6月, 2017年

ズレて的中した田中将大投手への予言

2017-06-08

私は4月5日「“土星リターン”の試練を乗り切れるか」という形で、大リーグのヤンキース・田中将大投手の“試練”について書いた。あの時、まだ彼は開幕投手を終えたばかりだった。その時点で、私は彼の“不調”の原因が占星学上「土星リターン」と呼ばれる特異な現象にあることを指摘した。つまり、本人が出生した時の土星位置に、トランジット(移動中)の土星が戻ってきたとき、その現象は起こる。人生上の“試練”ともいうべきものにぶち当たるのだ。それは大体、29歳~30歳の付近で最初に起こる。もちろん、出生時の惑星配置によって、それが強く出る人もいれば、出ない人もいる。彼は、それが強く出た。丁度重なり始めた時に「開幕時期」が来たのが不運だった。最悪期は5月半ばまでで、一応それ以降は徐々に影響が薄らいでいく、というのが惑星だけからの見通しだ。それで私は、彼は今年“試練の年”となり、少なくとも5月半ばまでは勝利できないだろうと記した。ところが、彼は意外にも、4月下旬からは勝利し始めた。おや、もはや試練を脱したのかな、と私も思った。少し早いなと感じながら…。けれども、土星リターンの試練は、それほど生易しいものではなかった。5月上旬に入って再び勝てなくなり、それどころか“滅多打ち”と言って良いような状況へと変化し始めた。惑星の“作用時期”というものは、必ずしも厳格に施行されるものではない。日本人は“時間のずれ”を嫌うが、惑星予告としての現象は必ずしも“ピッタリ同時”とはいかない場合も多い。これは数多くの実例を見て間違いのないところで、時に数週間から数か月ズレることさえもある。もちろん、ピッタリその時期を外さないこともある。田中将大氏の場合、夏場になれば、出生時の天王星とトランジットの天王星とが120度アスペクトとなるので、その時が来れば“転機”を迎える。もし、それが良い形で作用すれば、投げ方や球種を変えるなど何かを大きく変えることで「蘇った田中」と称賛されるはずだ。けれども、もしかしたら「一軍リストから抹消」という報道が駆け巡るかもしれない。そこことを私は4月5日の時点で警告していたのだ。

フィリピンの保険金殺人?の謎

2017-06-07

フィリピンに行った二人の日本人が“行方不明”となり、逮捕されたフィリピン人容疑者たちによると、日本人に指示され銃で殺害し、死体を海に流した、と供述しているらしい。その首謀者とされる日本人、さらに実行犯とされる男が出頭し、事件が大詰めを迎えつつある。但し、首謀者とされる日本人男性は、二人の日本人男性をフィリピンまで呼んで面接したのは認めたが、5月30日に別れて、その後の関与は一切なく、私は何も知らないと取材に答えている。警察は二人合わせて「2億円の保険金殺人」として捜査を進めているが、長濱容疑者に言わせると、レストランビジネスの店舗運営を任せる人材が欲しくてインターネットで募集したところ、その二人が応募してきたのだという。それで現地に来てもらうにあたって高額の保険にも入ってもらった。海外なので万一のことを考え、いつも行っていることであるという。もし、彼の言うことが真実なら、いつものように旅行保険としての「傷害保険」に入れておいただけ…ということになる。ただ彼の現地通訳や実行犯などが一致して“長濱容疑者”が仕組んだ保険金殺人だと主張しているらしい。フィリピンは何度か行ったが、闇に包まれた部分のある所で、物事の表面だけ見ていては“把握できない国”だというのが私の印象である。この事件の場合、二つの大きな“謎”がある。その一つは、元々インターネットで応募してきた二人は他人同士のはずである。そうだとしたなら、普通、面接の後で“二人だけでの島巡り”は行わない。明らかにおかしい。もし、可能性があるとすれば容疑者がプレゼント的な意味合いから“島巡り”を提案した形である。但し容疑者自身は、その後の行動は把握していないと供述している。仮に長濱容疑者が殺人を計画したとして、どうしてすぐ“自分が疑われる”ような計画を立てたのかである。インターネットでの募集で“現地面接”の形であれば、当然、その後に行方不明や殺害となれば、募集した側が疑われる。面接目的のためだけにフィリピンに来ているのだ。そんな“ずさんな殺人計画”を日本人が企てるだろうか。さらに実行犯が自ら出頭したというのも、何となく腑に落ちない。単純な「保険金殺人」か、もう一つの「闇」が潜んでいるのか、フィリピンの“裏社会”には近づかない方が良い。

たくさんの「お宝」が眠る国

2017-06-06

あまり大きなニュースとなっていないが、6月5日、日本の海洋研究開発機構は房総半島の沖350キロの海底から「一つのお宝」を引き上げた。これは、もちろん“一つのサンプル”として引き上げたもので、詳細な確認・研究はこれからなのだが、希少金属であるコバルトなどを豊富に含む資源の断片で、専門的には「コバルト・リッチ・クラスト」と呼ばれる。コバルトは工業製品に使用される高価で貴重な資源なのだ。深海3200メートルの地点から引き上げられた“お宝”は厚さ13センチもあって、これは稀な厚さらしい。この“お宝”の広がりは東京23区の1.5倍の領域というから、広大な資源が日本の領土内に眠っているということになる。なにしろ“海を合わせて測る”日本の領土は広い。世界第6位なのだ。だから“日本の国土”は狭いのだが、“日本の領土”は意外なほど広いのだ。そして、その海底には“お宝”が山ほど埋まっているのだ。だから、今から百年後、多分、もう誰も生きていないだろうが、その頃になると日本は“大金持ちの国”になっているかもしれない。われわれは少し生まれるのが早すぎたのだ。海底油田は1000億バレル(700兆円分)もあるらしいし、“燃える水”とも呼ばれる「メタンハイドレート」は100年分も眠っている。まだまだ調査によっては“お宝”が今後続々と発見されてくる可能性もある。かつてマルコポーロは、日本のことを「黄金の国ジパング」と表現したが、もしかして「22世紀の日本」を予見していたのかもしれない。何しろ、日本の建物はすべて黄金で作られている…などと述べていたのだから。

 

どうすれば“イスラム過激派テロ”を無くせるか

2017-06-05

またしてもイギリスでテロ事件が起きた。今年3月下旬にロンドンの議事堂に近いウエストミンスター橋で車両と刃物による攻撃で60人近くが死傷した。続いて5月22日にはマンチェスターのコンサート会場で爆弾攻撃で140人近くが死傷した。そして6月3日、今度はロンドン橋とバラマーケット付近で車両と刃物による攻撃で55人が死傷した。すべてイスラム過激思想の持ち主たちによる“無差別テロ攻撃”である。今回の場合、通報を受けて8分以内に容疑者3人はロンドン警察により射殺されている。あまりにも短期間に、多数の死傷者を出すテロ事件が、大勢人が集まる都会のど真ん中を狙って繰り返されている。元々6年間、テロ事件を扱う部門の責任者だったメイ首相は、今回も事件後ただちに“イスラム過激主義者たちの監視を強化する”と宣言した。その監視対象者は2万人以上とも言われる。それにしても、どうして“イスラム原理主義=イスラム過激主義”では、このようなテロを容認するのであろうか。今回の犯人も「アラーの神のため」と叫んで通行人を滅多刺しにしていたという。日本人には理解しにくい信仰・思想である。実は、彼らは“民族の勝利”というものを第一に掲げる信仰形態を持っている。“民族の勝利”が先で、“自分の勝利=自分の幸福”は後なのだ。なぜなのかというと“神に帰依している”からである。解かりやすく言うと、アラブの民族こそ自分たちの“信仰の源”であり、そこには当然“アラブの神”が居る。その“アラブの神”に帰依しているのが自分たちなのだ。「帰依する」とは、神と一体になることであり、神が“悦ぶこと”或いは“望むこと”を行うことである。したがって、アラブの神が最も望んでいるのは“他民族の神に負けない”ことであり、特に偶像崇拝する民族に“勝利する”ことである。自分たちは“神に帰依している”のだから、神と“一体になって”勝利を勝ち取らねばならない。神と一体になることが出来れば、民族・同胞・子孫が幸福になることが出来るだけでなく、自分自身も“神と同様”に血族・子孫から称えられる。そして、死後世界でも「天国」へと召される。この方程式に対して、それを“完全否定”して、改めさせられるのは“穏健派のイスラム教徒”たち以外にはない。本当にテロを無くそうと思うのであれば、アラブ民族でもなく、それでいて国民の大部分がイスラム教徒の国々が一体となって真摯に取り組まなければ解決できない問題なのだ。

天皇家に生まれなくて良かった!

2017-06-04

6月2日[退位特別法案]が衆院を通過した。天皇陛下が実際には十年も前から切望していた「譲位」が、これでやっと形になりそうである。本当は「生前退位」ではなく「譲位」なのだが、とにかく十年も前から「譲る形」を取りたかった天皇陛下としては、これでやっと責務が果たせたと思っていることだろう。「譲位」という形を取ることで、今後も天皇家は存続できる。万一、高齢のまま「天皇」を継続し、認知症的な状態のまま“各種書類にサイン”させられ、万が一、皇室が存続できなくなったら「譲位」を求めなかった自分の過失責任になる。早めに「天皇」を変えていくことで、古代から伝わる各種神事も正しく継承していくことが出来る。“象徴天皇”として国内や海外をくまなく巡ることもできる。高齢になってから、毎日のスケジュールをこなすのは体力的にも限界なのだ。天皇を囲む懇談会のような席で「譲位」の意向を何度言ってもらちが明かないから、昨年、国民に向けての“TV放映”という形で訴えた。実際、天皇家に生れることは、その出生の時点で“逃れられない十字架”を背負うことで、好き勝手な人生を歩むことは出来ない。「憲法で縛られた人生」となるのだ。私は幼い3~4歳の頃「天皇陛下になりたい」とバカなことを言って周囲を戸惑わせたらしい。今では天皇家に生まれなくて良かったと心底思うが、何より天皇と同じ82歳まで仕事をし続けるなんて“ご勘弁を…”という心境である。まあ、あと十年余りは仕事が出来るかもしれないが、それから先までも働いていかなければならないのは、ちょっと辛い。第一、頭脳も体力も気力もへなへなになっている。今でさえ、やっとなのだから…そうだ、誰かに「波木星龍」を譲ろう、誰か10億円くらいで買ってくれないだろうか…何?、10円でも買わない。そうか、その判断は正しい。

途中までは、どこかで聞いた話?

2017-06-03

一人の女性教師がいた。彼女は小学校教師だった。サモア人の両親を持つ12歳の生徒と出逢ったのは34歳の時、その時、彼女には夫と、既に4人の子供がいた。それでも彼女ルトーノー女教師は、12歳のファラアウ君に対して“特別な好意”を寄せた。22歳も年下の少年を“自分のモノ”とせずにはいられなかった。こうして“二人の関係”が始まった。やがてファラアウ君がルトーノーさんに宛てたラブレターを、彼女の夫が発見する。夫は激怒し「児童に対する強姦罪」で妻を告発した。ちなみに漢字の「強姦」は「女」という文字が三つ重なり、その対象が“女性に限定される文字”となっている。つまり、女性の方から“男性を強姦する”など考えられなかったのだ。こうして彼女は逮捕されたが、すでに妊娠していて、結局、収監される直前、ファラアウ君の子を出産した。そこで裁判所は、ファラアウ君とは“もう逢わない”ことを条件として、強姦罪を減刑し、仮釈放の身となった。ところが、愛に燃える二人は、我慢できずに逢ってしまい車の中で“密かなsex”を愉しんでいるところを御用となった。当然、再び彼女は逮捕され、今度こそ7年の長きにわたって刑務所に収監された。ルトーノーさんが出所後、彼女を待っていたのは夫ではなく、ファラアウ青年の方だった。その後、二人は秘密裏に結婚した。この頃写したと思われる二人の写真がある。何故か“お似合いの二人”に見えるのだ。ところが、その後12年経って、夫の方から「離婚申請」が出された。その理由は明らかにされていない。弁護士もコメントを拒否している。その理由は何なのか…知ってしまってはいけないことのような気が、私にはする。

器の大きさを示した紀香の「おめでとう」

2017-06-02

著名人が再婚したとき、しばしば元の配偶者に“ひとこと”を求める取材陣がいる。まあ誰もが“思い浮かべる相手”なのだから、仕方がないといえば仕方がない。今回、主演舞台の公開取材で、藤原紀香さんははからずも元の夫・陣内智則氏が結婚を公表して間もないタイミングでの取材となったので、その質問がぶつけられた。それに対して藤原紀香さんは既に自分が再婚していることもあって、さえぎったりせず「おめでとうございます」と祝福した。一見、当然のことのようにも思えるが、多くの女性はこれが出来ない。無視するか、拒否するか、大体どちらかが多い。ここに女優・藤原紀香の“器の大きさ”を見せつける結果となった。娘の結婚に「おめでとう」と公的な祝福をできなかった歌手・松田聖子さんとの違いが鮮明である。人間は誰しも、人生の中で人間としての“器の大きさ”を試されるような場面に出逢う。そこで、どう振舞うか、どう述べるかは、その後の人生に大きく影響する。まだ若い頃、私は或る女性と半年ほど付き合って、その後、別れた。それから一年ほど後に、その女性が結婚することを知った。別な女性から教えられたのだ。その女性が彼女の結婚式に出席した。私は、自分がなぜ結婚式に呼ばれなかったのか、不思議だった。その女性より私の方がはるかに親しかったからだ。だから、そのままのことを言ったら、その女性は大きく笑った。そして「そんなことも解からないの」とあきれられた。「あなたには見せたくないのよ」「どうして?」「女の気持ちがわからない人ね」何となく気まずいまま空気になった。訊いてはいけないことを訊いたような気がした。「おめでとう」と祝福したかったのに、何一つできなかった…苦い想い出だけがある。

2017年6月の運勢 

2017-06-01

現実が「アート」を超えている時代

2017-06-01

アメリカで、一つの「アート」が問題になっている。女優でコメディアンでもあるキャシー・グリフィン氏が、“性的表現”を得意とするカメラマンのタイラー・シールズ氏の求めに応じて、人形の頭部をわしづかみにしている写真を掲載した。ただの人形ではない。トランプ大統領の人形頭部なのだ。彼女の“アート写真”にはメッセージが添えられている。「トランプ大統領の発言は暴力を誘発する。キャシーも同じことをしたのか」これは、カメラマン・シールズ氏が写真に添えた言葉(キャッチ・コピー)だ。この人形頭部は、この撮影のため製作されたもので、首を切られた形で、顔面血だらけの形相でリアルに作られている。その頭部、髪をわしづかみにして自分の顔に並べるような意図のもと、グリフィン氏が真正面をにらみつけている。どうしても思い出す二つの映像がある。その一つは、かつてイラクでフセイン大統領の銅像が庶民たちに踏みつぶされ破壊されていく姿。もう一つは、イスラム国で、捕まった人質たちが“断首される”直前の映像。この二つの映像が、重なり合うような形で私たちに蘇る。けっして気持ちの良いアートではない。実際、私と同じような印象を持った人達がアメリカにも多かったようだ。避難が続出し、グリフィン氏は謝罪コメントを出した。だが、シールズ氏の方は「称賛も拒絶も理解している」と意に介さない。確かに「アートな表現」であることは間違いがない。ただ、現実が「アート」を超えてきている時代、あまりにも過激な表現は、ブラック・ユーモアと笑って過ごすには少し無理がありそうな気がする。

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