12月, 2018年

「福袋」じゃない「福袋」が売られている

2018-12-13

時の流れは、嫌でも物事を“変遷”させていく。正月特有の風物も徐々に姿を変えていく。ビッグカメラは、早くも「2019年福袋」を売り出し始めた。正月より20日も前から「福袋」を売り出すということ自体にも、違和感はあるのだが、それよりも私は近年の「福袋」が“中身が解かっている”ことに、なんとも言えないつまらなさを感じる。大昔、まだ私が幼い頃、正月と言えば「初荷」があった。「初荷」と言っても、若い人たちは解からないことだろう。各商店に向けて問屋や倉庫から、その年初めて出荷する商品を送り出す行事のことで、正月2日に行われていた。すべての業者が一斉に行うもので、早朝から馬車やトラックに積み込まれた荷物そのものが“着飾られている”のが特徴だ。さらにそれぞれのメーカー企業、或いは卸問屋の「ロゴ&企業名」或いは「謹賀新年」とか「迎春」とか、それぞれの“登り”や“旗”など立て住宅街や商店街を太鼓やガンガンを叩きながら走り回るのだ。ハッキリ言ってとてもうるさい。うるさいのだが、誰も文句などは言わなかった。そのガンガンの音や拡声器による音楽などを聴きながら、今年も明けたのだな…という気分を誰もが味わったものだ。幼い私は二階の出窓から、その光景を飽きずに眺めていた。私の記憶が間違いなければ、大体午前5時半過ぎくらいから始まって、午前10時くらいまで続く。だから正月なのに、朝からうるさくて寝ていられない。だが、今みたいに、そういうことに過敏ではなく、一種の“お祭り騒ぎ”としてみんな許していた。そして、それを聴き終えた後、お目当ての店に行って「福袋」を購入するのだ。もちろん、中身など解からない。解からないから「福袋」で、新年の先行きを占う行事でもあった。「福袋」の中身が“豪華てんこ盛り”であれば、その年は幸運が訪れ、あまり大したものが入っていなくて“ガラクタ同然”なら、その年は不運な年だということになる。そういう単純な“占い”は、神社へ出向いての“おみくじ”とはまた違った占い方として面白みがあった。ところが、近年の「福袋」には、そういう“おもしろみ”とか“楽しみ方”というものがない。確かに“ガラクタ同然”のものを引き当てる不運さは無くなったが、同時に“豪華てんこ盛り”を独り占めできる快感もない。「就職企業」や「結婚相手」を択ぶ時でも、現代は“情報”が溢れすぎていて、“予備知識”や“事前比較”が出来過ぎて、予期せぬ偶然からの驚きや発見が乏しい。それでいて完璧かというとさにあらず、実際にはあっという間に“離職”や“離婚”する人が出て来る。結局、合理主義的な人生観は「幸運な人生」になど繋がらないのである。

入場料“1500円の書店”は成功するか

2018-12-12

東京・六本木の青山ブックセンターの跡地に、昨日、新たな書店「文喫(ぶんきつ)」がオープンした。書店としては中型規模の売り場面積だが、入場する時に“入場料1500円”を支払わなければならない。新たなビジネスモデルとしての日本初“有料書店”なのだ。その入場料は美術館や映画館の入場料に見習ったらしい。つまり、美術館や映画館に入るような感覚で“書店を訪れる客”を対象とした“強気の書店”と言えるだろう。六本木という地域性も、もしかしたらあるのかもしれない。マイナーな本を主体とした品ぞろえで、通常の書店と異なり、どの本でも1冊しか書棚に置かれない。ベストセラーの平積みは厳禁。すべての本を公平に扱う。したがって、普通の書店なら表に出て来ないような“高価な本”とか“特殊な本”も書棚に並ぶ。もちろん出版社別に並べることはしない。一応、分野別にはしてあるが、あくまで一応であるらしい。要するに、さまざまな本を眺め、さまざまな本に触れて、出逢いや発見の中から“本を読む”形を提案しようというのだ。こんなことを言うと叱られてしまうかもしれないが、お金と時間に余裕のある人、精神的な憩いの場として書店を利用しようとする人、そういう人達に来て欲しいとのメッセージを感じる。果たして、この書店は受け入れられるのであろうか。一つだけ問題なのは、本の検索機を置いていないことで、つまり、急いで“お目当ての本”を探そうとする人には向いていない。この書店に、本を読むためのテーブルや椅子が置かれているかどうか、私は知らない。もし、私が開くのであれば、それこそ入場料を取るのだから必須であろう。さらに無料の自動飲料水の機械が設置してあることが望ましい。つまり、ジュースくらいは無料で飲めて、本を読むテーブルもあって、それで1500円なら問題ないように思うのだ。そういうものは一切なくての1500円は、どうかな…という気がする。確かに、どの書店に行っても“売っている本が同じ”というスタイルの書籍販売0方式は誰もが飽き飽きしているだろう。これがブティックなら、それぞれの店に入ると、それぞれの品物が楽しめる。だから一日中でも、お店巡りが出来る。書店の場合にはどこに行っても“同じもの”だけが何冊も積まれ、肝心の書籍はなかなか見当たらない。どうして“右習え”しかできないのだろう。書籍に関しては、日頃通販を好まない人でも、一般書店に工夫がないままであれば、そちらに流れていくだろう。

「千尋」から「弌大」への改名は最悪⁉

2018-12-11

私はこれまでにも何度か「読めない文字を使った命名はすべきでない」と記してきた。今回は正にその典型である。昨日、プロ野球の日ハムに新規加入した元オリックス・金子千尋(かねこちひろ)選手の入団発表があった。その席で、金子選手は新たな選手登録名として「金子弌大(かねこちひろ)」として再出発する旨を公表した。そして、この“改名”について本人から「僕は風水をやっていまして、その関係からこの名前に変えることにしました」との説明があった。正直、いろいろな意味で残念な改名である。まず、彼は「風水から…」という表現を使ったが、改名は「風水」にはない。もっと素直に「姓名学」とか「姓名判断」とか言えばいい。もし、本人自身が命名したのであれば「この文字を使うと画数が良くなるので…」と素直に言えば良い。もし誰かに命名してもらったのだとしたら、その“風水師”だか“姓名術師”だか知らないが、その人の名前を出せば良い。こういう読めない文字の改名は、絶対にすべきではない。日本で普段使われていない文字を使うと、多くの人が苦労する。新聞や雑誌、TVやネット関係者も、いちいち“文字変換”を行わないと表記できない。多くの人に苦労を掛ける名前は、まずその時点で“良い名前”とは言われない。読み方だって、このニュースを知らない人達は、まず100%読めない。そして書くのも間違いやすい。その時点で、すでに「アウト」なのだ。彼は、多分、画数的に「こちらの方が良い」と思ったことだろう。けれども姓名というのは“画数”だけでは決まらない。現に同じプロ野球選手で、改名した人たちがたくさんいるが、その後どうなったか。今岡誠→今岡真訪、今江敏晃→今江年晶、中島裕之→中島宏之、川井進→雄大、平尾博司→平尾博嗣…改名してのち大きく飛躍した選手がいるだろうか。特に、オリックス時代の金子選手は、球団でただ一人スコアボード名が「金子千尋」とフルネームで記された。それは“もう一人の金子選手”が入って来た2010年途中からだが、その年、フルネーム表記されたのち彼は大活躍する。そしてオリックスで初めて“年棒1億円超え”の選手となる。この事実をどうして忘れてしまったのか。これまでは「ちひろ」と声に出して声援してくれたファンも、これからは「かねこ」としか声援してはくれない。ボードには「金子弌大」と書かれていても「ちひろ」と呼ぶのは違和感を持つ。それに「姓」と「名」の文字としてのバランスもすこぶる悪い。スポーツ選手としての“躍動感”が感じられないのだ。改名は「姓」に相応しい「名」を当て嵌めないと、“生きている名前”にならない。“生きている名前”にならないと“大衆の中”に埋もれていく。

両肢の間に「跪かせる治療法」は危ない⁉

2018-12-10

世の中には「どう見たって…妖しい」と思うような治療法が山ほど存在する。けれども、それで実際に効果があるのであれば、誰も口をはさめない。ブラジルでは時折、その手の治療法が流行する。私がまだ20代の頃だったが、心霊医として一世を風靡した人物がいた。当時、心霊治療というのはブラジルだけでなく、フィリピンでもあったし、メキシコやインドネシアでもあった。日本からも“心霊治療”の為だけのツアーが組まれたりした。現代は「心霊治療」という呼び方はしないらしい。ブラジルで自称“霊媒医”を名乗っていたのが、ジョアン・ジ・デウスことジョアン・ジ・ファリア(76歳)という人物であった。ブラジルだけでなく、ヨーロッパやオーストラリアなどからも依頼者が絶えない人気の「霊媒医」である。ところが、つい最近、12名の女性達から告発を受けた。治療名目で“性的虐待”を受けたというのである。TV番組内で勇気ある告発を行った。うつ病などの女性達に対して、ジョアン氏は「浄化の力」を注入する唯一の方法だとして、彼自身のペニスを触ったり、或いはしゃぶるよう強要したというのだ。しかも、その中の一人でオランダ人女性は“強姦までされていた”というのだ。このTV番組とは別に、地元新聞社の記者取材からも、別な女性達が「浄化の力」について同様な告発をしている。実際、その治療法はジョアン氏の「スピリチュアル診療施設」内で、患者女性を自らの両肢の間に“下着姿で跪かせる形”で行われており、もう“その写真”だけで「アウト‼」と言いたくなるような雰囲気なのだ。もっとも、昔から中南米に存在する呪術宗教などでも“似たような方法”を行うことがあり、患者を下着姿にすることや患者を接近させること自体はギリギリセーフと言えないことはない。事実、ジョアン氏側は猛反発していてTV報道は“嘘の内容”であるとし、自分は「正統な治療を施している」と主張している。そもそも「霊媒医」そのものが“正当な治療”かどうか疑問だが、やっぱり「両肢の間に跪かせる形」だけは、変えた方が良いような…。

「転落死」しなかったことが奇跡⁉

2018-12-09

欧米人の中には時々とんでもないことを思いつき、そして実行してしまう“危ない冒険野郎”がいる。12月5日に「動画サイト」に投稿され、現在は削除された「ピラミッド頂上で全裸になってSEX」動画がある。映像が合成などでなければ、彼らはギザの“クフ王ピラミッド”に深夜、多くの警備員らの眼を盗んで登頂を果たし、そこで念願の“ハダカ動画”を撮影し、そして頂上の上で朝まで過ごしていたことになる。俗に「大ピラミッド」とも呼ばれるクフ王ピラミッドは、エジプトにあるピラミッドの中でも最大の大きさをほこる。底辺の横幅は230mで、その高さは建造時が147mであった。ただ中世期以降は“キャップストーン”の石が剥ぎ取られ、頂上部を欠いているので、実際には139mの高さであり、その頂上部には6m四方の石畳が広がっている。実は20世紀前半くらいまではピラミッドの登頂が許されていた。ところが毎年事故が多発し、多数の人が転落死するので禁止となったのだ。ましてや深夜、灯りもつけず登るなど“狂気の沙汰”である。登ったとされる男女は二人とも長身やせ型で、そういう意味で言えば登頂には適している。投稿者はデンマーク人カップルらしく「多くの警備員に見つかることを怖れながら登った」とのコメントも付け加えられている。実際、もし途中で発見されれば、撃ち殺される可能性さえあった。しかも、彼らは現在も安全ではない。エジプトのアナニ考古相は「遺跡の冒涜」として、徹底的に追及・処罰する旨を公表しているからだ。私は昔、クフ王のピラミッド内部にまで入ったが、その観光用の入り口まで登るのでさえも怖かった。実際に近づくと、予想以上に石が大きく何の手すりもない。登頂は見掛けほど簡単ではない。そのトンネル内部も暗く坂になっているので、足元が不安定である。特に、大回廊に続くところは大きな段差があって梯子がなければ登れない。私は本当は通路内部を“細かく調査”しながら登ろうと思っていたのだが、実際には足元だけが気になり、とても壁や天井の確認など出来るものではなかった。第一、通常の観光客はカメラを取り上げられる。内部写真を写せないのだ。大ピラミッド以外のピラミッド内部にも入ったし、いくつもの“王家の谷”の墓所内部にも入ったし、アブシンベル神殿の内部にも入ったが、カイロのミイラ安置室にも入ったが、どれも内部撮影が許されない。それでも、高所恐怖症の私が暗いトンネル内を歩き回れたのは「古代エジプトの神々」が見守ってくれたからに違いない。

ミャンマーの「赤い靴」

2018-12-08

「赤い靴」という童謡を知っているだろうか。「♪赤い靴はいてた女の子…異人さんに連れられ行っちゃった」で始まる“もの哀しい曲”だ。私は幼い頃、この歌をなぜか“とても美しい歌”のように思っていた。それは多分、何となくのイメージで、私が親しかった女の子が着飾って船に乗り、ちぎれるほどに手を振って、見知らぬ国へと旅立つ姿が連想されたせいかもしれない。波止場に残された幼い少年はさみしさをこらえながら、女の子はきっと異国で幸せに暮らすんだろう…と佇んでいる。そんな風な歌だと勝手に思っていた。けれども徐々に大人になって、この歌の哀しさが、そういうものではないことが感じられるようになる。そうすると、どうしてこういう歌を「童謡」として子供たちに歌わせたり、聴かせたりするのか、理解に苦しんだ。あれから何十年も経って、また、この歌を思い出した。それは昨日、ミャンマー北部のカチン州とシャン州出身の女性達が中国に売られていき、結婚や妊娠を強制させられている事例が7500名にも達することが報告されたからだ。実は中国では「一人っ子政策」によって、男女比がいびつとなり、男性が女性よりも3300万人も多い。したがって自国の女性だけでは結婚相手が不足してしまう。そこで国境を接するミャンマー、ラオス、カンボジア、ベトナムなどの貧困層が狙われる。毎年、何万人もの女性達が“花嫁”として売られていく。或いは“妊娠・出産用の女”として売られていく。購入するのは、主に中国の田舎や農村に居住する高齢男性達だ。ミャンマーの場合、たび重なる紛争と貧困から逃れるように自ら志願する女性もいるが、大抵は家族や村の長老から懇願され、拒否できない状態で受け入れる女性が多い。若いほど値が高く110万円~170万円といったところだ。必ずしも「花嫁」と知らされての中国入りとは限らない。「就職」という名目で中国へ導くケースも多い。それが嘘だと思っても、拒否は出来ない。村の長老からの懇願は絶対であり、両親や兄弟たちも、それを望んでいる。こうしてミャンマーから“買われていく女性達”は、赤い靴も履かず、着飾ることもなく、異人さんに連れられて行く。

51年をかけ「1400勝」の快挙なのだが…

2018-12-07

人には世間的に“目立ちやすい人”と、“目立ちにくい人”とがいる。例えば昨日、1400勝を達成した名人がいるのだが、さて、あなたには誰かわかるだろうか。というか、この報道をあなたは見掛けているだろうか。一応、全国ニュースで流れて良いニュースなのだが、報道機関によっては完全に無視してしまったところも多い。プロとして「1400勝」というのは偉大な数字である。しかも、一応「名人」なのだ。さらに51年間という年数をかけなければ達成できなかった記録なのだ。それにしては何故か“小さな扱い”だ。かくいう私自身も、初めて、その名を知った。小林光一名誉名人(66歳)。囲碁世界で史上3人目の1400勝達成である。結局、どんなに“偉業”でも、その世界の人なら“知っている人”でも、それ以外の人達にとっては「ふ~ん、そんな人いたの」で終わる人物は山ほどいる。もちろん、“名誉名人”というくらいだから、囲碁世界において成功者であることは間違いがない。当然、その才能もずば抜けていたから“プロ世界”で1400勝を達成できたのだ。おそらく収入だって、それなりのものを50年間にわたって得て来ているに違いない。それなのに、世間の“多くの人”にとっては、何も無かったかのように通り過ぎていく。その一方で、大した“数字”は掲げていないのに、やたらマスコミに登場する人達がいる。いつの間にかわれわれに名前を知られ、顔を知られている人がいる。例えば芸人とかタレントとかスポーツ選手などで、大した実績や経験もないのに、誇れるような記録もないのに、それでもいつの間にか「顔」になっている人たちがいる。私は時折、地味な新聞紙上などで取り上げられている人物の“偉業”とか“記録”とかに驚いてしまうことがある。もう少し公平にマスコミは報道できないものなのだろうか。何度も、同じ人物だけを取り上げたり、くだらない一挙手一投足を追いかけたりする報道は「大衆紙」的なものとして、別ジャンル扱いして良いような気がするのだ。もちろん、地味な報道すべてになってしまうと、それはそれでつまらない。だからその辺は難しいのだが、地味な人であっても“大記録”や“偉業”の時だけでも、大きく報道してあげて欲しい。

ライバル同士の「変わり羽子板」が売れる⁉

2018-12-06

昔から“不思議に思っているもの”がある。毎年、12月に登場する「変わり羽子板」の画像が、今一つ本人に似ていないことだ。今年も昨日東京の「久月」でお披露目された。1986年より、毎年続けられている。そして必ず、その年“注目された人”などを取り上げている。その試み自体は良いと思うのだが、今年も「羽生結弦」「大坂なおみ」「安室奈美恵」などがつくられたと紹介しているが、どの画像も今一つにていない。これは羽子板に描くということが難しいからなのであろうか。何年か経って観た時に「これって誰の顔だったっけ?」となりそうで心配なのだ。ところで、羽子板というのは元々は“羽を打ち合う競技”なわけだから、一方の選手用だけを作っても仕方が無いように思うのは私だけなのであろうか。例えば、今年の場合「大坂なおみ」を登場させるなら「セリーナ・ウィリアムズ」も登場させた方が、競技としては絶対に面白い。そうすれば、子供同士で二人の選手になりきって遊べるではないか。同じように「安室奈美恵」には「浜崎あゆみ」が必然だし「貴ノ岩」には「日馬富士」、「トランプ」には「習近平」が必然だろう。そういう宿命のライバル同士による羽子板を“セットで売り出す”形を取れば、多少似ていなくても、誰も気にすることなく喜んで日本人も外国人も買い求めることだろう。特に、“嫌いな人物”がいる場合には、その顔を目掛けて羽を撃つことが出来る。いや、貴ノ岩と日馬富士の場合は、傷付かないよう素材を工夫し最初から羽子板で殴り合った方が良いのかもしれない。トランプと習近平の場合は、勝った方が“お年玉”を総取り出来るようにすれば良い。これほどストレス発散に良いスポーツは他にない。そういう対決というのは、やっぱり外から見ている分には面白い。ただ教育上はよろしくないので、18歳以上の“限定品”として売り出すべきだろう。

モロッコ人女性を怒らせてはいけない⁉

2018-12-05

ときどき「怖い」と思う女性がいる。男性よりも女性の方が「怖い復讐」の仕方をする。アラブ首長国連邦に居住していたモロッコ人女性(30歳)は、そういう“怖い女性”の典型であろう。実は、事件そのものはかなり前に起こっていた。今年の夏、或る家族から警察に「息子が居なくなった」と捜索依頼が出された。警察は一応の捜査をしたが、有力情報はどこからも出て来なかった。家族が不審さを指摘した女性の周辺からも、問題は出て来なかった。なぜか“事件に巻き込まれた”予感がする兄弟は、警察には任せておけないと思った。行方不明の男性には付き合っていた恋人女性がいたのだが、その女性は妙に冷静で、まるで他人事のように反応した。何かを隠している。兄弟は、その女性が暮らす家の室内を徹底的に探し回った。すると、11月になって料理用ミキサーの淵から“人間の歯”が出て来たのだ。早速、彼らはこれを警察へと持ち込んで鑑定を依頼した。その結果、行方男性のDNAが検出され、恋人女性が殺人容疑で逮捕された。彼女はモロッコ出身だったが、彼と結婚できるものとばかり思っていた。ところが、いつまでも曖昧な返事を繰り返す恋人に激しく迫ると、彼は結婚を冷たく拒否したのだ。彼女は混乱し、そして逆上した。彼を殺害すると、遺体を切断、怒りと憎しみの感情のまま伝統料理を調理し始めた。こうして大量の「カプサ」を作った。炊き込み御飯に、通常は鶏肉などを加える。丁度、近くてビル建設をしている多数のパキスタン労働者たちがいた。彼らに振舞えば良い。その作戦は見事に当たり、多数の作業員たちが、何の疑問も抱かず、その肉料理を平らげてくれた。モロッコ人女性は古くからの伝統料理に感謝した。けれども、遺体を処理した時、歯が一つだけ零れ落ちたことを見逃していた。もしかしたら、調理されてしまった男性のかすかな抵抗が「歯」として、この世に残っていたのかもしれない。

人は何歳からでも「挑戦者」になれる

2018-12-04

或る程度の年齢になると、人は“挑戦”をしなくなる。失敗した時のリスクが大きいからだ。確かに「もう齢なのだし…」という言い訳が世間的にも通用する。時には、本人が“やる気”でも、周りの方が止めに入ることもある。プロスキーヤーで登山家の三浦雄一郎氏の場合、家族の方が止めても訊かないことを知っているので、暖かく見守る。常に息子がサポートに回っていることも、彼の“無謀な挑戦”が許される一因かもしれない。とにかく、もう86歳なのだ。通常なら、自由に外を歩き回ることさえも容易ではない。彼の場合には、まだまだ挑戦だ。今回は2019年1月2日から出発して南米大陸最高峰とされる山アコンカグアの登頂を目指す。そして登頂後にはスキーで滑降しながら下山する計画だ。確かにプロスキーヤーだけど、何しろ年齢が…と考えてしまうと、こんな計画は立てられない。過去には70歳で、75歳で、80歳で、それぞれ登頂記録を塗り替えてきた。或る意味で彼の記録は、彼の“個人的な記録”というよりも、“人間の限界に挑んでいく記録”という意味で“ギネス”に値する。近年は“くだらない記録”が多くなってしまったギネスだが、本来は“彼のような記録”を褒め称えるものであったはずだ。それにしても、本当に“年齢による衰え”は無いのだろうか。私など、20代の頃の半分くらいまで体力が落ちてしまったような気がする。若い頃は毎日1時間くらい歩いて勤務先まで通勤していた。乗り物に乗るのが面倒だったからだ。私の育った室蘭は、冬場、とてつもなく、強い北風が吹く。コートを着ていても、北風が全身を通り抜けていく。ヒュー、ヒューという音をたてながら、通り過ぎていく。もし、人間の身体に“霊体(幽体)”が重なっているなら、その霊体までも突き抜けていくような北風なのだ。冬場は滑るので、じっとしているとズルズルと後退していく。後ろに進んでいってしまうのだ。それでも、10代や20代の時には、必死で前へと歩を進めた。短い夏が来ると天国に変わった。青々とした緑が匂いたち、透明な景色で出迎えてくれる。あのような光景は電車通勤や車通勤では味わえない。それなのに、何というこの体たらく。「挑戦者」はどこへ行った。

もはやフランスは「イスラム」のしもべ⁉

2018-12-03

ここでいう「イスラム」は、一時期台頭していた「イスラム国(IS)」ではない。“ムスリム同胞団”につながる“普通の移民たち”、或いは“移民に洗脳されつつある人達”のことだ。それらが今パリで暴動を起こしている。しかも、困ったことには、それらの人々と、純粋に現マクロン大統領やその政策に“不満を持つ人々”との境界線が判然としていない。暴動の発端となっているのは「燃料税の引き上げ」である。デモ参加者は13万6000名にも及んでいる。だから、一部の“過激者たち”と形容は出来ない。報道機関の調査によると、これらのデモを支持する国民は73%にも及んでいる。大多数が、パリ市内で破壊行為や放火、略奪などが行われた“行き過ぎたデモ”を支持しているのだ。これは重症である。大統領になって以後のマクロン氏の評判は極めて悪い。彼自身は、地球温暖化を見据えて“自然エネルギーへのシフト”を促す意味もあって、燃料税の引き上げを決めた。けれども、ガソリンの値上げは生活に直結する。元々がエリート出身のマクロン氏には「庶民のことが判っていない」と支持率が低い。経済面とともに、現在のフランスが抱える問題点の一つは急速に治安が悪くなってきている点だ。これは大量に“移民を受け入れた結果”生じてきたもので、日本と違って四方を外国に囲まれているフランスは“怪しい人たち”も簡単に入って来やすい。その結果、この国の“宗教”とは異なる“イスラム教徒”たちが大量に入ってきているのだ。パリ郊外のサンドニという区域では実に45%がイスラム教徒なのだ。もはやフランスは“キリスト教国”ではなくなっている。しかも、現在、生粋のフランス人の多くは宗教に対してあまり熱心ではない。その結果、フランス全土には実質的に廃墟のような状態となっている教会の建物が点在している。これらの建物に対して、イスラム教徒たちが徐々にモスクへと改装していく計画が進められつつある。そうなることで、嫌でもフランスは「キリスト」から「イスラム」の国へと変わってしまうのだ。かつてのオスマン帝国が目指した「ヨーロッパ全土をイスラム化する」という野望が、時を経て奇妙な形で秘かに具体化されようとしている。

知らぬ間に「神」と崇められることがある

2018-12-02

昔から「わらをもつかむ」と言う諺があるが、人は誰でも窮地に陥ると、そういう行動に出る。例え、それが“動物のフン”であっても、霊験あらたかな「御守り」として、しっかりと握りしめることだってある。今から十年前、兵庫県南あわじ市の「淡路ファームパーク・イングランドの丘」では、1月の土日限定で来場者の受験生に「コアラの御守り」をプレゼントした。ユーカリの木から決して“落ちない”コアラを“受験の神様”に見立てたのだ。どうやって作ったのかというと、まず、コアラの手型を取って、この手があるから“落ちない”のだと信じ込ませる。ただ、“手型”だけでは弱いので、どうせなら“コアラのフン”も加えてしまおう、ということになった。“コアラのフン”は「コアラの運」を意味するからだ。ただ御守りは見た目も重要なので、コアラのフンを“桜の花びら型”に形作った。つまり「サクラ散る」とはならないための秘策である。したがって「コアラの御守り」には、コアラの“手型”と“サクラ型フン”とが納められている。しかも、この「神」としての役割を果たしているのは、両手、両足を樹から離したまま眠ることの出来る5歳のオス「だいち」で、飼育員が集めた「だいち」のフンのみが使用されている。そう、ここで作成されている「御守り」は、飼育員の貴重な手作り品なのだ。もう少し手渡すのを早めて欲しいという要望に応えて、今年は12月1日から30日までの期間、先着50名の受験生限定で手渡される。飼育員の心がこもった御守りである。もちろん、受験生には大好評で、こぞってコアラのフンを握りしめたがる。客観的に見ると、ちょっと“迷信的過ぎる”気もするが、ここには「御守り」や「霊験」や「呪術」の本質が秘められている。古来から伝えられてきた「神の御業」に属する話の多くは、このような素朴な“迷信・信仰”に由来している。多くの“動物神”は、このような理由から「神」として古代人に崇められたのだ。そして、ここで重要なことは、ここの「御守り」が十年以上続いていて“大人気”だということである。つまり、なぜか“効果を発揮している”からに違いないのだ。全国の神社を見回すと、永く継承され続けている神社と、完全に廃墟と化している神社とに分かれる。理屈より実際の効能が「コアラの御守り」を継続させたに違いない。

2018年12月の運勢

2018-12-01
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