11月, 2017年

「サスケ」と「たけし」が世界を制覇する!

2017-11-25

欧米においてTBS「SASUKE」が人気を博している…ということは知っていた。けれども、まさか中東においても“超人気番組”になっているとは知らなかった。日本は昔、アニメの輸出によって欧米富裕層の子供たちを惹きつけた過去がある。それらを見て育った若者たちが、現在の“訪日ブーム”の大きな役割を担っている。彼らの中には、初来日なのに日本文化を十分に知り尽くしている若者もいる。日本のアニメで育つことによって、日本的な感性を自然に身に付けたり、習得していたりするのだ。だから、そういう人たちは日本に暮らしても違和感がない。日本語の発音も大変に良い。TBSのスポーツ・エンターテイメント番組「サスケ」は、欧米では「Ninja」として熱烈な支持を集める。或る意味では“総合スポーツ”として広がりを見せつつある。しかも、それがいつの間にか世界の165の国でも見られていて、特に、ドバイに拠点を置くMBCを通じてアラビア語圏の17か国でも放送されている「SASUKE」は大人気なのだそうだ。近年、日本との関係が深まりつつあるサウジアラビアは、フェサール王子が自ら来日、この「SASUKE」と「風雲!たけし城」それぞれの“現地制作版”の許可を取り付けに来た。「たけし」の方は、現在159ヶ国で放映されているらしい。丁度80年代、日本にも“たけし”にも勢いのあった時代の番組で、或る意味では“過去の大らかな日本”が受けているということになる。今は世界的に“規制”が多すぎて、本当に面白い番組作りが難しくなっている。ただ、アニメだけでなく、こういう番組も“世界的な人気を得られる”ということは、日本には“文化の発信地”としての役割があるということ、世界を“リードできる”素質を持っているということ、世界を“日本的なもの”で染めていくことによって、もしかしたら“世界平和も実現できる”可能性があることを教えてくれている。

「勤労感謝の日」84歳、深夜7時間の激務

2017-11-24

「勤労感謝の日」というのは、日頃働いている労働者が“骨休め”をして良い日だと多くの人が思っている。ところが、そうではないのだ。この日は元々「新嘗祭(にいなめさい)」という“大祭の日”であった。それが戦後改められて「勤労感謝」になった。元々は“祭り日”で、それも宮中における神事としての「新嘗祭」を執り行う日なのである。当然、天皇が行う。それも午後の6時から深夜1時迄、実に7時間の間、休憩を交えず執り行わなければならない大切な神事とされている。しかも、その間、重くて白い御祭服を身にまとった天皇は、底冷えのするこの時期、暖房の無い神嘉殿において“神事”に挑む。古来からの神事なので天皇以外は采女(うねめ)2人が付くだけで他は誰一人は入れない。新嘗祭とは“その年の収穫を感謝する祭り”で、天・地の“神”と、人間の“神”である天皇と、三者で収穫された飲食物を共有し合う形を取るための儀式だ。もっとわかりやすく言うと“天”と“地”と“人”それぞれの「神」が“収穫の宴”を儀式的に催す日なのだ。だから、自分だけが「寒いから…」もう帰るとか、「眠いから…」もう止めようとか、「酔っぱらったから…」もう飲めないとか、言っちゃいけない儀式なのだ。本当は、もっと“簡略化”しても良いのだけれど、現天皇は自ら古式にのっとった方法でそれを継承している。(内緒だけど、昭和天皇はもっと略式化していたらしい)まあ、言ってみれば、国民のために、来年以降も作物が収穫できるよう「天」や「地」の“神”に深夜まで付き合ってあげているのだ。涙ぐましい努力。サラリーマンが深夜に泥酔しているのとはわけが違うのだ。やっぱり「人間」なのに「神様」になるのは大変なんだよ。だれ? 采女の二人に“肩や腰をもませているんだろう”なんて不謹慎なことを言うのは…。確かに新嘗祭の衣裳はとびきり重くて歩くのもやっとだけど、そんなこと出来ない…何故って、皇太子殿下が入り口で帰りを待っている。この衣裳は簡単に着たり脱いだり出来ない特殊な作りになっている。何しろ着るのに数十分も掛かるのだ。だけど、何しろ「天」や「地」の神様と逢わなきゃならないから正装でないと叱られるし…だから早く引退したいんだ。

若者より老人の方が“外出好き”だった⁉

2017-11-23

国土交通省の調査だから多分、本当なのだろう。日本の場合、20代の若者よりも、70代の老人の方が“多く外出している”という驚くべき結果が公表された。この若者の外出が減ってきていること自体は世界的な現象らしく、或る意味で“時代の流れ”としては自然なことらしい。確かに、現代は生活そのものが便利になっているので、いちいち外出しなくても間に合う、というのが減ってきた一番の理由かもしれない。ただ70代の老人たちの外出が増えているのは日本固有の現象らしく、この部分が気になる。つまり、日本の老人たちには“健康な人が多い”ということだろう。そうでなければ頻繁に外出できない。それ以外では“好奇心旺盛”な人達が多いとか、“経済的余裕がある”とか、“寂しがり屋が多い”とか…一応それなりの理由はいろいろ考えられる。同じ20代でも男女比では、圧倒的に男性の外出率が低いらしい。これをどう考えれば良いのだろう。一つの理由として20代男性の場合、“非正規雇用”の割合が半数以上となり、休日に外出して遊べるほどの収入がないというネット上の声がある。確かに外出すれば、お金はかかる。今はスマホなどで友人や仲間とも常に連絡を取り合うケースが多く、実際に外で逢わなくても用が足りるとか、会話が出来るということも、外出を抑える原因かもしれない。そうは思うものの、やはり70代よりも20代の方が家に“ひきこもりがち”というのは、何かがおかしい。私なども、仕事で一日中家の中に“ひきこもる”ことは多い。ただ何日も外出していないと、何となく“外へ出てみたい”欲求が、身体の内部から湧き上がってくる。だから、天気の良い時には“健康”のことも考え、なるべく外出するようにはしている。もしかすると、老人たちの外出が多いのは、自らの“健康”を意識しているからかもしれない。20代前半の時、私は徒歩で会社まで通った。下駄をはいて国道沿いを一人歩き続けたものだ。長い時には徒歩で50分くらいの距離を雨の日以外は毎日歩いた。歩きながら、いろいろと空想するのが好きだった。おそらく、車でビュンビュン通り過ぎる人たちには“貧しい孤独な若者”に映っていたに違いない。けれども、私には昔から下駄をカラコロ鳴らしながら、歩く時間が無性に幸せだった。

日馬富士は「流行語大賞」を狙っていたのか?

2017-11-22

予想外の方向へと動き出した感のある「日馬富士の暴行事件」。どうも雲行きが怪しくなってきた。人は誰でも酒が入ると、ついつい口が滑る。気持ちもふらつく。だから、時には“タブーな言葉”なんかもぶつけてしまうのである。この問題は“角界の問題”として扱われてきているが、どうも、それだけでもないような気が私にはする。「週刊新潮」の取材によると、ちゃんこ鍋店では何も起こらず、二次会のラウンジの個室でそれは起こった。だから、そこに同席した者達だけが真相を知っている。スマホを弄っていた貴ノ岩に対して、日馬富士は怒鳴り散らし、やがて暴力をふるった。まあ、一般の会社に例えるなら、忘年会の二次会で、上司が部下に対して話している最中、その部下がスマホを弄り、話を無視したということで、上司が部下を何度も大声で侮辱しながら一方的に殴り続けた、という話らしい。こういう場合、一般企業なら、どう対処するのだろうか。怪我で会社に出られないほどの大怪我であったとすれば、やはり、その上司の暴力は大いに問題とされるであろう。パワハラというだけでは済まない。さらに日馬富士の場合、決定的なモンゴルの“侮辱語”を何度も大声で貴ノ岩に投げつけている。「ビスタ!」と何度も言いながら、叩きのめしたのだ。それも、手だけでなく、物まで使って殴っている。この「ビスタ」とは、モンゴル語で「女性器」を意味する隠語で「お前のような者は女性器でも舐めていれば良いのだ」という風な意味合いの侮辱語であるようだ。う~ん、そうなのか。舐めるのか。しかし「ビスタ」という響きは憶えやすくてなかなか良い。何度も何度も連発したというのは「流行語大賞」を狙っていたからではないだろうか。そうに違いない。それにしても、相撲世界にはモンゴル人が多くなった。上位力士の大半がモンゴル人になりつつある。そして、いろいろと事件が多くなった。相撲は日本の国技であり、元々は神事でもあった。だから、本来は日本人力士たちが上位を占めなければならない。外国人が“三役”に上がる場合に「日本人に帰化する」ことを条件としてはどうだろう。そうすれば、多分、おかしな事件は起こらなくなる気がする。日本人に帰化できない人はプロレスラーとして暴れれば良いのだ。

「大谷選手の故障」と「株価予測」が見事的中‼

2017-11-21

早いもので今年も“雪景色”の季節となった。そこで、今年一年の「波木星龍の占い予言」を振り返ることにする。私は別に、有名人の予言とか、社会的な予言とか、本当はそんなことはどうでも良いことで、私のところに相談に見えた方々が、私の占いアドバイスによって倖せを掴んだり、幸運に恵まれたりしてくれることが一番うれしい。あとは後進のための“占い書籍”を書き上げていくこと、それが売れてくれること、それ以外にない。けれども、ネットなどを見ると、必ず、占い師の評価として「当たる」とか「当たらない」とか言うことが出て来る。だから客観的な評価の基準として、解かりやすいようにこれらを書いている。そこで、今年一年だが、実際に収録したのは昨年だがTV放映されたのは今年なので、今年のこととして「日ハム・大谷選手への足の故障の予言」が一番のインパクトだったかもしれない。あの時、TV放映の放送分ではほんの一部分の話しか出ていないが、実はMCを務めたブラマヨ・吉田氏が、私に対してかなり突っ込んだ質問をしている。私は“足の怪我”を指摘する前に「残念ながら、今年の活躍は期待できない」と言ったのだ。そうすると本人ではなく、吉田氏が「今季よりも成績が下回るということ?」「そうですね」「本気で言ってるの?」「はい」「今年のMVPですよ。それが活躍できない?」それはブラマヨとしての突っ込みというよりも、個人的な憤慨のように聴こえた。「確かに、大谷選手の素質は誰もが認めるところです。けれどもそれはフルシーズン働いていれば…ということで、出場できなければ良い成績は残せません」そういうやり取りの後で「足の故障」を指摘したのだ。その時にも、吉田氏は「じゃ、いつなんですか、その怪我は…」「スタート時と出ているので、野球ですから3月から4月にかけての開始時期です」大谷選手は終始黙っていた。むしろ、私と吉田氏とが一発触発的な雰囲気だったので、困惑した様子ですらあった。ただ大谷選手が、私の話で唯一反応したのは、私が吉田氏から過去の的中例を問われて、大谷選手に関しては彼が日ハムに入団した年の暮れ、まだプロとして未知の段階で「二刀流として活躍する」と北海道新聞紙上で述べていること、その時点で「大リーグに行っても成功できる」と断言していた、と述べた時である。この時だけ、大谷選手は本当ですか…という表情で反応した。結果的に、大谷選手への占いは「三つの形での的中」となりそうである。一つは1月下旬の足の怪我である。極めて早い時期に故障してしまった。この時は球団側が何故か“昨年秋の故障”だったと強調している。本人からのコメントではない。実は、私たちが逢った時、正に11月下旬の収録だったのだが、足に故障があるなどとは一言も口にしなかった。しかも、その時、ブラマヨから「足の怪我と占われましたけど、足の方はどうですか?」と訊かれているのだ。けれども、本人は「高校野球の時に一度痛めていて…」と昔のことを話している。何も隠している風はなかった。ネット上では、この1月の怪我発覚の時、私の占いの予言が話題となった。時期はちょっと違うが“足の怪我”とはこれだったんだ、と多くの方は思ったに違いない。実は、私はそうは思っていなかった。その後になって怪我は回復し、彼は開幕に何とか間に合ってスタートした。そして4月の試合中に再び足を故障した。結果的には、これが致命傷となり、秋まで出場できなかった。その結果として彼の成績としては、実に寂しい限りの成績となった。それでも、彼は“大リーグ”への挑戦を表明した。私は、ここに注目した。足の故障は終わったが、“今年の足”は、必ずしも肉体の足ばかりを指すわけではない。“移籍する足”をも指していると見ていたからだ。つまり、大リーグへの移籍がすんなり行われるとは、私には思われなかったのだ。実際、スムーズにいくかに思われた移籍は、ここに来て時間が掛かりそうな雲行きとなっている。ただ、占い的にはその方が良い。来年に入ってからの“移籍”の方が、今年の「運」を引き摺らなくて良いからだ。

今年は、もう一つ「日本株=日経平均」の予測を多く行った。これまで節目節目でブログの中で書いてきたので、読まれてきている方は知っていると思うが、その多くの予告は、ものの見事に的中した。このようなことを、金融アナリストでもない私が書いて良いのかどうかわからないが、株価予測というのは、その道のプロでも大変に難しい。私は9月13日に「日本株反転の兆し」を書き、これまで低迷気味だった日本株は、もしかすると今後大きく反転していく可能性があることを記した。実際、それから徐々に“日経平均”は上昇カーブを描くことになる。ただ、この段階では誰もその後の本格上昇を予測していなかった。そこで、9月28日に「日本株“長期上昇の形”は整った」を書いた。謂わば、これから本格的に“日本株”は長期上昇トレンドに入っていきますよ、という予告をしておいたのだ。この時までは、確かに少し上昇はしたが、それは低迷してきた株価をやっと“持ち直した”ような状態で、本当の意味での“明らかな上昇ライン”とまでは言えなかったのだ。ところが、この宣言をして後、日経平均はものの見事に上昇コースを歩んだ。歴史的にも初めての“16連騰”を演じたのだ。つまり、16日営業日一日も下がることなく上げ続けたのである。その後10月の下旬に一度下がったが、すぐにまた上昇を始めた。その時「日本株の上昇が止まらない」を書いた。実際、この頃から“日経平均”の上昇カーブに加速度がつき始めていた。これは、ちょっとおかしいなと感じた。こういう急上昇の時には、或る程度の“行き過ぎ”が生じやすい。つまり、一時的に上がり過ぎるのだ。だから、私は早ければ11月上旬、遅くとも11月中旬には一時的な“調整時期”が訪れるだろう、と予測しておいた。そして実際に、その時期は来た。あまりにも急騰し過ぎた反動で、一日の内に800円以上も上下したのだ。そこで、翌日「日本株の急落が始まる」を書いた。実際、その日から何んと6日間も続落したのだ。結果的に最高時23400円くらいまで急上昇していた日経平均は22000円以下まで1500円ほども急落したのだ。ただ私は21000円以下まで下がるかもしれない…と書いていたので、その点では少しオーバーだったと言える。また、下げて調整する期間も、それほど長く続かなかった。そういう点では、或る意味で完全的中とは言えない。それでも、誰も“急落する”と予測していない中で、私だけが言っていたのだから、その点は合格点だろう。

今年は、正直、自分自身にとっては“良い年”なのか、“悪い年”なのか、よく解からなかった。ただ占いの的中という点だけからいえば「この一言で救われる」の中でも、このブログでも、ずいぶんいろいろと予言し、その多くは的中した。最初にも述べたように、私は何も自慢したいから、これを書いているのではない。他の占い師の方々は、どの程度の的中率を持っているのか知らないが、私の占いに関しては、変な“やらせっぽい書き込み”などを参考にするより、こういう客観的な事実をぜひ参考にしてほしいだけである。

21世紀は「海底遺跡」の時代

2017-11-21

時代が進むことで、過去が解かって来る。近年、水中考古学というものが脚光を浴び始めている。これまでは、海の底の探索はいろいろな意味で難しかった。それが、ここに来て徐々に可能となった。その結果、まだまだ知られていないたくさんの遺跡が海の底に眠っているらしいことが判明し出している。トルコ最大の湖として観光客に知られるヴァン湖の海底には、遺跡が眠っているという“地元の噂”は昔からあった。けれども、これまでの調査で考古学者は“噂”を否定してきた。ところが、今回タフシン・ジェイラン氏率いるダイバーチームが大規模な海底調査を行ったところ、約1キロメートルに渡って城壁や要塞のような見事な石組の列が発見された。3000年前のウラルトゥ王国時代の遺跡らしい。街自体が徐々に海底へと埋没したらしいのだ。正直、私は知らなかったが、ウラルトゥ王国というのは、現在のトルコ、アルメニア、イランにまたがる広域の古代国家として栄えていたらしい。したがって今後、さまざまな遺物が湖から引き上げられる可能性がある。多くの学者たちが否定していた遺跡を発見できたのは、ジェイラン氏が“地元の噂”を信じたからである。そう“地元の噂”というのは、頭から否定できないのだ。もしかすると、21世紀はダイバーたちが“遺跡を発見する”時代かもしれない。ギリシャのアレキサンドリアの海岸付近には、クレオパトラの王宮があった…という伝説がある。実際、海岸からそう遠くないところから多数の遺跡が既に見つかっている。ただ予算の関係からなのか中断したままのようだ。このような場所が他にもたくさんあるらしい。財宝を積んだ沈没船の探索と同じで、こういうものは当てずっぽうというわけにはいかない。海底用の高度な探索機が必要なのだ。海や湖の中は、大勢での探索が困難である。引き上げそのものにも時間が掛かる。けれども、案外“お宝”が無傷のまま眠っている可能性は大きい。日本にはそういう“噂の街”はなかっただろうか。遺跡でなくても海底油田や金鉱の発見でも良いから、確実な大発見のニュースが欲しい。

人間の身体は「機械」なのかもしれない

2017-11-20

これを読まれる99%の人が「何をバカな…」と思うことだろう。けれども、私は“人間の身体は機械かもしれない”と本気で思っている。だからこそ時々信じられないようなミスが生じる。機械として埋め込まれている部品が外れるとか、故障するとかするのだ。彼女の場合には、細菌やウィルスから身を守るはずの抗体の機能が逆転し、自らの“脳”を攻撃し出したのだ。その結果、中原麻衣さんは突然倒れた。すべての記憶が失われ、真夜中に奇声を発するとか泣き喚くとかした。徐々に意識が失われ、やがて昏睡状態に陥った。一時的には心肺停止にもなった。「意識が回復する見込みはない」医師は無情にも家族に、そして婚約者にもそう告げた。それでも、婚約者・中原尚志氏は奇跡を信じた。信じるしかなかったのかもしれない。やがて原因が突き止められた。「抗NMDA受容体脳炎」という100万人に一人以下しか発症例のない奇病だったのだ。そうして治療法が少しでも解かるにつれ、かすかな希望が出てきた。一年後に目が開き、それから半年後に人工呼吸器が外された。そうして倒れて5年後に、ようやく退院できた。ただ家族は認識できても、婚約者の記憶は戻らなかった。それでも日記帳などを頼りとして徐々に記憶が蘇り始めた。こうして“奇跡の結婚式”が2014年12月に行われた。この模様がユーチューブで公開され、多くの人達の感動を呼び、あっという間に映画化が実現。「8年越しの花嫁~奇跡の実話~」として12月16日より全国上映される。もし、人間の身体が「機械」ではないなら、いったん失われた機能は永遠に戻らない。けれども、機械なので、その部品さえ何とかすれば、元に戻っていく可能性があるのだ。実際、多くの手術は、そういう意識で行われる。内部的な“精密部品”は取り外しや入れ替えが難しいが、決して不可能なことではない。したがって、その部品だけの“入れ替え”や“故障修理”という意識で治療した方が、奇怪な難病とか、重い内部疾患も治りやすい気がするのだ。

女性の地位は二極化されている

2017-11-19

世界的に見ると、日本というのは女性の社会進出がまだまだ“進まない国”の代表的な国の一つだ。だから総体的に言うと、“男性優位社会”ということになる。そうは言っても、私が日ごろ接する女性達を見ていると、自分で起業し、社会的にも経済的にも成功して、男性達と互角か、或いはそれ以上の活躍を見せている女性達も多い。夫だけを頼って生きている女性の比率は決して高くない。それでも、こういう本が出て、ベストセラーになりつつあるというのは共感者たちが多いからだろうか。その本とは『だんなデスノート~夫の「死」を願う妻たちの叫び~』(宝島社刊)という本で、元々ウェブサイト「だんなデスノート」に寄せられた“書き込み”をまとめた書籍なのだ。おおよそ1万件の“書き込み”から129件を選りすぐってまとめたものだ。「一刻も早く死んでほしい」とか「早く地獄へと連れて行ってください」とか、なかなかに強烈な内容のものが多い。担当編集者によれば、その内容が本当か嘘かは分からない。とりあえずリアリティのあるものを優先したそうだ。それにしても、夫の“悪口”を書き込むだけのサイトに主婦たちが集まり、“悪口”を繰り返すのは何んとも寂しい。サラリーマンが上司の悪口を“飲み屋”で繰り返しているのと、どこか似ている。私は会社勤めの頃、そういう同僚たちにいつも面食らった。私なら間違ったことを言われたり、無理なことを頼まれたり、強引に仕事を押し付けられたりすれば、黙ってはいない。上司だろうが、社長だろうが、その場で撤回させようとする。だから、彼らにも「どうして黙っているの?」と必ず言った。そうすると彼らは、別な惑星の生き物でも見るような眼になって「そりゃ、言えないだろう、上司なんだよ」と酒をあおった。同じような部分が、今でも、夫と妻の間にあるのだろうか。私のところには、似たような相談は滅多に来ない。何故か、女性主導型の家庭からの相談事が多い。或いは、旦那は旦那、私は私、という互いを認め合う“クールな夫婦間”に起こる問題や出来事での相談事が多い。日本の場合、近年は特に“あらゆるもの”が二極化しつつある。“強い女性”と“弱い女性”とがどんどん増えて、その中間の“丁度良い女性”が、なぜ見当たらないのだろう。

安室よりも丘の方が“紅白”には合っている

2017-11-18

今年で68回目を迎えたNHK紅白歌合戦。その“初出場組”のお披露目があった。その中で、一人だけ和装で現れたのが演歌で初出場となる「丘みどり」であった。と言っても、正直、私はこの人の歌をきちんと聴いたことがない。聴いたことはないが、こういう人こそ、紅白歌合戦にはふさわしい。正直なところ、私は最近の演歌の低迷は、演歌というより歌謡曲全体の低迷は、“作り手側”の完全な勘違いから来ていると思っている。まず、歌謡曲をあまりにジャンルに分けしすぎである。例えば“演歌”なら“演歌”とはこういうものという“押し付け”が感じられる。“ロック”なら“ロック”とはこういうものという押し付けが感じられる。“アイドル”がこれだけ乱立しているのに、そこから抜け出していく“本当のアイドル”が出てこない。それは、作り手側が“アイドル”とはこういうものと勝手に決めつけ、そういうものに“枠”をはめて、本来の“みんなが自然に歌いたくなるような歌”を作ろうという意識が乏しいからである。元々、日本の歌唱はそういう“自然さ”の中で培われ、支持されてきたものである。日本に“演歌”が生まれたのは、“演歌のような人生”を歩んでいる人たちがたくさんいたからだ。ところが、最近の“演歌”は、明らかに“作り物の世界”に陥っている。そこには実際の生活がない。だから、そんな歌に共感できるわけがない。戦後、日本の復興に“演歌”は大きな役割を果たした。それは、実際の生活と歌謡曲の内容とが見事に歩調を合わせていたからだ。その大切な部分を、なぜ今の作り手は“引き出そう”とはしないのだろうか。特に“演歌”の作り手は、なぜ“時代物”などというおかしな楽曲を演歌などと勘違いしているのだろうか。或いは、現実とは“遊離した世界”を得々と歌うように指導するのだろうか。或る意味で、美輪明宏の「ヨイトマケの歌」は、あの時代における演歌だった。だから、久しぶりに“紅白らしさ”が出た選曲となった。けれども、毎回あれでは逆に“もういい”ということになる。いくらでも良い曲は過去にある。だが、本当は今の世相に相応しい歌謡曲が一番良いのだ。今年に“相応しい曲”が歌われるのが一番良いのだ。年の終わりに、誰もが“今年”を感じ取れるような曲が良い。もう、誰もがそう思って共有できる“歌謡曲”が無くなって久しい。安室奈美恵さんは確かに“素晴らしい歌手”だが、引退しようとする歌手を無理やりステージにあげるのはやめた方が良い。それでは“来年の展望”が抱けない。どうしてそれが解からないのだろう。

「日本」は“来年行きたい国”№1になった

2017-11-17

まるで“雪だるま”のように、世界各地に「慰安婦像」を作り続けている韓国だが、その韓国人の海外旅行者たちを対象として、2018年に“行きたい国”のアンケートを取ったら、何とダントツで我が“日本”が選ばれたようだ。日本は21%で、次のベトナム、タイ、アメリカの7%台を大きく引き離している。また、実際に日本に来た方達の満足度でも、他の国よりも圧倒的に高い。つまり、韓国人たちにとって、日本の歴史行動は許せないが、日本の国自体と日本人個人とは“大好き”なようだ。それに対して、日本人の方はどうなのかというと、2014年の訪問国として5位につけていた韓国だが、2015年は9位となり、2016年では10位となった。徐々に人気が下降している。それでも、まだ10位くらいに踏みとどまっているのが不思議なほどでさえある。この10位にあるのは“韓流”のおかげで、アンケート調査でも「韓流以外に魅力のある対象がない」と手厳しい。確かに、私の経験でも“観光地”としての魅力は乏しいのが韓国だ。辛いものが苦手な人は食事の面でも魅力に乏しい。第一、韓国の器は見栄えがせず、食欲をそそらないのだ。ただ親切な韓国の老人は、私が電車の改札口からスムーズに出られないでいた時、すぐに近寄ってきて教えてくれた。海外に行くと昔から、親切なおばさんやおじさんが出て来て助けてくれる。どこの国でもそうだが、言葉など通じなくても、日本語で言えば何となく分かってくれる。行きたいところがあれば、地図を開いて、場所名を連呼すれば良い。あれはハンガリーだったと思うが、狙いを定めた親切そうなおばさんに地図を差し出した。「すいません。教えてください」日本語で地図を突き出して立ちふさがる。相手は驚き、解からないと逃れようとする。そこで、逃さないのが大切なのだ。地図を指さしながら、その場所名だけを大声で連呼する。こうすると、ほとんどの人は“ここに行きたいのか”と理解する。但し、日本語の地図は向こうの人には分かりにくい。それでも、指さしながら連呼すると、その日本語地図から、今の場所を探し出し、行きたい場所を手指方向で指し示す。OK! それが判れば十分なのだ。あとは、また、その近くまで行って聞けばよい。下手な英語よりも日本語での地名や場所名の連呼の方が、よほど通じる。海外では親切そうな人は決して逃してはならない。

「警察学校」で教えていたのは…

2017-11-16

私も大昔、一般企業に勤めていた20代の頃、会社のみんなと行った経験があるのが“野球賭博”である。私はその頃、それが道徳的に良くないことだとは思ったが、法律的にも良くないことだとは知らなかった。だから仕事に直接的な影響はないのだから、そして“僅かな掛け金”で行うのだから、娯楽として許されるだろうくらいに思っていた。高校野球の甲子園大会での成績を“賭け”の対象にするのだから、今考えると、真摯にプレーしている球児たちに対して申し訳ない気持ちにならなければいけないのだが、その時は、お金を賭けることで“熱の入った応援”となり、会社の参加メンバー間の交流も進むのだから、良いことだと勝手に解釈していた。そして、私は何故か“ぶっちぎり”で強かった。だから、いつも賭けで買った賞金で、みんなにコーラをおごっていた。参加していない女子社員にもおごるので、我が社内での“野球賭博”の評判は良かった。ところが、その大会中、ラジオを聴きながら仕事をするので機械操作の方でミスが頻発する、ということで会社側からクレームが入り、それ以降は中止となった。話は現代となり、佐賀県の警察学校で、8月25日に学校の寮生たちの間でトランプカードによる“富豪賭博”が20日間くらいの間に60回以上も行われたとして、それに参加していた警察学校の寮生たち12人が書類送検された。寮生たちは丁度“中間試験”の最中であり、或る意味で「警察官」を嫌でも自覚する時期だが、試験勉強そっちのけで現金を賭けて“トランプ”に勤しんでいた。さらに、もう一つの事件が発覚していて、試験でカンニングが行われたのである。「賭博」と「カンニング」を、警察学校を舞台として行っていたのだ。一般企業ならともかく、何よりも“法律の番人”として生きなければならない警察官の学校を舞台として行われた。まあ、トランプをやっていたから試験勉強がおろそかになり、結果的にカンニングまでしてしまった…。結局、賭博を呼びかけた人物と、カンニングを行った人物とは、警察学校を自主退学したらしい。そうなのだ。私もギャンブルは好きなので、人のことは言えないが…少なくとも彼らは自分たちが警察官に向いていなかったことを自覚したはずである。警察官になる前で良かったのだ。もし、このまま警察官になったなら、危なかった。そして、彼らはまだ若い。もっと、自分たちに向いた職業を探せば良いのだ。

なぜ日本の芸能界は作品を評価しないのか

2017-11-15

映画「SUNNY」に出演予定だった女優・真木よう子さんが出演シーン撮影直前になって“体調不良”を理由に降板し、代役を立てることになった問題を一部週刊誌が本人直撃という形で取材している。それによると、本人は出演予定だったが、事務所側が一方的に“出演キャンセル”を制作サイドに申し込んでいたという。今年の夏、TVの主演ドラマの視聴率を上げるため、各種アピールを繰り返し、それがかえって不評となり、ひいてはネット上での“炎上騒動”にまで発展した真木さんは、このところ窮地に陥っているようだ。私は一連の騒動を見ていて、この人に…というよりも、日本の芸能界というか、最近のマスコミ関係というか、そちらの方に問題があるように思えて仕方がない。どうも、日本の芸能界は“個々の役割”が明確ではない。本来、役者は“宣伝マン”ではないはずだ。それなのに、近年はドラマ制作や映画公開が近づくと、必ず出演している役者に、そのアピールをさせる。そして視聴率が取れなかったり、入場動員数が乏しかったりすると、まるで本人に魅力がないからであるかのような扱い方をする。ドラマ、映画、舞台というものは、本来一人で出来上がるようなものではない。私は大昔、まだ20代半ばだったが、アマチュア演劇を主宰していた時期がある。僅か2年くらいの短い間だったが、それでも市民会館で上演もした。主役も演じた。その経験から言っても、一つの舞台を作り上げるのに、多数の人間が多くの時間を使って製作していく大変さを知っている。けっして、主役一人が頑張って、どうこう出来るような世界ではないのだ。それなのに、視聴率が高ければ“主役の力”であるかのような評価をし、視聴率や観客動員数が少なければ主役に魅力が乏しいからであるからのような評価を下す。日本の社会全体も、そういうマスコミやネットの論調に、まるで洗脳されているかのようですらある。ドラマは原作があり、脚本があり、監督がいて、主役がいて、脇役が固めて、裏方スタッフが協力して、営業が宣伝をかけて、一つの作品になる。主役一人に責任を負わせるなど根本的におかしい。しかも主役本人までが、低視聴率は“自分のせいだ”と思い込んでいるような行動まで行う。良い作品、良い役者を育てたいなら、まずは“芝居”というものの本質に立ち返って「生命の宿った作品」を世に送り出すことが第一だし、視聴率や観客動員は後からついてくるものだという考えに立たない限り、本当に価値ある作品は誕生しないだろう。

ロボットがおもてなしてくれる時代

2017-11-14

11月16日から26日まで「ネスカフェ原宿」内に「おもてなし無人カフェ」が試験的にオープンするらしい。人型ロボットと最新のコーヒーマシンが、個々の好みを聞き分けて“その人好みのコーヒー”を淹れてくれる…という未来型サービス。それぞれの顔を認識し、二度目からは黙っていても“お好みのコーヒー”が出て来るらしい。20年後くらいには、それが“普通”になっているのかもしれない。誰もがロボットと会話し、黙っていてもお好みの飲み物やおやつが出て来て、料金は自動で引き落とされる。高級ホテル型シェアハウスを自宅とし、夜になると、それぞれお好みの“癒しのドール”がやって来る。う~ん、素晴らしいような、寂しいような不思議な気分。中国では最近、ラブドール業界で“世界初”の株式上場を果たした会社がある。その社長・楊氏は日本留学中に“ラブドール”と関わり、故国に帰って後、26歳で起業した。最初は日本の企業から教わったが、現在は完全自国製であり、ロボット工学の専門家などと協力、本格的な“人型ラブドール”の開発に余念がない。価格も日本円で5万円から40万円まで各種取り揃えているらしい。その内、日本にも輸出したいと張り切っている。何しろ、中国では“一人っ子政策”の後遺症として男女比の比率が合わず、3000万人もの男性が生涯未婚で過ごさなければならない。したがって、“ラブドール”は必需品なのだ。富裕層がとっかえ、ひっかえ試したくて購入する。う~ん、何ともコメントのしようがない。まあ、しかし、この会社、“ラブドール”製造だけを目的としているわけではない。将来的には各企業の“受付嬢”もロボット化させていきたいのだ。確かに、受付嬢はロボットの方が実務に長けているかも…。ただ何だか味気ないというか、虚しいというか、中国の男性たちって、いろいろな意味で大変な国に生れたもんだ。

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