6月, 2007年

的中して欲しくない予言

2007-06-22

東京渋谷区で女性専用温泉施設「シエスパ」が爆発して大事故となった。私は、ここでこういうものを取り上げることに躊躇があるのだが、もし類似した事故・事件が起きたら困るので、あえて取り上げることにしたい。

もっとも、私は一般論としてこの事故そのものをどうこう言うつもりは全くない。実は、私はあるワイドショー番組で、今年の社会的な出来事・天災事故などについて占っていて、その中で地下に関しての事故・事件が発生して死者が出るだろうことを暗に予言していたのだ。番組の中ではどのように扱われたのか定かではないが、地下に関連ある石油、ガス、温泉、地下実験、火山爆発、埋蔵金などが、事故・事件として話題に上ることが多い年であると予見していた。その放送があって間もなく、北見で地下のガス管からガス漏れが起こって何人かの死者が出た。この程度では済まないだろう、と思っていたら案の定、北朝鮮の地下実験が話題をさらい、海外で火山の大爆発が起き、大掛かりな石油掘削や領土問題も浮上し、原油の値上がりが物価を押し上げつつある。実際には埋蔵金ではないが、年金問題だって、ある意味で眠っていたお金なのだから、埋蔵金のようなものだろう。

土地そのものに関しても、特に相続に関しては問題が発生しやすい年のはずなのだ。家族間の事件が多いのも今年の特徴だが、その場合必ず住居の問題、先祖の問題、家業の問題が根底にはあるはずだ。土地や家の親子相続を考えている方は、今年に限って住居や先祖や家業の問題を無視して話を進めてはいけない。強引に話を進めようとすると、必ずトラブルに巻き込まれていくことだろうと思う。

経営者にとっては「創業者一族」と云うのが今年のキーワードだ。したがって、もしあなたが創業者一族と云う立場の経営者であれば、今年になって種々な問題を抱え込んでいるだろうことは確実だ。その場合、先祖の問題を先に正さないと、本質的な悩みは解決しない。

ちなみに来年は趣味、娯楽、恋愛、ギャンブルに関しての種々な問題や事件・事故などが起こってくるに違いない。新たなる趣味が素晴らしい縁や出逢いをもたらす年となるはずで、特にゲーム、ギャンブル、旅行、芸術に関して趣味を持っている人は、運命の出逢いと云えるようなドラマチックな出逢いが来年になってやってくるに違いない。

未来への計算

2007-06-21

最近、年金問題が世間の注目を集めている。多分、将来に対して不安を持つ人が多いからなのだろう。私は正直なところ、自分自身の年金がどうなっているのか全く分からない。もう大昔の話になってしまったが、私にもサラリーマンの時代があり、厚生年金から国民年金へと切り替えているので、そういう意味では今回の社会保険庁のミスは他人事ではない。それはそうなのだが、だからと云って自分の記録を調べるでもない。

経済的な不安と云うことなら私の場合、目前の不安の方が、はるかに大きい。当然のことながら私の場合、占い以外に収入源がない。したがって、そこからの収入で生活が成り立っているわけだが、そこには何の保証もない。つまり、毎月どれくらいの収入となるのか、自分でも全く予測ができないのだ。ハッキリ云って、来客が急になくなるとか、急病で倒れてしまうとか、何かの理由から生活費が拡大するとかした場合、生活設計は大きく狂って万事休すとなってしまうだろう。

そのようなことを考えると、どうしてもネガティブな発想となってしまうので、普段は努めて考えないようにしている。

したがって、たぶん十年ほど先のこととなる年金問題は、私にとってまだ当分差し迫った問題としては捉えられないのだ。それに現代のような変動の激しい時代、数字だけで未来を正確に推定・分析するのは多分不可能のような気がする。私は、江別から札幌に移ってからの7年間は、特に運と云うものに左右されながら生きて来たような気がする。

ちょうど7年前の6月、私は未来への不安いっぱいで生きていた。住む場所さえも定かではなく、針の筵のような日々の中で、毎日苦悶し続けていたような気がする。

そんな日々の中で、ある日、私は裁判所の近くにある公園のベンチで、何気なく時間つぶしも兼ねて咲き乱れる花々を見ていた。のどかに初夏の日差しが照りつけ、この世のものとも思えないほど花々は美しかった。

私は何故か、今現在の苦境から…救われるんだ…と、ぼんやり思った。のどかで美しい花々が私を祝福してくれているように思えたのだ。実は同じような経験を、私は以前にもしていた。一度は15歳の時、入院していた病院から退院した朝で、思いがけず急に退院できた喜びで、私は感謝の気持ちでいっぱいだった。二度目は30代半ばで、いったん総てを失って絶望していた私は、このとき新たな職場を与えられたのだった。この日も明るい日差しが天使のように私の周りをふんわりと包んでくれていた。

このような過去の体験から、7年前の6月も、何かが私を救ってくれるかもしれない…と云う漠然とした思いがあった。事実このときを境に精神的には解放され、私の運気は変わり始めたような気がする。

私は、占い師である自分が、占いによってと云うより、ある種の天啓・予感によって未来を感じ取りながら生きて来たような気がする。そして今、何故か7年前の6月を思い出した今、計算できない未来が着々と開始されようとしているような気がする。

画相の研究書『顔占い』を読んで

2007-06-20

私が尊敬する占い師の一人に、画相術のやす子さんがいる。そのやす子さんから、私の元へメールが届いた。私が4年ほど前に占ったことが現実となって「顔占い」の単行本が出版されることになった、と云うのだ。私は自分自身が占ったことはすぐ忘れてしまうたちなので、やす子さんからのメールも、一瞬占ったりしたかな…とすぐは思い出せなかった。よくよく考えたら、確かに「早ければ2007年、遅くても2010年には単行本になります」と予言していたような気がする。

私は占いが当たったことより、彼女の占いが世の中に出ることになったことが、自分のことのように嬉しかった。

私は今の日本で人相術と云うものが、近年あまり普及せず、不当な地位に甘んじていることを嘆いていた。手相の方は比較的普及しているが、人相の方はどういうものかあまり普及しないし、高い評価も得られていない。近年は人相の入門書さえもあまり出版されなくなってしまった。確かに最近の人相の入門書は、実用性に乏しいものが多く、現実にも符合しない図解解説が並べられていたりする。したがって、人相術の評価が今一つ上がらないのも無理からぬ点はある。

けれども元々人相は、普段から誰もが無意識に見慣れているものであって、占うと云う意識は持っていなかったとしても、事実上占い師と同じようなことを感じたり話したりしているものなのだ。たとえば顔色が良くないとか、疲れているようだとか、きれいになったとか、寂しそうに見えるとか、怖そうな顔だとか…直接云わなかったとしても、本能的に身近な人達や初対面の人を無意識に占っていることは確かなのだ。

したがって、ある意味では誰もが無意識に人相術と云うものを基本的には肯定していることになる。そして、いま述べて来たような何となくの印象と云うか、雰囲気と云うか、感じこそ、人相の奥義とされてきた「画相術」の観方に通じるものなのだ。

やす子さんの『顔占い』は、この画相術の研究書である。大変平易に書かれてあって、研究書であると同時に入門書ともなっている。したがって、これまで人相と云うものを全く知らなかった人にとっても違和感なく読み進むことができる。ただ逆に人相と云うものを単に顔の形や目鼻立ちの特徴で占うものであるかのように誤解している人たちにとっては、奇妙な印象の本となるかもしれない。

顔面の中に、その人に関連ある人物の顔が心霊写真のように出現する、と云っても信じられない人の方が多いのは致し方ない。だから、彼女が本を出版した目的が画相術の普及・実用化であったとしても、現実にはこの本で学ぼうとする人がたくさん出てくるとは思わない。ただ、これまで奥義として表に出ることがなかった画相術を、このようなやさしい記述の仕方で、しかも廉価で公表した功績は計り知れない。占術に身を置く者の一人として、心から尊敬に値する。特に写真を使っての記述は、大変珍しく、しかも解かりやすく貴重でもある。実際にはグラビア写真が数枚しかないのが何とも残念だが、このような形で秘伝とされてきた画相術が、一般書として世に出たことを画相術の創始者である林文嶺も天国でさぞかし喜んでいることだろう。

予知能力の限界

2007-06-14

私自身に関しての予知はたくさん経験しているが、良いことは少なく、悪いことに関しての方が圧倒的に多い。しかも悪いことの場合、或る種の感情を伴った予知となってしまうので、精神的にも滅入ってしまうようなケースが多い。

それはまだ私が20代前半で両親と一緒に暮らしていた頃、母親が私に急きょ引っ越すことを告げた。それは親戚からもたらされた話で、伯父が亡くなったので、その持家に住まないか、と云う誘いであった。私は本能的に危険を予知して、その家へと引っ越すことを反対した。「どうして? あんな立派な家に住めるのよ。家賃もいらないのよ。この家はもう嫌なのよ」

そう云われると、収入の乏しい私は何も云えなくなった。確かに客観的に見れば良い話なのだ。当時の住まいは隙間風が入ってきて寒く、二階の住人たちの怒声が夜になると響いた。叔父の家は一度だけ行ったことがあったが大豪邸で、その一部を商売に用い、一部を自分たちの居住用とし、三分の二くらいの部屋を何組かの夫婦に貸していた。その居住用の部分を空けて置くのはもったいないので…と云う誘いなのだ。母親が乗り気になるのも無理はなかった。

ただ、私はどうしてもその家に引っ越して行くことに抵抗があった。何が…? と訊かれてもハッキリとは云えないのだが、何かが悪いことが起こりそうな予感があったのだ。私が反対したことで母親は戸惑っているようだったが、その晩二階の住人の怒声が夜遅くまで響いたことで迷いは払われた。翌朝、母親は「解ったでしょう」と云う目で私を見た。私は頷くしかなかった。

引っ越した家は、それまでとは異なり広く静かで年数は経っているが、設備も整っていた。浴室も広くバリアフリーで優しい造りになっていた。私の自室は二階で広く客間として使われていた立派な部屋を与えられた。

けれども半年も経たないうちに悲劇は起きた。その事件が起きる4、5日前に、再び私に予感が走った。大量の虫が室内に出現したのだ。私は母親に「やっぱりここは良くないよ。何か起こるよ。引っ越そう」と迫った。母親は動じることもなく「お前は神経質だねえ」と云って、掃除機を使って、次々に虫を吸い取って行った。

それから2、3日して私は、母親が頭が痛い、と云って昼間からベッドにもぐりこんだことに再び嫌な予感を持った。けれどもどうして良いか解からず、黙っていた。

その日は孫娘が自宅に戻って、母親は私にお茶を淹れながら「あの子が帰ると静かだねぇ」とホッとしたような表情で云った…。

そのあと事件は起こり、母親は二度と帰らぬ人となった。事件そのものを書き出すと長くなるので書かない。

私は、今でもあの頃の自分の発言、及び行動は正しかったのだろうか…と自分に問い直すことがある。私は何かが起こる、と予感していた。確実に起こる、と予感していた。ただ、それが何なのか、どうなってしまうのか、予見できなかった。だから恐怖感を抱きながらも、どうすることもできなかった。

こういう体験は、実はこのことだけではなくて何度もしてきている。予感は確実にあって、それなのにどうすることも出来ない…自分自身に対しての無力感にうなだれてしまうこともある。人を救うと云うことは、今更ながら本当に難しい。

われ神に一歩近づけば、神われに一歩近づく

2007-06-06

最初にお断りしておくが、私は特定の宗教を信仰しているわけでもなければ、宗教団体に所属しているわけでもない。

タイトルに掲げた「われ神に一歩近づけば、神われに一歩近づく」と云う言葉は、確かイスラム教の聖典に出てくる言葉で、実際には私自身は読んだことすらもない。ただ、この言葉が私は妙に気に入っている。そして最近は実感するような出来事が多いので使わせてもらった。もちろん私はイスラム教徒ではない。

先日、女優の藤原紀香が結婚し、その披露宴が放映された。私が感動したのは誰が歌を歌ったとか、ピアノを弾いたとか、手紙を披露したとか…そういうことではない。私は披露宴の中で彼女がかつて訪れたアフガンの子供たちが祝福のメッセージを与えていた場面であった。実際には「おめでとう」と云う言葉よりも「紀香にまた来てほしい」と云うメッセージが圧倒的に多かった。その眼はどれもつぶらで、紀香を心から慕っているように見えた。

イラク戦争が始まって以降、そのイメージの強烈さからアフガンと云う地名は、忘れ去られたかのように昨今の報道では出なくなってしまった。けれども、そこは今もって不毛の地であることに変わりはない。国土のほとんどが高地であるアフガンは、昼間は灼熱で夜は急速に冷え込む。植物でさえもあまり見掛けることのできない不毛の地なのだ。そういう地域で、けれども子供たちの表情は明るい。

みな信仰心が強く前向きで勉強好きな子が多い。それはかつてアフガン戦争が終わった直後、取材に応じた子供たちが発した言葉が証明している。「いつも神様がそばにいるから、ぼくたちは元気だよ」それは決して、親たちに教えられて発した言葉ではなかった。ごく自然に、彼らは明るくそう答えたのだ。

植物さえも育たない不毛の高地…我々はどうしてもそういう所で神の存在を素直に信じると云う子供たちの気持ちが理解しにくい。けれども、考えてみれば、原始キリスト教が生まれ育ったユダの荒野だって不毛の大地だ。

大体、偉大な神や信仰と云うのは不毛の大地から発祥する場合が多い。これには理由があるのだ。

人間は希望を持って生きようとする。希望がなければ生きていけない部分があるのだ。希望を持つには、何かの強力な支えが必要である。不毛の大地で生き抜いていくためには、彼らを支える神の存在がなくてはならないのだ。

では、日本のような緑豊かな大地には神は不要なのであろうか。私はこれからの日本にこそ強力な神の存在がぜひとも必要だと思う。緑こそまだまだ豊かだが、今の日本には未来への確かな希望がないからだ。特に豊かな生活の中で育っている若い人たちには、明確な希望や夢を持てなくなっている人たちが多い。だから、アフガンの子供たちのように目が輝いてはいないのだ。不毛の大地で大人たちのように水汲みをする子供たちは、けれども自分たちの祖国を心から愛し、両親を愛し、神の存在を信じ切っている。だから元気に逞しく生きていけるのだ。

私は最近、自分自身に付随することでも、神仏の存在を感じ取ることが多い。私の場合、特定の信仰と云うより雑多な信仰なので、神なのか仏なのか正確には判らないがとにかく神仏を感じさせる出来事と遭遇する機会が多くなった。多分、それはタイトルにも書いた「われ神に一歩近づくと、神われに一歩近づく」と云う生活・心境にあるからだろう。

私の経験でも、神は向こうから近づいて来るものではない。いや近づいてくることもあるが、拒絶してしまうと去って行く。根本的には、自分から近づくべき存在のものなのだ。

それは日常的なごく些細な形から始まるように私は思う。アフガンの子供たちは、親と一緒に一日5回の礼拝をするのだろうか。私は知らない。それぞれ祈りの形は違っていて構わないものだと私などは思う。現に私は雑多な信仰形式をとっている。神々にルールはない。ルールになど縛られずに、単純に神に近付くことができれば、神も知らず知らず近寄ってくるのに違いない。

歌は人を変える

2007-06-01

私の住んでいるマンションのすぐ近くに「中央小学校」と云う名の小学校がある。たまたま午後4時頃そこを通りかかったら、童謡の「ふるさと」が聴こえてきた。それは多分、オルガン演奏のテープを時間に合わせて流しているだけだった…と思うのだが、古ぼけた小学校の校舎から鮮明に聴こえて来ただけに、いっそう妙な懐かしさや心安らぐ音色のように私には響いた。

「うさぎおいしかのやま、こぶなつりしかのやま…」別に歌詞も一緒に流れていたわけではない。テープのオルガン演奏のみだったのに、私の耳には児童たちも合わせて歌っているような幻聴が流れた。現代の速いリズムの曲ではない。ひとり、ふたりの児童が校門から出ていくのが見えた。その姿を横目で見ながら、今の子供たちに合っている曲とは云えないな…と思った。けれども、この古ぼけた校舎には妙に合っていた。良い曲だな…と思った。

こういう曲を聴きながら育った子供たちは、またこの校舎に戻って来たい、と思うだろうか。それは解からない。家の中ではテンポの速い曲ばかりを聴いているだろうから、案外「ふるさと」なんかには興味を持たないかもしれないからだ。仮にそうであったとしても、こういう曲を学校が流してあげるのは良い。教えているなら、もっと良い。

今の音楽教育がどうなっているのか、私は知らない。ただ感じるのは、こういう童謡に囲まれて育つと、親や同級生を刺し殺すような子にはならないように思う。先に高校生が自分の母親を刺殺して、その頭部を持ち歩いた事件があったが、その高校生はアメリカの過激バンドの映像に強く影響を受けていたと云う。近年、アップテンポの曲ばかりがメディアから流される。もちろん、時代がそれを要求しているのだ、と云い切ることは簡単だ。

けれども、それらの音楽に取り囲まれるようにして育つことで、深くじっくり考える、穏やかに物事を受け止める、と云った日本人の良さが徐々に失われつつあるような気がしてならない。

日本に推定5万丁もあると云われる拳銃も、過激社会に拍車をかけていくような気がする。だれか社会的な問題を起こすと、一斉にその人物を血祭りにあげるかのような言葉の暴力が始まる。最近のマスコミは、アメリカ西部の保安官でもあるかのように、徹底的に疑惑人物を追い込んでいく。

もちろん、疑惑を追及するのが悪いと云っているのではない。ただ、社会的に抹殺しなければ気が済まないかのような報道の仕方は正しいことなのであろうか。

私は時々疑問に思う。

昔懐かしい「ふるさと」のような曲が街のあちこちから聴こえて来るようになれば、もっと優しく、もっと穏やかに、人を思いやって話し合うことのできる社会がやってくるのではないだろうか。

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