5月, 2009年

東欧諸国の手相学と占星学

2009-05-31

久しぶりにヨーロッパへ行った。それも初めて東欧諸国を回った。

ヨーロッパは遠い。飛行機の中で、ヨーロッパに来るたびいつも思う。新千歳空港から関西空港へ行き、関空からアムステルダム空港へ行き、アムステルダムからブタペストへ行く…時間だけでなく、こうして何度も乗り換えるのだから、遠く感じるのは当然と云える。ヨーロッパの伝統や習慣は根強く、日本人にはなかなか馴染めないものが多い。たとえばチップだ。私は海外に行って、いつもこの習慣に出逢うたび、ちょっとだけ不快な気持になる。チップが悪いわけではない。確かに気分の良い時、我々はチップをはずみたくなるようなときがある。それは日本人だってそうだ。ただ、例えばトイレに入るのにチップを取られるのは、どうもしっくりこないのだ。それは、サービスに対する感謝とは全く別物だからだ。言ってみれば感謝を強要するようなもので、どうもいただけない。むしろきちんと課金制にすれば良い。そう思っていたら、最近のヨーロッパの高速道路サービスエリアでは課金制としているトイレがあった。コインを入れないとトイレの中に入れないシステムとなっていた。この方が合理的だし、気分を害さなくて良い。ただ小銭を持っていない時は不便だが…。まあ、コンビニで雑誌かジュースでも買えばよいのだ。

雑誌と云えば、ヨーロッパの雑誌には妙に付録の豪華な雑誌があって驚かされる。たとえばペンとメモ帳がセットになって付録として付いている雑誌であるとか、革のトートバッグが付録として付けられている雑誌であるとか、プレイングカードが付録として付いている雑誌であるとか…どうしてあんなに豪華な付録が付けられるのか知らないが、とにかく日本のちゃちな付録とは明らかに違うのだ。試みに私は革のトートバッグが付録として付いた雑誌を購入したが、このトートバッグ日本で普通に購入したなら、少なくとも3千円以上はするだろうという品物に思われた。そして実際、旅の後半で土産品を入れて歩くのに大活躍した。本格的でデザインも良い型押し茶系バッグなので持ち歩いて不自然ではないのだ。何となく東欧諸国と云うと肩ぐるしい雰囲気を想像するが、実際にはそういうこともない。妖しい店だって存在するし、妖しい雑誌だって売られていたりする。我々が泊まったホテルの向かいには、妖しいポールダンスで誘いかける店があって驚かされた。文字通りピンク1色の店で、そのピンクの硝子戸越しにビキニスタイルの女性が妖しく踊っているのが見えるのだ。

占いに関しても、大聖堂とか教会とかが目白押しで敬虔な信者が多いので、占いなどは乏しいのだろうと思っていたが、実際にはそうでもなかった。一般的な占いの普及率は少ないようだが、占いも含めた精神世界・オカルト的なものへの依存度は決して乏しいわけではない。むしろ強いのではないかと感じさせる部分があった。それはプラハのオカルトショップで、その2階部分には地元の人達が多数押し寄せ、精神世界の本、占いの本、魔術的なグッズ、各種の石などを買い求めていたからだ。中には、そこの店主に人生相談を持ちかけている女性さえいた。買い物客を待たせて応じていたから、もしかしたら店主は少しだけ占い師めいた相談役も果しているのかもしれなかった。

正直、今回の旅行では占い関連のものを入手するのは無理だろうと思って出掛けたのだが、本格的なホロスコープ雑誌も購入できたし、ヨーロッパ式手相の本も何冊か持ち帰ることが出来た。もっとも、チェコの言語で書かれてあるので読みこなすことはできない。読みこなすことはできないのだが、大体何が書かれてあるのかは推測・判読できる。私はいつもそうだが、海外で本を買うとき、読めるから買うのではない。雰囲気として理解できるから買うのだ。したがって、どうしても図解や写真、表記・イラストの多い本が主体となる。そこで手相・人相・ホロスコープ系の本が購入対象となる。ちなみに、今回訪れた店では、中国系の占い本も置いてあったし、世界の各種タロットデッキも売られていた。チェコ独自のものもあったのだが、大判で本とセットになっていて、荷物となるので買うことはしなかった。本でもそうなのだが、あまりぶ厚く、重い書籍はどうしても買えない。しかも、そういう書籍に限って文字が多く、図解・表記やイラスト・写真が少ない。それだと買えないのだ。今回の手相の本には図解だけでなく、実際の手型が何枚も付いた本があり、その人物の名称や簡単な履歴も付いていた。しかも手型の取り方まで写真入りで説明している。手相の判断方法自体のレベルはそれほど高いとは思われないが、研究に取り組む姿勢は真摯で本として実用的でもある。今回は購入しなかったが、ヨーロッパ式の人相術書、また手相と人相とが一体となって研究・著述されている本もあった。ただ、総体的に文章主体で図解は荒っぽく、正確な図解、判りやすい図解のものは少なかった。

ホロスコープの雑誌も本格的で、何よりもホロスコープ図解が精密で、惑星の位置をきちんと線で引いて表記してある。誕生時の惑星位置だけでなく、トランジットの惑星位置も外部に記してある点が、図解として判り易く、占星学的にも本格的だと云える。ただ惑星の表記(特に天王星と冥王星)には独特な部分があって、オーソドックスなアメリカやイギリスの占星家の表記とは異なる。また、多分これは一般向けの雑誌と思うのだが、メジャーアスペクトだけでなく、マイナーアスペクトに対しても同様に表記してあり、その点でも異色だと云える。また5月発売=6月号の中で、6月における各惑星の1日~30日まで毎日の星座位置について、分・秒単位まで正確に掲載している。ただ、ひとつ気になったのは、別な女性雑誌で記載されていたホロスコープの運勢解説と、この雑誌とでは星座表記(星座名称)が異なることで、さらに別な雑誌では明らかに「おうし座」から12星座をスタートさせている。この違いがどこから来ているのか、私にはわからなかった。また、この雑誌ではタロットについても若干ふれてあるが、通常「0」から始まるカードを「1」からスタートさせていて、「21」ではなく「22」の数字で終わっている。スプレッドも独特の十字形スプレッドで、半円形スプレッド法もあるようだ。多分、広告としてだと思うのだが、何人もの占い師たちの写真も掲載されている。ハッキリ言って妖しそうな人もいれば、信頼出来そうな人もいる。まあ、それはどこの国でも同様だ。今回は占ってもらうことはできななったが、次回にはそういうチャンスがあれば…ぜひ見てもらいたいものだ。

激安ブランドが世界を変えていく

2009-05-22

東京の原宿に「フォーエバー21」日本1号店がオープンした。アメリカ発の激安ブランドファッションとして知られる。ブランドと云っても、エルメスとかシャネルとかヴィトンとかの高級ブランドではない。250円のキャミソールから売られている超激安のブランドなのだ。このようなことを書くと宣伝マンと間違われそうだが、私が注目するのはスウェーデン発の「H&M(エイチアンドエム)」、スペイン発の「ZARA(ザラ)」、イギリス発の「トップショップ」など激安ブランドが相次いで世界に、そして日本に出店し始めていることだ。これらの超激安ブランドの特徴の一つはターゲットを若年層においていることで、10代から20代の女性ファッションを主体としている。特に「フォーエバー21」の場合、デザイナーはすべて外部委託で自社内に抱えていない。その結果、さまざまな趣味・嗜好が反映された作品群が売られることになる。そして新たな作品の企画・製作期間も短く、次々と新しいデザイン・色合い・素材等が提供されていくことになる。少なくともユニクロや良品計画のように、或る意味で統一され過ぎた無味乾燥ファッションとならないことだけは確実である。

このような超激安ブランドが脚光を浴びる背景には、世界的不況や景気の落ち込みが強く作用している。特に若い世代にとって、割高な高級ブランドより、激安ブランドが流行してくれる方が、その流行に乗りやすいことは言うまでもない。しかも、今の若い女性たちの流行のサイクルは速い。昨年まで流行っていたファッションが今年になったら全く見かけない、と云うことも稀ではない。携帯電話の世界的普及が、流行のサイクルを速めているのだ。決して日本ばかりの現象ではなく、世界的に少なくとも携帯世代には共通している。高級ブランド業界は、このサイクルの速さにも追いついていけない。元々高級ブランドには、長年愛用していける耐久性や品質の良さと云う外せない条件もある。したがって価格を落とせない。ところが携帯世代にならって、次々と新しい企画・デザインを世に出そうとすると、よほどの金持ちでもない限り、経済的に買い続けることが出来ない。若い世代から離れていくのは当然なのだ。

素材が違うとか、品質が違うとか言っても、見た目が似たようなものなら流行についていける激安ブランドに走るのは当然とも云える。しかも何度も言うように、それは日本だけの現象ではない。元々貧困な国は、高級ブランドなどほんの一部の金持ちのためにある。ほとんどの国民には縁のないものなのだ。セレブでもない、ごく庶民的女性たちがコーチを持ったり、グッチを持ったりしているのは日本だけなのだ。したがって高級ブランドメーカーにとって、こういった激安ブランドの台頭は、決して心穏やかではいられない現象のはずなのだ。

日本の場合、本当の金持ちは少ない。プチ金持ちは沢山いるが、どの分野でも新製品が続々と誕生しているので趣味の広い人ほどお金が掛かる。つまり元々大金持ちの少ない日本は、金額を気にせず高級ブランド品を次々購入できる金持ちなど滅多にいないのだ。ましてや近隣のアジア諸国において、本物の金持ちが多いのはシンガポールくらいであろう。ただ、そういうアジア諸国でも携帯電話は驚くほど急速な勢いで普及し始めている。特に若い女性たちの間で必需品になりつつあるのが現状なのだ。つまり世界は、こと携帯電話の普及と云う点においては、人種・民族・国境を超えて、若い世代は持っている時代へと変わりつつある。当然、その世代にターゲットを絞っているのが最初にあげた超激安の各ファッションブランドなのだ。これらなら、どの国民であろうと購入できる。しかもデザインは正に「いまどき」を先取りし、世界ブランドとしてのオシャレを体験できる。これが受けない筈がない。

こうして各激安ブランドは、それぞれの国・地域から、世界に向けて発信されていく。携帯世代の若い女性たちは、世界でほぼ同時にそれらの流行を取り入れることになる。いつからかファッションの世界に国境はない。但し、一つだけ問題は残っている。イスラム世界の住人たちだ。信仰上の理由から彼女らはスカーフを取らない。人前で肌を露出しない。したがって、その地域には進出しにくいのだ。彼女たちがオシャレに興味がないのかと云うとそうではない。むしろ大ありだ。私はエジプトへ行ったとき、イスラムの若い女性たちが、そのスカーフの色やデザインで、オシャレを競い合っていることを見抜いた。信仰はゆるぎないが、しかし、政治と宗教が、かなり女性たちを抑え込んでいる実態がある。これらの地域でも、世界共通の激安ファッションが流行り出すとき、本当の意味での世界平和が実現に近づくのに違いない。音楽とともに、ファッションは数少ない世界共通言語だ。これらが普及し、セレブ以外の世界の女性たちが思い思いの激安ファッションに身を包むとき、それぞれの国の対立や利害はおのずと後ずさりしていくのに違いない。

長寿国・日本が抱える闇の向こう

2009-05-04

陽気が良くなったせいか、繁華街を歩くと人であふれている季節となった。売上高は落ちているらしいが、デパートの飲食店街など平日の昼間でもスムーズに歩けない。ただ最近目につくのは若い人達ではなく、ご高齢のお年寄り集団が多いと云うことだ。時としてはそういう集団の中に囲まれてしまうようなことさえある。自分自身も一歩一歩そちらの方へと近づいているので他人ごとではないのだが、エレベーターの中などで「お年寄り軍団」に取り囲まれると、この国の未来の姿を垣間見せられたようで複雑な気持ちとなる。街中で見る「お年寄り軍団」の多くは女性の比率が多く、女性のみの軍団も多い。実際にはお年寄りまでいかない「予備軍」の女性グループも多い。何故、男性の比率が少ないのかは分からないが、或る程度の年齢以降になると、男性よりも女性の方が外出好みになるような気もする。それとも、私がそのように感じるのは、出掛けるのが平日の昼間が多いせいなのであろうか。

久しぶりで九州に居る姉から便りがあった。義兄の運転で大分から姫路まで高速1300㌔を走行する旅を楽しんだらしい。義兄は60代半ばだが、6年ほど前リンパがん等の病を患い生死をさまよった。けれども今は回復したらしく、あちこち動き回っている。昔は「癌」と聞けば、もう駄目…と観念したものだが今はそうでもないらしい。医学の進歩は目覚ましい。日本は間違いなく長寿国として世界に誇れる国となった。高齢福祉に関しても、まだまだ完全とは云えないが少しずつ福祉大国への道を歩み続けている。したがって今後ますます長寿者は増えていく。お年寄り軍団、及びその一歩手前の中高年女性グループは確実に増加していくに違いない。それにしても、なぜ女性ばかりが目立つのか。そしてなぜ中高年女性グループは元気で、若き日の繊細さを失ってしまうのか。バーゲンセールの会場で、力を発揮しているのは間違いなく中高年女性だ。これらの女性たちが「お年寄り軍団」と化した時、今よりももっとそれらの軍団が街中を席巻するのに違いない。統計的に見れば経済力に恵まれているのはそれらの世代なのだ。

こういうところで引き合いに出して申し訳ないが、欧米の富裕層の人達を見ていて感じるのは中高年以降太り出すケースが多いことである。特に海外の有名観光地でヨーロッパ人ツアーのグループとかち合うと、太っている人たちの多いことに驚く。明らかに栄養の取り過ぎ…と云った太り方が多いのだ。日本でも今、徐々にそうなりつつある。ただ欧米人ほど極端ではない。だから日本人は多分、肥満からの病気は比較的少なく、長寿を保ち続けるだろう。当然、高齢者の比率が高くなる。それでなくても少子化で若い人が減ってゆくはずだが、それに拍車をかけるのが医学の進歩と高齢福祉の充実、経済力に恵まれていることだ。年代的に云うと今現在60代~70代前半くらいの世代がもっとも蓄えを持ち、良い時期に年金の支給が始まっている。もっとも、これはあくまで平均的に照らし合わせればと云うことで、実際には種々なケースがあるのは知っている。或る意味で、特にその経済面において、同じ年代であってもその格差が目立つようになって来ていることも事実だ。ここでも欧米を引き合いに出すと、ヨーロッパなどでは昔から上流社会と平民との間に無意識の垣根のようなものがあった。実は日本でも江戸から明治・大正の頃までは明らかに階級社会が息づいていた。それが取り払われたのは実質的には戦後だと思う。

もちろん、そうなったことで私のような底辺に生まれた者にでも、社会的成功のチャンスが巡って来るように変わったとも云える。けれども、その結果として「いつ、どうなってしまうか分からない」身分保障的な不安感が若い人達を中心として社会全体にはびこることになってしまった。一時期、日本に存在した企業が将来を保証してくれるような幻想は今や誰にもない。

そして同時に、これからもっと怖いのは数十年前までは考えられなかったことだが、世界経済全体が一体化し始めてしまったために日本経済だけを世界から切り離しては考えられなくなってしまったことだ。いつの間にか日本経済の右肩上がり的な幻想が消え、年金・雇用などの社会保障的な安心が消え、世界の情勢いかんで一気に職を失い、住居を失い、収入源を失い、突然ホームレスとなって生きていかなければならない人達が増えていく可能性のあることだ。年齢が若ければともかく、中高年以降になっていれば、特に男性の再出発・再就職は難しい。それらを見越しての対策が急務だが、年金の支給年齢も徐々に遅れている現実の中では実際にはなかなかに難しい。女性よりも、男性の方が未来は暗然としているのだ。それを見越しているかのように、中高年以降の女性お年寄り軍団はどこまでも元気で、街中を一人で歩いている中高年以降の男性はどこか物憂げに見える。

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