9月, 2018年

40代~50代「未来」のナイショ話

2018-09-17

昨日、興味深い推計が総務省から公表された。とうとう日本では“5人に1人が70歳以上”という時代に突入したのだ。そう言えば確かに、デパートで見掛ける“顔”には“お年寄り”が多い。そして自分も、そこに向かって刻々と近づいている。誰でも齢は取りたくないが、それでも確実に“齢”の方からやって来る。数字的に言えば現在日本の総人口は、大体1億2600万人だが、そのうちの2600万人が70歳以上なのだ。逆な言い方をすれば、70歳前が1億人。なかなか“切りの良い数字”ではないか。おめでたい。けれども、そのうちの多くは40代以降で“70歳”が刻々と迫って来る年齢にある。そこで「未来」である70歳になって以降、あなたは「幸せ」でいられるだろうか。実は70歳以降になっても「幸せ」でいるためには、三つのものが必要なのだ。その一つは“健康”であり、その一つは“お金”であり、その一つは“生きがい”である。この三つがあれば70歳以上になっても幸せで居られる。どれかが欠けてしまうと、長寿ではあっても、楽しい老後を送ることは難しい。ところが、人間の運命はわからないもので、例えば、あなたが今、40代とか50代だったとして、現在の状態がそのまま70歳以降も続いていく保証はない。継続する場合もあるが、逆転してしまう場合もある。例えばいま“健康”だった人が“持病”を抱えるとか、いま“お金”で苦労している人が“お金”には恵まれているとか、いま“生きがい”を持てないでいる人が“生きがい”の中で生活しているとか…。つまり「いま」が、そのままの形で継続していくとは限らないということだ。因みに、“生きがい”は何であっても良い。例えば、退職後に始めた仕事でも良いし、ボランティアでも良いし、趣味の活動でも良いし、習い事でも良いし、孫の世話でも良いし、友人とのお茶会でも良い。要するに、自分自身が“生きがい”を感じられるものなら何でも良い。何かは持っていた方が良い。世間的な評価など気にしなくても良い。むしろ、気にしないで行えるものの方が良い。“お金”は通常の生活をしていくのに支障がない程度はあった方が良い。人間というのは“ぎりぎりの生活”を続けていると精神的に荒んでしまいやすいものなのだ。よく「お金で幸せは買えない」という人がいるが、お金は“多過ぎ”ても幸せを買えなくなるし、“少な過ぎ”ても幸せを買えなくなる。“適度なお金”が一番“幸せ”というものを購入しやすい金額なのだ。健康運というのは一番“不可思議な運”で、占いで“何とかする”のが難しい分野だ。ただ幼少期に“病弱”だった人が中年期以降に健康となるとか、中年期まで病気一つしなかった人が60代以降あちこち支障が出てくるなど、正に“神のみぞ知る”部分が多いのが特徴だ。

「オードリー」&「ピース」それぞれの道

2018-09-16

オードリー若林のエッセイ集『ナナメの夕暮れ』が好評だ。発売2週間で10万部を突破したらしい。そう言えば最近、若林氏はあちこちのTV番組でレギュラーを持つようになった。オードリーとして出演するというより、若林正恭として“単品”としてじわじわ好感度を上げつつある。オードリーが最初にTVに出てきたとき、その注目度は圧倒的に春日俊彰の方にあった。かといって、春日氏のギャグが特別面白かったわけではない。ただ何となく胸を張って悠然と出て来るところが印象的だっただけだ。いつの間にか“春日”の存在感が茶の間受けした。その頃、若林の方はあくまで“その横に居る人”であった。似たようなところから出発したコンビに「ピース」の綾部裕二と又吉直樹がいる。この2人も、最初は“綾部の熟女好き”が妙に母性愛をくすぐり、中高年のファンを生んだ。“おかみさんとの関係”というのも何となく興味をそそった。ところが途中からコンビの関係は一転する。髪の長いことだけが印象的だった又吉氏の方が芥川賞を受賞してしまったからだ。それ以降、又吉氏は“作家”としての仕事が多くなる。TVにも出るが、それはピースとしてではなく作家・又吉直樹としての出演となる。そのことが直接的ではないにしても、綾部氏の“アメリカ行き”につながったことは否定できない。一方、オードリーの方は、一時期、春日氏は“体力勝負”に出ていた。未開部族との交流や闘いのコーナーを持つとか、ボディビルに邁進するとか、オリンピック出場の夢をかけて競技に挑むとか、何に向かっているのかよく解からないのだが、とにかく恵まれた身体に磨きをかけていた。さらには“東大受験”という昔懐かしい番組のような取り組みも行った。それに対して若林氏の方は“文系の仕事”が多くなった。結果的に、その“文系”を好む人たちが購入して10万部突破につながった。つまり若林氏の場合、TVの視聴者がそのままエッセイ読者となってくれているように見える。春日氏ほどの“努力”はしていないが、無理せずとも“若林ファン”を増やしていった。オードリーもピースも、最初は“微妙な笑い”からスタートしているのだが、今やコンビは完全に分かれて、“それぞれの道”を歩み始めている。そして、その“最終的ゴール”がどこになるのか、誰が一番“幸せ籤”を引いたのか、まだ当分わからない。

“裏切り者”の「天文学」なのに…

2018-09-15

アメリカの科学誌に“ストーカーのような論文”が公表された。一度、自分の方から振っておいたくせに、再び“よりを戻そう”と迫ってくる論文なのだ。つまり、天文学の研究者たちは2006年に「冥王星」を、それまでの“惑星”から“仲間はずれ”にした。寄ってたかって、冥王星に難癖をつけて、“惑星”の位置から引き摺り下ろしたのだ。それ以降、冥王星は“準惑星”の位置に甘んじることになった。けれども、心優しい占星家たちは冥王星を“準惑星”に降格しなかった。それまで通り“惑星”として優しく扱い続けてきた。ところが、このほどフィリップ・メッツガー氏をはじめとするアメリカの研究者たちが「やっぱり冥王星は“惑星”に加えておいても良かった」と言い出したのだ。彼らは2006年当時の「惑星の定義」そのものが有効ではなかったのではないか、といちゃもんを着けだした。冗談じゃない。あの時、われわれ冥王星と仲良くしてきた占星家たちはどれだけ哀しんだか…。夜も寝ないで昼寝して、嘘だ、そんなはずはない、冥王星だって仲間じゃないか、と叫び続けた。けれども、無情にも、天文学者たちはわれわれの“叫び”をあざ笑うかのように、冥王星を“準惑星”に降格してしまったのだ。だから、われわれは“非科学的な輩たち”という屈辱的な視線を浴びながら、必死に耐えて来たのだ。それなのに、今更「惑星に戻そう」なんて、どの面下げて言うのだ。ところで、実は私には、昔から気になっている法則がある。科学的なことに関心の強い方なら知っていると思うが「ボーデの法則」と呼ばれる“摩訶不思議な法則”だ。ここでは理論は飛ばす。要するに、太陽の周りをまわっている惑星たちには、一定の距離感ごとに“惑星が配置されている”という仮説だ。この法則では、実測値と理論上の予測値の“差”は微少で無視できる程度のものである。例えば、水星は実測値が0.39に対し予測値0.4、金星は0.72に対し0.7、地球は1.00に対し1.0、火星は1.52に対し1.6、小惑星セレスは2.77に対し2.8、木星は5.20に対し5.2、土星は9.55に対し10.0、天王星は19.2に対し19.6…となっている。但し、海王星と冥王星とには、この法則が当てはまらない。そこで、いつの間にか、この法則は「まやかし」とされてしまったのだ。だが、そうだろうか。もしかしたら、海王星は何かがあって“外れている”かもしれないのだ。そして、問題の冥王星は、この法則からすれば“惑星ではない”ということになる。誰か、この“謎”を解き明かしてくれないか。

「イジメ不登校児」が全日本チャンピョン!

2018-09-14

人は知らず知らずのうちに“誰かの目標”になっていることがある。女優だった故・南田洋子氏もそういう一人だった。彼女の晩年は必ずしも“大女優”に相応しいものではなかったが、病気直前までは誰もが認めるスターとして輝いていた。その南田洋子氏の従兄弟の娘に「山田洋子」がいる。彼女は自分と名前が同じ「洋子」だった“洋子おばちゃん”を小さな時から慕っていた。憧れだったと言って良い。中学生の時、イジメられている子の味方をしたら、今度は自分がイジメられる形となった。それがひどくなって不登校となり、自殺未遂までした。その後、学校は辞めて施設に入ったが、そこも合わずに脱走したりした。喧嘩っ早く、何度も問題を起こし続けた。孤独の中で、それでも“洋子おばちゃん”に認めてもらいたくて役者になったりもした。たまたま居酒屋で隣り合わせたのが、アームレスリング(腕相撲)の男性チャンピョンだった。何となく親しくなって、自分も“それ”をやりたいと思った。こうして2年足らずのうちに彼女はトップ選手に上り詰めたのだ。それから13年間、ずっと女子アームレスリング全日本大会で優勝し続けている。ここで私は思うのだ。もしも彼女に“洋子おばちゃん”がいなかったならどうだったのだろう。それでも彼女は強くなれただろうか。彼女は同じ名前である「洋子」おばちゃんから、幼い頃、可愛がられた。だから“洋子おばちゃん”に憧れ、“洋子おばちゃん”に認められたくて役者にもなった。アームレスリングでは「山田よう子」を名乗っている。みんなからイジメられ、不登校になり、自殺未遂までした少女は、たった一つ、自分と同じ名前の“洋子おばちゃん”から認められたくて生き続けた。そうして、今では“4児の母”だ。南田洋子氏は“不妊女性”であることを“悩み”続けていた。だから、ことのほか同じ名前の「洋子」を“我が児のように”抱きしめたりしたのだろう。そして、それが“いじめられっ子”となって虚無感を抱いた時、“生きていく支え”となった。人は“何”が“誰”に、どういう“結果”を与えるのか、誰も知らない。それを演出するのは“神様”なのか、単なる“偶然”なのか、誰も知らない。

露・朝・中の三か国と「平和友好条約」⁉

2018-09-13

最高のチャンスだと思った。まさに「今しかない」と思った。まあ、しかし、私と考えを“同じくする人”は、日本にどれくらいいるだろう。もしかすると、誰もいないかもしれない。それでも、私はこういう時こそ「千載一遇のチャンス」なのだと訴えたい。日本は、今こそロシアとも、北朝鮮とも、中国とも、三か国とほぼ同時に「平和友好条約」を結んでしまえば良いのだ。今なら、どの国も応じてくれる。その先鞭を切ったのが、ロシアのプーチン大統領だった。彼は冗談を言ったのではない。真剣なのだ。それは、今すぐでなく「年末までに、一切の条件なしで…」と付け加えているからだ。これには深い意味がある。まず「年末までに」というのは、両国とも国内的な調整にはそれくらいはかかると踏んでいるからだ。安倍首相は先に「今でしょ」的な発言をしたが、あれは冗談と皮肉を含んでいるからである。実際には無理だと思っているからである。それに対してプーチン大統領の「年末までに」は“冗談抜き”の発言である。だから眼が真剣だったのだ。もちろん「一切の条件なしで」という部分も、真意だからだ。この発言について、ほとんどの日本人が「北方領土問題を棚上げ」にする手段だと感じているようだ。それは確かにそうである。けれども、その部分は仕方がないのだ。ロシア国民は、そのほとんどが北方領土を日本に返還するという発想を持ってはいない。それなのに大統領だけが「還そう」等と言えるはずがない。プーチン氏自身は「引き分け」的な考え方で処理したい願望を持っている。つまり、最終的に二島返還という考え方だ。これだって、今のロシア国民からすれば「冗談じゃない」くらいの反発を受けそうな提案だ。つまり、この問題に対してプーチン氏は日本への理解があり、好意的なのだ。おそらく、次に大統領に誰がなったとしても、北方領土問題など議題にさえもあげてはくれないだろう。それくらい“厳しい外交問題”であることを日本人は知った方が良い。プーチン氏は、まず「平和条約」を結び、共同事業を手掛け、北方領土を事実上の“両国の島”のような形にしてしまえば、国内世論を抑えて「引き分け」は可能だということを示唆しているのだ。中国も、今は習近平氏が経済面でピンチに立たされているので、日本からの提案は“受け入れやすい土壌”にある。日本を“敵”にするより“味方”につけたいのだ。さらに北朝鮮は、“南北朝間”でのほころびが徐々に表面化している。“米朝間”でも同様で、微妙な亀裂が表面化している。金正恩氏としては日本とも“上手く”やりたいのだ。ただ日本が北朝鮮を“敵視”している間はそれが出来ない。ここでもロシアと同様で「平和条約」を優先させた方が“拉致問題”も解決しやすい。歴史が、私の発言が“正しかった”と認めることになるだろう。

差別ではなく「風刺画」の傑作

2018-09-12

9月10日、メルボルンの地元紙「ヘラルド・サン」に漫画家マーク・ナイト氏が描いた“風刺画”が掲載された。全米テニス女子シングルス決勝で激高するセレーナ・ウィリアムスを描いたもので、大きく飛び跳ねながら壊れたラケットを踏みつけようとしている姿である。やや誇張はされているものの“セレーナの顔”と誰もがすぐにわかる素晴らしい漫画だ。ところが、この漫画に対して「人種差別」だとか「性差別」だとか騒ぐ輩がいる。「ハリー・ポッター」の原作者K・ローリング氏は「人種差別や性差別で冷やかすものでしかない」と批判している。さらに「よくも偉大な女子選手を笑いものにしてくれた」と感情的に起こっている。実は、漫画家マーク・ナイト氏の元には22000件ものコメントが寄せられたそうだが、そのほとんどは批判的なものだったらしい。彼は、それらに対して「人間の振る舞いに差別など関係ない」と相手にしていない。彼は以前から“物議をかもす漫画家”として有名なのだそうだ。素晴らしい。私もニュース映像などでセレーナ選手と大阪なおみ選手の試合の一部を見たが、セレーナ選手の言動は、どう見ても“身勝手”以外の何物でもない。本来、どちらかと言えば“富裕層のスポーツ”であるテニスとしての“基本的マナー”がなっていない。特に、主審に対しての暴言は決して許されるべきものではない。一流選手であればあるほど、人間としても“一流”でなければならない。マナーを失している彼女は“選手”である前に“人間”として失格なのだ。最近、スポーツ選手等の行動や対応が問題視されるが、どのような世界であれ、その世界で一流であったとしても、人間として“あってはならない発言・行動”が目立つ人物を称賛してはならない。しかも、この漫画は遠方に“小さく”審判と大阪なおみ選手を描き、審判がなおみ選手に“何かをお願いしている”風にプラスしている。つまり「セレーナ選手を勝たせてやってくれないか」と囁いている風にも見えるのだ。そういう“シャレた皮肉”を利かせるのがマーク・ナイト氏の風刺画なのだ。日本でも、昔はどの新聞にでも「風刺画」が載った。ところが、いつの頃からか風刺画を掲載する新聞が少なくなった。社会風刺というのは、正面切って言うと“争い事”に発展しかねない。それをユーモアたっぷりに皮肉って漫画にすると、誰もが楽しく共感できるのだ。そういう素晴らしい文化は、もう育たないのだろうか。

 

報道キャスターの「闇」

2018-09-11

「池上彰氏」と言えば、今や“報道特番”では引っ張りだこの人気ジャーナリストである。その名を冠した番組も多くなった。常に独自の切り口から、あらゆる事象を“解説”してくれるが、その内容も大変に解かりやすい。ところがである。最近、一部の知識人たちから“問題”が指摘されている。この人が仕切る番組では、それがどのような分野のことであろうと「池上彰の観方&捉え方」というものが解説される。その際に、もしかしたら“他の人の研究とか考え方”が含まれている可能性があるというのだ。つまり、誰かがその事柄に対して“独自の観方&捉え方”を持っていた場合、その人物に対して「池上彰の意見として紹介したい」と番組スタッフが交渉してくるというのだ。それを自らのSNSで指摘したのは元官僚で大学教授でもある八幡和郎氏である。彼によると、池上彰氏の番組スタッフからの取材で、時間をかけて自分の意見を述べたところ「番組の方針で、実際の番組の中では“池上さんの意見”という形で紹介したいが、ご了解して頂けるでしょうか」と訊いてきたというのだ。八幡氏は拒否し「このような人物がジャーナリストのような顔をしているのはおかしい」と疑問を投げかけている。そうしたところ、健康サポートで著名な宮下研一氏、ジャーナリストの有本香氏、大学教授の高橋洋一氏などが、いずれも同じような経験があったと同調している。指摘を受けた池上彰氏自身は「そのようなことは、あってはならないことであるし、私は行っていない」と戸惑っている。報道特番というのは、確かに“一人だけ”で成り立つような番組ではない。それに関わる大勢のスタッフがいる。そして、おそらく「池上彰」の“名を冠した番組”においては、彼の意見を前面に押し出している、ことは事実である。例えば番組内で専門家を呼んでいても、その専門家にはあまりしゃべらせずに、池上氏が基本的な解説をする。これは事実で、最近は特に“一人ですべてを受け持っている”ような違和感が生まれてきている。実は報道特番とは異なるが、私は以前、或る“占いコンテンツ”のスタッフから「波木先生の観方や判断の仕方について、島田秀平先生のコンテンツ内で“島田秀平の観方”として扱いたいのですが、ご了承して頂けますか」という依頼を受けたことがある。その変わりに、“波木星龍のコンテンツ”に導くような仕掛けを加える…というのだ。もちろん、私は丁重にお断りをした。どうして私が「島田秀平氏」の“詐欺的手段”の手助けをしなければいけないのか、あの時は訊かなかったが、島田氏本人は果たして“それ”を知っていたのだろうか。

83歳女性のカラダを14歳少年が襲う時

2018-09-10

こういう事件は、本来なら“深刻”に受け止めなければならないのだろう。だが、私には想像力が枯渇しているのか。どうしても、その場面が“映像化”できないのだ。アメリカのボルティモアで14歳になったばかりのタイロン・ハービン容疑者が、83歳のドロシー・メイ・ニールさんの自宅を訪れて居て、不意に強姦しようとする場面の映像である。こういう言い方をするのは大変に失礼だが、ドロシーさんは齢相応の“83歳の女性”であって、特別“若々しい印象”でも“美しい容姿”でもない。ごく普通の黒人女性である。ただオシャレではあった。それと、人相学的には優しく親切な女性であったことは間違いがない。一方のハービン容疑者だが、確かに14歳になったばかりの少年なのではあるが、顔写真を公開されている。日頃から素行は良くなかった。強盗や暴行でも起訴されている。そのため最近まで身体にGPSを着けられていた。ところが、その後はいたって品行方正で、その様子を見て監察官がGPSを取り外した直後の犯行だった。容疑者は、まだ14歳だが人相学的には極端に分厚い上下の口唇が目立つ。つまり“性衝動”が強い顔貌と言える。日本人の男児14歳で極端に分厚い口唇はほとんど見掛けない。こんなことを書くのは虚しいが、もしかするとハービンは“女性”なら誰でも良かったのかもしれない。ただ容疑者は、被害者女性の自宅に優しく迎え入れられた形跡がある。元々親切なドロシーさんは少年に警戒心を抱かなかった。まさか14歳の少年が83歳の自分を襲って来るとは夢にも思わなかったのだ。ところが容疑者は耳が尖っている。こういう耳は“危険”なのだ。おそらく、少年はいきなり女性に抱きついて行った。もちろん女性は拒否する。けれども少年の方が力が優っていた。そして強姦された。ところが、ここで話は終わらなかった。女性は行為の後で顔面を殴られ、それが元で死亡したと推定されている。おそらく、少年をののしったに違いない。もし、女性が屈辱のまま見送ったなら、或いは死なずに済んだのだろうか…。

地震500回超「硫黄島」が危ない⁉

2018-09-09

私が初めて“それ”を書いたのは5月19日だった。《キラウエア山だけではない爆発的噴火》と題して、地球の“収縮運動”が進んでいるので、ここだけでは済まないだろうことを記した。比較的赤道に近いインドネシア、フィリピン、キューバなどの火山が危ないと記しておいた。その後、キューバのすぐ隣り、グアテマラで火山の爆発的噴火が起こった。そこで6月10日に《火山噴火「グアテマラ」の次は?》を記しておいた。そうしたところ7月2日に予想通りというべきかインドネシアのバリ島アグン山で爆発的噴火が起こった。そこで7月3日に《爆発的噴火にオマケは附く⁉》を加えておいた。つまり、もう一ヵ所くらい、オマケでの“火山噴火”が起こるのではないか、と記したのだ。但し、その時も、私は日本列島は除外した。赤道からは“遠すぎる位置”だからである。けれども、日本国というのは、実は意外なほど広範囲に島を持っている。一日の地震回数が500回超となり、もういつ“爆発的噴火”が生じてもおかしくない状態となった「硫黄島」もその一つだ。ここは一応“東京都”の管轄なのだが、位置的には東京都よりもフィリピンの方がはるかに近い太平洋のど真ん中にある。つまり、日本で唯一“赤道に近い島”なのだ。太平洋戦争の時に戦地となった。今も自衛隊の基地が置かれていて、一般人は立ち入りできない。因みに日本には「硫黄島」と記す島がもう一つある。その位置は鹿児島県で、こちらは赤道から離れているので問題はない。それにしても、今年は自然災害が多い。おかしな形でやって来る自然災害が多い。台風もコースから外れていて、予測をつけにくいものが多い。それだけ、地球そのものが“変動期”に差し掛かっているのだろう。“新たな恐竜”に関するニュースもあったが、われわれが生まれる前に、地球上で二足歩行をしていたのは恐竜たちだったのだ。

現代人は「電気人間」だった!

2018-09-08

もうすぐ“ロボット”が癒してくれる時代が来る…なんて思っていたが、とんでもない。われわれ自身が“電気で動いていた”のだ。それを教えてくれたのが今回の地震だった。9月6日の午前3時、私はいつものように起きていた。そう、私は“超早起き”なのだ。椅子に座って調べ物などしていたのだが、小刻みに上下に揺れ出した。けれども、最初、その揺れはそんなに大きくなく、そのうち終ると思っていた。ところが急に大きくなって、ガタンガタンと揺れ出した。これは“ヤバイ”と思ったが、動けない。結局、激しい縦揺れの中でモノが倒れ出した時、急速に動きが収まっていった。大きなテーブルランプと陶器の人形、それに大きな馬の置時計などが壊れたが、実質的被害はそれだけだった。ただ、散らばったものなど整理していた時、急に停電した。私は、最初、私の部屋だけが停電してしまったのかと思った。防災グッズなどそろえていない私には仏壇のロウソクが役立った。ブレーカーを確認したが問題なかった。私の部屋だけが停電なのではなく、このマンションだけでもなく、北海道全域が“停電”になったということを知ったのは、朝になってからだった。奇妙なもので「みんな停電なのか」と思うと連帯感のようなものが出て来て、停電でも平気になった。ただネットが繋がらず、TVも見れないので、どうなっているのかがわからない。私は何年も前からスマホも携帯も使わなくなったので、情報源がない。一番の問題点は、エレベーターが止まっていることだった。仕方がないので、階段を上り下りする。その日、三回も12階まで歩いて上り下りした。私のところは12階だからまだ良いが、これで20階とか30階とかだったなら、どうなっていたのだろう。予期せぬ災難だったが、たまたま「水」と「お茶」は箱買いして届けられていたものがあったので、飲み物に関しては問題なかった。コンビニでは薄暗い中で冷凍以外の商品を売りさばいていた。とにかくポテトチップスなど“食べられるもの”などを買った。夕方になって電気が点灯した。ただネットやTVはまだだった。後で知ったのだが、同じ札幌市内でも地域によって相当被害状況が異なる。電気だけでなく、水がストップしてしまった地域も多い。液状化で土地自体が大きく傾斜してしまった地域もある。飛行機もストップ、新幹線もストップ、地下鉄もストップ、バスもストップ、公共の交通網がことごとく動かない。電気が途切れたことで食品関連も機能しない。したがってレストランやスーパーなど店も閉まったままだ。あらゆる機能が、電気を使用している。日頃、スマホさえあれば“生活に不自由しない”と豪語していた人たちも、肝心の電気が消耗して使えなくなると、一挙に慌てふためく。今や、全ての生活が“電気”を基に行われていたということを、改めて気付かされる。そして、もう一つ「ハザードマップ」と呼ばれるものの、何と信用できないことか。今年6月に公表されたデータでは、震度6弱以上の発生確率は今回、最大の被害となった厚真町では「2.4%」の確率しかない。つまり“安全な地域”のはずだったのだ。二番目に被害の多い安平町など「0.6%」の確率しかない。因みに札幌も「1.6%」で安全地帯なのだ。北海道で一番危険とされていたのは根室市で「78%」だ。こういう高い確率の地域なら心配だが、1~2%の発生確率で“地震に備えろ”というのは無理な話だ。ハザードマップ以外の「活断層もたくさんある」という話が本当なら、“心配の種”にしかならず、しかも現実には“役立たないマップ”を、なぜ公表するのか。そんな研究をする暇があったなら、“地震雲”の研究をもっと本格化してほしい。

「終わった人」が光り輝く時

2018-09-05

私は昔から自分の顔の“法令線”がクッキリしていないことが嫌だった。“法令線”とは小鼻脇から口唇を取り囲むように刻まれる筋のことである。どうして「法令線」という名称なのかというと、上司から部下に対して“命令を発する”、或いはお上から下々に対して“法規を発する”、そういう時に効果を発する筋だからだ。つまり、筋のある者が、筋のない者に対して“命令する”形を取ると、筋のない者はそれに逆らうことが出来ない。そういう筋だから「法令線」という。決して“やくざの世界”を言っているわけではない。一般的に言えば、法令線のクッキリしている人は“自らの守備範囲”というものを悟っていて、その範囲内の職務には“絶対的な自信”と“或る種の義務感”を持って生きている。そして、その法令線が若い頃からクッキリしている俳優の一人に“舘ひろし氏”がいた。「石原軍団」の一人として登場した俳優だが、近年は単独で主役に起用されるケースが多くなった。映画「終わった人」もそういう作品の一つで、出世コースから外れて子会社で定年を迎えた男を描いた地味な作品だ。派手なアクション映画ではない。今回モントリオール世界映画祭に出品された「終わった男」の舘氏の演技は、審査員たちに「定年前から定年後の主人公の心情の変化を見事に表現している」と絶賛された。法令線が深く刻まれた男が演じた“命令を発することなく終わった男”は、けれども、世界中に居るだろうその人たちの心情を見事に描き出したのだ。その結果、最優秀男優賞という役者として“最高の栄誉”を与えられた。1999年に「鉄道員」で高倉健氏が受賞して以来の快挙であるらしい。当たり前の話だが、役者は自分とは異なる人生を歩んだ人物を演ずる。時として役者に“異なる人生を歩んだ人物”が憑依しているのではないか、と思うほどに迫真の演技となることがある。“猟銃自殺”する直前に演じた田宮二郎氏の遺作演技は、まさにそういう迫力があった、と誰かが語っていた。もしかすると、何千何万の“出世コースから外れた人達”の想念が、舘ひろし氏の肩に憑依していたのかもしれない。

「マンホールの蓋」として生きていく

2018-09-04

8月15日に乳がんの為53歳の若さで逝った「ちびまる子ちゃん」の作者・さくらももこさん。その彼女が描いた「マンホールの蓋」のデザイン画が公表された。実に明るく爽やかな印象の「ちびまる子ちゃん」が描かれた“マンホール画像”である。提案された静岡市としては8月下旬に“お披露目”予定だったらしい。つまり完成したが、彼女の死には間に合わなかったのだ。多分、さくらももこさん自身はそうなるだろうことを感じていたに違いない。だから、あえて自分の故郷である静岡市の方へ、自ら提案したに違いないのだ。自分の“身代わり”である「ちびまる子ちゃん」が“マンホールの蓋”になって、学童たちの行き来を見守り続けていたい。或いは、いつまでも学童たちと“向き合って”いたかったのだ。彼女の“生まれ育った”静岡市には、原作の記念館である「ちびまる子ちゃんランド」がある。さらに、彼女が作詞した「まるちゃんの静岡音頭」という“市のPRソング”もある。幼い頃、実際に母親から言われた「ちびまる子ちゃん」という自分への呼び名をそのまま漫画化して大成功した。彼女の中では、いつまでも“自分の幼少時代”が仕事の源泉として息づいていたに違いない。がんとの闘病が長く続いて、“ちびまる子”の時代に戻りたい、という意識が強くなったに違いない。そういう時に、自らが“故郷に帰る方法”として、彼女は“マンホールの蓋”になることを択んだ。そうすれば、いつまでも“あの頃”で居られるのだ。永遠の“小学三年生”として一緒に児童たちと学校に通える。自ら作詞した歌も“お祭り”の時など子供たちに歌ってもらえる。「ちびまる子ちゃんランド」という記念館は“おうち”として子供たちに来てもらえる。そういう想いもあって、彼女は自らの“死”が近づく中で何度も足を運んだらしい。“お忍び”で誰にも気付かれることなく、自分のおうちを訪れていたらしい。だから、きっとこれからも“お忍び”で訪ねていくに違いない。

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