4月, 2007年

さまざまな始まり

2007-04-23

春四月は、さまざまな人達がさまざまな形で新しいスタートを切る季節だ。入学、進学、転入、入社、転勤、部所移動、住居移動、独立、自立、開業…等、数え上げたらきりがない。

そうは云うものの私の記憶の中では、四月から新しくスタートしたことで印象に残っている出来事というのはあまりない。

正月にしてもそうだが、一般的尺度では始まりの時期であっても、本人にとってそうはならないケースがしばしばある。学校や役所など公的機関やマスメディアなどでは、4月から切り替えていくケースが多いが、占星術的には春分からが1年のスタートだし、干支暦的には立春からが1年のスタートとなる。いずれも「春」を1年の開始時期として捉えている、ということだろう。確かに春は、植物の多くがいっせいに芽を吹き、成長・開花を予感させる。

正月を新年とは云っても、まだ暗く、寒く、植物は枯れ果てている。本当のスタートは春になってから…ということらしい。そういう意味では、植物は季節に対して敏感である。干支暦的な捉え方をすれば、我々の出生年月日時は、植物と同じように、どの季節にどの太陽日(品種)として生れたかによって、人生においてどのような花を、いつの時期に咲かせるか…が違ってくることを教えようとしている。

植物がそうであるように、必ずしも全ての花が春に咲いているわけでもない。夏に咲く花、秋に咲く花、冬に咲く花も少しはあって、それぞれの美しさを競い合っている。我々の人生も、花が咲く時期は人によってまちまちだ。しかも、その咲き方や花の在り方も、それぞれに違っている。子供時代から世間の脚光を浴びる人生もあれば、人生の晩年を迎えて幸運を手にする人もいる。早くに散ってしまう人生もあれば、地味でも長く咲き続けている人生もある。

こんなことを書くと演歌のようだが、マスメディアが発達しすぎている中で育ったせいか、若い人たちは自分も周囲も同一品種として捉えすぎているような気がする。人生においても、それぞれの咲き方があることを、ぜひ知っておいて欲しい。

植物達は、それぞれの美しさを知っているかのように、それぞれの季節にふさわしい咲き方をする。自分を見ることの出来ない植物たちが、自分を美しく見せるすべを知っている。占いが教えてくれるのは、個々の品種としての花の在り方、その開花方法や開花時期である。

私がここに移ってから買い求めたパキラは、その成長が大変に早い。観葉植物なので花は咲かないが、もっとも日当たりの良い場所に置いたせいか買った時と比べると倍近くに葉数が多くなっている。風水的に云えば、リビングのドアから最も遠い位置で、気が活性化されやすいところだ。その逆に鑑定室に置いたフランスゴムの木は、どうも成長が芳しくなく、葉数も少なく萎れてしまったような気がする。仕事運を良好とする意味でも、元気に育って欲しいと願わずにはいられない。

スピリチャルな世界

2007-04-16

いつの間にか本音トークのTV番組「ジェネジャン」が復活していた。この番組のかつてレギュラーとも云うべき人たちと、今回はスピリチャルカウンセラーと名乗るような人達が集まっての心霊世界に対しての討論だった。

こういう話し合いになると、普段のタレントや芸能人の活動とは別な一面が垣間見られ、そういう意味でも大変興味深い。しかも、誰が正しいとか、間違っているとか、結論を出さないところが、むしろ良い。TV番組は時として、最初に結論ありきで番組制作をしているケースが多いからだ。

私は自分自身が心霊体験を持っているだけに、心霊世界の存在を否定できない。自分の寝ている身体を斜め上空から眺めながら「この人は誰だろう?」「自分の身近な人だとは思うんだけど、どうして横になっているんだろう?」と、他人を見るように眺めていたことを記憶しているからだ。何故あのとき、私は自分の肉体を自分であると自覚できなかったのだろう。何故上空から眺めていることに違和感を感じなかったのだろう。

あのとき、私は俗に云う「三途の川」へと行った。そして、鎧兜の怖そうな人が私を連れに来て、その人に手を引かれるように橋を歩いた。その橋の向こうで、沢山の人達が私を待っていて、手を振り、必死に私に対してこっちへ来るよう呼びかけていたからだ。私には何故か、その人達が自分の先祖であることが解った。何故判ったのか、それは解らない。とにかく初めて見る顔ばかりなのに、私はその人達に懐かしさを感じ、その人たちも私を親戚として知っているようだった。私はそのとき、一部の人たちの服装が、あまりにもみすぼらしいことに妙な哀しみを感じていた。明らかにそれは現代の服装ではなかった。

橋の真ん中くらいまで来たとき、背後から大きな声がした。「行っちゃ駄目」「そっちに行っては駄目よ」大きな声は母と姉の声だった。背後というか、耳元というか、とにかくその声には必死のものが感じられた。私はぼんやり「戻らなければ…」と思った。その後の行動を明確には記憶していない。ただ、私は自分の肉体にまるで掃除機のコードのように一瞬で引き戻された感覚がある。

そういう体験を持っている私は、心霊世界を頭から否定できない。ただ私は、あれは何だったのだろう…と今でも時折思い出すことがある。体験的にというか、経験的にというか、とにかく仮に幻想・幻覚の類だったとしても、あの独特の感覚は夢でないことだけは確実である。そして、何となくの感覚として云えば、あのとき、もし橋を渡り切ったなら、生還出来なかったような気がするのだ。そして奇妙なことにあの日、私は病院に入院中だったのだが、姉は私の部屋の窓が激しく物音を立て、犬が吠え立て、どうしたのだろうと窓を開けたら静かになった、と証言している。

もしも通常の夢なら、自分の身体がベッドに横たわっているのを見て「この人は誰だろう?」等と思うだろうか。ただ本当に魂で幽体離脱していたのだとしても、その場合もどうして自分の肉体が判らなくなってしまうのだろう。誰でもそういうものなのだろうか? 宗教的には「肉体は現世における借り物」と表現するところもある。確かに、あのことが真実なら、そうなのだろう。一方で、何故先祖の人達に関しては、それとすぐ判ったのだろう。どうも矛盾しているような気もすれば、むしろそれが当然のような気もして、混乱するばかりだ。

ただ人間は最終的に「血は水よりも濃い」で、どこか同じ要素のあるものが互いに引き寄せ合うように出来ているのだろうか。

今回のジェネジャンでは、米良の「ヨイトマケの唄」が披露された。この歌は元々美輪明宏の歌で、彼?がまだ若く本当に美しかった頃の歌だ。私が最初にこの歌を聞いたのは10歳位の頃だったが、なんともいえない奇妙な感動を受けたものだ。あの頃、私の母ではなかったが、父親も土方で生計を立てていた。正直私はその父親を、学校帰りの路上で仕事をしている姿を見て、逞しいとも、素晴らしいとも思えなかった。むしろ反対で情けなく、悔しくて仕方がなかった。誰にも知られたくなかった。今は本当に恥ずべきことだと思うが、私は隠れるようにしてその場を立ち去ったのだ。そういう過去を持っている私は、美輪明宏=当時の丸山明宏を、そういう点で何と正直で前向きな人だろうと尊敬したものだ。ただ、途中からこの人の発言には首を傾げる部分も出てきたが…。とにかく若い頃の丸山明宏は心身とも美しかった。

それにしても近年、またスピリチャルな世界がクローズアップされつつある。ただそこには哀しいかな人の心理に付け込む悪い人達もいる。私は自分自身、心霊体験を持ってはいるが、闇雲に自分が体験したから真実であるとも主張できない。占いもそうだが、使い方しだいで毒にも薬にもなる。決して媚薬でも万能薬でもないのだ。

地底都市への予感

2007-04-15

東京の都心に出来る地下高速道路のマスコミ公開がTVで紹介されていた。車から出る排気ガスを地上まで運ぶ内にクリーンなものに換えてしまうシステムが作られているらしい。地球温暖化対策の一つでもあるのだと云う。

私の住む札幌でも、街の中心とも云える大通り公園から札幌駅までの地下歩道が建設中で、2年後には完成予定らしい。一緒に地下商店街も作られるのかどうか知らないが、真冬の北国は地下歩道があるのとないのとでは大違いだ。地上を北風に向かって歩き続けるのは容易ではない。もしこれが完成すれば、私の家から真冬でも地下だけ歩いて札幌駅まで辿りつくことができる。

一時期、都心のごみごみしたところから、近郊都市へと移り住むことがブームになった。都心は働くところで住むところではない、という考えが支配的となった。確かに郊外なら土地も安く、子供達を育てる環境としても良い。そういうことで近郊都市がもてはやされたが、交通の便が悪いところは通勤時間が掛かり、高年齢となるほど暮しづらい住居環境へと変わる。北国の場合、冬場は雪かきが必要不可欠な地域もある。私の友人は立派な一戸建てであったが、最近それを売り、雪かき作業のない狭いマンション暮らしへと切り替えてしまった。

近年は高層マンションの眺望も魅力の一つとなって、再び都心回帰型へと切り替える発想が多くなった。大型デパートやテーマパークや総合施設も大きな駅の近くに集中するようになったせいもある。郊外型のスーパーやデパートも、最近は苦戦を強いられている。暖かい地方ならまだしも、北国の買い物は駅近くに集中する方が自然でもある。

当然、地下街も都心部や繁華街に作られる。私は以前から、北国こそ地下街が必要だと考えていたがシンガポールへ行った時、暑すぎる地域もまた地下街が必要不可欠なのだと知った。そう考えると、異常気象が頻発する今日、寒冷地や灼熱地は特に、今後、地下街の重要性が増していくのではないだろうか。比較的温暖で、年間気温の温度差が少ない地域は、それほど地下街や地下歩道は必要不可欠ではないのかもしれないが…。

それにしても、私がまだ少年だった頃、未来都市として雑誌などで地底都市とか、空中都市とかの想像図が描かれていたが、それが少しずつ現実に近づきつつある。最近はマンションの上にパークゴルフ場を設けたり、植物園を作るところまで出てきている。その内、地底で植物を育てたり、太陽光を取り入れる装置が発明されてもおかしくはない。いや、もう実験的には可能なのかもしれないが…。三千年以上の歴史を誇る風水学だが、そろそろ未来都市型の発想に切り替えることも必要な時期のではないだろうか。

「★波木星龍★」という名のコンテンツ

2007-04-13

今年の2月から、今のところauのみだが「★波木星龍★」というタイトルの有料コンテンツがスタートしている。有料のコンテンツではあるが、今現在まで実質的に私のところには1円も入金されてはいない。それでも、一応自分の名前がタイトルとなった妙なコンテンツであるから、何かと気にはなる。自分で試す気にもなれないので、友人のau携帯を時折見せて貰っている。いろいろなコーナーが出来ていて我ながら結構面白い。

ただ、最初、転載されるはずであった私のエッセー(コラム)は、いつの間にか失われてしまった。何故なのか、本人にも解らない。これも最初はやる予定であった携帯上での無料実占コーナーも、理由は判らないが行われないままである。大体、問い合わせても、すぐ返答が返って来なくなってしまった。これを作り上げるまでは、熱心だったメールのやり取りも、まるで「もう必要ありません」とでも云うように、返事すら中々返してもらえない。大体、3月からはソフトバンクの方でスタートするはずであったのに、その開始がなされたのかどうかの連絡さえない。

ここでは名前は挙げないが、私はこれまで電話鑑定をして、入金されないケースがずいぶんあった。先日も、名前を上げれば誰でも知っている企業の系列会社社長が、私の東京の友人を介して電話鑑定を依頼してきた。かなり複雑な問題で、個人鑑定と相性鑑定と風水鑑定だったので金額も3万円と高額なので、それでも良いですか? と念を押した。その社長は「金額は良いけど、なるべく早く鑑定して欲しい」とのことで、スケジュールを開けて電話鑑定を前倒しした。鑑定のとき、私が入金先を告げようとすると「それは良いから…」というので「でも、入金先解りますか?」と念を押した。すると「ホームページ見れば解るんでしょう」と強引な云い方をした。

私は天下の○○○○が、しかもその実の娘だという系列会社社長が、さらには私の友人を介しての依頼であるから、入金しないとは考えがたかった。通常、私は経験的に怪しいと思えば、入金を先にさせる。私はハッキリ云って残念である。入金されないことがではなく、そういう社長をそうとは知らず紹介してきた友人、そして多分そんなことをしているとは露知らない社員、さらには彼女が社長をしている会社から出されている数多くの若い人向けの商品―私はこの社長の行く末を心配せずにはいられない。

もっとも、そうかと思うと、私が忘れた頃になって電話鑑定の料金を入金してくる奇特な人もいる。半年とか、1年とか、中には数年経ってから、入金されていて驚くこともある。

話が逸れてしまったが、そう云うわけで私の「★波木星龍★」のコンテンツは、摩訶不思議な生命体として、完全に私の名前だけで勝手にauの中を浮遊霊のようにさまざまな形で顔を出しているのかもしれない。

三浦和義の手相

2007-04-12

その昔「ロス疑惑」事件で日本中の話題を独占した人物・三浦和義がコンビニで盗みを働き、逮捕されたという。以前にも一度、同じような形で報道されたことがあるが、今度は防犯カメラの映像まで報道されてしまった。

若い年齢層の人達には知らない人もいるかもしれないが「ロス疑惑」と呼ばれた一連の事件によって、日本中に謎と推理を投げかけた人物で、新聞や週刊誌が連日報道合戦を繰り広げたという点では、その後のオウム真理教事件で登場した上祐史浩や、近年のライブドア事件で登場した堀江貴文と共通する独特の個性とマスコミ受けする饒舌さがあった。しかも、三人ともマスコミの寵児となって以降、熱狂的とも云える支持・人気や感情的とも云える批判・罵倒が繰り広げられて、結果的に三人とも犯罪者として逮捕された。

もっとも、殺人の嫌疑が直接掛けられたのは三浦和義のみで、事件の性質は多少異なる。

「ロス疑惑」は、私の記憶が確かなら、もともとは『週刊文春』の「疑惑の銃弾」というスクープ特集記事が発端だった。当時、輸入雑貨商を営んでいた三浦和義は、アメリカ旅行中に同行していた妻と何者かに銃撃され、妻の方が重傷を負い、自分も足を撃たれ、急遽二人とも入院する羽目となった。

その後、自分の方は回復したが、妻は日本まで運ばれた後に死亡した。多額の保険金が妻の方に掛けられていたことや、種々な状況証拠から、夫である三浦和義が殺し屋を雇って妻を殺害しようとしたのではないか、という嫌疑がかけられた。海外で起こった事件でもあり、最初、警察は動かなかった。ところが、週刊誌だけでなく、テレビや新聞など連日報道が過熱していく中で、動かざるを得なくなった警察は、証拠不十分のまま逮捕したように見える。結局、その容疑に関しては、現在も謎のままである。

彼がマスコミの寵児となっていたころ、ある週刊誌が、彼の原寸大の掌を掲載した。彼のあらゆる部分が、記事になる時代だったので、別に「手相」という意識ではなかったかもしれない。けれど私には「手相を見てください」と差し出された手相写真に見えた。そこには、珍しい掌線がいくつかあった。掌中央に深く刻まれた何本もの障害線。その多くは、生命線内部から結婚線へとつながっていた。これは、彼にとって結婚が決して幸福なものとならないこと。世間の批判・中傷を浴びるような恋人・配偶者との関係となること。一難去って又一難、と云ったような状態が続いていくこと。訴訟事件の多い人生となること。感情線の形は、彼が異性に対して理想追求型の人物であること。つまり、理想的と思って近づき、愛情関係を結ぶが、それが幻想だったと気付くと興味を失って、又新たな女性を求め出すこと。変化と刺激を人生に求めやすいこと。

近年、コンビニの防犯カメラが事件を解決に導くことも多くなった。こういうくだらない万引き事件で再び逮捕された三浦和義は、自らスリルと刺激を求めて、疑惑の上塗りをしているようにさえ見えるのは私だけであろうか。

金色のスタンプインキ

2007-04-06

東北・北海道で最大の書籍数を誇る書店が入っているショッピングモールへ行った。初めて入ったので、どこに何が置かれてあるのか、よく判らない。大型店というのはどこでもそうだが、慣れると品物が豊富で大変良いのだが、初めてだと物を探すのに手間取る。各分野ごとに、もう少し大きく表示するとか、明確に書棚を分けるとかすれば探しやすいが、そうでないと判りづらい。それと書籍の場合、大型書店は各分野への案内人を1人や2人、本当は専属で置いておいた方が良い。大型店の場合は、店員に訊いても、その本が存在する場所を店員自体が中々把握できていないケースも多い。そういう専門の担当者がいれば、必ず、その書店は繁盛する。大体、小さな書店では置いていないような本を求める場合が多いのだから、勝手に探しなさいでは、このサービス全盛の時代にそぐわない。

ここはCDショップや文具店も併設していて、その点では探し物に大変都合が良い。CDショップも大型店であるため、昔のものや特殊なものまで扱っている。私は十数年ぶりにクラッシックの「ラフマニノフ・ピアノ協奏曲第二番」(指揮=カラヤン・ピアノ=ワイセンベルグ)を買った。この曲の第一楽章は、私がまだ十代で一時的な引き篭もり状態にあったとき、よく聴いた曲だ。この曲に癒されたというより、人間の運命の光と影を教えられた―という方が正しい。歌謡曲やポップスにはない潜在意識に直接働きかけて来るものがクラシックにはある。特に、この曲はラフマニノフ自身が自信喪失から神経症に陥り、それを克服した直後の作品であるだけに魂を揺さぶる旋律が迫ってくるのだ。

文具店では、金色のスタンプインキを探したが見当たらなかった。これは私が占いの依頼者の手型を採取するときに使うもので、大型文具店でも滅多に見掛けない。他の手相家たちはどうしているのか知らないが、私はいつの頃からか手型を採取するとき、金色のスタンプインキを使うようになっていた。これにはいくつかの理由がある。まず、それほど掌を汚さなくても済む。これが第一の理由。そして拭き取りやすい。これが第二の理由。短時間で手型が取れる。これが第三の理由。実際、私は1分もかけずに手型を採取する。ただ、もし携帯電話の写真画像が精密なら、掌をカメラ撮影するというのも若い手相研究者なら有効かもしれない。ただ掌の細かな線は、写真の場合映りにくい。ところが、その金色のスタンプインキの難点は、すぐに金色の色が薄くなって明瞭に映らなくなってしまうことだ。だから買い替えが必要なのだが、メーカーに直接注文しないと購入できない場合が多い。いつの間にか面倒になって、最近は手型を採取せず、鑑定することも多くなった。今回の引越しでも、手型の多くは持ち運んだが、これだけは実際に私が鑑定した人達の貴重な記念手型のようなもので、資料として保存し続けることだろう。私が手相鑑定に自信を持つことが出来たのは、これらの手型資料のお陰だといって良い。本当はもっとちゃんとした形で、手型や顔写真やホロスコープや命式を一緒に、占い事項と共に記録・保存できると良いのだが、当分そういう状況は生まれそうにない。

日本人として世界に誇れるものを…

2007-04-05

久しぶりにTVで「昭和40年代ベストヒット歌謡」なるものがあったので懐かしさもあり見入ってしまった。こういうものに懐かしさを覚えるということ自体、今を生きていない証拠かもしれないが、この時代、明らかに日本には日本でしか生まれない歌があった。世界に誇れる日本人としての歌があった。実際、海外へ行って見ると判るが、フィリピンやタイで日本の歌として知られているのは現代のポップ歌謡ではなく、昭和40年代から50年代にかけて流行していた歌謡曲である。その理由の一つは完全な日本語としての歌詞であり、メロディーだからである。昭和60年代以降の歌は、全歌詞日本語の歌は演歌を除くと極端に少ない。

昭和50年代までの日本の歌謡曲は、歌詞が明らかに詩としても優秀な曲が多かった。もう一つ重要なことは、詞が先にあって、曲がそれに合わせて附けられていたことだ。だから、日本語としての言葉と、その音階に違和感がない。

近年、曲先行が当たり前となり、詞は後から嵌めるものとなってしまった。リズム主体のポップスはそれで良いが、演歌にまでそれを持ち込むのは感心しない。それゆえか近年の演歌は音階に違和感のある歌が多い。当然、心に染み渡るものとはならず、大ヒットがない。

同じようなことは占いの世界にも云える。近年発行される占いの書籍は、どれも新鮮さに欠けている。何よりも「運命」とか「人生」を、真正面から見つめて書かれたような印象の本がない。どこかゲーム攻略本のようであり、運命や人生と真正面から向き合っている真摯なものが感じられない。その理由の一つは、簡略化されすぎている内容のものが多いからであり、もう一つは興味深い実例が載せられていないからだ。大体、著名な占い師の書いた本ほど、薄っぺらな内容でしかないのはどういうわけだろう。とても運命や人生を任せられるような真摯な思いが伝わって来ない。かつて瀬戸内寂聴は、物書きはインクではなく、血をペンに染み込ませて書いていくものだと知るようになった―と何かに記していたが、占いの書物で、そういう本に近年出逢ったことがない。

かつての日本には、水野南北や林文嶺や中村文聡のような血をペンに染み込ませて書いているような占い師たちがいた。残念ながら現代に、それを感じさせる運命家はいない。今、図らずも「運命家」という表現を使ったが、これを好んだのは中村文聡氏だった。占い師よりも運命家という言葉が似合う人物が、現代には見当たらない。占いそのものの実力もさることながら、何よりも人間として尊敬できるような人物が、占い師の中に見当たらない。演歌の世界と同じで、苦労して今日を得ているような人物が、近年脚光を浴びている占い師には見当たらないからだ。どちらかと云えば、アッという間にお茶の間のアイドルやタレントになってしまう現代では、人間としても尊敬に値する占い師など、時代が要求していないのかもしれない。

ただ、日本人として、世界に、或いは後世に誇れるような占い師=運命家を出現させるのは、ある意味でマスメディアの肩に掛かっている部分も大きいような気もする。結局、現代では、マスメディア向けでなければ、世間が認めない風潮もあるからだ。元々、運命学は地味な世界であるから、派手な世界で注目を浴びさせようと考えること自体無意味かもしれない。ただ、世界に誇れるような占い師は、私も何人か知っている。その第一条件は、日本人にしか出来ない占いをやってのけることの出来る人物だ。ここでは記さないが、そういう占いは幾つもある。もちろん、世界的に浸透している占いを日本人特有の視点から、リニューアルする形でも良いし、新発見を加えていく形でも良い。とにかく、欧米や中国の人真似をして権威者ぶるような人物を崇めるような習慣は早くなくした方が良い。

さまざまな分野で日本人が世界の脚光を浴びるようになった今、我々日本人として、本当の意味で世界に誇れるような運命家が輩出されることを心から願ってやまない。

室蘭の焼き鳥屋

2007-04-02

私の生まれ故郷である室蘭の友人から絵ハガキが届いた。ルビの活字で近況が綴ってあった。その中に、私達が昔訪れていた焼き鳥屋は、もうどれも無くなってしまったことが書かれていた。いま流行っているのは、全国チェーン、全道チェーンの店ばかりだそうだ。近年、室蘭の焼き鳥が豚肉を用いるということで注目を浴び、インターネットなどでも全国から注文が来ているとのTV番組を見て、応援したい気持があっただけに意外な事実だった。もしかしたら、そういう店もあるのかもしれないが、少なくとも私達が毎日のように通っていた店は、ことごとく消えてしまったのだろう。

飲食店の栄枯盛衰は確かに早い。あんなに流行っていたのに…というような店が、いつの間にか閉店している、と云うことはざらだ。私が以前暮していた家のすぐ傍でも、居酒屋がオープンから半年ほどで消えてしまった。物凄く混んでいて、一度など30分以上待たなければならないということで諦めたほどだ。そういう人気店でも半年ほどで店をたたんでしまう。ある人の話によると、そこの経営者は次々とオープンしては、短期間で閉店させてしまうのだという。新しい店と云うことで派手な広告を打ち、注目を集めて短期で儲けを出し、物珍しさが消えて客が定着すると売り上げがやや低下するので、早くも閉店させる。その繰り返しだと云う。本当かどうか知らないが、そういう商法もあるらしい。

そうかと思うと、実際に経営が成り立たなくて、短期間で閉店に追い込まれる店もある。これも以前済んでいたマンションのすぐ傍だったが、最初、回転寿司の店が何年も続いていたが経営不振で倒産し、次にラーメン店がオープンしたが3ヶ月ほどで閉店し、続いて別なラーメン店がオープンしたが、今度は1ヶ月くらいで無くなってしまった。あまりにも早い閉店で、飲食店の難しさを垣間見たような気がする。それにしても、1ヶ月や3ヶ月で見切りを付けるのは早すぎるような気もするが、飲食店の場合、最初の1ヶ月で先が読めてしまうのだろうか?まるで占い師のようだ。

そういう現状を考えれば、もう今から25年以上も前の焼き鳥屋が生き残っている方が奇跡だと云えるのかもしれない。あの頃、私は全てを失っていた時代で、彼らと焼き鳥屋で飲み食いするときだけが、明日を夢見ることが出来るひとときだった。煙草を止めたのもあの時代で、1日60本吸っていた煙草を、彼との約束でぴたりと止めた。彼の方も止めるということで互いに金を賭け止めたのだが、彼の方は半年ほどで又元に戻ってしまった。私は現在でも、あのとき以降は吸っていない。将来、札幌か東京か、どちらかに出て暮そうと考えていたのもあの時代で、そうでなければ一生このままで終わってしまう―と危機感を持っていた。ただ、そのキッカケがつかめなかった。それから何年かして、私は追われるように室蘭の土地を後にした。私は内心、不安でいっぱいだったが、彼には強がりを云って旅立ったような気がする。

札幌暮らしを始めて1ヶ月後、早くも私は窮地に立っていた。何度、室蘭に止まっていれば良かった…と後悔したことだろう。けれども、今思えば「波木星龍」という名前を使い出したのが室蘭を離れる直前で、その頃から私の人生は大きく動き出したような気がする。来てすぐは窮地に立ったが、奇妙な偶然が「波木星龍」としての新たな人生を歩ませ始めたのだ。札幌に出てきて間もなく、私はテレビに出させてもらう機会を得た。占いの専門書の出版の機会も得た。占い教室の講師としての機会も得た。少しずつ占い師らしい形が要求したわけでもないのに整い出したのだ。

姓名と方位には、確かに人生を大きく変えていく力がある。但し、一般で云われている姓名学や方位学がそのまま信じられるかというと、大いに疑問だ。実際「波木星龍」以前の私は通常の姓名学で文句のつけようがない名前だったが、トラブル続きだった。方位にしても、九星気学から見ても、奇問遁甲から見ても、幸運な方位に旅行して病気になって帰ったこともある。だから、通常の姓名学や方位学をそのまま信じるのは危険だが、不運を嘆いている人達が生まれ変わる手段として、姓名を変え、住居環境を大きく変化させるのは有効だと思う。その場合、生まれ変わろうとするのであれば、大胆な変化でなければならない。中途半端なら変えない方が良い。

ちなみに私は「高橋希彰」から「波木星龍」へと変えたのである。そして私が名付けに関わった占い師たち「松橋ナオ」「松島周子」「叶レオナ」「小嶋ルイ」などは、いずれもそれぞれの個性を発揮し、活躍し始めている。

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