7月, 2018年

「カジノ」を“悪魔”という前に…

2018-07-19

日本人の中には「カジノ」を“悪魔”呼ばわりする人たちがいる。ところが、そういう人たちでも「宝くじ」には何故か寛容で“夢を買う”などと言って、購入したりする。そこで、こういう話はどうだろう。中国では、基本“ギャンブルはすべて禁止”である。だから、元々がギャンブル好きの中国人たちはマカオやシンガポールに行ってギャンブルを行うのだ。しかし、そういう“豊かな中国人”ばかりではない。ごく庶民的な中国人たちは唯一“国が認めている”ギャンブル「宝くじ」を買い求める。中国の「宝くじ」は種類が多く、総計40種もある。だから、それらをいろいろと購入すると結構な金額になる。上海に徐超という比較的高給取りの会社員がいた。彼は2010年に初めて「宝くじ」を買い、その“高揚感”にはまった。“当たっているかもしれない”と思うと、気持ちが高ぶって見るものすべてバラ色に見えたのだ。彼は独身だったので誰にも邪魔されず「宝くじ」を購入し続けた。しかも、一度に購入する金額が徐々に大きくなっていった。1回につき日本円で34万円くらいをつぎ込んだのだ。そして、見事というべきか、彼は1700万円もの“高額当選”を果たした。ここで止めておけば、彼は“幸運な人”で締めくくれるのだが、彼は止めなかった。なんと、当選金額すべても「宝くじ」の購入資金としたのだ。こうして7年間で、総計約1億円もの金額を「宝くじ」に注いだ。当然のことながら、自宅マンションも売却し、親せきからも借金をし、会社からも前借し、とうとう会社にも居られず辞めてしまった。それでも彼は「宝くじ」を購入したかった。そこで顔馴染みとなっている宝くじ売り場の店主に、借金して購入し始めた。最初こそ貸してあげた店主も、当然のことながら断るようになる。もう自棄になっている彼は、逆上して「宝くじ売り場」を放火してしまったのだ。当然、彼は逮捕され、近日中に10年以上の量刑が下される。中国には彼のような「宝くじ」中毒重症者は700人以上いる…。

共感できても支持できない表現

2018-07-18

近年はすぐ誰がどう発言したかが拡散する。特に芸能人、政治家、文化人などの場合がそうである。ある意味で、それは“有名度”を測るバロメーター的な部分もある。そういう意味で影響力の強いホリエモンこと堀江貴文氏が昨日ツイッターで《前の席のくそ野郎が「席を倒してもいいですか」と聞いてきやがる。ウゼェ。勝手に倒せや》と投稿した。それに対して、賛否双方から様々な反応があったようだ。実は私も以前から思っていることだが、公共車内で前の席から後ろの席へ「席を倒して良いですか」と問うことはマナーのように言われているが、果たして本当にそうなのだろうかと思う部分があった。なぜなら、そう問われて“拒否できるか”という問題があるからだ。仮に拒否したなら、相手の方はすんなり理解して倒さずに居てくれるのであろうか。それが巨漢のいかつい男性だったなら、とても拒否できる自信もない。そう考えると、元々が倒せるようになっているなら、そうしても良いという風に受け止めて黙って倒しても良いのが“暗黙のルール”のような気もするのだ。ただし、ここで私が書きたいのは、そのことではない。ホリエモンの“表現方法”というか、文章についてなのだ。彼は、ツイッターだから、普段通りの“話し言葉表現”を用いているだけだというかもしれない。けれども、会話として成り立つ表現が、そのまま文章でも成り立つかというと、それは違う。やはり文章というのは、いったん読み切って、それを脳内で並べる作業をしてから、心で受け入れるものなのだ。日頃から“ぞんざいな表現”を使っているから、特に友人や仲間とは、それで通じ合っているから良いではないか、と彼は言うかもしれない。確かに会話であれば、それで良いのだ。けれどもツイッターは“公共”に流れるもので、友人や仲間だけが目にするものではない。どういう人が読んでも、それなりに理解しやすい言葉や表現を用いるのは、ベストセラー作家でもあるホリエモンなら私が言う以前のことだろう。昔の彼は、もう少し“丁寧な表現”を用いたような気がする。最近、何かが違ってきたのか、その表現の“ぞんざい度”が増してきているような気がする。せっかく、日本を代表する文化人の一人なのだから、そして、その主張は、そういう部分を除けば十分に共感を得られることも多いのだから、少しだけ考えた方が良いような…。

「国産ウナギ」が“輸入物”に負ける?

2018-07-17

今年は“暑い”らしい。他人事のようなことを言うのは、北海道に暮らしているからだが、それでもやっぱり真夏は暑い。そこで多くの食卓には「うなぎ」が登場する。今週7月20日は「土用の丑の日」。ところが、実際にはもう一日、8月1日にも「土用の丑の日」はやって来る。元々「干支暦」に基づく慣習行事なのだ。干支暦というのは、現代では日常に用いられることはほとんどないが、こういう“季節もの”の行事とか風習になると何故か復活してくる。大体「土用」とは“何か”というと、春・夏・秋・冬の“中間”で、まさに“季節の変わり目”と称される時期のことである。四季それぞれの中間に“18日間余”づつ加えてある。つまり、一年に四回やって来る。暦の上で夏と秋の間とされる“土用期間”は、その代表というわけだ。五行上でも「木(春季)」→「火(夏季)」→「土(土用)」→「金(秋季)」→「水(冬季)」という順序なので、代表であることは間違いない。それで「丑(うし)」の方は何なのかというと、これは十二支の一つだが、丁度、真夏のこの時期は十二支月で言うと「未」月期間ということになり、その180度向いにある十二支が「丑」月なのだ。そこで「未」に真正面から挑める「丑」の「う」と同じく、「う」が最初に来る食べ物を体内に取り入れることで暑さに挑め“暑気払い”が可能、という“おかしな理屈”から始まったのが、この風習なのだ。もっとも「う」から始まる食べ物なら何でも良いので「梅」や「うどん」や「うり」が江戸初期の主流だったらしい。一説には平賀源内が夏場に売り上げが落ちる「うなぎ屋」のために一役買って広めたのが「うなぎ」として定着した理由だという。ただ、現代は国産物のうなぎは高い。そこで近年は“輸入ウナギ”が急増している。価格がまったく違うのだ。二倍とまでは行かないが、それに近い価格となっているのが国産ものなのだ。そこで店頭には“輸入物”が並ぶ。国産ものを食べたい人は「うなぎ屋」さんに行く。そこで、どうだろうか「土用の丑の日セット」として「梅うどん」に「うりの漬物」を合わせ、ちょっとだけ“輸入物のうなぎ”を加えた“お弁当”を発売してみたら…まあ、私は買わないけどね。

「歴史」は創るものではなく、出来上がるもの

2018-07-16

「貿易戦争」という言葉が一般化してきた。昨日、中国では“世界フォーラム”が開かれたが、その中で楊潔氏は「中国は貿易戦争を望まないが、恐れもしない」という表現で、アメリカとの対決姿勢を前面に打ち出した。もはや中国はトランプ大統領の“脅し”に屈したりしないのだ、と言いたかったのだろう。今年に入って、中国は外交面での亀裂が目立ち始めている。決して、アメリカだけともめているわけではない。今年に入って、英国のメイ首相は「一帯一路支持覚書」への署名を拒否した。どちらかと言えば、これまで中国の世界進出に好意的だった英国だが、ここに来て“放置できない”と感じ始めたようだ。もっと露わに中国に批判的なのはドイツで、ミュンヘン保障会議ではガブリエル外相が“西側の価値観とは異なる”として、もっとEUが主導する形で中国の暴走を止めるべきとの趣旨の発言をした。明らかにドイツは、東欧や中欧やアフリカへの中国の投資を“危険”とみなしているのだ。それは欧米型の“自由・民主・人権”が脅かされていく可能性を感じているからだ。最近はロシアに対しても似たようなものを感じていて、“欧米”と“中露”の対立構図としてとらえる観方が急浮上しつつある。昔、007の映画では“西側”と“東側”という対立構図で映画の舞台を設定していた。それが“ソ連”が崩壊し、東側諸国も崩れ出し、一時的には世界から“対立構図”が無くなったかのような時代があった。ところが、ここに来て“北朝鮮”が中国やロシアと“手を結ぶ構図”が生まれて来つつあることも手伝って、新たな“対立構図”というものが、何となく生まれつつある。日本はというと、あまり存在感はないのだが、東に位置しているが“西側”のメンバーということになる。つまり、北朝鮮、中国、ロシアにもっとも近い位置ながら、それらの国ではなくて欧米と“ほぼ同じ感覚の国”とみなされている。だから、イスラム組織が攻撃する時、日本人はどんなに“仏教国”だと叫んでも“西側諸国”として撃たれるのだ。中国は習近平政権が「一帯一路」を目玉政策として掲げて以来、それに沿う形で“歴史を作ろう”と躍起になっている。だから、どんどんアフリカにまで進出していくのだ。けれども、歴史を振り返れば解かるように自ら“歴史を作ろう”とした国は、やがて崩壊していく。歴史は創るものではなく、後になって結果的に「出来上がっていくもの」だから。

セブン&ローソン「居酒屋」を兼ねる⁉

2018-07-15

7月17日から「セブン―イレブン」では店頭で“生ビール”を発売するそうだ。レジ横にビアサーバーが設置され、Sサイズ100円、Mサイズ190円也の“生ビール”を販売するらしい。もちろん、会社帰りのサラリーマンやOLを対象とした新しい試みで上手くいけば全国展開へと進む。一方、ローソンでもPB商品として発売した「ゴールドマスター」シリーズが好評で、350ミリリットル缶が108円、500ミリリットル缶が148円、その他糖質70%オフタイプも人気だそうだ。両コンビニとも駅付近に多い。会社帰りに立ち寄って、買い物ついでに「ちょっとだけ飲んでいくか」という気分にさせる作戦のようだ。しかも、100円とか、108円とか、お財布も傷まない価格で勝負だ。確かに、発想は素晴らしい。“生ビール”が100円なんて中々思い浮かばない。ビールのおつまみは店中にあふれている。しかも、売り出しの時期が良い。まさに今年は“猛暑”となりそうなのである。レジ横に置いてあれば、嫌でも目に付く。どの店も駅に近く、電車やバスを降りて、或いは地下道から上がって、必ず目に入る場所にある。そして、立ち寄って呑んでも、そのまま歩いて家に戻れる。商品戦略としては“最高の企画”かもしれない。もちろん、コンビニだから価格は抑えられる。居酒屋では出せない価格なのだ。そうなると、居酒屋の雰囲気が好きな人、或いは一杯や二杯じゃ呑んだ気になれない人は別として「今夜はここだけで済ませてしまおう」という“ささやか派”が、どっと増えてしまいそうな気もする。私は前から思っているのだが、コンビニで“宝くじ”を売るようにしてはどうだろう。レジの横には、ビアサーバーと宝くじケースが並んでいる。こちらの“宝くじ”は、100円から購入できる“安い宝くじ”にすればよいのだ。さらに、もう一つ、レジの横に「伝言板」を用意しておく。こういう“不可思議な店”となった時、そうして個々の店にはビールや宝くじ担当の「コンビニアイドル娘」を置くようになったなら、今よりも、もっと進化した“新しいコンビニ”を展開できるに違いない。

「命のロウソク」は売っていないのに…

2018-07-14

東京江戸川区の住宅で13日の夜、練炭による“集団自殺”の可能性が高い5人の死体が発見された。おそらく、この家の持ち主が“自殺志願者”たちを道連れにして集団自殺を図ったと思われる。今のところ、男性一人、女性三人、そして性別不明(?)一人が加わっての5名による集団自殺のようである。男性の関係者二人が心配して、それぞれが警察に相談、13日夜になっての発見となった。津波とか地震とか豪雨とか、不慮の災難によって一気に“命が奪われる”のも哀しいが、まだ若い人たちが自ら“命を絶ってしまう”のも哀しい。私はこういうニュースを聴くと、いつも「命のロウソク」の話を思い出す。人には、それぞれ「命のロウソク」があって、その燭台の中で“生かされて”いる。けれども、時々、そのロウソクの途中で、命の炎が消えてしまうことがある。もちろん、そうすると、人は死んでしまうのだ。だから、不慮の事故や災難で亡くなるのは、元々が“短いロウソク”なのではなくて、もっと“長いロウソク”なのに、途中で強引に“吹き消されてしまった”からなのだ。自殺の場合には、自ら“吹き消して”しまう形なのだ。寿命ではないはずの年齢で病魔に侵されるのは、時に“ロウソクを取り換えられてしまう”からなのだ。そういう話を、幼い頃に聴き、私は単純に信じた。大人になって、あれは“作り話”だと思えた時期もあったのだが、いつからか、やはり、あの話は“真実だった”のではないか、と思うようになった。理不尽ではあるが、そう思うと妙に納得できるのだ。そして、その「命のロウソク」が置かれているところへ連れていかれたなら、私は自分自身のロウソクを見つめながら何と思うのだろうか。巨大企業として膨張するアマゾンには何でも売っているが、なぜか「命のロウソク」は売っていない。

美穂は「黄金期」を再来できるか

2018-07-13

丁度、80年代から90年代にかけて日本の“バブル期”と重なっていたのがフジテレビの“黄金期”だった。そのフジテレビが“復活”を目指すべく“白羽の矢”をたてたのが女優・中山美穂氏である。確かに、89年「君の瞳に恋してる」、90年「すてきな片想い」、91年「逢いたい時にあなたはいない」などバブル期の“月9ドラマ”に欠かせない存在だったのが「中山美穂」という女優である。その後、彼女は結婚してパリに移住した。まるで、それと歩調を合わせるかのようにフジテレビは衰退していった。正直言って私は、彼女のドラマよりも“CMに出ていた姿”の方が印象が強い。この人は“舞台衣装”よりも“普通の洋服姿”の方が清潔感が出て引き立つといつも思っていた。その彼女も、もう48歳で若くはない。10月スタートのフジテレビ系ドラマのヒロインに内定したことが週刊誌で報じられた。今回の役柄は銀行員の人妻役で、娘の婚約者に対して惹かれていく物語らしい。“銀行員の人妻”であれば、おそらく上品な“普通の洋服姿”となるであろうから、そういう意味では彼女の魅力を引き出すには良い設定だ。しかも、私生活でもパリで不倫を演じた彼女には、そういう“雰囲気”も身に付いているので、そういう意味でも演じやすいことだろう。実は、私は“もう一つのこと”を期待している。彼女は日本の“バブル期”に輝いた女優なのだ。それならば、同じようにフジテレビで“再び輝く”ことが出来たなら、日本にも“もう一度バブルの到来”がやって来るのではないかと、密かな願望を抱いてしまう。このところ日本を取り巻く海外情勢は、必ずしも楽観できない。むしろ、アジア各国の経済が今や日本を追い越していきそうな勢いさえある。そんな中で、もしかしたら「中山美穂」という“過去の女優”に賭けようとするのは、虚しいあがきなのかもしれないが…。

「死後」も“お騒がせ”しております⁉

2018-07-12

よく“生前”いろいろとトラブルを起こしていた人物が亡くなった時「これでようやく穏やかな日常が過ごせるね」等と親戚たちが話しているのを耳にする。ところが、世の中には“死んでから”もトラブルを起こし続ける人がいる。「麻原彰晃=松本智津夫」は、その代表的な人物のようだ。彼の“遺体”を誰が引き取るかでもめているのだ。一応、本人は“四女”を指名した、とされている。ところが“三女”や妻は、本人にその意思表示ができるわけがない、ということで「待った」をかけている。現在はまだ“拘置所”内にあるらしい。“三女”というのは昔のオウム真理教内においては“次期後継者”に指名されていた人物で、確かにどこか“教祖っぽい雰囲気”を持っている女性である。一方、“四女”というのは“父親としての記憶”がない人物で、むしろ“オウム真理教”とその後継団体への拒絶反応がもっとも強い。単純な図式で言えば“四女”と“三女”が“遺体争い”をしている構図ということになる。その“四女側”には滝本弁護士が付いていて、常にこの弁護士を通じて発信している。したがって、昨日出て来た「太平洋に散骨したい」という言葉は、滝本弁護士の言葉で果たして本当に“四女”の意向なのかどうかはよく解からない。それにしても、死んでからまで“世間に迷惑をかけ続ける父親”というのはなかなかいない。私は、自分の父親が“危篤”となった時、慌てて病室へと駆け付けたが、既にそこに父親はいなかった。いや、実際には、二人の医師たちが懸命に人工呼吸を続けてくれていたのだが、その病室に入った瞬間、そこに“死後の肉体”が横たわっていて、その遺体に対して医師たちが頑張っているとしか私には思えなかったのだ。このようなことを書くと、なんて冷たい奴なんだとお叱りを受けるかもしれないが、魂の抜け落ちた遺体は“単なる肉の塊”でしかない。だから私は、その肉体の傍に寄ることが出来なかった。その後、兄や姉や弟が入ってきて、そういう中で完全に“波形は止まった”のだが、私にはただ単に医師たちが無理に“波形を作っていた”としか思えなかった。“魂の抜け出した肉体”というものは、確かに“父親”の肉体なのだが、もはや“父親”はそこから抜けているので、その後の葬儀でも肉体を見て呼びかけるとか、話し掛けるとか、泣き崩れるとかが、私には“絵空事”に思えてならないのだった。だって、居ないじゃないか、と叫び出したい気持ちをこらえて葬儀は終わった。

カラダの“空洞”とココロの“空洞”

2018-07-11

TV番組やインターネット配信は、時に予期せぬ形で“人気者”を生み出したり、“巨富”を与えたりする。TV「あいのり」に2007年より素人参加した「桃」もそういう女性の一人だった。素人参加者たちが8か国を周っていく中で“人気者”になった彼女は、番組の中で“相手を見つける形”で帰国したが、その後半年も持たず、その相手とは別れた。そして2010年、バイト先だったアイスクリーム店の店長と結婚した。帰国後、人気者となった「桃」は“ブログ”を開設し、なんとその読者数は一時30万人とも言われた。その結果、芸能人並みの高収入となった。もはや、彼女は“一般人”ではなくなっていった。有名人である「桃」は昨日、ブログで夫と離婚したことを報告した。その離婚理由について《……仲が良すぎて、男とか女とかそういうものを通り越して、仲の良い兄妹のようになってしまいました。(中略) 気付いた時にはお互いその行為が考えられなくなってしまったのです……》のように書いている。これに対して、ネット上では様々な反応があるらしい。私は占いの仕事で多くの男女から“さまざまな相談”を受ける。実は、日本では“セックスレスの夫婦”は予想以上に多い。したがって、そういう夫婦が多数存在していることは占い師の立場として珍しいことではない。逆に、“だから離婚する”というのはむしろ珍しい。どちらかが“浮気を公認”しているケースは珍しくないが、そうして、時にそれが“本気に変わって離婚”に至るケースはないではないが、セックスレス自体が“離婚理由”となるケースは、実は滅多にないのである。人はカラダが寂しくても、ココロが寂しくても、誰かを求めたくなる。「夫婦」という“形”は建前的には、その双方を満たすはずなのであるが、実際にはそういうことはきわめて少ない。どちらか“片方”だけでも満たされていれば良い方で、時には両方共“まったく満たされていない”ケースも多い。それでも“離婚には至らない”というケースが、実は日本では多いのだ。だから、もし、これを読んでいるあなたが、“両方とも満たされている”なら、それは正に宝くじに当たったような貴重な結婚として大切にし続けることをお勧めする。

「善い人」だけど「悪い人」だった

2018-07-10

会社勤めで“部下思いの上司”というものはいるものだ。例えば、いつも部下の仕事に気を使ってくれるとか、仕事帰りに居酒屋に連れて行っておごってくれるとか、クリスマスに高級腕時計をプレゼントしてくれるとか、時には高級外車まで使って良いと買い与えてくれるとか、深夜まで仕事をする部下に自分の購入したマンションで寝泊まりして良いよとか……そんな上司がいるわけないだろう……という声が聞こえてきそうだが、実は居たのである。東京港区の介護事業を主とする人材派遣会社だ。その経理担当責任者・横尾芳雄がそうだった。彼は何故か気前が良かった。それも、そのはずで“自分の金”ではなかったのだ。何のことはない。会社の金を横領して“大盤振る舞い”していたのだった。その総額1億240万円。当然、部下たちは疑問に思った。「いやあ、僕の妻が医者をしていて裕福なんだよ」「……ありがとうございます」…本当だろうか…という心の声を飲み込む。飲み込んだ“心の声”は正しかった。彼が部署異動で変わって、後任が会社の金がなくなっていることに気付いた。けれども証拠固めに時間が必要だったのか、逮捕されたのは5年も経った2018年7月7日となった。それにしても、独身の彼がなぜ妻を医者に見立ててまで横領し、部下たちのために使ったのだろう。おそらく、彼は会社自体はこんなにも余剰金がありながら、自分たちは毎日深夜まで安い給料で“こき使われている”ことが許せなかったのだろう。そして、自分だけで使うことにも抵抗があったのだ。“金の出処”を知らなければ、部下たちは罪には問われない。実際、心の底から信じていたかどうか知らないが、部下たちは“気付かなかった”ことになっている。彼だけが逮捕されたのだ。いろいろと“お世話になった”部下四人は、せめて彼が出所したなら、どこか仕事を紹介してやるくらいの“御礼”は果たすべきである。

科学文明は“大自然の猛威”に勝てない

2018-07-09

集中豪雨で多くの命が失われた。多くの家屋も失われた。昨日まで平和に幸せに暮らしていた人々が“家庭・家族”を奪われていった。結局、いつまで経っても、人間は大自然に勝てない。私は『この占いがすごい!2018年版』の243頁に「自然災害に巻き込まれやすいのは政令都市の郊外に位置する町村と、過疎化が急速に進んでいる地域です。(中略)同時に集中豪雨によるがけ崩れ、山裾にある建物の崩壊に注意が必要です。集中豪雨による川の氾濫で水没する地域が出て来そうです」と記していた。確かに、これらは的中した。けれども、こういう予言は当たらない方が良いのだ。いつも、当たらないで欲しいと思いながら書くのだ。自然災害は昨日までの“平穏な暮らし”を一瞬に奪っていく。強引に奪っていく。映画とかドラマなら、その後に幸運が訪れ、幸せが戻ってくるようなストーリーが多いのだが、現実は異なる。多くの場合、その後何年も、時には何十年も、その傷跡を引き摺って生きていかなければならない。失われた命は二度と戻ってはこない。人間の科学は確かに日進月歩で進んでいるように見える。けれども、それで自然災害が防げるようになったかというと、そうではない。大自然は、人間の科学をあざ笑うかのような“大きく鋭い爪痕”を残す。そして、ささやかな人達の“ささやかな暮らし”を奪っていく。TV等でも「命を守るための避難をしてください」とはいうが、その地域一帯が水没してしまうような場合、どこに避難すれば良いのか、IT企業も含めて何も教えてはくれない。極端なことを言えば、ITもAIも少しも役立たない。タイの洞窟に残されている少年達も、そこに居ることが判っていても、すぐに救出することが出来ない。徐々に体力や気力が奪われていく。ここでも人間の科学は無力なのだ。7月6日、FANTASTICSのパフォーマー中尾翔太氏が胃がんにより亡くなった。22歳という若さであった。医療の面でも未だ“がんの特効薬”は発見されていないのが実情だ。デビューしてまだ2年。昨年末に異変を感じて“がん発覚”その後半年間で天国へと召された。どうか科学よ、宇宙など行かなくて良いから、目の前の生活に、もう少し寄与してくれないか。

もっと早く発見できた「点滴殺人」

2018-07-08

さまざまな事件とか出来事が起きる中で、比較的“珍しい姓名”が出て来ると、私は必ず「姓名判断」を行ってみる。横浜市の大口病院で二年前に起きた終末期患者が相次いで点滴チューブから殺菌作用ある消毒液が混入されて死亡していた事件。昨日7月7日になって急展開、元看護師だった久保木愛弓容疑者が逮捕された。事件後、大口病院を退職し、現在まで無職で居た31歳の女性である。オーソドックスな姓名判断によれば「久保木愛弓」は、画数から見ても、陰陽配列や五行配列から見ても、大吉の姓名である。おそらく、姓名判断なども考慮して名付けられた姓名なのに違いない。だから私は「画数」に振り回されている人たちを見ると、無理に“画数を合わせすぎるな”と警告するのだ。この人の画像も見たが、人相学的にも、特別“凶悪な相”などはしていない。同僚たちが評価している如く、一応、真面目な仕事ぶりであったと思われる。人間というのは、どこでどう“人生が狂う”かわからない。問題は、その“狂い始めた時”に、どう対処していくかなのだ。彼女の場合、他の病院に勤めていたが、救急医療の方に回されることになって、その病院は辞めているらしい。大口病院へは事件の一年四カ月前から勤め始めている。そして、看護師のエプロンが切られるなど“異変”が病院内で起こり出したのは勤めて一年近く経ってからで、徐々にそれが患者の方に移行していったというのが事実らしい。つまり、最初は看護師を標的として“異変”を起こしていたのだが病院側は体制を改めなかったので、徐々にエスカレートしていったということかもしれない。久保木容疑者は「20人以上やった」と“点滴殺人”を認めている。実は7~9月までの間に4回病棟では48人が死亡している。もしかしたら、その半数以上に彼女が関与しているかもしれないのだ。明らかに、もっと早くから“病院側”は何かを察知していたはずだ。それなのに“疑惑”を“疑惑”のまま放置した。終末期治療の患者たちなので、“死人に口なし”で文句が出ない。身内の人達も“早すぎる”とは思っても、“いずれは…”という意識があるから文句が出ない。看護師たちも“おかしい”とは思っても、あっという間に逝ってくれる方が精神的には“楽”なのだ。こう考える時、病院内の「出来事」は、時として“事件の可能性”があったとしても、闇の中に消えていく可能性を教えてくれている。

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