12月, 2017年

25億円の「UFO」が消えていく…

2017-12-18

世の中には“よく解からないニュース”というのがある。アメリカの上院議員が中心になって2007年から“UFO調査を始動させていた”というニュースも、その一つだ。その計画は前上院議員であったハリー・リード氏が主導し、25億円の予算を投入し、民間の“宇宙調査企業”の協力も仰いで秘密裏に行ったもので、軍パイロットなどから寄せられる“あらゆるUFO情報”の調査・研究で、正式名は「先進航空宇宙脅威識別計画」と名付けられている。この名称だけからでも、彼らの“本気度”が窺われる。あらゆる映像や音声の分析・解析などが行われたらしい。けれども何故か2012年で、このプロジェクトは終了している。そして一番奇妙なのは、25億もの予算をかけての調査だったにも拘らず、その結果というか、結論というか、報告というか…どうも、歯切れが悪い“終了”したことだけの公表であることだ。しかも、それは5年前、今頃になって…という感がどうしてもぬぐえない。それなら、それで、わざわざ公表することもないじゃないか、と言いたくなる。それに、25億もの巨費を投じて、イエスでも、ノーでもありません…とは何んとも歯切れが悪い。極端な話「UFOも宇宙人もみ~んな作り話でした」と言われた方が、まだスッキリとする。そうとも言えないということは、やはり「何かがあったんだな」と誰もが思う。それで、その“何か”とは、いったい何だったのか、CGで厭というほど“へんてこUFO”や“へんてこ宇宙人”を見慣れているわれわれは、もうどんな“UFO”や“宇宙人”を見ても驚かないと思うのだが、それでもやっぱり“見てはいけない”ものなのだろうか。この辺は“死後世界”や“霊体”と全く同じで「ハッキリさせてよ!」と、ついついおねだりしたくなる。でもまあ…世の中、解からない方が良いこともあるからなあ…サンタクロースが“仮の姿”だと分かった時のショックは大きかったからなあ…。でも、その時から、私は“物わかりの良い子”になった。あんまりサンタクロースに“無理なお願い”をしちゃいけないんだと悟った。どうも、子供の時から“見えないところを観たがる”悪い癖があって…。

「がん&余命」と向き合う三人

2017-12-17

たまたま同じような“向き合い方”を三人が形であらわした。その三人とは映画監督の大林宜彦氏、歌手の西郷輝彦氏、元コマツ社長の安崎暁氏の三人である。三人共に「がん」に侵されている。大林氏は2016年8月に肺がんが発覚「余命3ヶ月」と宣告された。西郷氏は11月にがんが再発したことを公表し、合わせて6年前に前立腺癌により全摘出手術を受けていたと報告した。安崎氏は今年の秋になって胆のうがん末期であることが判明、延命治療などは受けないことを決意した。それでも、三人はいたって前向きである。大林氏は16日の映画初日の舞台あいさつで、自らの「がん」に対して「お前な、せっかく共存したんだから、やっつけようとは思っていない。一緒に長生きしよう、私と30年生きようやと言ってある」と会場を笑わせた。西郷氏は来年3月の舞台は降板したが、16日はホテルのディナーショーのステージに立って熱唱し、満員となった観客を楽しませた。23日にもディナーショーを行って、今年を終える。安崎氏は12月11日の昼間にインターコンチネンタルホテルで「感謝の会」という催しを盛大に行った。言ってみれば「生前葬」だが、がん末期の生前葬なので、或る種リアリティーを伴った“感謝祭”となり、関係者1000名以上が集まり、明るく晴れ晴れとしたものとなったらしい。そういえば瀬戸内寂聴氏などは口癖のように「明日死ぬかもしれないから…」と言って肉をパクついている。そう言えばみんな許してくれる…とでも思っているようだ。なかなか“良い手”を思いついたものだ。そうなのだ。人は「死」という言葉に弱い。だから、大抵のことは大目に見てくれるし、優しくしてくれるし、助けてくれる。私も「死にそうだ」と口癖のように言いつつ占いを行い、執筆を行おう。そうすれば、多少、占いが外れても咎められることはなく、多少、おかしなことを書いても、笑って許してもらえるに違いない。

体外受精で毎年5万人以上が産れている

2017-12-16

予想外に多いものの一つが「体外受精」だ。つまり、SEX無しで産れて来る子供。毎年、5万人以上もいたのだ。良く言えば“未来的な妊娠・出産”。悪く言えば“愛の伴わない妊娠・出産”。いや、正確に言えば“肉体的な愛が伴わない妊娠・出産”ということになる。それでも、確実に増え続けている。社会的には「生殖補助医療」と呼ばれるらしい。ところが、この“体外受精”に関して、さまざまな問題が起こってきている。先日も、元妻が無断で自分の“受精卵”を移植して長女を出産したことにより、精神的な苦痛を受けているという40代の男性が“損害賠償”の訴えを起こした。問題が複雑である。二人は結婚していた当時、不妊治療を受けていて、受精卵を冷凍保存してもらっていた。ところが、その後に別居・離婚している。その離婚前後の時に元妻は移植を受け、離婚後になって長女を出産しているようだ。移植の同意書は“偽造された”ものらしい。こういう場合に“法律上の親子関係”が成立するのかどうか、ということが問題になっている。近年は“代理出産”という“奥の手”もあって、ますます“誰の児”なのかの判定が難しくなっている。昔から「血は水よりも濃い」と言って、嫌でも親子は似るところが出て来るし、本能的な“情愛”を抱くものだ。人相学的に言うと「眉」というのは“血の余り”で出来ているので、“血縁”や“血族”と大いに関係を持っている。「眉」が“形良く、濃く、長い人”は、根本的に“血族”というものを大切にするし、“家系・血統”に導かれた生き方をする。逆に「眉」が極端に薄いとか、抜け落ちているとか、形が変形しているとか、極端に短いのは、いずれも“身内の運”が良くない。こういう人は、かえって“身内から遠ざかった”方が幸運を掴めるものである。アラブ系統の人々など見ると、いずれも極端に“濃く長い眉”の持ち主が多い。彼らはだから、親子・兄弟の絆を異常なほどに重要視する。イスラムの戒律と符合する部分が多いので、アラブ民族にはイスラム教徒が多いのだ。ただ“濃すぎる眉”は、身内との縁が強すぎることで“種々な問題”を抱えるケースも多い。それにしても、自分の“血を分けた子”が育つことによる“精神的な苦痛”というのが、眉の比較的濃い私には、理解に苦しむ。

この占いがすごい!神聖開運占術大全(2018年版)

2017-12-15

古今東西あらゆる占術に通暁され、『江戸JAPAN極秘手相術』『四柱推命の謎と真実』で話題の波木星龍先生によって、新たな「占術大全」が誕生しました。 本書は、東洋系占術、西洋系占術、スピリチュアル系各種占術を網羅した「占術大全」ですが、【2017年版】に続き、【2018年版】を刊行致します。

『この占いがすごい!2018年版』は300頁以上のボリューム

2017-12-15

私の本はそれでなくても“ぎゅうぎゅう詰めの本”が多く、一般書籍の文字量からすると多めに構成されている。もっとも編集レイアウトが上手く整理・工夫されているので、読みにくくはない。本来であれば、二冊に分けても良いような分量を一冊に凝縮して出版しているのが新書『この占いがすごい!2018年版』(八幡書店刊・1800円+税)である。今回は連載三本だけで100頁となり、特にタロットの解説は、それだけで40頁以上となった。通常の雑誌などで、連載なのに一度に40頁というのは見たことがない。タロットの書籍であれば、カードと一緒なら、これだけでも一つの解説書として成り立つかもしれない。今回は、図解としてエジプト系のタロット・カードを5種類用意し、それらカードを抜粋しながら、個々の意味について、及び判断の仕方について解説してある。私はいつも本を書く時、パッと見で読みやすく解かりやすい本を心掛けている。占いの本は、実用書なので“解りやすく・読みやすい”ことは重要で、どんなに良い内容の本であっても、読みにくく、解かりにくい本では、その価値が半減する。近年は、欧米の書籍を翻訳出版している“占い書籍”もあるが、欧米の書籍は総じて図解とか表記が少なく、文章のみをだらだらと書き継いでいるものが多い。したがって、それをそのまま翻訳出版すると、読みにくく、解かりにくい本が出来上がる。それなのに価格は高い。近年は雑誌などの影響で、図解が多くて、解かりやすい本に慣れている日本人には、翻訳された占い書籍は“読みにくい本”となって敬遠されがちとなる。小説などの翻訳は忠実でなければならないが、実用書などは或る程度、その国に見合った形に編集しなおすことも重要ではないだろうか。ところで、今回の『この占いがすごい!2018年版』などは、香港とか、台湾とか、中華圏とかでも翻訳出版されれば、波木星龍の評価が海外でぐ~ンと上がるのになあ…と思ったりする。この書籍は年間の『開運暦』も“付録”として付いているが、台湾とか香港とかの『開運暦』は、正直“お粗末なもの”が多い。大昔の版下をそのまま用いているような“がさつな作り”のモノが多い。それらに比べると、いや日本の各種『開運暦』などと比べても、何んと“格好良く”、そして“解りやすく”、さらに“充実した内容”で誕生していることだろう。

もう漢字一文字の時代ではないのかも…

2017-12-14

今年の漢字一文字は「北」となったそうだが、誰もが感じているように、いまひとつピンとこない。そのせいかどうか知らないが、さまざまな人達が自分にとっての今年を漢字一文字で公表している。昨日、離婚が正式合意(?)したタレント・松居一代氏は「戦」の一文字だそうだ。ふ~ん、確かに彼女にとっては相応しい一文字かもしれない。ただ“離婚”は良いが、関係の無い人々まで巻き込み過ぎのような…。自己顕示欲の強さを改めて感じさせる一幕もあった。ところで、私自身の場合はどうなのだろう。正直、漢字一文字が当てはまるような出来事がない。何となく、よく解からないうちに経過してしまった一年だった。正直、特別に良いこともなかったが、特別に悪いということもなかった。昨年から続く妻の病気は一進一退で、経過としてはあまり良くないが、かといって今年起こった出来事ではない。私自身の仕事の面では、今年から特に開始したような出来事もないし、特別忙しいとか、暇とか、そういうのでもない。まあ、普通というか、いつも通りというか、あまり動きの少なかった歳かもしれない。ただ多くの人にとって、実質的には“そういう年”が多いのではないだろうか。平凡過ぎるというか、目新しいことがないというか…。人間というのは、そういう年には普通、あまり「占い」とは関わらない。何かを新しく始めようとか、生活を切り替えようとか、家族に変化が生じるとか、体調が変化してきたとか、大きな事件が生じたとか、悩み事が生まれたとか、新たな出逢いがあったとか、愛する人と別れたとか、大金が必要になったとか、仕事を変えてみようかとか…多くの場合、そういった出来事が生じたときに“占い”というものを思い出す。それで良いし、その方が良い。何もない時にまで、占いを気にしすぎるのは、心配性の人か、占いに関係ある仕事の人か、極端に運の良くない人生を歩んでいるか、大体どれかなのだ。おみくじでもそうだが、何もない時には「大吉」と出ようと「凶」と出ようと、そう気にならないが、大きな問題を抱えているときは祈るような気持ちで「吉・凶」を見る。そして、そういう意識の方達と常に接しながら、何とか“凶を吉に変える手立て”を模索し続けて、また一年が暮れる。

「ふれあい」で“地位”も“名誉”も失う時代

2017-12-13

いつからだろうか。「ふれあい」が「セクハラ」という言葉に変わったのは…。もはや優しく抱きしめるとか、肩を抱き抱えるとか、そっと頭を撫でてあげるとか…そういう行為も、みんなみんな「セクハラ」にされて、職場では許されなくなっていくのだろう。アメリカでは先週、二人の議員が「セクハラ」で辞職せざるを得なくなっている。もちろん、そのセクハラの内容にもよるが、アメリカの場合には“女性側の証言”が優先されがちである。そこで、というわけでもあるまいが、トランプ大統領にまで“セクハラ疑惑”の火の手が上がっている。11日、3人の女性が記者会見を開き、大統領選の際に、キスを強要されたり、同意なく身体を触られたりしたというのだ。そして、その調査委員会を立ち上げて欲しいと要求している。う~ん、こういうのって、どうやって調べるの? そりゃ、トランプ氏は昔から“女好き”で知られているから、そういうのあっても不思議じゃないけど…ただ私の眼には、一人だけ“彼好みの女性”がいるけど、あとの二人の女性は、どう見てもトランプ大統領の好みではない。彼だって好みはあるんだから、その辺考えないと…。何、そういう問題じゃない。そうかなあ。私が大昔、勤めていた会社には文字通り“巨乳”の女性がいて、その女性は時々自分の胸を男性の背中に押し当てながら仕事上の打ち合わせなんかをしていた。今考えると、明らかにセクハラで、それもあからさまなセクハラで、けれども誰も彼女を訴えたりはしなかった。その女性は、誰に対してもそういうことを行っているのかというと、そうでもなくて、基本的には自分の好みの男性にしか行わない。何んとわかりやすいセクハラだったことか。そういうの見ていても、女子社員も含めて誰も咎めたりせず、鷹揚に見逃していた時代、私はどちらかというと、そういう時代の方が好きだな。そのうち「ふれあい」という言葉自体が即「セクハラ」と言われるような時代が、やって来るのだろうか。

「♪心ひとつで…」大寒気に襲われる日本

2017-12-12

どっかで聞いた気もするけど、よく知らない言葉の一つ「ラニーニャ現象」。海流と大気の状態から、今後一年、日本全体が低温化する可能性がある現象がペルー沖で発生したらしい。まずい。寒いのは困る。それでなくても冬は苦手なのだ。大昔、私がまだ十代に差し掛かった頃、吉永小百合さんが「♪寒い朝でも、心ひとつで温かくなる…」と歌っていたが、あれは嘘だ。心ひとつでなんか暖かくならない。真冬の北国の寒さは、そんな生易しいものではないのだ。今でこそ、北海道のマンションは寒冷地用の造りになっていて、真冬でもそれほど気温が低くはならないが、とてもホームレスでは生活できない。文字通り凍え死んでしまうのだ。だから、頼まれてもいないのに真夜中に起き出す私としては「ラニーニャ現象」は困るのだ。奇妙なもので、夏場は思い出さないのに、冬場になると、幼い頃を思い出す。朝、目が覚めると、部屋の障子窓の淵のところにひっそりと雪が積もっている。室内なのに、窓は締め切っているのに、どういうわけなのか、窓の隙間から入り込んだ雪が白く細く乗っかっているのだ。それは見ようによっては“天使の羽”のようにも見えて美しかったが、現実は震えが来る寒さで、一刻も早くストーブを点けなければ手指がかじかんでしまう。水だって、朝一番の氷の刃のような水は、手の甲に刺さり、ひび割れを起こす。幼い頃、私は冬が来るごと神様を呪ったものだ。あの頃、我が家には仏壇があって、それはがんを宣告され、余命いくばくもないと知った母親が、奇跡に縋ろうと入った新興宗教の仏壇だったが、確かに奇跡は起きて、母親はその後20年ほど命を紡いだ。けれども、私には“仏様”というのは今一つ実感がつかめず、何かあると祈ったのは“西洋式の神様”の方だった。やがて、大人になって、和式の“神様”も祀るようにはなったが、どうも根本は“西洋式”にあるらしく、トイレと同じように“西洋式神様”の方が自然なのだった。考えてみると、私の神様を“和式”ではなく“西洋式”に仕立てたのは、クリスマスになるとプレゼントを届けてくれた慈善あふれる教会の牧師だったのかもしれない。それから、もう一つ、朝のラジオ番組で、どういうタイトルだったか忘れてしまったが『聖書』から抜粋した話か何かを扱っている番組があって、それを聴いていたからかもしれない。神様は確かに優しかったが、私の願いを聞いてくれるわけでもなく、ただいつも寄り添って、じっと寄り添って、黙ってそこに居るだけだった…。

自らの「終活」に入った明石家さんま氏

2017-12-11

18日に放映されるNHKの音楽番組で、タレント明石家さんま氏が元妻で女優の大竹しのぶさんを“禁断ゲスト”に招き、二人でトークやデユエットを行ったという。別の局だが、最近、明石家氏は単独トーク番組で“真面目に何でも答える”特番を放映したばかりである。ハッキリ言って、特別面白いような番組ではなかった。なぜ、ああいう長々とした特番を流したのか、その意図が理解できないのだが、今度のNHKの音楽特番も“二つの意図”しか考えられない。その一つは、今年の「紅白」は眼玉がないので、その前哨ともいえる「明石家紅白」という音楽番組で盛り上げようという意図。もう一つは明石家さんま氏が、自身の死後を意識し、その時に“使われそうな映像”を遺しておきたい、という意図である。どうも、今回の“禁断ゲスト”との映像は、先の単独トーク番組と合わせて、彼自身が「終活」を意識し始めた証拠であるよう感じられる。確かに、彼が亡くなった場合、今回の映像をNHKは流すであろう。彼は、それぞれの局に、自分の“その時用の映像”を遺しておきたいのだ。そうすれば、それぞれの放送局が、その局にしかない“お宝映像”として「在りし日の明石家さんま」として放映できる。しかも、それはそれぞれに違っていて“さまざまなさんま”を見ることが出来る。ファンにとって、これほど興味深いものはない。さまざまな“違った一面”を見せることが、彼としての希望なのだ。そして、永遠に“明石家さんま”の存在を日本の芸能史に刻んでおきたいのだ。そうすれば「タモリ」や「たけし」を追い抜いて、一人勝ちが出来る。しかも、それは今の人達だけでなく、これから“生まれ育っていく日本人たち”に対しても…。寂しがり屋の彼は、一人でも多くの人から愛されたいのだ。そのために、さまざまな番組に「新しい自分」、今まで「見せたことのない自分」、死後に「放映してもらえそうな自分」をこれから、売り込みにかかることだろう。

「ビットコイン」大暴落の予感!

2017-12-10

一部で「未来の通貨」としてもてはやされているのが「ビットコイン」をはじめとする仮想通貨だ。つまり、実際には手にすることの出来ない“お金”。う~ん、解かったような解らないような…。まあ“あやしいモノ”ということだけは、誰にでも解かる。この通貨の面白いところは、値動きが激しいというところ。まあ単純に言えば株価や、ドル円相場と同じで、同じ金額でも“価値が違って来る”仕組みとなっている。例えば、海外に行ったときに、去年まで100円で買えたものが今年は110円になっているのと同じような感覚と思えば良い。その「ビットコイン」だが、今年の1月には葯11万円だったものが、11月26日には葯100万円、そしてとうとう12月8日には一時200万円を突破した。つまり、年初から持っていれば20倍近くまで値上がりしていた…ということ。う~ん、すごい。ただ、もしかしたらそこがピークだったのかもしれず、現時点では170万円前後まで値下がりしつつある。もっとも、一時的に急騰し過ぎたので、その反動での急落かもしれず、一概に“終わった!”とは断定しきれない。10日以降に「先物取引」が開始されるということで、その先手を打っての急騰だった可能性もある。ただ、こんなに上がり下がりが激しいのでは、実際の“通貨”として使用可能なのだろうか、と疑問符が付く。もちろん、現在でも一部では“正当な通貨”として使用もされているのだが、個人所有が多いため、主要国からの規制強化が掛かるとか、いったん大口の事業者が手を引いた時、一斉に売りに回ってパニックとなり下げ止まらなくなる可能性がある。株の取引でもそうだが、急騰の時には誰もが買い求め、急落の時には誰もが売り急ぐ。どんなに売りたくても、買い手のつかないものは売ることが出来ない。カッコよく“売りぬく”ことなど、素人にはなかなかできないのだ。それでみんな大損するのである。ましてや仮想通貨は実体がないので“紙屑”にもならない。今回の急騰は明らかに異常である。“高値掴み(100万円以上)”をしている人は、早めに“売りぬいた”方が良いかも⁉

永遠の“聖地”&“戦地”であるエルサレム

2017-12-09

アメリカのトランプ大統領は7日、エルサレムをイスラエルの首都であると認定した。日本人にとっては、別にどうでも良い話なのだが、世界はこれに著しく反応した。大昔から“イスラエル・パレスチナ問題”というのは、いつも火種を抱えていて、何かしらの闘争を繰り返してきた。最近になって、ようやく落ち着いてきたかに思われていた矢先だっただけに「寝た子を起こす」ようなトランプ発言が、各国首脳たちを怒らせている。大体が「エルサレム」は2000年以上も前から“聖地”とされてきているのだが、実際には“神聖な空気”が漂っていたようなことはなく、常に“戦いの舞台”となってきたところで、言ってみれば“聖地よりは戦地”の印象が強いのが第三者的な観方だ。どうしてそうなるのかというと、ユダヤ教とキリスト教とイスラム教の三つの宗教が、いずれも「聖地」として扱っているからで、私が現地に行って「聖地じゃなくて戦地だろう」などと叫ぼうものなら、それぞれの民族から“袋叩き”に遭いかねない。そういう危険な場所なのだ。さぞかし、聖霊たちも嘆いていることだろう。多くの人は知らないが、ユダヤ教とイスラム教のイメージする「神」には共通点が多い。一言で言えば“怖い神様”なのだ。“命令する神様”なのだ。確かに“味方”もしてくれるのだが、それはあくまで神様に従った時であって、逆らった者には容赦しない。その点でユダヤ教とイスラム教の神様は、ほぼ同様である。それに対してキリスト教は“比較的ゆるい神様”で、あまり細かなことまで規定しない。命令に逆らったとしても、あまり怒らない。ただ困った時でも“味方”してくれないこともある。傍に居て、一緒に悩んだり、励ましたりはしてくれるが、すぐには救ってくれないことも多い。イジメられた時にも、黙って見ているような頼りないところもある。そういうそれぞれの神様なので、どっちが良いとも一概には言えない。案外、聖地なのだから“日本式神社”なんかを建てて、そっとしておけば仲間入りができるんじゃないかな…と思ったりする。そして「聖地ラーメン」とか「聖地天ぷら」とか「聖地寿司」とか、宅配も大丈夫ですとか…って、もう止めとけって!

神社殺人事件の真相

2017-12-08

これは事件を推理小説化したものである。宮司の弟である富岡茂永容疑者は、神社本庁からの電話を“そそのかし”だとは気付いていなかった。生来、生真面目である茂永は、内縁の妻から「あなたのせいなんだから…」と強く迫られ、これはもう“最後の手段しかない”と勝手に思い込んでいた。その思い込みとは、実の姉である宮司を殺害して、自らも自決する、というシナリオだった。ただ内縁の妻は、そう思っていなかった。あくまで姉である宮司に、日本刀を突き付けて脅迫し、姉自らが“宮司の座”を、弟に譲り渡すよう誓わせる手段と思っていた。まさか、実際に殺して、そのあと自分をも殺害し、自らも自決してしまうなど夢にも思っていなかった。だからこそ、一緒に行動しようとしたのだ。いや、正確に言えば、自分が主導して“宮司を脅迫しに行こう”と内縁の夫を誘ったのだ。けれども今回の茂永は、いつもと違った。いつもなら、気弱に「筋を通すなら俺が宮司に成るべきだけど…」で留まる反応が「わかった…今度こそ決行するよ…それが神社のためなんだ」と訳の解からないことをつぶやいた。そして、日本刀とサバイバルナイフを用意してきた。嫌な予感がした。もしかして、本気で殺すつもりなのではないかな…と思ったからだ。だから「神殿の中で脅した方が良いよ」と言ったのだが、茂永は意に介せず「神殿の中はダメだよ、汚れてしまう、襲うなら車から出てきたところさ」と譲らなかった。いつものように、実姉である宮司・富岡長子氏は運転手付きの車で神社内に入ってきた。車が止まったのを見て二人が駆け寄った。いつものように運転手が先に出て来て、後ろのドアを開けようとした。どけよ、という声に振り返り「あれ、茂永さんじゃないか?」と訝った。間髪を入れず、茂永の日本刀が運転手を切りつけた。内縁の妻は素早く車内から逃げようとした姉を捕まえた。次の瞬間、振り向いた茂永の日本刀は姉をも突き刺した。あっけにとられる内縁の妻の目の前で容赦なく姉の首をはね、血がどっと噴き出てきた。「なんで殺すの?」茫然とする内縁の妻にも、茂永は日本刀を突き刺した。そして最後に、自分の腹にもサバイバルナイフを突き立てたのだった。辺りは凄惨な“血の海”となった。「神社本庁から離脱した神社はどうなるか、君なら判るだろう、神に変わって君自身が征伐したらどうだい」昨日、電話口から聞こえて来た神社本庁幹部の声が、意識が薄れていく茂永の耳に心地よく蘇った。

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