12月, 2007年

どうすれば楽しく生きがいある人生を歩めますか

2007-12-13

何もせず、無為な時間を過ごしている…とありますが、ちゃんと仕事をこなし、対人関係も表面上は普通に対処されているではありませんか。それら二つの現実的問題に苦しむ人も多いのです。しかも、自分から彼を振っている。あなたご自身は「振った」つもりなどないかもしれませんが、客観的にはそれ以外の何物でもありません。本当の理解者など、一人か二人いれば十分です。友達を同年代の女性と考えるからいけないので、う~んと年上でも、男性でも良いじゃないですか。恋愛相手=友達だって良いじゃないですか。すべて枠に嵌めて考えすぎるから苦しくなるのです。(占断=波木星龍)

暦の持つ威力

2007-12-10

毎年、冬が近づくと来年のカレンダーや高島暦のような季節物が書店に登場する。一時期「カレンダー」も「暦」も著しく減った時代もあったが、近年では逆に増えつつある。

時代が進み、何でも形態電話の時代になっているが、不思議とカレンダーのようなものはケイタイで済ますより、写真入でデザイン的に優れたものを見て確認したい気がする。そのせいなのだろう。昔、各企業はこぞって年末になると「自社製カレンダー」を作成して取引先や顧客に配った。ところが今はそういう企業はめったにない。取引先も顧客も喜ばないからだ。

人から強制されるデザインでなく、自分好みのデザインやセンスのカレンダーを人々は求める。その結果として書店や文具店には実にさまざまなカレンダーが登場している。日本の家庭の場合、賃貸マンションなどでは特に絵画を飾ることが難しいため、絵画の代わりとなるようなデザインやセンスに満ちたカレンダーを飾りたがるのかもしれない。それにしても、賃貸ならまだしも分譲であっても、壁を傷付けるという理由で絵画を掛けることをしない日本人は何と心の貧しい民族なのだろう。フランスやイタリアやスペインなどの映画を見ると、どんなに貧しい家庭でも、どんなに古ぼけた壁であっても、必ずと言って良いほど絵画が掛けられている。機能的である前に「美しい」ということを第一に生活の中に取り入れようとする意識、こういうものは子供達に対して言葉で教えるのではなく、居住環境の中で自然に身につけさせていくものなのだ。

そういう点ではデザイン的にも優れセンスの良いカレンダーは、日本文化の重要な担い手と言える。いっそのことマンション建設の時点で、カレンダーの設置場所を最初から組み込んではどうだろう。いやカレンダーでなく、絵画の設置場所として壁を最初から少し凹ませ、透明なアクリル扉を付けて、そこに絵画を出し入れ出来るようにして置けば良いのだ。そうすれば壁を傷つけることなく、額縁付き絵画を自由に出し入れ出来て、一度設置すると容易に変えられない不便さも解消される。私など買ったまま物入れに入ったままとなっている絵画が二つほどあるが、入れ替えしやすければいろいろな絵画を飾って楽しむことも可能なのだ。絵画教育など美術館へ足を運んでするようなものではない。自分の家の中で、街の中で、自然に目に入る形で行うべきものなのだ。何故それが大切かと言うと、人の心を育てるからだ。最近の日本人は心が育っていないから、家庭・学校内での暴力や殺人などが起こる。心を育てれば、そういうものは教えなくても起こさない。

カレンダーが各種増える一方で、「高島暦」に代表される占い暦も根強く地味ながら種類が増え続けている。こちらの方はデザインもセンスも相変わらずで、お世辞にも芸術的センスを備えているとはいえないが減るどころか増え続けているから不思議だ。しかもたいていの暦は似たり寄ったりで、毎年のように同じようなことを記している。最近では高島暦だけでなく、風水暦、九星暦、六星占術暦、女性雑誌の占い特集号と実にさまざまだ。もっとも、このような傾向は日本に限ったことではなく、しかも大昔から存在していた。

「ノストラダムスの大予言」で有名なノストラダムスは、今から五百年以上前に「占星暦」を発行し、それで大いに儲けていた。近代の占星家ウイリアム・リリーもそうだったし、セファリエルもそうだった。どうしてだろう。ひとつには本能的に誰でも、毎年の運勢のようなものを何となく感じていて、新しい年に対して何かしら期待や不安を抱いているからだ。高島暦のような運勢暦は、来年の方針を立てるのに格好の材料なのかもしれない。実際、私にとっても住居・仕事場、占いサイト、ブログ、ホームページ等すべて新しく一新し再スタートとなった今年も終わりに近づいてきている。そうだ、まだ今年は暦を買っていないのだ。買いに行かなくっちゃあ……?

過去の断面がよみがえる路

2007-12-01

街を歩いていて、時折ハッとさせられることがある。同じこの路を、過去に誰かと一緒に歩いていた場面とか、今とはまったく違った心境で歩いていた或る時期とかが、ふいに頭の中で鮮明に蘇ってしまうときだ。

別に意識してそこを通ったわけでもなく、たまたま偶然通り掛かっただけなのに、その店の前を通ると、嫌でもあの日のあの場面がよみがえってくるとか、同じような季節、時間帯、街並みの風景に出合うと、あの日の出来事や人物を思い出してしまうこともある。しかもそれらの印象的な情景と云うのは、或る種の忘れられない感情をともなっていて、それ故に今の気持ちや生活さえも一瞬色褪せたものであるかのように戸惑わせてしまうことがある。

この種の感情は、夢を見ているときにも表れることがあって、昔の体験的出来事が夢の一場面の中で鮮明に蘇って来て、それはその時の熱い感情をともなっていて、妙にリアルで、胸苦しいような状況が夢の中で展開されてゆく。よくよく考えれば、そのような状況などあり得ないのに、夢の中では何の違和感もなく、大昔に体験した或る種の感情に引きずられたようなストーリー展開が続いていく。そういった夢を見ているときの熱い感情や意識に近い魔力が、街を歩いていて一瞬、脳裏に映像化される過去の断面にはある。人間には誰しも、あの時、あの場面で、もしも今とは異なる選択をしたなら、どういう人生に変わっていただろう、と思う瞬間がある。私は、運命を扱う仕事をしている関係から、そのような違った選択をしたからと云って、極端に異なった人生を歩んでいるはずとは決めつけられないと思っている。人間と云うのは、仮にその時異なった選択をしたとしても、結局、その時その部分だけを見れば大きく違っているけれでも、人生と云う長い局面で考えれば、比較的似たような範疇に入る生活へとごく自然に軌道修正され戻っていく習性のような資質を備えているように思われてならないのだ。

女性の場合だと、恋愛・結婚などの場面で、選択・決断を迫られるようなケースは多いかもしれない。もしも今の恋人や夫ではなく、もう一人の相手の方を選んでいたらどうなっていただろう、と考えることがあるかもしれない。確かに恋愛や結婚の中身は大きく異なったものとなっていただろう。けれども、その結果としての人生の変化と云うか、生活の変容と云うか、運命の枠として最終的に提出される生涯の骨格のようなものはそう大きくは変わらないものなのだ。

これは職場・仕事の選択・決断にしてもそうである。かつて、芥川賞を受賞した池田満寿夫は「時期や場所は異なるかもしれないが、何らかの形でいつか必ず成功すると思っていた」と云った風なコメントを寄せていたことがあるが、卓見であると私は思う。まさしく「時期や場所は異なるかもしれないが」なのである。運命と云うのは良く出来ていて、状況設定やタイミングは変化させても、中身の本質は変えることなく「人生という船出をさせる」ものなのだ。

かつてアメリカで「眠れる予言者」として一世を風靡したエドガー・ケーシーと云う人物がいた。この人は、睡眠状態の中で依頼者の未来を夢の映像として見ることによって、人生上のアドバイスを行っていた。最初は依頼者の病状の透視とその処方箋専門だったのだが、いつの間にか運命的未来の導き手ともなっていった。やがて、個々の前世とか、社会的な未来予言とか、スピリチュァル関連の透視依頼が多くなって、その夢を見るために体力を使い、徐々に痩せていき、比較的早死にをしてしまった。彼の場合は、個々の人物の未来を夢の映像として見たので、あくまでも催眠誘導されての予言と云う形を取り続けていた。そのため体力を消耗したのである。未来の映像が見えると云うことは、必ずしも幸福なことではない。「無知なる幸福者」と云うロシアのことわざは生きているのだ。

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