12月, 2016年

波木星龍の公的な「予言の的中率」

2016-12-19

占い師の評価というのは、必ずしも“的中率”にあるわけではないが、そうは言っても“どの程度的中しているのか”は、その評価の重要なポイントであるには違いない。よく“口コミ”と言われる“やらせっぽいサイト”などで、さまざまなことが語られたりするが、客観的評価という点からはあまり信用できるものではない。一番信用できるのは「公的な予言」がどれだけ的中しているかである。半年以上も前に記述・印刷された「予言」は、そういう点で不正が出来ない。私が八幡書店から2015年11月に出版した『神占開運暦』には、今年【2016年・日本の運勢】を記述しているページがある。それも「ホロスコープ」による予測記述、「干支・九星」による予測記述、「周易占」による予測記述、「タロット」による予測記述と、四つの占いを通して[政治・経済][社会・事件][芸能・スポーツ][自然・災害]の各部門に分けて、8ページにもわたって掲載している。もちろん、すべて私自身が2015年春に判断・記述したもので、誰の助けも借りてはいない。つまり「波木星龍」という占い師の“的中率”を知るにはもってこいの資料なのだ。ただ8ページにわたって記述しているので、その全文を載せても意味がない。ここでは“的中している予言”を抜粋して紹介していこう。大体、こういう検証作業は本来なら第三者がやるべきであるが、やってくださる方もいないようなので、本人自ら行うことにする。「ホロスコープ」による総括記述では《ゲームやエンターテイメントを表す第5ハウスを木星が通過していくのは、国民の多くが「華やかなもの・楽しいもの」を求めがちな傾向を表しています》と記述、今年大流行した「ポケモンGO」の大ヒットを暗示している記述だ。また《国としても「パートナー択び」が重要な年で、他国との連帯や交渉に難しい舵取りが要求され、同盟国との間でギクシャクしやすい状態》と予見している。確かに、今年はアメリカや韓国との関係がギクシャクし続けた。G7との連帯でも、日本は微妙な立場に立たされた。[政治・経済]では《新たな国や地域と友好関係を結ぶのにふさわしい時》と記述され、実際、インドやミャンマーやロシアなど、これまでとは異なる国や地域との“新たな関係”も始まった。[社会・事件]では《リゾート施設計画や将来のカジノ構想に対して世間の関心度が強まりそう》という記述があり、まさに「カジノ法案通過」を暗示している。また《インターネットがらみの男女殺傷事件》の発生を予告しているが、ネットの書き込みに起因したアイドル歌手の殺傷事件が起こり、瀕死の重傷を負った。[自然・災害]では《自然界の脅威は日本ではそれほど大惨事とはなりませんが、海外では各地で猛威を振るう年》となっているが、確かに海外の各地で大地震や大洪水が発生していた。もちろん、日本でも熊本地震はあったが《地震の人的被害はそれほど心配ないのですが、重要な建造物の崩壊に注意が必要》と記述してある。文字通り「熊本城の崩壊」である。さらに《大型漁船やタンカーの座礁・沈没・火災も要注意》で実際に起こっている。

本当は四つの占い全部の結果を「ホロスコープ」と同じように記述していこうと思ったが、あまりにも長くなりすぎるので興味深い予言だけをランダムに記述していこう。《政党の中に、解党してしまう党が出て来ることでしょう》は「民主党」も無くなったし「生活の党」も無くなった。《芸能人やスポーツ選手の薬物汚染も次々と摘発されます》これに関しては説明が要らないだろう。《有名人同士の国際的なカップル誕生や国際結婚が世界的にも注目を集めます》卓球の福原愛さんが台湾の選手と国際結婚し、現在はドイツで生活しているらしい。サッカー・長友氏と女優・平愛梨さんの結婚も国際的なカップルだ。《大物芸能人の独立問題が暗礁に乗り上げるとか、訴訟に持ち込まれるとかします》の記述は、SMAPの独立問題がその通りの展開となっている。《北国では大雪による飛行機やJRの欠航・運休が相次ぐようになります》12月初旬の大雪で「モーニング娘。」の北海道公演は中止になった。《海外旅行中に行方不明となってしまう日本人が出て来る》カナダに短期留学中の日本人女性は行方不明のままである。これらは「干支・九星」による。《政府方針の見直しとか、重要法案の見直しとか…何らかの形で再出発が必要》これは、消費税10%開始の時期が見直されたことを意味する。TPP法案にも見直しが入った。《物価はインフレ目標に遠く及ばず、中々上向いてくれません》これは説明の必要性がない。《元スポーツ女子選手の妊娠・出産》は、元女子サッカーの澤穂希選手の妊娠がある。《住宅地付近での大きな陥没事故や地下作業中のアクシデント》は、博多駅前での大きな陥没事故がすぐ思い出される。その付近で地下作業を行っていたことが背景としてある。これらは「周易占」による。《第10ハウスに「女帝」が出ていて、華やかな女性政治家、及び女性実業家に世間の注目が集まりそうです》日本だけでなく、世界的に“女性政治家”に注目が集まった。日本では都知事に小池百合子氏が登場した。《新たな金融商品、融資方法、金融機関の誕生が考えられます》は「マイナス金利」という新たな制度ができ、それに伴う形での“融資方法”が誕生しつつある。ローソンも銀行業を開始するという。《映画はシリアスなものより娯楽大作やアニメ作品、恋愛ストーリーに人気が集中》映画では、アニメ作品で恋愛ものである「君の名は。」が大ヒット。シリアスな作品はヒットしていない。《夏場に日本を襲ってくる台風は地域的集中豪雨で河川の氾濫をもたらす》東北や北海道の一部で河川が氾濫し、未だ復旧のめどが立たない地域もある。《火山噴火にも注意は必要で、特に九州方面の活火山にその可能性があります》これも、説明不要な事実だ。なぜか噴火したのは九州各地の火山に限られていた。これらは「タロット」による。

さて、どうだろう。大まかなものだけ取り上げたのだが、かなりの的中率と言えるだろう。もちろん断っておくが、当たらなかった予言も多数存在している。大まかな確率でいえば70%くらいの的中率だろうか。当然である。私は“占い師”であって“神様”ではない。ここでは『神占開運暦』の中の予言だけを取り上げたが、実際には、それ以外にも種々な形で「公的予言」を行っている。例えば『クオリティ』という雑誌上でも正月に“年間の出来事”について占っている。その中で例えば雑誌側からの「衆参ダブル選挙はありますか」という問いに対して、私は「状況的にはあってもおかしくないが、占い上では、それはない」と否定し、それがそのままの内容で文字化されている。実際、その通りとなった。また私のブログ「この一言で救われる」においても、毎回、話題の人々などを取り上げ、種々の予言を行っている。これらに関しては、実際に確かめていただくしかない。報道が出てすぐに占っているケースが多く“旬な内容”のものばかりである。ざっくり言って、70~80%の的中率だと思う。かなり具体的な内容の占いが多いので、占いの研究者には勉強にもなるはずだ。とにかく、波木星龍の実占上の的中率を知りたければ、一つ一つブログで確かめてみると良い。

1円=40円、1000円=4600円の謎

2016-12-19

上記の数字が何だかお分かりだろうか? 日本を代表する数値の“今年一年”である。正確に言えば“一年間における変化の数値”なのである。前の方が“ドル円相場の変化”であり、後ろの方が“日経平均の変化”数値である。ところが、このように明かされたとしても、多くの人達には何だか解からないことだろう。実は「1円=40円」とは、年初の時のドル円と現在のドル円とでは“約1円の違い”であること、けれども年間に動いたドル円の“変動数値は40円”であることを表している。どういうことかというと、年初の時には「1ドル=120円」だったものが、途中では「1ドル=100円」まで高騰し、現在はまた一時「1ドル=119円」まで下落し、結局、年初から見れば“1円”しか違っていないのだが、年間で見ると上下に“約40円も動いた”年だったということを表している。同じように「1000円=4600円」というのは、年初の時と現在の“日経平均”では“約1000円の違い”なのだが、年間に動いた日経平均の“変動幅は葯4600円”であることを表している。つまり年初の時には「日経平均18450円」だったものが、途中では「14864円」まで下落し、現在は年初来高値の「一時19439円」まで上昇して、年初から見れば約1000円、年間で見ると上下に“約4600円も動いた”年だったことを表している。ということで、年初と年末に近い今とを数値だけで比較すると“あまり動いていない”のだが、その中身は“ドル円で40円”、“日経平均で4600円”も上下に動いた“経済変動の激しい一年”だったということになる。ところが“実体経済”においては、年初と年末で“ほとんど何も変わっていない”というのが大方の人達の実感ではないだろうか。奇妙なことに、世界の経済は「目まぐるしく動いている」のだが、われわれには哀しいかな何一つそれが反映されていない、と多くの人は思うことだろう。けれども、これだけ大きく“相場が動いた”ということいは、それによって八割方の人達は“相場に泣かされた”ということで、激しく泣いている人たちを見たなら「君だけじゃないんだよ」と慰めてあげよう。

中国語やタイ語があふれる街

2016-12-18

年末が近づくと、どこのデパートも大賑わいである。土・日には、エレベーターが“すし詰め状態”になる。特別なことではない。けれども最近気づくのは外国人比率の高いことだ。エレベーター内部で交わされる言葉が日本語ではない。そこで初めて周囲の人たちが日本人ではなかったと気付く。中国語やタイ語、それに韓国人のハングル(朝鮮語)も多い。彼らは、よく見ると外人だと気づくが、間近で顔を視なければ、或いは言葉を聞かなければ、他の国から来ている人々だとは気付かない。それくらい自然にエレベーターへと乗り込んでくる。夏場はともかく、冬場の場合、札幌へ来てから購入した防寒着を着ている場合も多く、服装では見分けがつかない。多分、暖かい地域から来ている人たちの場合、冬場の札幌の街中を長時間歩くのは厳しいので地下道に入り、デパートを目指すことが多くなるのだろう。日本人でも、沖縄から来ている人たちなら同様なルートを辿るに違いない。格安航空が就航するようになって、タイやマレーシアやシンガポールからの訪日客も多くなった。札幌の場合、外国人が見て回るような場所はだいたい決まっている。寒い屋外を長時間歩くのは、慣れているわれわれでも大変なのだ。東南アジアの人々にとっては、地下道や地下街がなければ、とても長時間は楽しめないだろう。ただ札幌の場合は、最近どの駅や地下歩道やデパートでも、日本語表示だけでなく、中国語、韓国語、タイ語、英語の四か国語が併記されつつある。なかなか親切な国だ。トイレの中にまで併記してある。つまり、外国人にとって迷うことなく買い物が出来るのがデパートの強みなのだ。中には外国人富裕層向けに店舗内の一角を改装しているデパートも多い。ところが、富裕層を狙って改装したとたんに“爆買い”が無くなった。人民元が安くなり、土産物に関税が掛けられるよう変わって、日本から買って帰る意味がなくなったのだ。それにしても、まるで日本に暮らしているような雰囲気の観光客を見るたび、われわれは海外に行って、こういう風に自然に振舞えているだろうかと思う。先日は、レストランでわれわれの方が外国人に間違えられたのだが…。

「ロシア」の次は「北朝鮮」

2016-12-17

多くのマスコミは今回の“日露首脳会談”の成果について懐疑的である。けれども私に言わせれば、これが精いっぱいの“妥協点”で、これ以上を望むのは酷なのだ。安倍首相もプーチン大統領も“一国”を背負っている。その背後には“国民の想い”というものがあり、現状における“関係者たち”がいる。それらを総合して考えれば、今回の“共同宣言”がギリギリの着地点なのだ。今回の妥協点が重要なのは、次に「平和条約の締結」を意図しての協力関係だという点である。解かりやすく言うと、経済協力の関係が続けば“戦争はしない”という約束である。トランプ政権に“切り替わる”上で、この部分はとても重要なのだ。なぜなら、トランプ政権は日本に対して「どうしてアメリカだけが守ってやらなければいけないのか」と言っているからだ。万一、この言葉通りに変わっていけば、日本とロシアの「平和条約」は必要不可欠なものとなる。それも「今」必要な“約束”だったのだ。実はもう一つ“必要な国”がある。それが「北朝鮮」だ。北朝鮮は、今のところ標的は「韓国」と「アメリカ」で、日本はその次になる。だが、韓国との関係変化、アメリカとの関係変化が今後生じれば、最初の標的となりうる。特にトランプ政権は、北朝鮮・金正恩氏と“交渉のテーブルに着く”可能性を示唆している。したがって、どう関係が変化していくかわからない。韓国も、次期大統領が“北朝鮮寄りの人物”になれば劇的変化の可能性も出て来る。今は“米・韓・日”で一応まとまっているが、崩れていく可能性も見え隠れしているのだ。そこで日本としては、身動きな撮れない「拉致問題」と合わせて“平和条約”を結ぶ方向で“経済協力”を呼びかけるのが得策となる。その場合、とりあえず“返還できる人”を優先させる交渉をすべきだ。そうでもしないと「拉致問題」は冗談じゃなく“埒が明かない”ままとなる。

「一寸先は闇」という“教訓の年”

2016-12-16

今年は著名人が突然“ピンチ”に立って、表舞台から消えていくような出来事が多かった。年始から年末まで、ずっとそうだった。“ピンチに立つ”理由はさまざまだが、マスコミが関与しているケースが多かった。それなりの知名度や収入があって、才能にも恵まれた人達が、あっという間に窮地に陥る。それが今日の“情報化社会”だ。特に日本は国土の面積も狭く、人種や言語も一つで一国としてのまとまりが良い。或る意味、まとまりすぎているので“一つの考え”とか“一つの意見”が優先されると、それ以外の考えや意見は抹殺されやすい環境にある。どの地域でも共通した情報が流れ、どの世代でも職業でも共通した知識を共有している。それ故に、人気を得るとか、支持を得るのも早いのだが、バッシングを受けるのも早い。つまり、いったん「悪」のレッテルを張られるとどこへも逃れようがない。仮に、それが“単なる噂”や“憶測”や“誤解”だったとしても、取り返しがつかない。そういう“怖い国”なのだ。しかも日本人は総じて潔癖なので、一度犯した過ちは簡単に許したりしない。確かに、今年“急に表舞台から消えた”人達の多くは、反省すべきところを持っていた。例えば「舛添要一氏」を振り返ってみよう。確かに彼は「社会的地位は金銭を必要とする」という考え方の持ち主だった。そのこと自体は、彼の“考え方”なので、必ずしも「悪」とは言えない。問題は、税金を“プライベートにも流用した”ことだった。彼の考え方の中に「それなりの仕事をしていれば、多少プライベートで使っても許されるだろう」という“甘さ”があったことだ。この“甘さ”が、今年、突然“ピンチに立った”人達に共通してあった。だが、それは彼らだけなのであろうか。実は多くの人達が、そういう“脇の甘さ”を持っている。ところが今の日本は、この“甘さ”を許すことが難しい国になった。したがって余程緊張感をもって日々を過ごしている人でない限り「一寸先は闇」なのである。著名人でない限りマスコミは騒がないが、身近な人たちがマスコミのように眼を光らせているのだ。

“現代のヒトラー”を支持するフィリピン

2016-12-15

「フィリピン」という国家はアジアでは珍しく、そのほとんどがキリスト教徒である。ところが、そのキリスト教国で“強権政治”を発動しているのが「現代のヒトラー」を自認するドゥテルテ大統領だ。“麻薬撲滅運動”のためなら手段を択ばない。容疑者は“その場で殺して良い”という指示を与えているのだから、欧米の人権団体から問題視されるのも無理はない。ところが、ドゥテルテ氏自身もダバオ市長時代に“容疑者を毎日射殺した”とビジネスマン向けの公演で語り始めた。警官たちに対して「私に出来て君たちに出来ないはずがない」と大型バイクを乗り回し、犯罪多発地域の深夜のケンカを見つけては容疑者たちを容赦なく殺害したという。単に命令を下しただけでなく、自ら銃口を向けていたのだ。その市長時代の手法をそのまま用いているのが、現在の“麻薬撲滅作戦”なのだ。けれども“一つの市”を取り締まるのと“一つの国”を取り締まるのとでは訳が違う。現在、あまりにも取り締まりが強引に過ぎてフィリピンの刑務所はどこも超過密状態にある。司法手続きを踏まない殺害が暗黙の了解を得ている状態となっている。ところが、そういう状態を分かっているのに、国民の大多数がドゥテルテ大統領を支持しているのだ。キリスト教徒たちは何故か“現代のヒトラー”を支持しているのである。ここが解らない。現在、世界は「ポピュリズム(大衆迎合主義)」と呼ばれる指導者たちが支持を集めている。国民の“願望”や“不安”や“恐れ”を利用する政治手法の指導者たちだ。正にドゥテルテ氏のやり方はそれなのだが、それにしても「殺人者」が大統領というのは、やがて“恐れていた事態”が生じなければよいが…と思うばかりである。

2017年版 この占いがすごい!

2016-12-14

古今東西あらゆる占術に通暁され、『江戸JAPAN極秘手相術』『四柱推命の謎と真実』で話題の波木星龍先生によって、新たな「占術大全」が誕生しました。

本書は、東洋系占術、西洋系占術、スピリチュアル系各種占術を網羅した「占術大全」ですが、【2017年版】として刊行し、来年度以降も継続的に楽しめるように工夫をしております。

① 毎年読み続けていける連載方式の「西洋占星術」「タロット占術」「風水」 《わかりやすい教科書》を目指したたため、これまで日本で市販されてきた占星学書やタロット占書や風水学書に比べれば、噛み砕いてわかりやすく書かれてはいますが、より本格的な内容であり、高度な知識をともなっています。連載といっても年に1回ですが、内容的には1回ごと完結し、基礎から実占、奥伝まで公開していく予定です。

② 《占いのエッセンス》をコンパクトにまとめた「神聖開運占術 秘伝入門」 東洋系占術、西洋系占術、スピリチュアル系各種占術を網羅し、年間の運気のみならず、さまざまな角度から「先天運」や「目的別運勢」を占断する各種占術の要訣が述べられています。その中には秘伝的あるいは口伝的内容までが含まれ、高度な「占術入門書」として、既存の他社類似本をあらゆる意味で超越したものとなっています。 ざっと内容を掲載しますと、密教宿曜占星術・気血色人相術・風水家相術・四柱推命術・擲銭易占法・墨色判断法・測字判断法・古代エジプト占星術・幾何学手相術・ルーン占法・ヒエログリフ姓名判断・トランプ占い・予知夢占い・聖霊水浄化・聖石三合法・聖視オーラやクンダリーニの開運術など、よくぞこれほどのボリュームのものを投入した、といえる豪華なものになっております。

③【付録】2017年神聖開運暦 2017年の開運暦を太陽暦、太陰暦、九星暦、干支暦はもちろん、結婚や法事に用いる六曜暦、密教系の27宿曜暦、西洋星座区分としての12星座暦、各惑星の星座移動を記す惑星暦、数字と各守護神が組み合わされたマヤ暦を統合的に表示し、その読み方と活用法を詳説し、各人の運勢に関しても生まれ年から1年間の運勢が読み取れるという画期的な内容になっています。

以上の三本立てで、初心者からプロの方まで必ずご満足頂ける充実した内容となっています。

“いのち”を注がれた音楽

2016-12-14

時代が進んでも人々が求める「心の安らぎとしての音楽」は共通している。そのことを痛感させるニュースが二つあった。その一つはイギリスからのもので、今や“レコード売り上げ”の方が、デジタルの“ダウンロード売り上げ”よりも上回っているのだそうだ。一時期、姿を消したかに見えた“レコード”だが、十年ほど前から再び世界的に需要が増えていて日本でも“懐かしいレコード”を買い求める人たちが多くなっている。マニアックな人たちによると、レコードがもっとも音質が良いらしい。そのせいなのかCDの売り上げの方は年々下降している。そういう中で、今年のアメリカのCD売り上げでは何んとクラッシックの『モーツアルト225』というボックスセットが合計125万枚でトップとなった。現代のアーティストは、誰一人敵わなかったのだ。このアメリカとイギリスの“二つのニュース”は、われわれが本当に求めている「音楽」とは何なのかを世界に問いかけている。少なくとも、心の安らぎとして求められる音楽は、心地よい音源を持った“古典的な楽曲”であるということだ。決してスピーディーな音楽でも、IT的な楽器でもない。あっという間に“生れて去っていく”音楽ではなく、“重厚な命”を注ぎ込まれた音楽が奏でる、どこか懐かしい音色を持った“癒される曲”なのだ。しかも、それは“世界中の人々が”求めている。或る意味で音楽の世界には“古典回帰”ともいうべき波が押し寄せてきているのかもしれない。私は十代半ばの一時期“ひきこもり”となったが、その時に毎日聴いていたのは“クラッシックの名曲”と“映画音楽”だった。今でも、あの時に好きになったラフマニノフ“ピアノ協奏曲”や“いそしぎ”が大好きだが、日頃あまり音楽など聴かない人であっても、心の隙間に心地よく流れ込んでくる曲というのはある。創られた音楽ではなく、いのちを注がれた音楽だ。

遺作となった「どかんたれ」の教え

2016-12-13

たまたま黒岩重吾著『どかんたれ人生塾』という死後に発刊された雑誌連載の“人生相談回答集”を読んだ。死後に出ているから遺作だと思うが、小説ではないので本当の意味での「遺作」と呼べるのかどうかは分からない。多分79歳で亡くなった彼の前年に連載されていた“若者向けの人生塾”Q&Aをまとめたものだ。したがって、著者晩年の自宅における写真が多数掲載されている。それ自体、この作家にしては珍しい。私は若い頃、黒岩重吾という作家に憧れていた。まだ二十代前半の頃「彼のように生きたい」と思っていたのだ。当時の黒岩重吾は“社会派推理作家”という肩書で、松本清張や水上勉と並んで“社会派”ブームのけん引役であった。私は“人間観察”という点では松本清張にかなう作家はいないと思うが、そして“秀麗な文章”という点では水上勉が抜きんでていると思うが、その“泥臭い生き方”という点で黒岩重吾が好きだったのだ。それに、もう一つ、黒岩重吾は原因不明の病で“寝たきりの生活”を二年ほど送っているが、その間に「トランプ占い」を習得し、奇跡的に病が回復して後、実際に“トランプ占い師”として生活していた一時期がある。そういう点でも、何かしら親近感があった。彼の場合、“社会派推理作家”としてデビューしたが、その後“通俗作家”的な作品を多数書くようになり、やがて“古代史に基づく小説”へと転換していくようになる。そして時々、特異な人生経験を基にしたエッセイ集も出した。私が最初に読んだのも、書名は忘れたが、そういうエッセイ集であった。つまり、どん底の気分でいた時、彼の書いたものを読み、その“活火山のような情熱”に打たれたのだ。“寝たきりの生活”の中でも、必死に前を向き、這い上がろうとする人たちがいる。それに比べて“自分はなんて甘いんだろう”と反省したのだ。だから、彼は私の中では「恩人」なのだ。久しぶりに、彼の本を読み、それも亡くなる前年の“人生塾”をよみ、肩を叩かれたような妙な気分だ。

「年賀状」にあふれるデザインセンス

2016-12-12

この時期になると、そろそろ年賀状を書かなければ…といつも思う。思うのだが、実行はしない。そのうち…と思いながらギリギリになっていく。正確にいうと「年賀状」そのものは既に印刷されていて出来上がっている。書かなければならないのは“宛名”とか、余白の一言とかだ。だから、実際にはそれほど難しいこともなく、TVを見ながら少しづつ書けば良さそうなものだが、これが難しい。私の場合、元々“年賀状デザイン”には“自分らしさ”が出るよう一般の方が使用しないようなデザインを採用する。今年の場合は、黒塗りのバックを背景に和風の印象が強いデザインを選んだ。小さく「迎春」としか記されていない。挨拶の言葉も、既存のものでなく毎年「自分の言葉に差し替えたもの」を使用している。したがって、完全なオリジナルの“年賀状”となる。そうでなければ、出す意味などない。私は「年賀状」に個々のデザインセンスが無意識の上で反映されると思っている。本来であれば、だから最初の原画から自分で描くのが本当は良いのだ。日本で「年賀状」のやり取りが始まったのは、なんと平安時代にまでさかのぼる。貴族や公家たちが遠方には「年始回り」が出来ないので“書をしたためて行った”のが始まりらしい。その後、武家社会になって近隣でも“文書による年賀状”が流行し、明治維新まではその形式が続いた。「郵便はがき」が誕生したことで、年賀状はいつの間にか“はがきによる年賀状”へと変わったのだ。ちなみに「喪中」で年賀を欠礼するのは、本当は“天皇崩御の年”に限られていたらしい。考えてみれば、その方が合理的である。そういうわけで厳密にいえば“喪中の年”だが、私は気にすることなく「おめでとう」という文言のない年賀状を書く。

雪の降る街を…雪の降る街を…

2016-12-11

♪想い出だけが通り過ぎていく♪ そういう感じに雪が降りまして、わが札幌市内は「白い街」に変わったのです。1日で65㎝とか…中々なものです。そうすると、どうなるかと言いますと、航空機や電車がストップするのです。だからひたすら家の中で“子猫のように”コタツで丸くなるのです。もっとも、我が家にはコタツがないので、ソファの上になります。北国の人達は、こうして“忍従”という精神を学ぶことになります。「忍従」って、知ってます? まあ字面の通りです。昔の“ヤマトナデシコ七変化”は、そういうものだったらしいと聴いております。ちなみに、それが反映されたのが「富士額」という女性特有の額の生え際です。現代では少なくなりました。富士額の女性は基本的に“忍従”の精神が培われているのです。江戸時代、多くの女性たちは、実際に富士額をしていました。だから着物に“日本髪”の髪型が似合ったのです。女性でも「角額」や「丸額」が多くなった昨今の女性たちは“日本髪”の結い方がしっくりこなくなってしまいました。逆に、武士の額は生え際の“抜け上がり”がないと“髷”が似合わないものです。つまり江戸時代の髪型というのは、そういう意味で合理的だったのです。ちなみに、その名残をとどめているのが、相撲力士の髪型です。大昔、当時、関脇だった力道山は自ら“髷”を切って廃業しました。よく「髪は女の命」などと言いますが、実は「力士の命」であり「武士の命」でもあったのです。したがって、髪の長い日本人男性は簡単に髪を切ったりしてはいけないのです。実際、髪を切った力道山は路頭に迷い、不遇な日々を過ごしました。けれどもプロレスという“格闘技”と出逢って、命が甦るのです。朝鮮人でありながら「日本のヒーロー」となるのです。その“付き人”であった「アントニオ猪木」が“北朝鮮”に肩入れするのは、“力道山の霊?”がそうさせているのかもしれません。

日本社会における「セクシャリティな部分」

2016-12-10

薬物疑惑報道で一人の俳優が芸能界を去った。その自筆コメントには「人には絶対知られたくないセクシャリティな部分」という表現が出て来る。なかなか“意味深な表現”である。そして日本の社会において、まだまだそれは“絶対知られたくない部分”なのだということを改めて感じさせる。正直、私は彼が実際にどのようなセクシャリティなのか知らないが、世の中に彼のような“秘密”を抱えて生きている人物が山ほどいることは知っている。私自身だって、そういう点ではとても恥ずかしくて“普通じゃない方が好い”なんて言えない。だが、人間、どこかに“アブノーマルな部分”は持っていて、それが“人それぞれなだけ”であるような気もする。ただ、その“アブノーマルな嗜好”も、年齢によって徐々に変わっていくような気がするから不思議である。例えば小学生の頃、私は“年上の官能的な女性”に憧れを抱いた。年上と言っても、自分がまだ10歳前後の時に“30歳くらいの妖艶な女性”に憧れたのだから、今考えると、どうかしている。友達の家に行ったときに出てきた女性だが、シースルーのネグリジェを着ていたのだ。あれは友達の叔母さんとして紹介されたような気もするが、“あらぬところ”ばかりに目が行って、それどころではなかった。もう一人、12歳の頃、引っ越し先で大家さんの令嬢に出くわした時にも、一瞬で悩殺された。“濃厚な香水の香り”に、私の幼いセクシャリティが嫌というほど刺激を受けたのだ。しかも、その女性は洗濯機の籠に無造作に脱ぎたてのショーツを放り投げていた。その“汚れだらけのショーツ”が12歳の私には宝石のように見えた。だから、どうしても欲しくて、私は“それを盗んだ”のだ。今考えると、よくもまあ…と我ながらあきれるが、その時は“夢心地”であった。“激しい汚れ”そのものが“天使”のように思えたのだから終わっている。う~ん、やっぱり“セクシャリティ”は守ってあげないと…。

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