4月, 2016年

2016年5月のアドバイス

2016-04-30

「不正データ」が41万人を苦しめる

2016-04-30

三菱自動車の「燃費不正データ」問題が“大事”になってきている。車産業は、日本の輸出産業の中でも“すそ野が広い”業種として知られている。“すそ野が広い”とは、それに関連した企業で“働いている人達が多い”ということである。三菱自動車の場合、その下請け企業はなんと7800社、従業員は41万人に上る。つまり、三菱自動車に“不正問題”が発覚し「燃費の良い車」として宣伝されていたことが“嘘だった”ことで傷つく人達は、当然“それを購入していた人達”もそうなのだが、それ以上に“それを作っていた人達=41万人”に大打撃を与える。彼らは「それ」で生活をしてきていたのだ。当たり前の話だが、生産は一時的にストップする。もちろん、車の売れ行きは急減する。何しろ「それ」が“売り”だったのだ。車の生産がストップすると、当然、下請け企業の「存続」に関わる問題になる。下請けの従業員は41万人だが、その家族が付随している。それらの人達にも影響が及ぶ。大企業に問題が生じると、実は一番“打撃”を受けるのは、名もない下請けの“零細企業”なのだ。大企業に“部品の一部分”を納入していたような従業員3人~8人程度の零細企業が“一番の被害者”となる。彼らには「その後の保証」がない。「運命」が閉ざされるのだ。そういう人達が日本にはごまんといる。なにも“悪いことはしていない”のに、突然、人生を“狂わされる”人達がごまんといる。彼らは“大きな不安”を抱えながら、今日も黙々と作業を続けている。

母親を撃ち殺した2歳半の男児

2016-04-29

アメリカでまた“哀しい事件”が起こった。幼児が母親を殺害したのだ。まだ2歳半の男児が、一緒に車に乗っていた母親を銃で撃ち殺してしまったのだ。いくらアメリカだからと言って、2歳半の男児が本気で母親を撃ち殺そうとするはずがない。40口径の銃は、たまたま運転席から滑り出て来て、それを手にした男児が遊んでいるうち誤って発砲してしまったのである。家族4人全員で車に乗っていた時の出来事である。ミルウォーキーのパトリス家は、なんと前日に車を盗まれてしまい、仕方がないので警備員をしている友人の車をその日は使わせてもらっていた。したがって、そんなところに銃があって、滑り落ちてきたものを幼児が拾って遊ぶなど“想定外の出来事”だったのだ。そうはいっても、26歳の若き母親の命は帰らない。似たような“哀しい事件”がアメリカでは時々起こる。それなのに“銃規制”は一向に進まない。日本では昔、武士は「刀」を差して歩いていたが、今はどういうわけか誰も刀を差していない。アメリカは「右の頬を打たれたら、左の頬を打ち返す」“聖書の国?”だから、どんなに“哀しい事件”が起こっても反省などしない。ますます“身を守るため”銃が飛ぶように売れるのだ。トランプは言うだろう。「銃は刀に勝つ!」と。

失敗から「何」を学ぶか

2016-04-28

人は過去の失敗から学ぶものです。その失敗を何とか克服したとき、二度とこのような“失敗はしたくない”と思うのが普通です。ところが月日が経って、同じような失敗をしてしまうことが時として起こります。完全に油断して、“過去の失敗”を忘れかけていたようなときに、そういう事態に巻き込まれやすいものです。もっと慎重に対処していれば…と後悔をするのですが、後の祭りです。この二度の失敗で、ほとんどの人は“目覚める”のです。心を“入れ替える”のです。人生そのものに対して“臆病なほど慎重になる”のです。結果的にそうなることで、通常“三度目の失敗”は避けられるようになります。事情を知らない人達は、なぜそんなにまで慎重なのか首をかしげるのですが、そうしなければ“失敗を繰り返す”ことは本人だけが本能的に知っているからです。この「本能的に知る」ということが人生においては大切なのです。“二度目の失敗”で心を“入れ替える”作業を怠った人は、必ずまた失敗します。何度も、同じことで失敗するものです。「運命」とは、そういう風に出来ているのです。同じ「運命」でも、途中から“違った道”を歩み始めるのには、このような“見えない事情”が潜んでいるケースが多いものです。

「出逢いこそ運命」と喝破した人

2016-04-27

シャンソン歌手&作家の戸川昌子氏が逝った。70年代の人気作家のひとりであった。私は20代の頃、彼女のエッセイ本『生きるのはひとり』だったと思うが、それを読んで大いに感銘したものだ。私の記憶が確かなら、彼女は戦火の中で、本能的に人々が逃げる方向とは逆の方へと走って爆撃を受けず“命拾い”したという。何故、逆方向へと走ったのかはわからない、と記していたような気がする。戦争で父と弟を喪った彼女は「ひとり」ということに早くから目覚めていた。後にさまざまな恋愛遍歴をしたらしいが、40代まで独身を通し、どこか“孤独の影”が付き纏った。写真でしか見たことはないが、30代の頃の彼女は、常に片目が髪で隠れていて“妖しい雰囲気”を放っていた。その本には確か「過去は幻、現在だけが信じられるのである」と特別大きく書かれていた。その言葉が印象に残った。実際、過去は幻に過ぎない。幻だから、人々はそれを“必死”に抱きしめようとする。その本ではなかったが「出逢いという言葉ほど、私に運命を感じさせる言葉はない」とも何かに書かれていた。人の運命は、最終的に「出逢い」がすべてである。それは意図的な出逢いもあるが、予期せぬ出逢いもある。そして「予期せぬ出逢い」の方が「運命」を変える力を持っている。

さびしい「中国」の男性たち

2016-04-26

私が初めて訪れた頃の中国には、まだ自転車と人民服が行き交い、まだまだ後進国であるかのような印象があった。あれからもう20年近くが経って、今の中国は“別人”ならぬ“別国”で、日本と対等か、或る意味では日本よりも“先進の国”へと変化してしまった。それ自体は“追いつけ・追い越せ”の中国にとっては、一つの“勝利”であるのかもしれない。ただ中国は、あまりにも“自国の近代化”を急ぎすぎたような気がする。その発展の形は、日本のように全土が“一体化して発展”したのではなく、かなり“いびつな形”で発展してしまったために、あらゆる部分に弊害があって、格差が大きく、とても世界第2位の経済大国として、他国からうらやましがられるような発展の仕方をしていない。その象徴ともいうべきものがスマホによる“自らの私生活の動画中継”だけで、月に200万も稼ぎだす女性達が増えてしまっている現実だ。彼女らは女優でもタレントでもなく“美しい一般女性”だ。その“私生活の動画”を見て、ファンになった男性たちが、動画アプリを使ってプレゼントを渡す。現金に換金できる“プレゼント用”アプリらしい。実際に逢うこともなく、メール以外で会話することもなく、“応援の気持ち”“ファンとしての贈り物”だけで、月に200万とか300万になるというのだから、6億人以上がSNSを使っている国らしい。かつての“一人っ子政策”のために、中国では男性の数が女性の数よりはるかに多く、アンバランスなため、実際に恋人を得られる男性、結婚できる男性の比率が少ないことが背景としてあるらしい。それにしても、なんと“寂しい男性”と、なんと“したたかな女性”の多い国になってしまったことか。

生まれ変わるための序曲

2016-04-25

普通「生まれ変わり」というのは、一度“死んで後に生じる現象”とされていますが、いったん“仮死状態”に陥って、そこから奇跡的に生還する場合も、見かけは変わらなくても事実上の「生まれ変わり」とみるのが妥当であると思われます。さらに生命そのものには変化がなくても、新たな国や地域で、新たな名前で、新たな職業となり、新たな容貌・衣裳を身に着け、意識的に「生まれ変わり」別人と化して生きていく場合も、当然「生まれ変わり」とみなされます。そして、この最後のケースが案外多いものです。しかも、最後のケースでは“一気に生まれ変わる”というより、何年かかけて“徐々に生まれ変わっていく”人の方が多いものです。例えば、昔、長い黒髪で知られた女流作家だった瀬戸内晴美は、仏門に入り、剃髪をし、瀬戸内寂聴と名を変え、寺院に暮らすことで「生まれ変わり」を図りました。結局、“生まれ変わらない”ことを知った寂聴は、作家としての活動を本格化させ、大衆に対しての“講演”を“法話”に変え、俗人としての食事内容に変え、秘書を雇い、90歳を過ぎても旺盛な執筆活動を行っています。この人は、実際には「生まれ変わり」に失敗したのですが、途中から開き直り「生まれ変わっても何も変わらない」ことを大衆に伝えようと「現世を精いっぱい愉しみなさい」という法話に変えていったのです。

理想と現実の接点

2016-04-24

この時期、どの企業でもお店でも「新人さん」が目につく。多分、新卒で入社し、研修を終えて間もない「新しい顔」が、初めての現場で“新たな道”を歩み始めたのだ。その姿は、とても初々しい。彼ら、彼女らは、それぞれに“自分の扉”を探し当て、その扉を開いて、自らの足で“新たな道”を歩み始めたのだ。それがどのような仕事であれ、自分の“身の置き場”を得たことは、それだけで“学びを終えた姿”として評価できるものがある。そう、人は誰でも、まず学び、それから社会に出て“一人の大人として”働きだす。そういう過程を誰でも経ている。けれども、時として、その過程で躓くことがある。「学び」の最初“入学”段階で躓くこともあれば、その途中の“学習”段階で躓くこともあれば、最後の“卒業”段階で躓くこともある。次の「就職」段階で躓くこともあれば、実際の「仕事」段階で躓くこともある。一見、誰もが順調なスタートを切っているように見えても、実際には“もがき苦しんでいる人達”が多いのもこの時期なのだ。特に、学校や就職先の選択が迫っている人達にとっては「迷い」と「焦り」が出やすいのがこの時期かもしれない。ただ人生は長く、いくらでもやり直しがきく。この事実を“忘れてしまう”人たちが多い。「理想」と「現実」の間には“大きなへだたり”がある。みんなその“へだたり”の隙間の中で生きている。「理想」には手が届かなくて「現実」に這いつくばりながら、必死に生きているのがほとんどの人なのだ。

見る「世界」と、見られている「世界」

2016-04-23

旅先で「UFO」の本と「死後」に関する本とを読んだ。どちらも最近はまともに読むことが少なくなっていた「世界」の本だ。多分、旅先だったので一気に読み切ることが出来たのだろう。奇妙なことに、二つの「世界」はそれぞれに懐かしく、不思議な感情を呼び起こさせ、“郷愁”のようなものさえ感じさせた。丁度、引っ越しの時に、大昔に“大切にしていたもの”が出てきて、妙に懐かしさを覚えるのと似たような感覚であった。十代半ばの頃、私は「死後世界」を100%信じていた。二十代半ばの頃、私は「UFO&宇宙人」を100%信じていた。このように書くと、今は信じていないかのように思われるかもしれないが、そんなことはない。ただ“100%”ではなくなった。もっとも十代の頃に「幽体離脱」を経験し「三途の川」を見て、鎧兜の武将に手を引かれて“そこに掛かっていた橋”を途中まで渡りかけた私は「死後世界」を否定はできない。母親の「行っちゃダメ!」という悲痛な叫びで「戻らなきゃ…」と思うと同時に一瞬にして離脱していた肉体へ戻った実体験は忘れることが出来ない。ただ、だから「死後世界」を100%肯定できるかというと、その辺は微妙なのだ。「UFO」にしろ、「死後世界」にしろ、仮にそれらの「世界」があったとして、それらから一方的に“観察される”とか、彼らから自由に“影響される”のは、どうも平等ではないような気がして嫌なのだ。もっと“対等な存在”としての「UFO」や「霊界」であってほしいと願うのは、いけないことなのだろうか。

「パスワード」という魔物

2016-04-19

私は元々が“IT型の人間”ではないので、日頃から“IT関連のもの”は苦手である。その中でも一番厄介なのが「パスワード」で、あらゆる場合にこの部分で躓いてしまう。何故、もう少し簡単に設定できないのか。憶えやすく簡単に変えられないのか。パソコン内でも早く「指紋認証型」を採用してほしい。「パスワード」を失くしたり、忘れたりすると、ギブ・アップでそこから一歩も進めなくなる。実は、二台のパソコンを使っているが、そのうちの一台が壊れてしまった。専門家に直してもらったが、ハード面からの根本的な入れ替え修理で「パスワード」が必要なのだが、全く記憶していない。あれこれ探したが、どうにもわからない。そこで仕方がなく“新たなパスワード”に切り替えてもらった。そうしてやっと使用できるようになった。ところが、二台並行して使用していることを忘れていた。“新たなパスワード”に切り替えたことで、今度はもう一台のパソコンに「エラー」が出てしまって開けない。

故障すると自分で治せない私は“ITの技術者”に来ていただくことになる。いろいろ仕事にも支障が出るし、金銭も出ていくし、今日から地方に4日間行く予定で、そのあとまで使えないことになる。ほんとうに厄介なことこの上ない。この前も“金融の取引ページ”が開けなくなって、頭を抱えたことがある。幸い引き出しの底から「パスワード」が書かれた葉書が出てきて命拾いしたばかりだ。今回の地震などでも「パスワード」が解らなくなってしまった方が多数おられるに違いない。ITの世界は、確かに便利なのだが“融通が利かな過ぎる”ので、この点を何とかしてもらわなければ“自分のものなのに自分のものでなくなる”不幸な出来事が発生することになりやすい。

近年は「自分」であることを証明する“あらゆる情報”を一か所に管理する形で、パソコンやスマホ・携帯電話に集約している場合が多い。それだけに、それらのものを失ってしまうと“何もかも”が失われ、生活そのものが一瞬にして困難になってしまう。昔なら、それらはそれぞれの「窓口」まで出向けば何とかなった。ところが“ITの時代”は、顔を突き合わせても「パスワード」が解らなければ、相手・担当者もその「鍵」を開くことが出来ない。仮に本人だと判っても、どうすることも出来ない場合がある。「指紋認証型」でも「眼球認証型」でも「静脈認証型」でも何でも良いが、早く面倒な手続きなしで“本人”と認証し「パスワード」を忘れても、失くしても、すぐ対応できるようなシステムを開発してもらいたい。お年寄りたちの多くが「振り込み詐欺」被害で金銭を失うのも、結局、金融機関のIT化が進んだからで、昔のような対面式なら“失わずに済んでいた”被害も多数あるに違いない。時代の変化で“IT化”それ自体は仕方がないが、もう少し“融通が利く”IT化を進めてほしい。

ちなみに私は、一時期パソコンでホロスコープや四柱命式を出していたが、現在は元に戻す形で“手書き”方式に変えている。その方が実質的に見やすいし、記憶に残りやすく、ホロスコープは特に“アスペクトの判別”が容易である。パソコンは確かに正確で早くて良いのだが、個々の惑星間の位置判別が一見しただけでは解りにくい。プリントも時間が掛かるし、瞬時の勘が働きづらい。要するに私の場合は“手書き”の方が実占向きなのだ。以前、或る占星家と一緒になった時、彼は「科学的なホロスコープはITでなければ無理だ」というようなことを言った。確かに、この人は“手書き”など絶対にしないタイプの方であった。ただ、この方のホロスコープ解釈は“マイナーアスペクト”を取り入れることがなく、“メジャーアスペクト”一本でオーブが広く、“古典的な解釈”の典型であった。つまり形としては“科学的”なのだが、中身が“非科学的”なのだ。アスペクトのオーブを広く取るなら“科学的に厳密なホロスコープ”など意味がない。そういう根本的なことが解っていないように思われた。彼は“欧米の技法”をいち早く取り入れることで、“科学的”だと自負しているのかもしれないが、実際の判断において“科学的”であるかどうかは、合理的な考え方に基づいて判断しているかどうかなのだ。欧米の“新しい技法”だから科学的だと考えるのであれば、その考え方そのものが“非科学的”だと言わざるを得ない。

占いは“科学的”であろうとなかろうと、多くの悩める人たちの“人生上の羅針盤”として、寄与するところがあればそれで良い。個々それぞれ「心のパスワード」があり、それは本人だけが知っている。少なくとも、それは“単なる数字でも記号”でもない。しかも、それは「運命」と深く結びつき、一筋縄では解けない「パスワード」になっている。“心の専門家”でもあり、“運命の専門家”でもある占い師は、解けない「パスワード」と格闘しながら、その人の人生が開けるよう“技術の限り”を尽くしていく。

「不運」-「幸運」=「円周率くらい」が普通

2016-04-19

人間の「運命」を“平等”だと感じられる人は、それほど多くいません。実際、個々に与えられた「運」を客観的に見た時、必ずしも平等とは言えないのが現状です。人一倍努力をしても“評価されない人”もいれば、適当に“遊び暮らしても”人気を集める人もいます。朝から晩まで働いて生活がやっとの人もいれば、毎日数時間しか働かなくても巨富を得られる人もあります。ただ「多くの人達」はそのどちらでもなく“それらの中間”に位置しています。その“中間にある普通の人達”でも、日々の生活の中で「幸運」を得る確率というのはそんなに多くありません。確率的に言えば「不運」なことの方がはるかに多いのです。その比率は、大体「不運」-「幸運」=「円周率(3.14…)」くらいです。つまり、10回のチャレンジで7回は失敗し、3回強くらいの確率でチャンスを掴む…大体その程度の割合だということです。野球の打者が“3割前後の打率”でも、プロとして活躍できるのと同じくらいです。人生でも、大体その程度の確率で“チャンスは廻って来る”のです。残念ながら“5割の打者”などいないのです。つまり「普通の運勢」なら“上手くいくこと”よりも“失敗すること”の方が多いのです。ただ時として「幸運」が続くこともあれば「不運」が続くこともあります。そういう時に、人は“勘違いしてしまう”のです。自分の場合は「何でも思うようになる」とか、自分には「一生、チャンスなどやってこない」という風に…。

生命体「地球」としての“亀裂”

2016-04-18

地震予知の一つとして、昔から伝えられているものに「地震雲」の存在がある。今回の熊本地震でも14日に撮影されたと思われる「地震雲」が、何枚かネット上で投稿されている。通常の雲とは違って、上空一直線に“亀裂が走ってでもいるかのような”形状に出現するのが「地震雲」だ。したがって、これは明らかに“地震を予告する雲”なのだが、その地域の上空にしか出ないことと、大地震の直前(早ければ3日前、遅ければ数時間前)でなければ出ないこと、実際に上空を観察していないと見逃しやすいこと、必ず出るという保証もないところから、公式には採用されることなく現在に至っている。けれども、学術的な“地震予知の専門家たち”が束になっても、何億という国家予算を投じても、今のとこと科学的予知が不可能に近い現状を見ると「地震雲」の研究に国家予算を投じるべきと思うのは、私だけなのであろうか。私は若い頃、ホロスコープから“予知が出来ないものか”といろいろデータを集めたが、残念ながら確かな手ごたえを見いだせなかった。実は2003年以降、急速にM6以上の大地震が増えている。世界的に見ると年間25回以上もある。今年は特に多い。日本時間の時系列で並べると2016年4月10日午後7時にアフガニスタン北東部M6.6の地震、4月13日午後11時にミャンマー中部M6.9の地震、4月14日にインドネシアのバヌアツM6.5の地震、4月14日午後9時に日本の熊本M6.5の地震、続く15日にM6.4、16日にM7.3と続く。さらに4月17日午前8時に南米エクアドルM7.8の地震…これら一連の地震の連鎖は何を物語るのか。無言で消えていく「地震雲」は何を予告しているのか。

瞬時の機転が運命を分ける

2016-04-17

熊本地震で南阿蘇村の学生アパートでは、同じアパート棟内の住人でも“救われた人”と“犠牲となった人”とがいる。“救われた人”の共通点は本能的に「隙間に潜りこんだ」人たちで、間一髪のところで“命拾い”して救助されている。“瞬時の判断”、或いは“瞬時の機転”が「生」を勝ち取ったのだ。「あきらめない」気持ちも大切で、必死に声を出したが届かず、救助隊から「生きている人がいたなら壁を叩いてください」という声が聞こえ、夢中で壁を叩いて救出された人もいる。これは“非常時における救出”だが、通常の人生における“危機の状態”でも基本は同様で、大声で“助けを求め続けて”いれば、必ず誰かが気付き“救出の手”を差し伸べてくれるものだ。自分の切迫した状況を“恥ずかしいこと”のように思ってひた隠しにするとか、簡単にあきらめ“投げ出してしまう”とか、自分だけでなんとかしようと“底なし沼でもがき続ける”とか、窮地からの“脱出法”を間違えて、人生の斜面を転がり落ちていくケースは多い。「運命」は確かに“理不尽”だが、それでも最後の最後には“神からの命綱”を用意し、決してあきらめることがなければ「奇跡」が待っていることを教えようとしている。

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