないか、と私は思う。どちらかというと、出社することで「仕事モード」に切り替えている日本人が多いのだ。また、会社側の方も、“在宅勤務”に切り替える場合に、これまでと全く同じようなノルマを課すのは、少し酷なのだ。これまでよりも“多少、効率が悪くなる”ということを前提にして仕事を与えないと、特に、幼い子供達をいる家庭においては、どうしても“出社時”と同等な仕事量を与えてはムリが出てくる。要するに、企業も本人も、融通性とゆとりを持たせないと、同じような「悲劇」は必ず、また起きて来るに違いない。
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