7月, 2017年

ホリエモン・ロケットは霧の彼方へ

2017-07-31

“ホリエモン”こと堀江貴文氏率いる民間初の“ロケットチーム”は、今回も予想通り(?)失敗した。どうも、彼の「夢のロケット」は今一つカッコ良くない。これまでにも何度か試み、そのたび失敗している。着想自体は素晴らしいし、成功すれば世界に誇れる事業となるかもしれないのだが、今のところ視界は極めて不良だ。本来は4分後に高度100㌔に達する予定だったものが、発射から66秒後に通信が途絶えてしまう。そこでギブアップだ。その時間まで再三待たされた見物人たちは、何も見えない霧の中で“失敗”を知らされた。会場となっている大樹町の「航空公園」というところは、元々“宇宙のまちづくり”を掲げる大樹町が1995年から整備・公園化していった場所であり、民間のロケットの発射場として使われることは、町にとっても“長年の夢”であった。けれども、本来の予定日だった29日、そして30日も「航空公園」は濃い霧に包まれていた。とても“ロケット日和”の天候ではなかったのだ。おまけに、この日、霧の中へと消えていった“小型観測ロケット「MOMO」1号”はどこかの海水に落下したらしいのだが、結局、チームはその機体を回収できなかった。なんとなく、雰囲気としては「UFOが見えるぞ」と言ってみんな集まったが、結局、霧の中で何も観ることが出来ず、おまけに落下したUFOの残骸まで消えてしまった…というような話に近い。こういうことを何回も繰り返すと、やがて発射実験を行っても「航空公園」には関係者しか集まらない寂しい状態がやって来るだろう。第一、出資者はホリエモンなのだから、このベンチャー企業「IST」も堀江貴文社長としてしまった方が良い。多分、その方が金も集まるし、宣伝もされるし、人材も集まるし、成功する確率も高い。申し訳ないが、一般の方は“稲川貴大社長”と言っても、誰のことなのかよく解からない。社長名がむりなら、会長名にしても良い。誰がトップに立つかは、ベンチャー企業においてとても重要なことなのだ。なぜなら社長は“企業の顔”だからである。さらに、通常の“10分の1の費用”でロケットを飛ばす、ということが“売り”であるらしいのだが、何でも最初の開発費はかかるのがふつうである。むしろ、それを後から徐々に減らしていく方が科学事業のやり方として王道であると思う。そういう手順を取らなければ、同じような失敗を繰り返しそうな気がする。

「一石三鳥」の効果があった“弾道ミサイル”発射

2017-07-30

われわれは十年ほど前まで“北朝鮮の言葉”をあまり信じていなかった。“ミサイル”と言ったって、たかが知れているだろう…くらいに誰もが思っていた。けれども、北朝鮮はいつでも本気だった。そして、国家の威信をかけて“ミサイル作り”に励んでいたのだ。その成果が今になって実を結びつつある。アメリカの発表によれば、現在のミサイルはロサンゼルスまで届くらしい。或る意味で、北朝鮮の科学開発能力は日進月歩なのだ。そして、それが実際に機能するかどうか、今回のように実験で確認しつつある。アメリカまで確実に届くものを作り上げたことで、北朝鮮の“大陸間弾道ミサイル”は一つの完成を見たといえる。もう、どこの国からも干渉されない。確かに、考えようによっては、アメリカと互角に渡り合う“最良の武器”を手に入れたともいえる。もちろん、その射程には韓国や日本も含まれている。特に、今回の発射は、アメリカ政権も、日本政権も、韓国政権も、そのいずれもが揺らいでいる時で、日本では稲田防衛大臣が辞めた直後で“防衛大臣不在”という絶妙のタイミングになった。アメリカでは司法長官が解任されそうな雰囲気もあり、トランプ政権自体が内部分裂を起こし始めている。韓国の文在寅政権もまだまだ安定せず、特に北朝鮮への対応が不明確である。一方でアメリカに追従し、一方で北朝鮮には“融和政策”を打ち出し、客観的に見ていても、どっちなんだかよく解からない。それら三つの国へ同時に向けたかのような今回のミサイル発射であった。特に韓国に対しては「軍事会談・赤十字会談」提案への“回答”として発射されたもので、アメリカの片棒担いでいる奴の提案に応じられるか、という高笑いが聞こえそうなミサイルなのだ。日本でも、室蘭からはミサイルの軌道が見えたらしい。もし、北朝鮮がミサイルをハワイへと向けた場合、丁度、室蘭上空を通ることになるらしいのだ。これは、もうトランプ氏に金正恩氏とハンバーガーを食べながら会談してもらうしかない。かつての映画「007」のように美しい美女を伴いながら…。

“不明女性”は元気で発見される?

2017-07-29

北海道旅行に来ていた中国の女性が“行方不明”となっている。この事件、中々ミステリアスだ。中国の福建省に暮らす小学校教論の危秋潔さん(26歳)は、一人で今月18日~25日までの予定で北海道に来ていた。そして、22日の朝までは何の問題もなく、洞爺湖→小樽→美瑛町と観光を続けていた。そして、予定では22日には旭川から富良野を見て歩く予定だったようだ。それまでの間、彼女はSNSを通じて中国の父親などとやり取りをしている。ところが、22日の午後になって彼女からの連絡が突然途切れる。元々、札幌にある“ゲストハウス”を拠点として動いていたのだが、その日の朝も、荷物は残したままで朝に外出している。防犯カメラによる外出時の服装を見ても、明らかに観光に出掛ける軽装で、小さな手提げバックだけ持って出ている。ただ一部報道では、彼女はその日、旭川には出向かず、午後まで札幌市内に居たような形跡も感じられる。そして、奇妙なのは22日の午後7時半ごろ、警察の発表によると阿寒湖の観光ホテルに一人でチェックインしていることが判明したことだ。そして翌朝、7時過ぎ、このホテルをチェックアウトしている。つまり、23日の朝までは彼女の道内滞在は確認されている。けれども、父親は22日の午後からは返信がないとしている。当然、22日の日に“何かがあった”と捉えなければならない。ただ、そうだとすれば予定外の阿寒湖のホテルに泊まっているのに、なぜ、それを連絡していないのか。誰かと泊まったのではなく、単独で泊まっているのだ。しかも、チェックインやチェックアウトの時間から見て宿泊するためだけに来ている。阿寒湖のホテルの場合、街からは離れているので、朝から動くのはちょっと不自然である。大昔、渡辺淳一が書いた『阿寒に果つ』という小説を思い出す。天才少女画家が真冬の阿寒湖を見ながら命果てていく…という物語だ。けれども、占いで見てみると、どうやら彼女は元気そうである。誰かについてどこかに行った形跡が窺われる。年上の男性かもしれない。何日か経って、占いの通りに彼女の“元気な姿”が報道されると良いのだが…。

「正夢」としての女児出産

2017-07-28

7月25日、一人の未亡人が2年半前に“亡くなった夫”との子を無事出産した。“亡くなった夫”との子をどうやって出産したのかというと、亡くなった日すぐ医師に依頼し、夫の精子を“冷凍保存”してもらったからだ。なぜ、そんなことを医師に依頼したのかというと、不意の眠りの中で、夫から“女の赤ちゃんを手渡される夢”を見たからだ。ここで私は自分自身の体験を思い出す。実は私も、夢の中で“自分の娘が駆けて来て抱きつく夢”を見た。まだ初婚の妻が妊娠していなかった時の話だ。かなり判然とした夢で、何故か、その4歳くらいの活発な感じの少女が“自分の娘”だと確信した。目が覚めると現実があった。当時、結婚して1年半くらいが経ち、私は内心、私たちには子供が出来ないのではないか…と思い始めていた。それだけに、何故、夢の中で“自分の娘”と確信したのか分からなかった。ただ妻には、夢のことを話しておいた。それから、ほどなくして妻の妊娠が判った。そして女児が産れた。女児は思いのほか活発だった。あの夢は「正夢」になったのだ。そういう過去を持っている私には、このご夫婦の“奇跡”が、起こるべくして起こった話のように思える。サニーさんの夫・ウェンジャン・リュー氏はニューヨークの警察官だった。その日、彼は同僚警察官と一緒にパトカーに乗っていたのだが、その窓越しに頭部を銃弾で狙われ即死した。リュー氏はまだ32歳、数か月前にサニーさんと結婚したばかりだった。哀しみに暮れる中でうたたねをし、その夢の中で“女児を手渡された”妻は、すぐ医師に懇願し、夫の精子だけを冷凍保存してもらう道を選んだ。そして、その死から2年半経った25日、無事、女児を出産したのだった。彼女は、哀しみに暮れる中で、夫から“女児を手渡される”という、不思議な夢を見た。この後、彼女が躊躇なくとった行動が“精子の冷凍保存”であった。もちろん、医師が協力しなければ実現しない。日本で、同じようなことがあったとして、即“冷凍保存”を医師に懇願できる女性がいるだろうか。また、それに応じてくれる医師がいるだろうか。“奇跡”を実現させるために躊躇は禁物なのだ。即行動し、決して後悔しないこと、それが“奇跡を呼ぶ”秘訣なのかもしれない。

“改名し続ける”という不幸

2017-07-27

昔から改名し続ける人で「幸福な人」に出逢ったことがない。“改名”自体は悪いことだと思わないが、改名し続けることは“自分を見失うこと”で、決して良いことだと思わない。女性は結婚して「姓」が変わる。したがって、もし二回結婚して二回離婚したなら、姓名が何度も変わることになる。今は離婚後も婚姻姓をそのまま使い続けられるが、潔癖感の強い人は「実家姓」に戻すこともある。そうすると5回姓名を変えることになる。そう考えると、人生において3~4回姓名を変えること自体はそんなに特別なことではない、ということになる。ただ有名人の改名の場合、“公的な名前”だけに何度も変えると目立ちやすい。1980年代、石原真理子という女優がいた。“元祖プッツン女優”と呼ばれ“不倫報道”の多い女優であった。彼女は1993年に「石原真理絵」に改名する。そしてアメリカに留学、心理学や天文学を学んだ。そして、この時期、米国人と結婚もしている。その後、2006年に石原真理子に改名する。この年『ふぞろいな秘密』を出版する。或る意味で芸能界の暴露本であり、彼女と関わった多数の芸能人の実名が記載されていた。2009年「石原真理」に改名、かつてDV恋人であった歌手・玉置浩二氏と再会「婚約・同棲」が世間の注目を浴びた。ところが、半年もたたず破局。その後、フィリピンで事業を立ち上げたが失敗。報道が絶えた。そして昨日、彼女が再び今年2月より「石原真理子」に改名していたことが明らかとなった。どうして明らかになったのかというと、7月22日にコンビニで“弁当一個&お茶一本”を持ち逃げしようとしたとして通報され、警察から取り調べを受け、その容疑を認めたからである。多分、彼女はお腹がすいていたのだ。それにしても、その二つだけを盗もうとしたところに、彼女の“元々の育ちの良さ”が出ている。彼女に関して“悪く書く”ことは簡単である。そして、その方が一般の方からは共感してもらえるだろう。けれども運命家として、私にはそれは出来ない。彼女は何度も名前を変えた。多分、必死だったのだ。けれども、最初にも書いたが、何度も名前を変えるのは“運が良い悪い”という前に“自分自身を見失っている”からである。同時に、自分自身の“人生の選択”に疑問を感じているからでもある。そして、それは彼女だけでなく、多くの人達に共通した“正解の無い”「?」なのだ。

「愛」と「憎しみ」の間

2017-07-26

男女間における「愛憎劇」には、時々信じがたいようなものが存在している。その男女の結婚は故国ではなく、日本という国が取り持った。二人は名古屋で結婚している。夫はバイオリンを制作・販売する仕事だった。男性はノルウェー人、女性は中国人。二人の年齢差が大きいことを考えると、男性の方は再婚だったのかもしれない。けれども、やがて二人には溝が生まれ、離婚を前提とした別居が始まっていた。その離婚協議中に事件は起こった。2014年1月30日~2月19日までの間、女性は複数回、別居中の夫の自宅兼工房に窓ガラスを破って侵入し、バイオリン54丁、弓70本を破壊した。昨日、逮捕された中国籍女性は、元夫の住宅に侵入したことは認めたが、バイオリンの破壊はまだ認めていない。とにかく、バイオリンを54丁も破壊するのは大変な作業である。この事件の場合、実質的には目立つところに“穴をあける”という手法でバイオリンを壊した。弓70本の方も、切断だけでなく“ネックを折る”という専門的手法で、使用を不可能にしている。両方とも、或る程度、その方面に関わっていないと、発想しない破壊行為に思える。元妻の中国人は、事件発生後、中国へ渡航し、その後はたまにしか日本に戻らなかった。離婚協議中から東京で楽器販売業を自営していた。前日、久しぶりに日本に戻ったことを突き止めた捜査員が執念の逮捕に踏み切った。事件当時、元夫のノルウェー人男性は、海外出張に出掛けていた。おそらく、毎年、その時期に出掛けることを元妻は知っていたのだ。そうでなければ、自宅兼工房に窓を割って侵入しない。被害額は1億円以上で、いくら離婚協議中とはいえ、夫の“生活の糧”の全てを破壊したのだ。しかも、そのあとすぐ中国に渡航するなど、明らかに計画的である。異国で生まれ、年齢差も28歳あった二人が、日本で“バイオリンを通じて結ばれた”に違いない二人が、あまりに哀しい愛憎劇である。おそらく憎しみの感情だけが、後先を考えない“夫の手足を捥ぐような行為”へとつながったのであろう。バイオリンにも穴が開いたが、元夫の心にも永遠に癒えない“穴が開いた”に違いない。

懐かしい「逃亡者」の正義感

2017-07-25

人は根本的に“あまり変わらない”ものである。私がアメリカのTVドラマ「逃亡者」の日本語放映を最初に見たのは今から50年ほども前のことだ。このTVドラマは全米で爆発的にヒットし、それが日本でも放映され同じように高視聴率を得た。私がまだ中学生の頃の作品である。50年後の現在BS「クラシック」チャンネルで再放映している。懐かしいタイトルだったので、私は最初、現代風にアレンジした作品なのかと思って録画したのだ。けれども、そうではなく、考えてみれば「クラシック」というチャンネルなのだから当然なのだが、50年以上も前の作品をそのまま白黒で放映していた。ところが、懐かしさから見たのだが、やはり「逃亡者」は魅力的だった。このドラマは元々が実話に基づいていて、医師が自宅で妻と口論して外出し、戻ってみると惨殺されていて、その帰り掛けに飛び出して来た“片腕の男”が犯人だと確信する。けれども、何ら証拠がない。警察は口論したのち外出していた夫である医師を犯人と断定した。裁判でも終身刑となった。その護送の途中で列車事故が起こり、終身刑を言い渡されていた医師・キンブルは逃亡する。無実のキンブルは、逃亡しながら真犯人である“片腕の男”の正体を突き止め、最終的には“晴れて無実”となるのだが、その逃亡中は“殺人犯”の医師であることを隠して働き、発覚しそうになると、その街を離れて身を隠す。このドラマが全米だけでなく日本でも高視聴率を得たのは、何よりも“無実の罪”を着せられた人間のドキドキの逃亡劇と、医師である主人公の“正義感”が、苦しんでいる患者や病者を見捨てることなく、ギリギリのところで“名医”としての腕を発揮し、救いながら逃げていくところにある。つまり、こんなにも優しくヒューマニズムに富んだ医師でも、殺人犯に仕立て上げられてしまう「運命の不条理」が多くの人を惹きつけてやまなかったのだ。しかも、それを演じたデビッド・ジャンセンの名演技も光っていた。後になって、名優ハリソン・フォードによって「逃亡者」が映画化されたが、やはり、デビッド・ジャンセンの持つ逃亡者としての“悲壮感”や“虚無感”、そして何よりも医師としての“ヒューマニズム”を演じることは出来なかった。「逃亡者」を知らない若い世代の人たちで「運命の本質」そして「生きるとは何か」を知りたがっている人たちには、ぜひ見てほしいドラマだ。

あらゆる点で「格差」が悲劇を呼ぶ

2017-07-24

九州北部の“豪雨被害”の記憶が冷めやらない中、今度は秋田県が集中豪雨で“狙い撃ち”されている。近年になって、昔に比べて34%も集中豪雨が増えているというデータが公表されたばかりである。明らかに、日本の気象は変わったのだ。古来から続いてきた“温帯としての気象”という見方を変えた方が良い時期に来ている。もし、通常の温帯地域であれば、集中豪雨は台風の季節だけを用心すれば良いのだが、もう誰もそんな風に信じない。近年は台風などなくたって“集中豪雨”は起こる。しかも、一部地域に特化して起こる。季節など関係なく起こる。丁度、東南アジアの地域で、晴れていた空が急に曇って一気に土砂降りとなり、緊急避難が必要になり、それが何時間かすると嘘のような晴天に変わる…あの感覚。近年の日本の気象は、そこまで極端ではないが、かつての“温暖な気候”ではないことだけは明らかだ。どちらかというと、一部の地域、一定の時間だけの“狙い撃ち”で、その数日前までは“予測できないゲリラ豪雨”に変わってきたのが特徴だ。元々が日本の国土は温暖な気候に育まれる形で生成されてきた。したがって、山とか川とかも、温暖地域用に出来上がっている。集落や住宅も、そういう気候の中で組み立てられてきた。したがって街や村自体も“集中豪雨”を想定していない。謂わば、予期せぬゲリラ豪雨には“お手上げ”なのだ。おそらく、今後も、こういう形で“狙い撃ち”が続き、そのたびに悲劇が繰り返される。国を挙げての早急な対策と緊急マップが必要なのだ。どちらかというと、大都市には“それなりの準備”があるが、地方都市や辺鄙な集落にはそれがない。地域によって、各種防災に対する“備え”にも「格差」の広がりを感じる。実は、この“格差”は防災の問題だけではない。各年代間の生活そのものにも、ここに来て“格差”は拡大するばかりである。日本の全部が“中流家庭”と捉えられたのは、もう昔の話でしかない。小さな子供たちの“格差”、社会人になっての“格差”、老人になっての“格差”、それぞれがどんどん広がっている。それなのに表面上は「豊かな国」「先進国」「教養ある国民」という幻想が蔓延しつつある。もう、みんなが“同じ方向”を向きながら生活する、という1960~70年代は「過去」の一場面でしかない。

ベストセラー作家・波木星龍の誕生?

2017-07-22

世の中、暑くなるといろんな人が出て来る…まあ、そういうことで、ここにも一人、暑くなって“ベストセラー作家”になったかのような“勘違い男・波木星龍”が誕生している。「パピルス」という電子書籍店の“今週の売り上げランキング”で、何んと我が「波木星龍の著書」が1位~4位までを独占してしまったのだ。う~ん、何という奇跡。これは赤飯を焚いて祝わなければ…だが、疑い深い私は、これはもしかして「ヤラセなんじゃねぇ」と勘繰ってしまったりする。もっとも、電子書籍店でのベストセラーなど高が知れている。まあ、それに今週だけの奇跡に違いなく、来週になったら「やっぱり、これが現実だよね」と本人は泣きぬれているに違いない。それでも、一応参考までにどんな本たちが並んでいるのかと言えば、①『世界「超占い」見聞記』、②『運命家としての人生の捉え方』、③『―生きる―ということの「意味」と「答え」』、④『運命という名の生命体』の順となっている。通常、書店の「占いコーナー」に並んでいるような本とは明らかに違った印象のタイトルばかりだ。謂わば、電子書籍だから発売出来たような本ばかりなのだ。大体、欧米の電子書籍は、最初そういう意図のもとに誕生した。紙媒体では見過ごされがちなマニアックな著述内容のものが多い。それに対して日本の場合は、電子書籍でも紙書籍と変わらない内容のものが多い。よく、占いの生徒さんからも「波木先生の占いは、他の占い師の方とは違っています」と言われる。確かに、違うかもしれない。けれども、本当は“みな同じ”である方が、どうかしているのだ。数多くの実際の“掌”や“ホロスコープ”や“四柱命式”や“易筮”などに接していれば、いかに“通り一遍の占い”が当てはまらないか、理論が現実と違っているか、嫌でも感じるはずなのである。感じないのは、それだけ相談者の人生に真正面から向き合っていないからだ。或いは、観察力が鈍すぎるからだ。その人の“特殊な部分”、他とは“違っている部分”を一瞬で把握できなければプロではない。それを把握するためには「人間の運命」に対する“研ぎ澄まされた眼”を持つことで、あらゆる人の“運命の部分”に興味を抱くことなのだ。

“ヤラセ心霊写真”は「霊」たちに失礼

2017-07-21

世の中、一生懸命でも“中々報われない人”と、いい加減でも“スポットライトを浴びる人”とがいる。何も知らずに“TVに出てしまう人”もいれば、いつの間にか“霊に仕立てられてしまう人”もいる。7月19日TBS系列で放映された番組の中で「合成された心霊写真」を“本物の心霊写真”であるかのように放送したとして話題になっている。問題はいくつもある。まず、本人たちの許可を得ないで1枚の写真が勝手に使われていること、写っている人たちの証言が正しければ元々の写真に心霊らしき画像はなかったこと、その写真を心霊研究家に見せて“心霊写真”としてのコメントを求めていること、番組MCやゲストたちも含めて“ヤラセ写真”の片棒を担がせていること…つまり、番組制作スタッフは“真夏の恐怖”を演出したかった。それには“心霊写真”が良いということになった。だが、適当なものがなかった。無いなら“作れば良い”ということになった。そこで2枚の写真を合成した。1枚は、普通の3人組が展望台を訪れた時の写真、もちろん心霊写真ではなかった。それを足元に“別な写真から切り抜いた女性の顔”をぼかして挿入することで“心霊写真”らしくする。それを本物らしくするために、わざわざ心霊研究家の方に依頼し、鑑定して頂く。実際、その写真に対して「事故死した女性の霊で、この世に強い未練を残している」という願ってもないコメントを得られた。まさか、後になって、写っていた本人たちが「あの写真に霊など写っていなかった」とツイッターで発信するとは考えていなかったのだろう。だから、TBS側はそれに対してのコメントを控えている。「霊」として表出している顔写真は、ぼかされているので本人が気付いていないかもしれない。つまり、展望台の3人も、霊の女性も、心霊研究家も、MCや出演者も、視聴者も、すべてを欺き裏切った“ヤラセ写真”だということになる。これは罪が重い。そして何よりも、実際に“霊界を彷徨っている”「霊」たちに対して失礼この上ない。もし、“ヤラセ”で扱いたいなら、関係者に対して事前に連絡し、承諾を得なければならないし、番組の中でもきちんとそれを表示しなければならない。それをしなかったから「霊」たちも本人たちを促して、今回のは“ヤラセ”であることを発信させたのだ。

「偶像」を禁じながら「偶像」しか許さない矛盾

2017-07-20

サウジアラビアでSNSにミニスカート姿で街を歩いた動画を載せた女性が逮捕された。イスラム教国でなければ、何ら問題の無い“後ろ姿”の動画である。サウジアラビアというのは、同じイスラム教国でも比較的“原典重視”の国で、女性は大衆の面前で“肌を露出する”こと、及び“身体のラインを想起させる”服装は固く禁じられている。だから、基本的には外出時はみんな同じ服装をする。「眼」以外の部分は“黒い衣装”で覆い隠した服装である。そういう国だから、今回の事件は、或る意味で“正当な逮捕劇”ということになる。捕まった女性が、今後どうなるのか定かではない。今から1400年前に示されたコーランの教えをかたくなに守り続けるのがイスラム教国の特徴である。厳格に守るのは“原理主義”の人達で、同じイスラム教国でも国や地域によって、ファッションなどにはかなりの違いが出て来ている。その原理主義の人達からすれば、キリスト教や仏教など多くの宗教は“偶像崇拝”だから“間違い”であり、“非科学的”なのだということになる。そういう理屈から、これまでにも多くの世界遺産が彼らによって破壊された。イスラム教の寺院であるモスクには立派な建物が多いが、文字通り“偶像”はなく、その内部はがらんどうである。何もないから、聖地メッカの方向を目掛けて礼拝をする。本来、偶像を認めないのであれば、どの方向を向いて祈ろうが自由なはずだが、“イスラムの神”はとにかく“肝っ玉が小さい”というのか、聖地を向かないと絶対に許さない。同じ理屈で、他の宗教の“偶像”は破壊しないと気が済まない。とにかく“干渉好きな神”であることは間違いがない。女性の服装にしても、身体のラインが解かると、男性たちの性欲が抑えられなくなるからダメらしい。つまり、コーランの「神の言葉」は“男性目線”で記されている。性的欲求の強い男性目線だ。厳密な原理主義では、女性は教育を受けさせてはいけないとか、車を運転してはいけないとか、妻を4人まで持って良い、というのも男性だからだ。要するに、イスラム教のいう「神」は、性的欲求が強く、男性より教育水準が低くて、男性の言うことをよく聴く女性を理想とする“オトコ”でしかない。そういう「オトコ」を神として崇め続け、正に「形なき偶像」に額をこすりつけて祈り続け、その「オトコ」のために、異教徒たちに刃を向けることもいとわないのが「イスラムの女性兵士」たちなのだ。それらに敢然と立ち向かっていった“ミニスカートの女性”を逮捕した警察を、イスラムの「神」はさぞ褒め称えていることであろう。

「画数信仰」がはびこっている!

2017-07-19

或るニュースサイトを見ていたら「字画判断は滅びろ」という投稿が反響を呼んでいるという。子供の出生時に夫と妻とが「字画数」のことで対立しているというのだ。つまり一方は“文字の画数は大切”と考え、もう一方は“根拠が解からないものに振り回されたくない”と考え、生れてくる子供の命名で対立が深刻化してしまったという。これに対して一般の方の意見はさまざまだが、確かに起こりそうな問題ではある。こういう場合、夫婦のどちらが実権を握っているかで大体は決着がつくものだが、この二人の場合はどちらにも決定権はなさそうだ。さて、私はプロの運命家として、時々「命名」に関しての相談を受ける。大体、ほとんどの方は“画数”というものを気にしている。ただ姓名学というのは、別に“画数”だけで判断するものではない。まず、ほとんどの方はこの点が解っていない。だから「画数信仰」が横行するのだ。筆画数が作用するのは、実際には名前を“書く時”だけである。それ以外の時には何の作用もない。今日のように、自ら名前を書くという行為が減ってきている日常においては、だから、それほど影響力が強くはない。名前を呼ぶときの“姓名音”とか、視覚的に姓名が入って来る“文字象形”としての印象の方が、影響力としては強くなってきているように思われる。本来は「姓名学」ではなく「名相術」と呼ぶべきもので、観相術の一つに含まれるべきものである。そして、最初にも言うように、実際に“筆画する行為”によってのみ、画数の作用は具体化する。だから、画数の良くない人は極力“自筆で書かない”ようにすれば良い。なお、筆画の作用なのだから“本字で画数が増える”などという妄説受け入れるべきではない。現代の画数そのままを用いるべきだ。画数を重んじすぎると、奇妙な漢字を当て嵌めることになる。読みにくい文字、通常使われない文字、完全なる当て字、見た目のバランスを欠いた文字などは、いずれも凶名である。どんなに画数が良くても、日常生活では不利に働く。そういう名前が吉名のはずがない。プロの占い師でも、これらの基礎が解っていない人が多すぎる。占いが“信仰”に陥ると、名前ばかり変えている“不幸な人”になってしまう。

昔の「チャンバラ映画」を思い出す

2017-07-18

何かと“世間を騒がす”上西小百合衆議院議員だが、その事務所に「殺害予告」が何通も届き、今日18日に浦和レッズサポーターとの間で“話し合いの場”を持つ方向で調整しているらしい。本来なら、警察に届けるのが先決だと思うが、まず“サポーターとの直接対決を行いたい”というのが、いかにもこの人らしい。問題の経緯は彼女のツイッターから始まっている。浦和レッズの試合をボロクソに批判し、それに怒ったレッズのサポーターたちから“怒りの反論”が届き、そこで黙れば良かったのだが、強烈な批判で返し“炎上”へと向かった。要するに、彼女からいわせると、たかがサッカーの試合に熱上げて“バカじゃないの”という論法なのだ。確かに、サッカーのサポーターたちは他のスポーツのファンと違って、少々“熱狂しすぎている”と思われる言動がないではない。実際、ファン同士のトラブルも後を絶たない。もう少し冷静に応援できないものだろうか…と個人的には思う部分もある。だが、サポーターたちの側に立つと、日頃、サッカーとは無縁のところに居るはずの政治家が、たまたま“カッコ悪い負け方”をした時にだけツイッターで口を出し、選手やサポーターたちを“へなちょこ扱い”するとは何事だ…ということになる。怒り心頭で、その勢いが“殺してやる”という「殺害予告」にまで発展したもので、もう口出しさせないための“脅迫”なのかもしれない。そうは言うものの、やはり「殺害予告」は行き過ぎだし、許されるものではない。それにしても、上西小百合議員は、よほど“闘い”が好きなのか、実にさまざまな方と闘っている。正に「闘士」であることは間違いがない。しかも「殺す」と言っている本人たちの前に出ていき、何百名か、何千名か知らないが、サポーターたちとの“直接対決”を望んでいる。私は、幼い頃によく見た「チャンバラ映画」を思い出す。敵陣にたった一人で乗り込んでいって、次々と敵を切り倒して本丸へと突き進んでいく“剣豪”の姿だ。そういう意味では“無駄にカッコ良い”。但し、何で政治家が、いつも政治とは関係のないところでバトルを繰り広げているのか、その辺のところは今一つ解からない。ただ、この人が度胸の良い人であることは間違いがない。多少、ドンキホーテ的なところを持ってはいるが、そして“庶民への理解力”に多少欠けてはいるが、彼女なりの“正義感の強さ”だけはひしひしと感じられる。

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