11月, 2017年

安室よりも丘の方が“紅白”には合っている

2017-11-18

今年で68回目を迎えたNHK紅白歌合戦。その“初出場組”のお披露目があった。その中で、一人だけ和装で現れたのが演歌で初出場となる「丘みどり」であった。と言っても、正直、私はこの人の歌をきちんと聴いたことがない。聴いたことはないが、こういう人こそ、紅白歌合戦にはふさわしい。正直なところ、私は最近の演歌の低迷は、演歌というより歌謡曲全体の低迷は、“作り手側”の完全な勘違いから来ていると思っている。まず、歌謡曲をあまりにジャンルに分けしすぎである。例えば“演歌”なら“演歌”とはこういうものという“押し付け”が感じられる。“ロック”なら“ロック”とはこういうものという押し付けが感じられる。“アイドル”がこれだけ乱立しているのに、そこから抜け出していく“本当のアイドル”が出てこない。それは、作り手側が“アイドル”とはこういうものと勝手に決めつけ、そういうものに“枠”をはめて、本来の“みんなが自然に歌いたくなるような歌”を作ろうという意識が乏しいからである。元々、日本の歌唱はそういう“自然さ”の中で培われ、支持されてきたものである。日本に“演歌”が生まれたのは、“演歌のような人生”を歩んでいる人たちがたくさんいたからだ。ところが、最近の“演歌”は、明らかに“作り物の世界”に陥っている。そこには実際の生活がない。だから、そんな歌に共感できるわけがない。戦後、日本の復興に“演歌”は大きな役割を果たした。それは、実際の生活と歌謡曲の内容とが見事に歩調を合わせていたからだ。その大切な部分を、なぜ今の作り手は“引き出そう”とはしないのだろうか。特に“演歌”の作り手は、なぜ“時代物”などというおかしな楽曲を演歌などと勘違いしているのだろうか。或いは、現実とは“遊離した世界”を得々と歌うように指導するのだろうか。或る意味で、美輪明宏の「ヨイトマケの歌」は、あの時代における演歌だった。だから、久しぶりに“紅白らしさ”が出た選曲となった。けれども、毎回あれでは逆に“もういい”ということになる。いくらでも良い曲は過去にある。だが、本当は今の世相に相応しい歌謡曲が一番良いのだ。今年に“相応しい曲”が歌われるのが一番良いのだ。年の終わりに、誰もが“今年”を感じ取れるような曲が良い。もう、誰もがそう思って共有できる“歌謡曲”が無くなって久しい。安室奈美恵さんは確かに“素晴らしい歌手”だが、引退しようとする歌手を無理やりステージにあげるのはやめた方が良い。それでは“来年の展望”が抱けない。どうしてそれが解からないのだろう。

「日本」は“来年行きたい国”№1になった

2017-11-17

まるで“雪だるま”のように、世界各地に「慰安婦像」を作り続けている韓国だが、その韓国人の海外旅行者たちを対象として、2018年に“行きたい国”のアンケートを取ったら、何とダントツで我が“日本”が選ばれたようだ。日本は21%で、次のベトナム、タイ、アメリカの7%台を大きく引き離している。また、実際に日本に来た方達の満足度でも、他の国よりも圧倒的に高い。つまり、韓国人たちにとって、日本の歴史行動は許せないが、日本の国自体と日本人個人とは“大好き”なようだ。それに対して、日本人の方はどうなのかというと、2014年の訪問国として5位につけていた韓国だが、2015年は9位となり、2016年では10位となった。徐々に人気が下降している。それでも、まだ10位くらいに踏みとどまっているのが不思議なほどでさえある。この10位にあるのは“韓流”のおかげで、アンケート調査でも「韓流以外に魅力のある対象がない」と手厳しい。確かに、私の経験でも“観光地”としての魅力は乏しいのが韓国だ。辛いものが苦手な人は食事の面でも魅力に乏しい。第一、韓国の器は見栄えがせず、食欲をそそらないのだ。ただ親切な韓国の老人は、私が電車の改札口からスムーズに出られないでいた時、すぐに近寄ってきて教えてくれた。海外に行くと昔から、親切なおばさんやおじさんが出て来て助けてくれる。どこの国でもそうだが、言葉など通じなくても、日本語で言えば何となく分かってくれる。行きたいところがあれば、地図を開いて、場所名を連呼すれば良い。あれはハンガリーだったと思うが、狙いを定めた親切そうなおばさんに地図を差し出した。「すいません。教えてください」日本語で地図を突き出して立ちふさがる。相手は驚き、解からないと逃れようとする。そこで、逃さないのが大切なのだ。地図を指さしながら、その場所名だけを大声で連呼する。こうすると、ほとんどの人は“ここに行きたいのか”と理解する。但し、日本語の地図は向こうの人には分かりにくい。それでも、指さしながら連呼すると、その日本語地図から、今の場所を探し出し、行きたい場所を手指方向で指し示す。OK! それが判れば十分なのだ。あとは、また、その近くまで行って聞けばよい。下手な英語よりも日本語での地名や場所名の連呼の方が、よほど通じる。海外では親切そうな人は決して逃してはならない。

「警察学校」で教えていたのは…

2017-11-16

私も大昔、一般企業に勤めていた20代の頃、会社のみんなと行った経験があるのが“野球賭博”である。私はその頃、それが道徳的に良くないことだとは思ったが、法律的にも良くないことだとは知らなかった。だから仕事に直接的な影響はないのだから、そして“僅かな掛け金”で行うのだから、娯楽として許されるだろうくらいに思っていた。高校野球の甲子園大会での成績を“賭け”の対象にするのだから、今考えると、真摯にプレーしている球児たちに対して申し訳ない気持ちにならなければいけないのだが、その時は、お金を賭けることで“熱の入った応援”となり、会社の参加メンバー間の交流も進むのだから、良いことだと勝手に解釈していた。そして、私は何故か“ぶっちぎり”で強かった。だから、いつも賭けで買った賞金で、みんなにコーラをおごっていた。参加していない女子社員にもおごるので、我が社内での“野球賭博”の評判は良かった。ところが、その大会中、ラジオを聴きながら仕事をするので機械操作の方でミスが頻発する、ということで会社側からクレームが入り、それ以降は中止となった。話は現代となり、佐賀県の警察学校で、8月25日に学校の寮生たちの間でトランプカードによる“富豪賭博”が20日間くらいの間に60回以上も行われたとして、それに参加していた警察学校の寮生たち12人が書類送検された。寮生たちは丁度“中間試験”の最中であり、或る意味で「警察官」を嫌でも自覚する時期だが、試験勉強そっちのけで現金を賭けて“トランプ”に勤しんでいた。さらに、もう一つの事件が発覚していて、試験でカンニングが行われたのである。「賭博」と「カンニング」を、警察学校を舞台として行っていたのだ。一般企業ならともかく、何よりも“法律の番人”として生きなければならない警察官の学校を舞台として行われた。まあ、トランプをやっていたから試験勉強がおろそかになり、結果的にカンニングまでしてしまった…。結局、賭博を呼びかけた人物と、カンニングを行った人物とは、警察学校を自主退学したらしい。そうなのだ。私もギャンブルは好きなので、人のことは言えないが…少なくとも彼らは自分たちが警察官に向いていなかったことを自覚したはずである。警察官になる前で良かったのだ。もし、このまま警察官になったなら、危なかった。そして、彼らはまだ若い。もっと、自分たちに向いた職業を探せば良いのだ。

なぜ日本の芸能界は作品を評価しないのか

2017-11-15

映画「SUNNY」に出演予定だった女優・真木よう子さんが出演シーン撮影直前になって“体調不良”を理由に降板し、代役を立てることになった問題を一部週刊誌が本人直撃という形で取材している。それによると、本人は出演予定だったが、事務所側が一方的に“出演キャンセル”を制作サイドに申し込んでいたという。今年の夏、TVの主演ドラマの視聴率を上げるため、各種アピールを繰り返し、それがかえって不評となり、ひいてはネット上での“炎上騒動”にまで発展した真木さんは、このところ窮地に陥っているようだ。私は一連の騒動を見ていて、この人に…というよりも、日本の芸能界というか、最近のマスコミ関係というか、そちらの方に問題があるように思えて仕方がない。どうも、日本の芸能界は“個々の役割”が明確ではない。本来、役者は“宣伝マン”ではないはずだ。それなのに、近年はドラマ制作や映画公開が近づくと、必ず出演している役者に、そのアピールをさせる。そして視聴率が取れなかったり、入場動員数が乏しかったりすると、まるで本人に魅力がないからであるかのような扱い方をする。ドラマ、映画、舞台というものは、本来一人で出来上がるようなものではない。私は大昔、まだ20代半ばだったが、アマチュア演劇を主宰していた時期がある。僅か2年くらいの短い間だったが、それでも市民会館で上演もした。主役も演じた。その経験から言っても、一つの舞台を作り上げるのに、多数の人間が多くの時間を使って製作していく大変さを知っている。けっして、主役一人が頑張って、どうこう出来るような世界ではないのだ。それなのに、視聴率が高ければ“主役の力”であるかのような評価をし、視聴率や観客動員数が少なければ主役に魅力が乏しいからであるからのような評価を下す。日本の社会全体も、そういうマスコミやネットの論調に、まるで洗脳されているかのようですらある。ドラマは原作があり、脚本があり、監督がいて、主役がいて、脇役が固めて、裏方スタッフが協力して、営業が宣伝をかけて、一つの作品になる。主役一人に責任を負わせるなど根本的におかしい。しかも主役本人までが、低視聴率は“自分のせいだ”と思い込んでいるような行動まで行う。良い作品、良い役者を育てたいなら、まずは“芝居”というものの本質に立ち返って「生命の宿った作品」を世に送り出すことが第一だし、視聴率や観客動員は後からついてくるものだという考えに立たない限り、本当に価値ある作品は誕生しないだろう。

ロボットがおもてなしてくれる時代

2017-11-14

11月16日から26日まで「ネスカフェ原宿」内に「おもてなし無人カフェ」が試験的にオープンするらしい。人型ロボットと最新のコーヒーマシンが、個々の好みを聞き分けて“その人好みのコーヒー”を淹れてくれる…という未来型サービス。それぞれの顔を認識し、二度目からは黙っていても“お好みのコーヒー”が出て来るらしい。20年後くらいには、それが“普通”になっているのかもしれない。誰もがロボットと会話し、黙っていてもお好みの飲み物やおやつが出て来て、料金は自動で引き落とされる。高級ホテル型シェアハウスを自宅とし、夜になると、それぞれお好みの“癒しのドール”がやって来る。う~ん、素晴らしいような、寂しいような不思議な気分。中国では最近、ラブドール業界で“世界初”の株式上場を果たした会社がある。その社長・楊氏は日本留学中に“ラブドール”と関わり、故国に帰って後、26歳で起業した。最初は日本の企業から教わったが、現在は完全自国製であり、ロボット工学の専門家などと協力、本格的な“人型ラブドール”の開発に余念がない。価格も日本円で5万円から40万円まで各種取り揃えているらしい。その内、日本にも輸出したいと張り切っている。何しろ、中国では“一人っ子政策”の後遺症として男女比の比率が合わず、3000万人もの男性が生涯未婚で過ごさなければならない。したがって、“ラブドール”は必需品なのだ。富裕層がとっかえ、ひっかえ試したくて購入する。う~ん、何ともコメントのしようがない。まあ、しかし、この会社、“ラブドール”製造だけを目的としているわけではない。将来的には各企業の“受付嬢”もロボット化させていきたいのだ。確かに、受付嬢はロボットの方が実務に長けているかも…。ただ何だか味気ないというか、虚しいというか、中国の男性たちって、いろいろな意味で大変な国に生れたもんだ。

「妻の座」を教えていた占い師

2017-11-13

先日、競馬の騎手・武豊氏が、競馬キャスター・小浦愛さんとの“路上キス写真”を報道された。そのすぐ後で、ワイドショー番組が本人を自宅直撃、そこに本人だけでなく、元タレントの量子夫人が登場して「厳しく叱った」ことで決着したと対応している。なかなか見事な“納め方”だった。私は、その番組を見ていないが、ふと大昔、まだ私が「占いハウス」に出ていた時、私の隣のボックスで活躍していた女性占い師が、いつも“決まり文句”のように言っていた言葉を思い出した。その占い師の方は、当時、既に60代だったが、若い頃にはご主人の“浮気癖”に悩まされていたらしい。単身赴任が多かったご主人は、元々優しい性格だが、女性には特に優しかった。その結果として、赴任した先々で女性が出来る。女性占い師は、そういう点で単身赴任は嫌だったが、家を購入し子育てもあったので留まらざるを得なかった。「私はね。いつも言ってやるの。浮気されてる女性達が相談に見えるでしょ。あなたは何も悩むことなんかないの。堂々としていれば良いのよ。妻ですよ、“妻の座”って、強いのよ。だから負けちゃダメ。堂々としていなさい。“妻の座”は手放しちゃダメ。愛人なんかに負けちゃダメよ」まるで呪文のように「妻の座」を繰り返した。私のボックスと、彼女のボックスは壁一枚なので、占い中の話し声が聞こえてくる。だから、わざわざ教えなくても、その占い師が、相談者たちに何を言っているのかは知っていた。何しろ大きな声なのだ。私はたまに「それは解かりますけど、占っては見ないのですか?」と訊いてみる。そうすると再び「あなた“妻の座”は強いのよ。負けていられますか。私はね。不倫してる女性には必ず“別れなさい”って言うの。奥さんに知れたら、ただでは済まないわよって言うの」目をむき出して、女性占い師は興奮気味にしゃべった。「占いは…?」と、顔を視る。「波木先生、先生も知っといた方が良いわ。“妻の座”は強いのよ」ますます興奮して、その女性占い師は叫んだ。

「いのちの電話」より「ひかりの電話」が必要

2017-11-12

座間市の「9遺体発覚事件」で改めて注目されているのが全国の「いのちの電話」である。自殺予防のために、ボランティアの方々が“悩み相談”に応じているのだ。けれども最近は、相談者が増えてどこの自治体も対応が追い付かない状態が続いている。全国で“最多”の年間28000件を記録する「埼玉いのちの電話」では、5台の電話機がフル稼働、24時間体制でボランティア約300人が対応している。それでも追いつかないのだ。世界的に見ても、日本は“自殺者の多い国”で、あまり褒められたことではない。「いのちの電話」は全国に52箇所、6500人ものボランティアを抱えているが、まだまだ相談員不足である。もっとも、掛かってくる電話の全てが「自殺」に直結するような状態かというと、それは怪しい。「人生相談」として掛かってくる場合も多いからだ。或いは一人の“寂しさ”を紛らわせたいとか、誰かに“癒されたい”とか言う気持ちから利用している場合も多いようだ。それらは、ちょっと電話すべきところが違うような気もするが、ともかく一人平均33分ほど会話するのが普通らしい。携帯電話やスマホの普及は、現代人から“向き合う会話”を奪った。表面上、多くの人とつながっていても、本当の自分は誰も知らない。誰にも見せない。誰にも話さない。繋がり過ぎているので、直ぐに“拡散してしまう”のが怖いからだ。だから、関係の無い「いのちの電話」の相談員に話すのだ。そうすれば、誰にも、心の中は見られない。けれども、それで“悩み”や“苦しみ”や“不安”が消えるのかというと、そうは言えない。一時的には消えても、それはあくまで一時的だ。なぜなら本当に身近な人達は、誰一人、自分の“心の中”を知らないからだ。つまり、身近な人達には“つくろっている自分”を演じ続けることになる。だから、本当には解かってもらえないし、何も気付いてもらえない。だから、一時的には消えた“苦しみ”や“不安”が再び繰り返されるのだ。したがって「いのちの電話」は、確かに重要なのだが、永遠の解決策ではない。未来に“希望”を持つためには「ひかり」が必要である。人は、未来に“光”を見出す時、決して死のうとはしない。「闇」の中で、かすかに見えてくる一条の光は、正に“命綱としての光”として、大切なものなのだ。そういう意味では、絶望する人にこそ運命学的な観点からの“長期的な未来”と、確かな“幸運への足取り”を差し示してあげることが大切なのかもしれない。

北京やニューデリーの子供達が危ない

2017-11-11

今から30年ほど前まで私は「ヘビー・スモーカー」だった。多い時には一日で60本のたばこを吸った。次から次へ…という具合だった。当時、借りていた部屋の壁は黄色くなって、窓ガラスも汚れ、大きな灰皿には吸い殻が山盛りだった。たまたま酒の席で、友達と“禁煙ごっこ”をした。破った方が罰金を払うのだ。「ようし、今日から禁煙するぞ!」二人は乾杯をしながら誓い合った。あれから30年以上が経つ。私は、それ以降一度も煙草を口にしていない。最初の一週間だけは、とても辛かったが、それ以降は平気になった。なんとなく、たばこを買いに行くこと自体も面倒になっていた時期だったので丁度良かった。もし、あのまま吸い続けていたなら、間違いなく呼吸器系の疾患になっていただろう。私の若い頃のたばこの本数と同じくらい、つまり一日50本以上喫煙しているのと同じくらいの大気汚染の中にインドの首都ニューデリーが陥っている。子供たちは一週間、汚染対策として臨時休校となった。それくらい深刻なのだ。大気汚染指数が600を示し、それは100の限界指数をはるかに上回っている。どうしてこんなことになったのかというと、大きな原因は二つある。まず、一つは今の時期ニューデリーには強風が吹き荒れやすく、土ぼこりが舞ってしまうこと。もう一つは安くて質の悪い車の燃料が出回っていること。車社会が猛スピードで広がっているインドでは車の走行規制をかけても、なかなかそれが浸透しない。同じようなことは中国の北京でもあった。車社会の急速な普及は、発展する都市部の街をスモッグに変える。かつて日本でも、そういう時期があった。発展途上の都市部が陥りやすい問題に直面している。そうは言っても、子供たちに街に出るな、と言っても実際にはなかなか難しい。海外からの旅行者など、街を歩けないのでは、何のための旅行なのかわからない。もう少し、早目に“手を打つ”ことは出来なかったのか。街中が“砂埃”になるまで放っておくのは、インドらしいと言えば確かにインドらしいのだが“聖なるガンジス”の汚れと共に、未来ある子供たちの身体を汚す。

ズバリ的中―日本株の急落が始まる―

2017-11-10

私は“株の予想屋”ではない。ただ“運命のチャート”と“株のチャート”には共通したものを感じているだけである。本人が予期せぬときに、その人の“凋落”が始まる。同じように、誰もが予期せぬときに“日本株の凋落”が始まる。前にも書いたように、私は9月13日に「日本株反転の兆し」を書き、9月28日に「日本株“長期上昇の形”は整った」を書いた。そして10月28日に「日本株の上昇が止まらない」を書いた。奇妙にも、これらはことごとく的中した。ちなみに9月13日の終値が19865円、9月28日の終値が20363円、9月28日の終値が22008円である。そして昨日の終値は22868円である。つまり、私が最初の指摘をしてから、既に3000円も上昇しているのだ。僅か2ヶ月弱の間にだ。通常では考えられない。そこで、どうなるのかというと、既に10月28日時点で予告しておいたように、今後“急落”が始まるのだ。というか、昨日、既に始まったと言って良い。本格的には今日から始まる。実は、昨日の午前中、日本株はさらに急騰していた。450円以上も値上がりしていたのだ。私は10月28日の時点で、必ず“急落”の前には“急騰”が起こると警告しておいた。2013年4月と5月の時と“ほぼ同様なチャート”になる可能性を指摘しておいた。今のところ、正に“その通り”なのだ。昨日は午前中に450円以上値上がりしたが、午後になって一時400円以上値下がりした。買戻しがあって、終値ではあまり下がっていない。だから、多くの人は“大丈夫”と高をくくっている。過去に学ぶなら、必ず“急落”する、おそらく12月後半まで下がり続ける。そうすると、大体21000円以下まで下がっていく。2000円前後は下がってしまう、ということである。そして、株というのは値上がりする時には徐々に上がるのだが、値下がりする時には一気に下がる。だから“売り場”を見つけにくい。いや、売ろうと思っても、なかなか売れず、時にはしばらくの期間、売れないまま下がり続けることもある。だから、多くの人が損失を出すのだ。さて、再び上昇し始めるのはいつになるかと言えば、年末近くか、年明け始めかのどちらかだ。もちろん、これらはすべて、私の独断と偏見のたわごとである。「違った」と責められても責任は取れない。

「くそ真面目」が「万引き常習犯」になる

2017-11-09

いろいろなことに驚いた。元女子マラソン日本代表・原裕美子の「万引き事件」である。11月8日、執行猶予付きの判決が下された。その時の説明で彼女が、これまで二度も同じ罪を犯し“罰金刑”で済ませていたことを知った。だから、今回は起訴されたのだ。起訴事実の確認で、彼女はコンビニの化粧品8点2673円を“万引きした”と認めた。ん? その金額、間違ってない? 8点で2673円って、そんなに安いの? 私は大昔、まだ十代の頃、実質4~5日ほど化粧品の営業をやった経験がある。ハッキリ言って、まったく向いていなかった。何しろ、化粧品、そのものに興味がなかったからだ。その時、女性の化粧品というのは“恐ろしく高いもの”だということを知った。まあ、それは訪問販売するくらいだから、安いはずはないのだが、とにかく高かった。その記憶では、1点でも2500円以下のものはなかったのだ。もう何十年も昔の話だ。だから、8点で2673円なんて信じられない。まあ十倍の26730円でも、あの化粧品なら“超格安”だろう。もっとも、そこの社長は何かで“悪いこと”をしていたらしく、後日、捕まったのだが…。とにかく、そういう嫌な体験があるので、化粧品の進化に驚く。驚くと言えば、昔、化粧品はコンビニなどで売るものではなかった。それこそ訪問販売か、デパートで売るものだったはずだ。時代は変わった。ところで、原裕美子は、なぜ“万引き常習犯”になってしまったのだろう。彼女自身が、万引きをし、見つかって、捕まることを望んでいた。そうすれば「楽になれる」という意識が働いていたらしい。彼女は選手時代に体重制限によるストレスから“摂食障害”に陥った。大量に食べて吐く、を繰り返したのだ。何んと、“摂食障害者”が“万引き”を行うケースは少なくなく、病症の一つらしい。そういう意味でも、彼女の病気は重いのだ。今回は、結婚するはずだった相手が“婚約不履行”を起こして雲隠れし、そのため貯めていた400万円まで失ってしまった。そのショックが彼女を狂わせていた。その苦しみから逃れたくて、万引きを重ねたのだ。だから、もう捕まりたかったのだ。彼女を育てた小出監督は、彼女に対して「くそ真面目な子」と表現している。なんでも「ハイ、わかりました」としか言わなかったという。そういうストイックな女子が「万引き常習犯」になる。

本当の「笑顔のメラニア」

2017-11-08

今回のトランプ大統領夫妻の来日で一番印象に残ったのはメラニア夫人の“マスコミ向けではない笑顔”だった。「銀座ミキモト」でもそうだったし、「都内の小学校」でもそうだった。一つには明恵夫人と一緒だったからだ。明恵夫人とはアメリカで逢っている。そして、どういう女性なのか、何となく分かっている。緊張しなくて良い相手なのだ。元々がファッションモデル出身で、あまり社交は得意ではない。だから公式行事の時にも滅多に笑顔を見せない。マスコミ写真用の笑顔は見せるが、それはモデル時代からの「シャッター向け笑顔」で、本心からの楽しそうな笑顔ではない。どちらかと言えば端正な顔立ちなので、無表情に見えることが多い。美しいが無表情なのだ。それが日本に来て、明恵夫人と一緒に“真珠の店”や“小学校”に行って、心からの楽しそうな笑顔を見せた。元々が“美的なもの”に関心が深く、宝石は好きなので、自然と“居心地の良さ”を感じたに違いない。実際に真珠を採る海女さんからの説明も興味深かったに違いない。次の小学校でも子供達とハイタッチする場面があった。大勢の男子児童たちが、アイドルを囲むように集まってタッチしようとしてくれたことが嬉しかったに違いない。本国では、ありえない光景だからである。そう日本の男児は「アイドル」に絡むことが好きだし、慣れているのだ。ちょっと“年上”だが、十分アイドルでも通用するルックスを持っているメラニア夫人に対して、明恵夫人よりも男児たちが群がるのは自然なのだ。こうして、メラニア夫人にとって、日本は“居心地の良い場所”となった。リラックスできるし、何よりもマナーなどで大統領夫人としての細かな批判をされることがない。日本人は、そういう点で寛容な国民性を持っている。トランプ大統領が“鯉のエサやり”で、餌箱をひっくり返して一気に終わらせたが、それすら誰も批判などしない。そういう点で、日本人は“包容力”のある国民なのだ。韓国では、そもそもが訪韓自体に対する“批判デモ”が行われた。その団体の数が220団体というから驚く。日本人との違いが浮き彫りになる。そういう点でも、彼女に“笑顔”はなかった。欧米のマスコミは、メラニア夫人のあんなに楽しそうな笑顔を始めてみた…と驚きをもって伝えている。

「格安料金」という魔物

2017-11-07

格安旅行会社「てるみくらぶ」が経営破たんして半年以上が経つ。11月6日、その“債権者集会”が開かれた。約9万人の債権者で約100億円の金額。社長である山田千賀子社長はマスク姿で現れ涙ながらに謝罪したが、返金の見通しは立っていないようだ。怒号が飛び交ったというが、怒号でお金は戻らない。何しろ、粉飾決算を何年も続けて乗り切っていたのだ。確かに「てるみくらぶ」の広告は魅力的だった。間違いなく格安だった。私はいつも豪華客船で巡る「地中海ツアー」の広告を眺めて、申し込みたい誘惑にかられたものだ。今になってみると、申し込まずに良かった、ということになるが、私は金額だけに惹かれたわけではない。巡るコースとしても中々魅力的だったのだ。したがって、そういう点では企画力のある方が社員にはいたということだ。現在は、さまざまな旅行会社が“格安”を謳い、“特別コース”を強調する。それぞれの旅行会社が“企画力”と“料金”とで激しいバトルを繰り広げている。結果として“赤字になるコース”も出て来ることがあるに違いない。インターネットが普及した現在、旅行会社と個人のネット検索とで、ほとんど大きな違いは見られなくなった。異なるのは、添乗員が付くとか、団体割引が利くところがあるとか、万一の時に各種対応してくれるとかの違いだけと言っても良い。ただ「旅行」のような商品は、飲食物などと異なり“安ければ良い”というものではない。特に海外旅行には“安心・安全”は重要なポイントとなる。格安というのは、そこに疑問符が付く。最近は、なんでもネットで購入するケースが増えてきているが、購入したい商品を検索すると、必ず「格安」という金額から提示される。検索のシステム上で仕方がないのかもしれないが、時にはそれが“邪魔”になる。商品によっては“格安”ではなく、ちゃんとした“本物”や“正規品”や“高級品”が欲しいこともある。占いなどでもそうだが、あまりにも“安い”のは何らかの理由があるからで、危険な場合も多い。ただ“企画”や“キャンペーン”や“イベント”などで、われわれも“無料鑑定”を行うことがある。但し、それはあくまで“そういう時”だからで、“商売”である以上、きちんと正規の料金を提示し、それに即して仕事を行う形こそ“正業”の正しい在り方なのだ。

「翳り」ある“生き方”

2017-11-06

俳優・高倉健氏が亡くなって3年が経過した。多くの俳優から尊敬されていた俳優だが、その私生活は“謎”に満ちていた。その“謎”の部分を追求したノンフィクションが『高倉健 七つの顔を隠し続けた男』(森功著)である。私個人は、正直、あまり好みの俳優ではなかったが、ただ彼が持つ独特の「翳り」には興味があった。人間が持つ個々の“雰囲気”というのは、長い歳月の中で形成されていく。けっして数ヶ月とか一年とかで“形作られる”ものではない。彼には、どこかに“消しようのない翳り”があった。人間の“翳り”は、その人を“斜め横”から見た時に、一番はっきりと出る。なぜだろう…と、いつも思った。彼が歌手の江利チエミさんと結婚し、その後に金銭問題などが起き、離婚し、あっという間に亡くなって、その元妻への“何か”がそうさせているのだろうか…とも思った。ただ、それだけではない気もしていた。それらに関して、この本は、或る程度の答えを与えてくれる。彼は高校ではボクシングを習い、大学では相撲部に入って、夜は渋谷で酒とケンカの日々を過ごしていたらしい。そうして暴力団「住吉会」の幹部に気に入られ、その運転手として勤めていた時代があり、彼らの元で“居候”をしていた時期もあったらしい。ナルホド彼の“らしさ”には、経験が持つ重みがあったのだ。しかし、この本は、そこに重点を置いているのではない。高倉健氏は亡くなる直前に養女を得ていた。「小田貴」という女性だ。元大部屋女優でホテルジャーナリストをしていた過去を持つ。彼女こそ40億とも言われる遺産を相続した人物なのだが、高倉健氏の死を実妹にも知らせず、二日後には火葬し、遺言ということで“散骨”した。実妹は分骨を望んだが、それもならなかった。元妻・江利チエミの墓、彼女が身ごもった水子の墓は、彼の死後に撤去されてしまった。家屋敷もそうであり、多数の車やクルーザーまで処分してしまった。「高倉健」そのものの“痕跡”を遺すまいとするかのように、次々と処分していった。養女との出逢いは90年代の香港のホテルらしいが、その後の二十数年を共に過ごした女性なのに違いない。著者は、彼女が“養女”であるのは、放映権なども自らが取り仕切りたかったからだと述べているが、私はそうは思わない。多分、高倉健氏は元妻・江利チエミさんが亡くなった時、もう結婚だけはすまい、と心に誓ったのだ。そして、律儀にそれを守ろうとした。けれども、新しい同棲女性はそれが許せなかったのだ。“死”が近くなって、“養女”の権利だけは強引に手に入れたに違いない。多くの映画でそうであったように、近づく女性を“幸せに出来ないまま”逝ってしまったのだ。

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