6月, 2004年

運命というものの誤解について

2004-06-23

時折、私のところに鑑定を依頼される方の中には、明らかに「宿命」とか「運命」とか呼ばれるものに対して、曲解、或いは誤解していると思われる方からの依頼が舞い込みます。私は、それを大変残念に思うし、世の中には、そういう曲解・誤解を生むような仮説を唱道されている方もいるので、ここで間違いを正しておいた方が良い、と考えるに至りました。

まず「宿命」と「運命」の違いというものについて、ハッキリさせておかなければなりません。「宿命」とは、先天的に宿っている命で、基本的に動かしがたい生まれの部分をいいます。例えば、生れてくる時代、地域、家庭、父母、兄弟、性別、体質、知能、性質などは、ある程度、先天的な要素が強く、授けられて生れてくるもので、黙っていても最初から個々に備わって生まれているといえます。もちろん、ある程度までは変えることが可能なものもありますが、全面的に変えるのは難しいものです。

一方「運命」の方は、運ばれる命で、変化していく人生の有様を表現した言葉です。変化していく、という前提の中で生み出された言葉です。最初から、定まっている人生を指した言葉ではありません。この部分が、一番誤解を生みやすい部分です。つまり、宿命のように動かし難いものではない、ということなのです。

俗に霊能者とか、超能力者とか、霊感師を自称する方達の多く、及び、占い師でも宿命観の強い占い師の方達の多くは、何年後、或いは何十年後の人生が既に定まっている、と主張したがります。しかし、私は、このような考え方に賛成できません。

例えば、手相占い師の中には、今現在の手相から、何十年後の人生や出来事を読み取れるかのごとく主張してやまない方達がいます。それでは、そういう方達は、手相が全く変化しないと主張しているのかといえば、そうでもないのです。こんな矛盾した話はありません。手相が変化するのであれば、当然、そこに示されている未来もまた変化する、と捉えるのが自然でしょう。手相だと解り難いかも知れないので、人相で考えてみてください。

顔が変化していくことは、誰でも知っています。その顔の中に人生を読み取ろうとするのが人相術(観相術)です。人相占い師でもないのに、我々は誰でも、その人の顔を見ながら、本能的に、この人は幸せそうだとか、真面目そうだとか、苦労してきているなとか、病気でもしているのでは…とか、怖い人に違いないとか、お金持ちそうな顔だとか、ずるがしこそうな顔だとか、女に甘いなとか、SEXが好きそうとか…全て初対面の顔を見ながら、本能的に判断していることは否めません。

別に人相占い師でもないのに、誰に頼まれたわけでもなく、本能的にそういった判断を多かれ少なかれして来ているのです。

そして、その顔が変わって行くのです。あっという間に変わって行くこともあれば、永い時間を掛けて変わって行くこともあります。どこがどう変わったかは、一般の方は見極めにくいと思いますが、幸せそうだったのがそうではなくなったとか、真面目そうだったのがずるがしこそうな顔に変わったとか、不健康な印象だったのが健康そうになったとか、貧しそうだったのがお金持ちっぽい顔になったとか、怖そうだったのが優しそうな顔になったとか…なんとなくの印象ではあっても、確信が持てるような変わり方をする例は少なくありません。そして、それらは、ほとんどの場合、正しいのです。

なぜ、我々は、占い師でもない(私は占い師ですが…)のに、それが判るのでしょうか? それは、経験的に、同じタイプの例をたくさん見てきているからです。例えば、お金持ちの人たちを、テレビや雑誌でたくさん見ていて、そういう人達に共通の相が、パターンとして我々の脳に記憶されているからです。身近な人で癌になった人達をたくさん見ていると、自然に、もしかして癌になったのでは…と気付くこともあるものです。アダルトビデオで活躍している女性達には共通した相があり、そういうビデオを見慣れていれば、この女性は…と感じたりすることもあるはずです。つまり、我々は生活の中で、さまざまな相をパターンとして本能的に整理しているのです。

それらが、いつの間にか変化していくということは、我々の運命が決して最初から定まったものなどではなく、日々の生活の中で、徐々に変化していく性質のものであることに気付かなければならないのです。そうだとすれば、運命は、いくらでも変えていくことの可能なものであって、宿命のように怯えて諦観する必要など全くないのです。運命は、自分自身が作り出していくことの出来る「神様からの贈り物」であることに気付かなければなりません。

レーガンとホロスコープの真実

2004-06-20

アメリカ第40代大統領だったロナルド・レーガン氏が6月5日死去しました。11日には国葬が行なわれるそうです。

1980年から89年にかけての丸8年間、第40代大統領として、世界に「強いアメリカ」を印象付ける役割を果たしました。けれども、私がここで取り上げようとしたのは、そういう部分に光を当てたいからではありません。彼の人生には、人間としての哀しみが横たわっているからです。

アメリカ人にとって、大統領というのは最高の栄誉であり、成功・出世です。ある意味では、世界的に見ても、ナンバーワンの成功者的存在といえるかもしれません。けれでも、彼がその座を射止めたのは70歳になってであり、若い頃からエリートコースの道を歩んでいた人物ではありません。彼の最初の仕事は、水難救助員です。その後、新聞のスポーツ記者となり、さらにラジオの解説者などを経て、30代から40代にかけては映画界へと身を投じ、ハリウッド俳優として活躍しました。

政界入りは47歳のときであり、当然のことながら、政治家としては遅いスタートでした。その後、カリフォルニア州知事となり、大統領への道を開きました。

大統領になって以後は、インフレなき景気拡大を目指し、83年以降、空前の景気拡大へと舵取りをきったのです。その一方、当時のソ連を「悪の帝国」と呼び、中性子爆弾の製造、核ミサイルの研究・開発して対決姿勢を強めた後、87年になって冷戦体制からの転換を行い、核全廃条約に調印しました。

さて、問題はこれからです。

大統領の座を降りて以降、レーガンの身に変化が起こり始めます。94年になって、自らアルツハイマー病に侵されていることを公表したのです。やがて、その病気は進行し、彼は自分が何をやっていた人間かも解らなくなるのです。過去の輝かしい栄光は、廃人同様となった彼には、もはや存在していないのでした。

ロナルド・レーガンは、1911年2月6日イリノイ州に生れています。水星はやぎ座21度にあって、太陽とは45度、海王星とは180度の位置関係にあります。

彼が、カリフォルニア州知事となった66年、出生時の水星は、トランジットの冥王星と120度、海王星と60度、天王星と120度、土星と60度と、さまざまなアスペクトを形成していました。

次いで、大統領となった80年11月、出生時の水星は、トランジットの冥王星と90度、海王星と30度、天王星と60度と、それぞれの惑星が進んだ形で再びアスペクトを形成しているのです。

そして、アルツハイマー病となった94年、出生時の水星は、トランジットの海王星と0度、天王星とも0度となっています。

トランジットの冥王星、海王星、天王星のような動きの遅い惑星は、出生時の惑星と滅多にアスペクトを形成しませんが、それらが集中する年は、重要な出来事が起こってくる予告となります。

出生時のホロスコープに、水星と海王星との緊密なアスペクトを持つ人には、芸術や文学で大いに才能を発揮する素質の持ち主も多いのですが、反面、精神の均衡が崩れて、幻想、幻覚に悩む人、痴呆症となって行く人、麻薬やアルコール中毒で人生の階段を踏み外していく人も少なくありません。

ネット上の書き込みについて

2004-06-10

佐世保市で、小学6年生の女子児童が同級生を殺害した、という事件が報道されています。

その殺害動機は、ネット上で被害者から加害者の容姿について心無い書き込みがあったことだと、本人が告白しているそうです。

近年、インターネット上の書き込みは、さまざまな事件や問題の原因として浮上してきています。私自身は見たことがありませんが、そういう書き込み専門のサイトもあるようです。

私は、以前、このホームページを立ち上げる前に、何気なく自分の名前を検索サイトにかけたとき「波木星龍の真実」という項目が出てきて、ギョッとしたことがあります。私自身が知らないうちに、私に関する項目がある。それだけでも驚きなのに「真実」とは、一体なんだろう。私は、あわててその項目のサイトを訪ねてみたのです。そして、誰が書いているのか判らない、チャット名による書き込みを拝見させていただきました。

まあ、一言で云えば「悪口」の羅列でした。

その悪口の中には、それこそ正に真実もあれば、全くのデタラメもあり、デタラメの方が多かったのですが、それよりも私は、一体誰が書いたのだろう、と不思議で仕方がありませんでした。それに、私のようにさして有名でもない占い師を、ここまで扱下ろさなければならない理由がどこにあるのだろう、とその部分にも引っかかりました。

私は、昔から影で批判・中傷されることが多く、云ってみれば、そういうことには慣れているので、別にどう云われようと構わないのですが、ただ、これだけ中傷したいのであれば、何故、正々堂々と名前を出して云って来ないのだろう、と不思議に思ったものです。

私は、このホームページでもそうですが、これまでの私自身の著書でも、雑誌記事などでも、著名な占い師の方たちを批判したことは何度もあります。その場合、決して感情的にではなく、あくまでも実践上や理論上からの占い批判です。ですから、自分でも批判することはあるので、批判されること自体は何ら抵抗感はありません。但し、私の場合には、必ず、きちんと自分の名を出して批判します。それが、批判する者の最低限のルールだと思うからです。名前を出さず、しかも明らかに占いとは無関係なことで批判・中傷しようなどとは、私なら考えもしません。

私は「波木星龍の真実」を書いた方たちが、多少なりとも私のことを知っている方であることを感じ取っています。そうであれば尚のこと、名前を出して正々堂々と批判して頂きたいのです。今からでも、遅くはありません。どうぞ、私を批判されたい方は、私宛にきちんと名を名乗ってメールしてください。その批判メールは、その原文どうりの形で、ここに掲載することを誓います。決して、それを勝手に書き換えることはしません。それこそ、正に「波木星龍の真実」だといえるでしょう。

母の日に捧げる記

2004-06-03

今年もまた、母の日がやって来ました。

この日がやって来ると私には、思い出す「歌」と「小説」と「忘れられない記憶」とがあります。私は、既に29年前に母を亡くしています。

幼い頃の私が知っている母は、病弱で、寝たり、起きたりでした。何度か入院もし、誰もいない部屋で、幼い私は、窓の向こうばかり見つめていたのを憶えています。

私が思い出す「歌」とは、さだまさしさんが歌った『無縁坂』です。

――母がまだ若い頃、僕の手を引いて、この坂を登るたび、いつもため息をついた。ため息つけば、それで済む、後ろだけは見ちゃダメと、笑ってた、母の手は、いつも暖かかった。運が良いとか、悪いとか、人は時々口にするけど、そういうことって確かにあると、あなたを見てて、そう思う。偲ぶ偲ばず無縁坂。噛み締めるように、ささやかな僕の母の人生――

ちょっと長い引用になりましたが、これが『無縁坂』の歌詞です。そして、その通りの人生を、幼い頃の母は歩んでいました。

私が十代後半に達した頃、母は元気になっていましたが、反抗期となった私は、いつも母親を心配させてばかりいました。

思い出す小説は、谷崎潤一郎の『母を恋うる記』(だったと思うのですが、題名が違っているかも知れません)という、あまり谷崎の作品としては知られていない中篇です。一時期、谷崎作品に惹かれていた私は、彼の作品をいろいろと読んだのですが、この小説ほど彼の「天才性」を感じさせた作品は他にありません。

私は、二十代になって、谷崎ではなく、黒岩重吾作品の影響を受けて小説を書くようになっていたのですが、たまたま『牙なき野獣』という作品を同人誌向けに書いていたとき、下の部屋から、すさまじい悲鳴が聞こえてきたのです。

それはさっきまで私が居た茶の間からの悲鳴のようにも、外からの悲鳴のようにも聞こえました。そのとき私は、たまたま自分の小説の中で、荒野における青年イエスと、天空から響く神の声との問答、という設定で執筆していたのですが、いったん立ち上がりかけて、再び静寂が戻ったため、また執筆に戻ってしまったのです。ところが、その結果、私は大きな後悔を招くことになってしまったのです。

そのとき、母は、風呂を沸かしすぎて、熱湯となっていた浴槽内に誤って滑り落ちていたのです。私は何度目かの悲鳴で、もしや…と気が付き、あわてて階段を降り、母親を浴槽内から助け出したのですが、もうそのときには、母は全身火傷で手の施しようのない状態に陥っていたのです。

その半年前、私たちがその住居に引っ越さなければならなくなった時、私には妙な予感のようなものがあって、その住居への引越しを強く反対しました。引っ越した後も、私は何度か、この家は不吉だから、と主張したのですが、具体性のない私の予感など、通るはずもありませんでした。

ただ、母もその家に来てから、別の理由から悩んでいたことを、後から私は知りました。その年、私は初めて母にコートを買ってあげ、親孝行らしきことの一端をしたのですが、後にも先にも、私が母に買ってあげたのはそれだけでした。

私が、プロとして占いを始めたのは、母が亡くなって一ヶ月後のことです。なぜかしら、占いの看板を掲げずには居られなくなったのです。

今、私が「占い」を生業としているのは、母の死があったことと無関係ではありません。そういう原点から出発している私は、今も、母親からいつも見守られている気がしてなりません。

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