9月, 2017年

「保毛尾田保毛尾」は社長が“謝罪”するような問題か

2017-09-30

石橋貴明氏演ずる「保毛尾田保毛尾(ほもおだほもお)」がネットで批判され、フジTVの社長が“謝罪する”事態となっている。元々「保毛尾田保毛尾」は30年近い昔のキャラクターだが、あの当時としては真正面から“ゲイ男性”を扱ったユニークなキャラクターだった。批判は主に「ホモ」という俗称や「キモチ悪い」という表現などにあったらしいが、叩かれたフジTVは社長が平謝りする事態になっている。まるで“大不祥事”を起こしたかのような対応である。最近は、どの番組もそうだが、何かと“差別問題”や“表現”や“用語”にやたらと敏感である。まるで社会全体が、そういうことを“見逃してはならない”と眼を光らせているかのようだ。われわれは「北朝鮮に自由はない」などというが、先進国だって、さまざまな“規制”という形で、“自由な発言”や“自由な表現”を奪いつつあるような気がする。もし、本当に“自由”だというなら、例えば“タトゥ”に対して「公衆浴場や温泉の入場を認めない」というのなど、おかしいからだ。或いは、殺害の場面を「TV放映してはならない」というのだって、自由を奪っている。私は子供時代、ひ弱で極端に大人しかった。だから「女の子のようだ」とよく言われたし「オカマ」と名指しされたこともある。実際には、そうではなくても、勝手に外見上から、そう決めつけられたことが何度かあった。小学校の5年生くらいまでは本当に“ひ弱で可愛い子”だったからだ。けれども、それから徐々に「男」へと変化していった。子供の世界は遠慮がない。見た目のまま指摘される。だから、女の子のような雰囲気だと「オカマ」と呼ばれる。それは“教育”というよりも“印象”なのだ。或る意味で自然な“生理的本能”であり“印象”なのだ。それを“教育”として変えていくことが、本当に“正しい”と言えるのだろうか。私は、自分自身が、そういう風に、或る意味“勘違いされやすかった”ので、自然とゲイであれ、レズであれ、SMであれ、障碍者であれ、その他もろもろであれ、何ら気にならないし、差別する気にもならない。あまりそういうものに対して、騒ぎ立てる人の方が、本当は“差別の意識”を持っているからではないか、という気がしてならない。誰もが“いろいろな事情”を抱えながら生きている。それを、認めたくない人たちが、そういう問題に過敏に反応しすぎるのだ。

「日本株」“長期上昇の形”は整った?

2017-09-29

私がここで“ドル円”と“日本株”の今後について記したのは9月14日である。その時、まだまだ日経平均は19807円であった。その時点で、私は20日くらいまでにドル円で111円台に移行できれば、その後は徐々にドル高が進んで、それにつれて日本株も20000円を突破していくに違いない…と予測した。そうして、今月終わりに日経平均が2万円台を維持できていれば、その後も継続的な“日本株”の上昇が見込まれると書いた。途中、北朝鮮のミサイル問題が発生し、一時的にドル円は110円台まで戻ったが、そのあと持ち直して再びドル高へと向かい、現在は112円台半ばとなっている。まだまだ完全に“ドル高基調”とまでは言い難いが、一応、海外動向が急変しなければ“ドル高方向”は崩れないに違いない。日経平均も、じわじわと上昇し、ようやく20000円台に突入した。昨日の終値は20363円で、あの日から550円以上も値上がりしたことになる。この調子でいくと、今日1日残すが、2万円台は維持できるだろう。そうすれば、前に話したように“長期上昇の形”が整ったことになる。余程の波乱要因、例えば、ミサイルが発射されるとか、自民党が大敗濃厚だとか、そういうことでもない限り、持続的上昇が続いていくに違いない。もちろん、その場合には21000円は突破するが、どこまで行くかは、今の時点では予測が難しい。但し、それを読み解く「鍵」が一つだけある。それはアメリカ株で、“ダウが23000ドル”、“ナスダックが7000ドル”を一つの目安にすると良い。つまり、それくらいまでなら極端な下落をせずに、アメリカ株は上昇し続ける可能性がある。但し、その付近まで来たら“要注意”で、それ以上の持続的上昇は保証できない。当然、このアメリカ株の上昇に連れる形で、日本株も上昇していく。もし、波乱要因がなく日本株が上昇していく場合、忘れてはならないのは“日本株”は“ドル円”相場とセットだという点で、いまはもう「相関していない」という人たちが多いが、決してそのようなことはない。“ドル高基調”が“円高基調”に転換してしまえば、あっという間に日本株は下落していく。アメリカ株など関係がない。この二つの“ポイント”を忘れなければ、あなたにも財運がもたらされることだろう。(但し、波木星龍を信じて買ったから責任を取ってくれと言われても、それには応じられないので、ご注意を!)

「希望」という名のあなたを訪ねて…

2017-09-28

そんな歌があったような…。確かに、いまの日本に足りないのは「希望」。そういう意味では間違ってはいない。ただ、そうおっしゃるあなたは東京都民の“希望”を少しずつ失わせつつあるような…そんな気がするのは私だけなのだろうか。まあ、私は都民ではないから、そういうことはどうでも良いのだが。「民進」が事実上の“解党”となった。あれあれ…という感じである。“党首”が“無所属”で立候補って、それはないでしょ。どうも、ここんとこ、北朝鮮のミサイルで、みんな頭がおかしくなっているようで、アメリカも、イギリスも、フランスも、ドイツも、そして日本も、いわゆる“先進国”と言われてきたところは、どこも“似たような状態”にある。そう、みんな何故か「希望」を失いつつある。現実的に物事を捉えすぎていて、息苦しくなって、その結果、理想を失い、夢を失い、ゲームやバーチャルの世界に逃げて「希望」を失っている。だから、UFOとか、宇宙人とか、幽霊とか、霊界とか、超能力とか、未知の生物とか、埋蔵金とか、未知の古代遺跡とか…あんまり科学で探求しすぎたり、夢を壊したりするのは良くない。今は何でも、ちょっとでも“バブルの兆候”が出て来ると大騒ぎして、それをつぶそうとする。本来は、未来を夢見て、理想を夢見て、“希望”にすがって生きていくのに、それらを根こそぎ、早い段階から摘み取り過ぎなのだ。だから、誰も、未来に“夢”や“希望”を持てなくなってしまう。もう少し、どうなるのか“わからない”部分を残しておかないと、人は“科学的な予測”を信じて、うろたえ、自信を無くし、自らの努力を無駄に感じて、立ち止まってしまう。けれども、人生はそれほど単純なものではない。少なくとも「人間の運命」は、数字化して単純に割り出せるようなものではない。予測できないようなことが色々と起こって、複雑怪奇に物事が絡み合って、不可思議な未来がやって来る。だからこそ、今は全然つまらないような状態でも決して嘆くことはない。科学では決して予測できない“未来”を、予測、予知して、その“未来”の遠くから手招いているのが、古代人からの教え「占い」なのだ。

「上質の肉だ」と言われても…

2017-09-27

世の中にはいろいろな人がいる。「肉」の好みもいろいろで、あの肉は上手いとか、この肉はクセがあるとか、色々食べ歩く人というのはいる。肉料理を自分で調理する人も珍しくはない。肉そのものを得るため街に出るという人も、珍しくはない。一体、何が違っているのか。そう「肉」の種類がちょっと特殊で、そのなんていうか「人間のお肉」なのだ。つまり、街へと出て、美味しそうな肉を物色し、殺して、バラバラにして、自分で調理して、自分で食べるという、“その部分だけ”取り除けば、ごく普通の35歳の男なのだ。何しろ、バラバラにした肉と一緒に自撮りしていたのだから…。ところが、この男、自分の携帯電話を路上に落として帰宅したのだ。ロシア南部クラスノーダルの路上で、彼の携帯電話が拾われた。そうして、その中にバラバラ死体との自撮りがあった。そこで、その付近を捜索すると、大きなバッグ内に肉片を詰め込んだものが出てきた。その男の身元が割れて自宅を捜索すると、塩漬けにされた人体とか、容器に詰め込まれた手指とかが出てきた。その男の妻も一緒に逮捕された。当初は否定していたが、やがて複数の殺害を認めたが、そのうちの7人までは身元が特定できたが、それ以外は不明のままである。1999年以降に約30人は殺したと推定されている。もちろん、目的は「人肉食」で、おそらくロシア史上最悪の“人肉食事件”になるだろうと予測されている。昔、日本でも「人肉食」で話題になった人物がいる。フランスに留学中、バカにされた片想いの女性を銃で殺し、その人肉を食べた佐川一政という人物である。彼に対してTV番組で一緒になった落語家が「よっ!食道楽!」と声をかけたというが、なかなかのものである。アメリカにはジェフリー・ダーマーという人物がいて、青少年ばかり17人を食したらしい。そう言えば大昔、我が家では鶏を飼っていて、その鶏を“食べなければならない時”がやって来た。私は、まだ10歳くらいだったが、一口だけ食べたが、それ以上食べ続けられなかった。あの時ほど、他の家族が残酷に見えたことはない。あの日の“嫌な記憶”は死ぬまで忘れない。

「長命」と「長寿」の違い

2017-09-26

昨日、女優・川島なお美さんの“三回忌”が行われたそうである。そうして「動物愛護基金」が設立されたそうだ。夫の鎧塚氏は立ち直っただろうか。小林麻央さんを亡くした市川海老蔵氏にしてもそうだが、若く美しかった妻を喪うことで、夫は簡単に“次の相手”を求められなくなる。そういう意味では“離婚”よりも、“死別”の方が何倍も“心の傷”を引き摺る。そして“心の傷”と引き換えに“美しい想い出”だけが残る。この“想い出”が、次の恋愛や結婚に「待った」を掛ける。その記憶を薄れさせてくれるのは時間だけなのだ。よく、医学はこんなに進歩した…とかいうが、本当だろうか。確かに、進歩した部分もある。けれども、そうとは言えない面もある。未だに“原因不明の病気”や“抜本的治療薬の無い病気”等が沢山ある。ただ単に、昔よりも“生かしておく医療”が発達したようにも思える。それでいながら“長期入院”が出来ない。完全に“治った”から退院するのではなく、“治りかけた”から退院する体制に変わった。健康であるのとないのとでは、老齢になってからの人生が大きく変わってくる。愛情にどんなに恵まれても、お金にどんなに恵まれても、健康を失って生きていくのは辛い。そういう意味では「健康」こそ最高の財産だと言えるかもしれない。日本では「長命」の人が多くなった。100歳以上の人も珍しくなくなった。けれども、そういう方達が必ずしも「長寿」とは言えない。「長命」ではあるが「長寿」であるかどうかは解からないのだ。つまり日本人の“生存年齢”は確かに延びたのだが、それが“寿なこと”かどうかには疑問がある。愛情を得て、衣食住に恵まれ、健康を維持できているなら間違いなく「長寿」なのだ。だから、そういう意味で言うなら、今後、ますます“生涯未婚率”が高まり、“老人の貧困”が増えていくなら、そして何らかの持病を抱える人が多くなるなら、とても「長寿国」とは言えず、世界のあちこちで寿命だけが長くなることが、喜べない時代がやって来るに違いない。

結果として「ヤバイ教え方」は成功だった

2017-09-25

私は見なかったのだが、ボクシング元世界チャンピオンの亀田興毅氏の父親・史郎氏が「しくじり先生」最終回の講師として10年振りにTV出演をしたらしい。一昔前、独特の親子関係と、あまりに過酷で珍妙な“練習スタイル”が世間の注目を浴びた。スポーツの世界における幼い頃からの“英才教育”は珍しくない。それなのに“この親子”だけが注目されたのは何故だったのだろう。一つには、彼らの風貌と雰囲気にあった。何となく“ヤバイ系”の風貌や雰囲気を醸し出していたのだ。対戦相手を罵倒するとか、極端に威嚇するとか、その振る舞いは“スポーツ”としての域を超えていた。もちろん、プロボクシングは“格闘技”なので、多少の罵倒や威嚇はあって当然なのだが、その風貌も手伝って、“ヤバイ集団”にしか見えないところが問題なのであった。結果的に亀田史郎氏は“指導ライセンス”を剥奪され、世界タイトルマッチは、その判定も含めて、マスコミや世間から“猛バッシング”を受けた。ただ、見過ごされがちであるが、息子・亀田興毅氏が世界チャンピオンとして“三階級制覇”を成し遂げた人物であることは確かなのだ。“圧倒的な強さ”を見せつけたボクサーではない。そして何かとトラブルが多く、王者としての防衛期間が短かったせいもあって、“三階級制覇”という偉業である割には評価されていない。その下の大毅氏も、和毅氏も、そして最近では娘の亀田姫月さんまでも“ボクシングの世界”で活躍されている。この事実をどう見るか。当時、世間的に「ヤバイ教え方」とみなされていた亀田史郎氏だったが、結果だけから見ると“世界チャンピオン”を輩出した教え方だった…ということになる。例え、その指導法が過酷で珍妙であっても、父親の“情熱”や“願い”は、子供たちに受け継がれていたのだ。そうでなければ、四人が四人とも、ボクシングの世界に進むはずがない。がむしゃらな父親の背中は、子供たちの“進むべき道”を無言のうちに定めさせたのだ。

「地震」二度あることは三度ある

2017-09-24

メキシコ南部で23日またしてもM6.2の地震が起こった。今月に入って、7日に南部で起き、19日に中部でM7.1の地震を経験したばかりだ。しかも、中部地震はまだ救出作業が続いている状態で、これまでに298人の死者が確認されている。元々メキシコのような“細長い国”は地震の被害に遭いやすい。日本もそうだし、イタリアもそうだし、トルコもそうだし、インドネシアもそうである。そのインドネシアでは、バリ島東部のアグン山に噴火の恐れが出て来たということで半径12キロ以内の住民9400人が避難し始めている。インドネシアは地震も多いが、火山噴火も多いところで自然災害に見舞われやすい。自然災害というのは、明らかに“発生しやすい地域”と、あまり“発生しない地域”とがある。日本の台風被害や豪雨被害でも同じところを直撃しやすい。そういう点では、元々気候風土に恵まれていて、あまり自然災害を経験したことがない地域に居住することが、安心の中で暮らすうえでは重要なのかもしれない。切り立った断崖を背にして立つ住居や、草木の育たない地域に立つ住居というのは、最初から“危険”や“困難”を背負っているようなものなのだ。もっとも、どんなに自然環境に恵まれても、生活や気候条件は快適でも、争いごとに巻き込まれやすい地域や都市には、爆弾破壊など“不測の災難”が襲い掛かる不安がある。交通事故でも、トラブルに巻き込まれる人は何度も巻き込まれるし、危険があっても回避できる人は何度もギリギリで回避している。そういう点は、正に“運・不運”というものが関与しているとしか思えない。したがって、元々“不運に巻き込まれやすい人”は、日々の生活をできるだけ“安心・安全”なところで過ごすよう心掛けるべきだろう。昔から「君子危うきに近寄らず」と言う諺もある。世界は「北朝鮮」を危ういというが、危ういのであれば“関わらない”“刺激しない”のが一番なのだ。

上西小百合×橋下徹×東国原英夫のバトル

2017-09-23

元々バトルが好きな人達だからね。この組み合わせは中々の見ものなのさ。みんな一度は“政治家”になっているしね。しかも、論戦は得意と来ている。特にね。「小百合」くんと「徹」くんのバトルは面白いと思うよ。世間が言うほど「小百合」くんはバカではないし、常識を知らないわけでもない。何よりも「政治」の世界をよく知っている。ただ、ちょっと“向こう見ず”なところと“空気を読めない”ところがあるだけなんだよ。「徹」くんは、まだまだ“野望”があるんだよ。ただ、この人には“弱点”がある。すぐ“向きになる”んだよ。それがなければ、もっと賢く立ち回って人気を維持していられたんだけどね。そこいくと「英夫」くんは“したたか”だね。一時期の人気はもうないけどね。政治を“解かりやすく解説する”コツを身に付けている。さて、三人そろっての番組はないものかね。なかなか“良いバトル”が繰り広げられると思うよ。単独だと見る気がしないけど、三人そろってなら見てみたいよね。「小百合」くんにとっては、両方共“バトル継続中”の相手だからね。そして三人とも“同じ政党”に属していたことがある仲間(?)だからね。「維新の会」とか「北朝鮮問題」とか「政治家の不倫」とか…そういう“バトルになりそうな”テーマで火花を散らしてほしいね。三人で収拾がつかなくなったら困るから、ここは「杉村太蔵」くんを司会にでも回そうか。そうだ、彼が最近購入した五億とも言われるマンションには、会議用の部屋があるんじゃなかったっけ? そこを使ってTV中継をするのが良いと思うよ。ちなみに彼は、この三人に加わってのバトルは展開できない。議論では負けると思う。だから、そういうんではなく「密室の提供」というのが彼にはお似合いなんだよ。いや、実はもう始めているのかもしれないな。彼も含めて、この際「新しい政党」を作って、あやしい人たちをどんどん入れちゃえって、そんな滅茶苦茶なことを言われてもねえ…。

「正統占星学」の“教え”は間違っていた

2017-09-22

昨日、占いサイト「PROLO」で毎月連載している“恋占ニュース”で「破局・離別」が生じる時期判断の方法を公開した。実は、西洋占星学において“別れの時期”を読み取る方法というのは、私の知る限り研究発表されたことがない。運勢的な年時判断の中で、恋人や配偶者との間に“トラブルが生じやすい”と見たてることはあっても、確かな“破局時期”や“離婚時期”として捉える方法はなかった。いや、それだけではない。恋愛の出逢いとか結婚をする年月にしても、的確に“判断する方法”が見当たらなかったのだ。正当な占星学で“教えられている観方”では的中しないからだ。私は、いつの頃からか、オーソドックスな占星学の“教え”を捨てた。それでは正しく鑑定することが出来なかったからだ。そうして振出しに戻って“いつ”なのか、研究し始めた。そうして出逢いや結婚はもちろん、さまざまな“運命の時”を突き止めることに成功した。「破局・離婚」の研究も、そういう一環である。これを知るためには、多数のデータが必要で、それにもってこいなのが、著名人たちの“結婚・離婚”等の報告なのである。面倒で時間はかかるが、こうして数百件の“破局データ”は集まった。それに基づいて分析を進める。ここでは従来の“占星学的な観方”を使わない。というか実際には当てはまらない。多数のデータを、どのように検証していくのかについては研究者以外には不要だと思うので省くが、一言で言えば“共通しているトランジット”を見つける以外にない。出生時の惑星位置を、トランジット(通過)惑星がアスペクト(角度形成)する時期を探し当てる。「離婚」なら、離婚の時期に“共通しているアスペクト”を探し出すのだ。このような実証的な研究というのを何故か“過去の権威者”たちは行っていないのだ。データを集めにくいというのも、理由の一つかもしれないが、理論に溺れ過ぎていたというのが一番の理由だろう。占星学に限らず「占い」は、理論通りに行かないものが多い。実証的なデータを集めて地道に“真実を探り当てること”こそ、私が出来る後進の研究者たちへの“最高のプレゼント”となるだろう。

「運命」と、終わりの「美学」

2017-09-21

何事にも“始まり”があれば“終わり”もある。人は“誕生”して人間としての生命が始まり、“死亡”することで終わりを迎える。個々の社会的役割は、その仕事に就いた時から始まり、その仕事を辞める時に終える。アーティスト・安室奈美恵氏は1992年9月16日に“デビュー”したらしい。そして、少し中途半端なのだが2018年9月16日をもって“引退”するという。つまり“26年間”で“閉幕”という形。CMも抱えている彼女は、辞めたくなったからと言って、すぐは出来ない。だから、少し中途半端な年数となってしまうが、自らが“40歳の誕生日”に「ブログ」を通じて公表したのだろう。なぜ、辞めるのかについては公表しない。それが彼女の「美学」だからだ。人の“生き方”にはいろいろあって、最近はアーティストでも“私生活”を前面に出す人が多くなった。その方が親近感を持たれやすく、心情的な応援を受ける場合も多い。けれども、それは同時にプライベートを“干渉される”生き方でもある。近年は、自分に都合の良い時だけプライベートを見せ、都合が悪くなると見せまいとする芸能人が多すぎる。“さらす”のか“さらさない”のか、どっちつかずはアンフェアである。そういう意味で、安室奈美恵氏は、社会生活と私生活を明確に分離し、仕事も辞めて“公私とも見せない”と決めたのであろう。そうすればプライベートは誰にも干渉されることがない。実際、そういう形で“仕事の第一線”から遠ざかった人たちは多い。“最高の時”に辞めることで、あらゆる面での「美しさ」を保つこともできる。記憶は“永遠”に残る。しかし、その“逆の生き方”もある。その典型は「美の巨人」であった彫刻家・ミケランジェロだ。彼は当時としては大変長命だったが、死の直前まで新たな作品の制作を辞めなかった。晩年のミケランジェロの作品は、とても「ダビデ」や「ピエタ」を制作した人物とは思えないほど力量が衰えていた。それでも、しがみつくように「ロンダニーニのピエタ」を作り続けた。けれども、その最晩年の“崩れ落ちるような彫像”こそ、人間の“生きる苦悩”を表わす最高の作品に私には思える。

“車離れ”は「本当の先進国」になった証拠

2017-09-20

“若者の車離れ”に歯止めが掛からない。それを何んとか防ごうと、19日、トヨタは新しく「GR」シリーズを発売すると発表した。スポーツカーブランドを一新することで、低迷が続く国内の自動車販売をテコ入れしたい考えなのだ。しかし、それによって若者たちは“車に興味を持つ”だろうか。おそらく持たない。第一、若者たちの多くは、車の免許を取ろうとしない。車の免許を持っていることが、ステータスであり、就職時のアピールポイントだった時代は終わっている。免許取得には“金”と“時間”が掛かり過ぎる。それならば、無理に免許を持とうとは思わない。当然の帰結である。或る意味で、“若者の結婚離れ”と似たような感覚がある。“生き方”が多様化してきたことの表れなのだ。私は十代の時に読んだ『何でも見てやろう』を思い出す。後に社会運動の方で有名になった作家・小田実氏の世界旅行記の題名だ。その『何でも見てやろう』の中に、アメリカで車に乗る時の話が出て来る。彼は女性から「車を持っているか?」と訊かれて、持っていないと答える。「免許を持っているか?」と訊かれて、持っていないと答える。そうすると女性は「マーベラス!」と言って目を輝かせたというのだ。つまり「素晴らしい!」という風な意味合いだ。当時のアメリカ社会では、若者たちのほとんどすべてが車の免許を持ち、車を所有し始めていた。だから「サムライの国」からやってきた若者が、そんなものは持っていない、という風な答え方が神秘的に感じられたのだ。私は、これを読んだとき、まだ十代だった。そして、その反応の意味がよく解からなかった。車の免許を取り、車を所有することは、若者たちの憧れだった。あの時、既にアメリカは「成熟した社会」に向かいつつあったのだ。そして、今、日本の若者たちは、そういう社会を形成しつつある。だから車に興味を持たず、免許を取ろうとはしない。だから、むしろ、国内販売が振るわないのは、日本が本当の意味での「先進国」になった証拠であり、アジアやアフリカなど、現在急速に経済発展している国の若者たちが“車を欲する”のは、これまた当然のことなのである。

「生前継承」された7代目の“宗教”

2017-09-19

先日、テレビで今も継承され続ける「カクレキリシタン」に関するドキュメンタリーが放映されていた。その中で印象的だったのは、現在の指導者が口にした“普通のキリスト教やカトリックとは違う”という発言だった。正直、私はこれまで“同じもの”という認識を持っていた。キリスト教の日本における“初期の形”、或いは“秘められたマリア信仰”のように捉えていた。けれども、彼らは“明らかに別物”として「カクレキリシタン」を信仰していた。だから、本来は“公開してはならないもの”なのであった。確かに、いまの日本で何故まだ“隠れ”を続けなければならないのか、その部分が私には不明だった。彼らに言わせると、先祖が多数殉教した中で、命をかけ伝承され続けた“教え”であり、“祈り”なので、一般のキリスト教ではないのだと言う。そういう“軽いものと一緒にされたくない”というのが、頑強ともいえる彼らの信仰形態なのであった。ところで、昨日、日本神道の一派である「黒住教」が1814年の立教以来初めて、教主の「生前継承」というものを行った。6代目教主が80歳を迎える日に、現在の副教主に“教主の座”を譲り渡そうという試みである。葯30万人もの信徒を抱える黒住教であるが、隆盛を誇ったのは明治のことらしく、徐々に衰退してきているらしい。元々、黒住教というのは代々神職の家に生れていた黒住宗忠氏が34歳の時に父母を一度に喪い、自らも大病を患い、一身に祈りを捧げた冬至の日の“日拝”(日の出の太陽を拝むこと)中に起こった“神秘体験”に由来する。太陽神である「天照大御神」と黒住宗忠自身とが“一体化”したのだ。こういう“神秘体験”は、聖人的な偉業を成し遂げた人達にしばしば起こることで、黒住教では「天命直授」として使命を授かったものだとしている。それ以来、この宗教では日の出の太陽を自らの体内に取り込もうとする「日拝」をもっとも重要な信仰形式としている。果たして生前継承された第7代教主は、天照大御神と一体化し、日本に“神の力”を体現できるのであろうか。

甲冑姿の「サムライ」が刀を向ける

2017-09-18

近年の歴史・時代物ブームで“古戦場跡”観光というものが盛り上がっている。それ自体は良いことなのだが、その“古戦場跡”の一つ「関ケ原」で全身甲冑姿の「サムライ」が、山頂に続く階段を登りきったところで待ち構え、観光客に対して「おまえは、西軍なのか、東軍なのか」と威圧しながら刀を抜いて眼前に向けて来たなら、誰でも恐怖を感じてしまう。このほど、関ケ原観光協会が「そういう行為はたとえ冗談であっても絶対にしないでください」との通達を出した。近年、密かにブームとなっているものに「甲冑コスプレ」がある。江戸時代さながらに、全身を鎧で覆い、模造品の刀を差して、そういう姿のまま古戦場に出没する人物たち。一般の観光客は、古戦場跡に来ているので、そういうサムライたちがいると一緒に写真を撮ろうと盛り上がる。おそらく、刀を抜いての威嚇も、そういうコスプレの延長で、映画の一場面のようなつもりで行ってしまった行為かもしれない。けれども、階段を上りきったところで、いきなり目の前に甲冑姿の武士が出て来て刀を向けられたなら、恐怖を抱くのは当然である。しかも、そこは“古戦場跡”なのだ。私が最も恐れるのは、古戦場というのは“多数の戦死者が出た場所”だという点である。それら死者の多くは、きちんと弔われていない。したがって、現在でも怨念を抱きながら“浮遊”している可能性もある。甲冑姿になることで、そういう浮遊霊が憑かないとも限らない。自分自身は“遊び”のつもりでも、その刀に後退りして、階段から転げ落ちてしまう可能性もある。最近は、欧米人たちの間でも“甲冑コスプレ”への憧れを抱いている人たちがいる。欧米人たちにとって、甲冑姿というのは“魅力的”なのだ。確かに、どこかしら“アニメっぽい要素”がある。“なり切りたい”気持ちが解からないではないが、ブームになること自体が“大きな危険”と背中合わせであることに気付かなければならない。

« Older Entries
Copyright© 2015 NAMIKISEIRYU All Rights Reserved.