12月, 2010年

年賀状の不思議

2010-12-22

この季節になると誰でも年賀状の用意・準備をしなければならない。全てを印刷に回してしまう人は別として、少しでも“手書き文字”を加える人なら、そろそろ書き出さなければ…と当然のことながら思う。頭では思うのだが、身体の方は一向に書き出す気配がない。そうして何時もギリギリとなる。ひどい時には年末年始に書いていたりする。よく年賀状を“儀礼的なものだから廃止した方が良い”という人もいるが、私はそうは思わない。普段なかなか挨拶をする機会がない人達に年の締め括りとして、お世話になった気持ちを伝え“来年もよろしく”の気持ちを込めることは、私のように言葉や身体で表現するのが苦手なタイプの人にとって「年賀状」は良い手段なのだ。特に親戚に関してはそうである。

私は子供の頃から、年末年始に親戚が集まる…という光景が嫌いだった。何かしら違和感を覚えるのだ。普段、言葉も挨拶も交わしていない者同士が、その時だけ親しげな雰囲気を作って一緒にテーブルに着く―何となく仮面をかぶっているようで、そういう雰囲気を好きになれなかった。甥っ子とか姪っ子とか言われても親しげになど出来ず硬くなっていた。ましてや私の家は貧乏で、親戚の家は裕福で或る種、身分の違いのようなものを幼心が感じていて、言いなりでいなければいけないような屈辱感も手伝って余計に卑屈な面持ちが抜けなかった。

もっとも私が大人になってから“占って欲しい”と姪っ子が客として目の前に現れた時、相談を受けている内に始めて親戚としての情愛が私の中に芽生えた。私のアドバイスが効いたのかどうか、数年後に願望が達せられたとの報告を受けた時、ホッと胸を撫でおろすような奇妙な感慨を持った。家族や親戚を占うことは普通以上に責任が掛り、結果が解かるだけに怖い部分もある。だから本当は占いたくはない。それでも頼まれると嫌と言えない時もあってしぶしぶ引き受ける。総体的に私は見知らぬ人の方が、霊感も働きやすく観たままを言えるので占いやすい。

話は戻るが、親戚・友知人・仕事関係者などに出すことが多い年賀状に、近年では“占い付きの年賀状”を出すことが多くなった。もちろん印刷会社が考案した“占い付き年賀状”であって、私自身のオリジナルではない。ただ何年も似たような年賀状になるのも嫌なので、今回は“占い無し”の年賀状に決めた。その代わりというか挨拶文の方にご利益ありそうな“占いっぽい文章”をオリジナルで加えた。私は何でもそうだが、型通り過ぎるモノは人に送りたくない。“占い付き年賀状”以外にも、昔は版画とか干支似顔絵とか“手作りっぽい年賀状” をいろいろと作ったものだ。ただ年齢とともにそれらが煩わしくなってきた。それに時間的にも不可能になった。せめて仰々しい挨拶が苦手なのだから、こういうものだけでも時間を掛けて…と思うのだが、面倒な気持ちの方が先にたつ。だが、よくよく考えれば、そんなに大袈裟に捉える必要などないのかもしれない。みんな師走で忙しいのだ。

その証拠という訳でもないが、送られてくる年賀状も、そんなに凝っているものは少ない。いや、稀だと言って良い。大体がオーソドックスな年賀状が圧倒的なのだ。たまに個性的な年賀状を送ってくださる方は、ほとんど例外なく“個性派”の人である。一度私は素晴らしい年賀状を受け取って「感激した」と返信したら、それはその当時秘かに流行っていた歌の歌詞一部を、そのまま年賀状のイラストに合わせて記したもので“私に捧げた詩”ではなかったと明かされた。実際、その後になって、その歌(歌詞)は大ヒットした。彼女の“イラスト&歌詞・組み合わせのセンス”が素晴らしかっただけなのだ。或る年、友人に送った私の年賀状は「お年玉」籤番号に当たったと知らされたことがある。確か2等だったと言っていたが、私自身は当たったことがないだけにそういう形で喜ばれたことが嬉しかった。いつぞや同じ人から二通もの年賀状が届いて驚いたこともある。多分、私に出していたのを忘れ、もう一通書いたのだろう。私自身も、三度に分けて出したら、書いていたかどうか解からなくて困ったことがある。喪中ハガキが届くことで、始めてその人の家に不幸があったと知ることも多い。親子兄弟の場合は喪中として年賀を控えなければならないが、傍にいない祖父母の時まで年賀を控えるのは自然なのだろうか。もう少し冠婚葬祭に関するしきたり等も、時代に沿った変化の柔軟性があっても良いよう思うのは私だけなのであろうか。

何かある…最近の芸能ニュース

2010-12-10

市川海老蔵が顔面や頭部を負傷し血だらけで帰宅したという。本人は酒の席で知り合った人達と口論となり殴られたと話したらしいが、どうもこの話、額面通りに受け止められない。そもそもスナックとか、バーとかで“重症の怪我を負う”ほど殴られていたなら、それを店側が放置するはずがない。必ず、その時点で110番通報しているはずだ。ましてや海老蔵の顔は判別しやすく、放置できる相手ではない。何かあるのだ。大体、重要な記者会見を体調不良を理由に欠席した当日の夜に外出し、何軒も飲み歩く…という行為自体に何かある。本当に“体調不良”だったのだろうか。最初から、記者会見に出席出来ない“別な理由”があったと推測できないことはない。先日、大晦日の生番組の司会を小林麻央から姉の小林麻耶に変わったとの報道があったが、この変更にも違和感を抱く。本来、梨園の妻である小林麻央にとって“忙しい日”であることは最初から承知なはずで、この時期まで出演予定を入れていたのは海老蔵側からOKが出ていたからではないのか。仮にそうだとすれば海老蔵本人か市川家かに何かが起こったから…とも解釈できるのだ。そして、それが今回の記者会見“体調不良”と“深夜の重傷”にも関わりがあるのでは…と想像は膨らむ。父親がすぐに会見を開いたのも“心当たり”があるからだろう。この事件、何かが隠れている。

宇多田ヒカルが“人間活動に専念する”ためアーティスト活動無期限休養…というのも額面通りには受け止められない。大体“人間活動”って何だ。まるでアーティストは“人間ではない”とでもいうようなニュアンスがあって、今一つ理解しかねる。先日ラジオ番組の中で「イタイ大人になりたくないから…」と表現したそうだが、もう立派な大人である宇多田が、十代の若者のようなことを言ってもらっては困る。確かに十代半ばで華々しく脚光を浴び、一生喰うに困らない財を得て、普通の青春を送ってこなかったのは事実だ。だから普通の人なら出来ることを出来ない部分がある…というのも事実だろう。けれども天皇家に生まれれば天皇家としての生活があり、私のように極貧の家庭に生まれれば極貧としての生活があり、それぞれに“生まれ持った星”というものがある。例えば私は極貧の家に生まれたが、正直、母親や兄弟や近所の世話好きが日常のことをいつも手伝ってくれたので“何も出来ない大人”となった。大人になってもカップラーメン一つ作ることは出来なかった。母親が急死した時、何もしてこなかった私は、まさしく“イタイ大人”で大いに困った。それでも、そうなればなったで何とかなっていくものだ。宇多田ヒカルが普通の会社勤めをするつもりがあるなら、あのような発言をするのも理解されるが、ボランティアだとか、フランス語だとか言いだすと、とても “イタイ大人”から抜け出せるようには思えない。多分、頭脳優秀な宇多田が、そのようなことを解からないはずがなく、真意は別なところにある…と私は視ている。つまり何かがあっての休養なのだが、それは言えないから“人間活動”にしてしまっているよう私には感じられるのだ。これも、何かが隠されているのだ。

水嶋ヒロの“文学賞受賞”も、何かが変である。まず、彼は水嶋ヒロでなく「齊藤智(さとし)」名義で小説を応募した…と言っていたのに、実際に出版されるときには「齊藤智裕(ともひろ)」の本名で出すらしい。作家のペンネームを出版社が勝手に変えるのは妙だ。第一、どの活字媒体も“水嶋ヒロの小説”と書いていて、書店でも“齊藤智裕の本”として予約を取っていない。つまり、あくまでも“俳優・水嶋ヒロが書いた小説”として売られている―ということだ。まあ、知名度の点から当然といえば当然だが、それならペンネームを何故強調したのか。多分、それは“有名人だから受賞したのではない”と言いたいからだろう。けれども、この受賞経過がどうもおかしい。賞金が2000万円だったこの賞は何年も「該当者なし」が続いていた。そして今回受賞者が出て、本人がその賞金を辞退し「新たな才能発掘のために活かして欲しい」と言ったのにも拘らず、来年度からは賞金は200万円に変更される。今回の受賞は“編集部員13名”だけで最終審査を行ったらしい。通常、この種の賞は“候補作”に関しては編集部か、もしくは依頼している外部関係者に択ばせるが、最終審査というのは著名作家何人かに依頼して行うのが通例だ。しかも、この賞金は日本の小説の賞金として最高額だった。それを編集部員だけで択び出す―ということは常軌を逸しているとしか言いようがない。要するにハッキリ言えば“出来レース”だったのではないか、という疑いが拭えない。そうさせなければならない、何かがあったのだ。

私は昔、原稿枚数制限の書かれていなかったノンフィクションの賞に応募した時、確か370枚程度の原稿枚数だったが、審査員の選評の中で「この作品は応募枚数を守っていない」と書かれたことがある。冗談じゃない。何枚以内とも書いてなどいないじゃないか。私は憤慨したが、そういう奇妙な理由から落とされた。ともかく、約束を守らないのはマスメディアの常識のようなものである。マスコミ報道の“鵜呑み”は危険なのだ。

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