5月, 2007年

1000円で人生が買えるか

2007-05-29

最近、占いの業界もいろいろな意味で変わりつつある。時代が時代なので、そのこと自体は当然と云えば当然かもしれない。

つい先ごろ、私のところに携帯電話に「メール鑑定」のコンテンツを提供している企業から、鑑定士を募集している旨のメールが届いた。私は自分が教えた占い師を何名か紹介したが、プロに募集をかけるのに一次選考、二次選考の試験があって、それに合格したら採用されるのだという。ずいぶん大袈裟だと思ったが、まぁそれまでは良い。

実際に採用されてみたら、何と一通につき250円が支払われる仕組みであると云う。プロの報酬として、何と馬鹿げた価格設定であろうか。しかも、模擬試験の内容から云って、決して些細な占い相談などではない。相談者の方が600文字以内で送信してくるものに、600文字から800文字で回答していくもので、これだけの文字数で回答していくのであれば本格的な占い回答となることは必至だ。私の経験から云って、本格的に占いながら回答した場合、これだけの文字数を使って文面を書くと最低でも2時間はかかる。そうしないと、きちんとしたメール鑑定とはならない。複雑な問題なら3時間くらい掛かることもある。文字で回答するのは、後にまで残るだけに向き合って直接鑑定するより神経を使うものなのだ。それが真剣で誠意ある占い師のメール鑑定本来の姿だ。だから、私自身は個人的に3800円で行っているが、これ以上値段を下げる気は毛頭ない。

その携帯電話占いのコンテンツ会社は、ユーザー側からは一通につき1000円を入金させるらしい。したがって占い師に対しての報酬は、その四分の一、と云うことになる。その比率も電話占い等と比べて低すぎると思うが、その会社側からは「一日何十件もこなしていけば、決して安い報酬ではない」との説明があったようだ。つまり企業側は(出会い系メールのように)次々メールを打っていけばそれなりの金になる、と開き直っているようにしか、私には聞こえない。

本当に文面を真剣に読んで、種々な角度から占ったなら、それだけで20~30分は掛かる。それから真摯にメールを打ち始めたなら、どう急いだとしても800文字書くのに私なら40分近くは掛かる。一通だけでそうなのだから、5~6通も書きあげれば一日が終わる。何度も云うが、それが誠意ある占い師の仕事の仕方なのだ。

その企業は、企業として優秀かもしれないが、少なくとも個々の人間が発する一通のメール、一つの相談事に対して重く受け止めると云うことの出来ない人たちの集まりのようだ。だから、そういう発想ができるのだ。

そしてそういう集団が、次々と占いの世界に進出してくることによって、悩める人たちを本当に救おうとしている誠実で正当な占い師が生活の場を失い、隅に追いやられていくようになることを私は危惧する。

ユーザー側にしても1000円で個々の問題を素早く占って貰えることで利用したくなる気持ちが解からないわけではないが、一日に何十通も矢継ぎ早に回答している占い師たちの解答なのだと云うことをぜひ知っておいてもらいたい。その上で1000円で人生や運命の決断や解答を買える気がするのであれば、利用してみると良い。例えば、あなたが「250円で占って欲しい」と云われたら、どのような気持ちで、それに応じるであろうか? 複雑で真剣な悩みや相談事を本当に任せて大丈夫なほど、力を入れて占う気持ちにはたしてなれるものであろうか。

占いや占い師を馬鹿にする人たちはともかく、まともな人なら私の考え、感じ方に共感してくれるに違いない。

占いは家電量販店でモノを買うのとは明らかに違う。新しければ…時流に乗っていれば…安ければ…格好良ければ…みんなに知られているから…と云うような基準で選ぶようなものではないはずだ。

特に「安ければ…」という選択の仕方は他人ごとながら、どうしてもお勧めできない。ほんの些細な出来事を見てもらうのだから…と云うならまだ良いけれども、人生を左右するような決断や悩みを「安い」を基準に選択してはならない。人生を行く手を踏み誤らないためにも…。

回転する人々

2007-05-20

タロットの「占いコンテンツ用」原稿を書き出してずいぶん経った。まだ完成していないが、ただ一つの原稿に対して、こんなに長く取り組んだのは久しぶりのことだ。通常の原稿の十倍くらいのボリュームだから仕方がないが、長くなって来るとだんだん面倒臭くなってきて放り出したい気分に襲われる。大体、これだけの分量を書いて一体幾らになるというのだろう。もう三ヶ月くらい経つのだから、本来なら何十万かにならなければ元が取れたとは言えないが、たぶん、数万にしかならないだろう。それでも根気良く書き続けて来れたのは、やはり一種の使命感かもしれない。

私は最近、自分が亡くなってからのことを時々考える。自分が亡くなっても、価値あるオンライン占いとして残り続けるもの、悩める人たちにとって役に立ち続けられるもの、半永久的に利用可能で何年経っても色あせることがないもの、個々の悩みに対して現実的に応えられるもの…最近は特にそういう意識で原稿を書くようになった。なぜだろう。

ひとつには、時代と云うものに振り回されない「占い」を確立したいからだ。最近のオンラインやモバイル、あるいはTVや雑誌の占いを見ていると、時代と云うものをリードしようとして、逆に時代に振り回されている占いがあまりにも多い。もちろんそれは占いに限ったことではないのだが、占いまでもがそうあることに私は違和感を覚える。

たとえばオンライン占いの場合、多くのサイトは占い師(回答者)側から設問を発し、ユーザー側がその設問の通りに占いを求め、それに対して回答する仕組みとなっている。これは本来おかしなことで、個々の悩みや相談事と云うのは、千差万別で同じ枠ではくくれないし、その人によってはお門違いとも云うべき設問となるケースも多いと思われるのだ。

本来、占いの設問(悩みや相談事)はユーザー側から発するのが本来の姿なはずだ。ところが、それが千差万別だから、結局多くの女性たちに共通項のような設問が繰り返し使われることになる。

その結果、占いメニューとしての設問のみ増えて、いずれも似たような設問ばかりで、どのサイトでも共通していて、やがてユーザーたちが飽きてゆく…というパターンなのだ。私はこの形式を本来の形に戻したかった。つまり、設問(悩みや相談事)を提出するのはユーザー側で、それを受ける形で占い師(コンテンツ)側が回答する、というパターンにだ。そのためには、占いメニューの在り方を変えなければならない。私が占いコンテンツの会社に主張したのは「使い捨てメニュー」ではなく、何度でも使用できるメニューに切り替えたい、ということだった。そのためには、占い期間を限定する必要がある。そうしないと的中させられないからだ。たとえば私の「占い大全」には「今後三日間の恋愛運」というメニュー・設問がある。これは、これまでの占いサイトで使用しがちな具体的な設問ではない。その代わり恋愛に関心を持つ人なら、誰もが知りたい設問の一つといえるだろう。三日間と云う限定つきなら、ある程度具体的な内容で答えることができる。そして様々な個々の具体的設問に応用できるよう記してある。三日間と期間を限定することで、的中率もアップさせることができる。

ところが、最初、私の提案は全く受け入れられなかった。期間を限定すると、売り上げが下がる、と云うのである。それは多分ユーザー側が一般のサイトに慣れていて、新しいメニューが登場したら、その日から三日間と云う風に受け止めるからだ、と私には思われた。私の占いは、あくまでユーザーが占いたいと思った「その日から三日間」と云う意味なのだ。実は、私はこの期間限定メニューを同時に三つアップしてほしいと希望していた。つまり「明日の恋愛運」と「今後三日間の恋愛運」と「今後一週間の恋愛運」の三つだった。同じ形式で「願望運」も加えてほしいと主張した。そうすれば誤解されるようなことはない。ユーザーだって、同じことをいろいろな形で占いたいに違いないのだ。

けれども、この主張は今に至るも通っていない。結局、占いコンテンツ制作会社は占い好みの人たちの心理が解かっていないように思われてならない。

こういう形で提供しておけば、半永久的にその設問は利用できることになる。一度だけの使い捨てメニューとはならないはずなのだ。同じ形式で三ヵ月間ごとのメニューや、一年間ごとのメニューがあって良いはずと私は考えている。実際期間を限定しないと「願望運」などは、的中させるのが難しい。そんなことはちょっと考えてみれば素人の方にだって判るはずではないか。たとえば「明日の願望運」と云うのと「今後一年間における願望運」と云うメニューとでは、当然答えが違ってくるだろう。この場合、設問としては同じ「願望運」でも、ユーザーが実際に意識する願望はそれぞれに違っている。同じ人物であっても、期間が異なれば願望の種類は異なってくるのが普通だ。

だから、私から提供はしていても、実際にはユーザー側が個々の設問を私に投げかけ、それに私が答えるのと結果的に同じなのだ。そして仮に「明日の願望運」という同じ設問でも、今日の願望と一カ月後の願望とでは当然違ってくることだろう。ユーザー側の問いかけが違っていても、それぞれにきちんと回答出来ることが重要なのだ。具体的に的中出来ることが大切なのだ。

そういう占いであれば、時代に振り回されることもなく、派手な人気は出ないかもしれないが、半永久的に使用可能な占いとしてオンライン占いの中で利用され続けることができるはずと信じたい。

タロットの秘教的な意味の中に「回転する人々」と云うのがある。確かにタロットは回転させながら混ぜ合わせていく。当然タロットに描かれた人々も回転し続ける。我々は地球という回転する惑星の中で生きている。そういう意味では、黙っていても地球人はみんな回転している仲間たちなのだ。

星占いにしても、易占いにしても、今から3000年前以上昔の占い方法をそのまま継承し続けている。新しさなど本当はないのだ。オンラインやモバイルだからと云って、新しがる必要がどこにあるのだろう。逆に、何万、何十万、何百万、何千万人の検証を経て生き延びてきた占いこそ、価値があるとは言えないだろうか。

歩き出したロボット

2007-05-12

かなり前から、だましだまし使い続けていたパソコンがとうとう壊れた。ある日、朝起きてスイッチを入れたら、再起動画面となって、お化けのような大きな文字が修復画面に出てきた。もしかしてと思い、もう一度スイッチを入れ直してみたが駄目だった。私が使用していたのはウインドウズMEだったが、この前に所有していたパソコンのときには、しばしばこの巨大画面が出て、そのあと不思議にも通常画面に切り替わって元に戻ったりしたものだ。だから、時間が経てば戻るかと期待したのだが駄目であった。

そうと分かれば、新しいパソコンを購入するしかない。仕方なく富士通の最新型を買った。新しいものは当然のことながら画面が鮮明だ。それは確かに良い。ただ、どうもこのパソコン、ちょっと触れただけで画面がすぐに切り替わるとか、実際には押していないのにタッチされた形になって起動してしまう。あまりにも過敏に反応しすぎる。ハッキリ云って使いづらい。たんに慣れないからであろうか。そうかもしれない。だが、そうでないかもしれない。

新しいから、最新型だから、便利で使いやすいと思うのは幻想のような気もする。現に、この家に越してきてから、ビデも一度も使っていないし、食器洗い機も一度も使っていない。特にトイレのビデはどうも好きになれない。お尻が濡れる感触が好きになれない。紙で拭き取る方がよほど気持ちが良い。ところが、稀にホテルなどでビデしかないところがある。あれは困るのだ。私など、わざわざポケットからティッシュを取り出して拭いたものだ。私は原始的に出来ているのか、以前タイの田舎に行った時なども、水洗ではない汚れたトイレに入らなければならなくて、一緒に行ったメンバーは「とても汚くてする気にならない」と云っていたが、私は平気だった。

都会生活、或いは現代生活に慣れると、あらゆることがコンピュータの手助けを借りないと出来ないかのような錯覚に陥る。もちろん様々な分野で、コンピュータやロボットが今やなくてはならない存在になっていることは事実だ。まるで生命をもった助手のような活躍を各所でしていることも事実だ。これらに逆行するような生き方は事実上できない。

ただ、コンピュータやロボットに振り回されるのだけはごめんだ。

占いの世界でも、一時期コンピュータソフト全盛の時代があった。あらゆるソフトが出現し、私自身も占星学などで、その監修を行ったりもした。ところが、意外にもブームは長続きしなかった。大体がコンピュータ関連を好む人たちは移り気な人が多い。すぐに飛びつくが、すぐに離れていく。第一コンピュータだけで個々の運勢を読むのは無理があるのだ。確かに生年月日時を打ち込めば、回答はすぐに出てくる。しかし、人間の運勢は生年月日だけで一から十まで決まるほど単純ではない。そんなことは漠然と誰でも感じているはずなのに、四柱推命の大家や、占星学の大家や、六星占術の大家は、どうもその辺が本当には分かっていないらしい。

特にコンピュータ好みの人の中に占星学の研究者は多い。欧米では事あるごと占星学上の小さな仮説・新説が発表されている。その結果として、現在でも溢れるほどの研究領域が、占星学にはある。おそらく、そのすべてを身につけている実占家は一人もいないだろう。これを読んだ研究者の方で、すべてを身につけていると胸を張れる人が一人でもいるだろうか。残念ながらいないのだ。それくらい占星学の領域は広い。しかし、広く、深いと云うことと、それが優れていると云うことはイコールで繋がらない。かえって繁雑にしてしまっているきらいさえある。それに気づいていながら、誰もそれを口に出そうとはしない。それが占星学の世界だ。

たとえばロボットが歩きだしたからといって、そんなことは数万年前から、人間は行っていた。つまり、歩き方がどんなに進歩したとしても、それだけで人間の役には立たないし、人間を超えることもできない。計算能力は人間よりもはるかに精密だが、その能力を発揮するには人間の指示が今のところは必要なのだ。どうも占星学の種々な学説や技法を見ていると、実際に困っている人たちや、悩んでいる人たちの拠り所としては、あまりに抽象的すぎて任せるに足らないもどかしさを感じさせる。

ある方が私に対して「先生は手書きでホロスコープを作るのですか?」ちょっと驚き、一方で軽蔑したかのような云い方をした。「一時期パソコンで出したのですが、また手書きに戻したのですよ」と云ったら「正確ですか?」と疑うような眼をした。「いや、多分、あまり正確じゃないですね、手書きですから…」その方は、二度と私のもとへは来なくなった。私はそれで良いと思っている。コンピュータは確かに精密なホロスコープを作り出すが、沈黙したままなのだから…。

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