12月, 2018年

妖しい「神の草」が合法化された⁉

2018-12-19

インドやジャマイカで昔から「神の草」として珍重されてきたのがインド産の大麻である。強い陶酔成分が含まれ、時に“幻覚”や“幻聴”を生み出す。宗教や呪術の儀式などでは、それが一種の“神秘的雰囲気”を醸し出すので、時にスピリチュアル系集会などでも用いられることがある。もちろん、日本では禁止薬物だ。ところが、最近になって、この大麻を合法化するところが出て来ている。今年になってカナダでは、大統領自らが過去のマリファナ体験を告白、そして医療用ではなく、嗜好用のマリファナが賛成多数で合法化された。世界で二番目の“全面的な解禁国”となったのだ。これに続けとばかりに、昨日、ニューヨーク州が嗜好用の大麻を2019年から合法化することが決まった。アメリカでも前オバマ大統領自身が、若い時に何度かマリファナ体験をしていると告白している。実はニューヨーク州だけでなく、アメリカではカリフォルニアなど10の州で解禁されている。但し、連邦政府としては認可していない。つまり、国レベルでは禁止しているが、州レベルでは個々に異なっているのがアメリカの実態なのだ。さて日本では、当然、許されてはいない。許さない一番の理由は医学的な見地からだ。つまり大麻は、幻覚作用が強いだけでなく、常習すると肺がんの発生率が高くなるのだ。通常のタバコ喫煙者より60%も高くなる。また全身を巡るため、特に神経細胞への影響力が強いとされる。記憶力や思考力の消失、時間観念の欠落、協調性の欠落などが生じやすい。さらに心臓発作、統合失調症や躁うつ病の発症原因となるケースもある。そういう弊害多い薬物を、なぜ用いようとする人が多いのか。それは何よりも或る種の高揚感、陶酔性、緊張感からの解放、現実から逃れる幻覚性が強いからだ。つまりは誰でも悩みがあり、抑圧があり、苦しみがある。現実逃避をして高揚感に浸り、陶酔的な気分を味わいたいからだ。こうして、ニューヨークでは既にその税収が計算されていて、500億円を超えると予想されている。だんだん何が正しいのか分からなくなってくる。一つだけ言えるのは、アメリカの大統領も、カナダの大統領も、若い時にはマリファナを体験した若者が選ばれているということだ。わが日本では、どう考えても、そういう若者は政治家にならない。それが日本の“救い”なのか、“大いなる弱点”なのか、私には解からない。

やはり女優である前に「研究者」だった

2018-12-18

私はこれまで無数のホロスコープや四柱命式を作製し、比較し、研究し、判断してきた。その数が何万、何千になるのか、自分でもわからない。ただ、その結果として、職人的にそれらを一見すれば“大体どういう人生を辿るか”何となくだが判別できる。それは俗にいう“霊感”などではなくて、職人たちが長年の経験から計らなくても同一の大きさや重さに仕上げるとか、どれが美味しくて、どれが不味いか見分けるのと、大差はない。そういう私の感覚に、見事当てはまるような行動をとろうとしている女優がいる。今や知らない人がいないほど何本もの映画やドラマで主演している女優・吉田羊氏である。私は、正直ファンではないので、本当のところどういう人生を歩んで来たのか、どういう性格なのか、何も知らない。知っているのは、雑誌などで騒がれた若い男性との“恋の噂”などである。実は彼女は、この10月に公開された映画「ハナレイ・ベイ」でも主演しているのだが、この映画はハワイロケで、外人スタッフの中で、半分英語で孤独なシングルマザー役を演じたらしい。監督が誰だったか忘れてしまったが、彼女は相当しごかれたらしい。その結果、この大女優は英国への“演技留学”を決意する。つまり、自分の演技は「まだまだ勉強が必要だ」と感じてしまったようなのだ。2019年のスケジュールを白紙に戻し、一時的に女優を休業し、英国へと留学することをアッサリと決めてしまった。そこまでしなくても…と私などは思うが、自分の演技に納得がゆかなかったのであろう。実は彼女のホロスコープには、その秘密が表出している。ホロスコープは、彼女が「女優」である前に「研究者」であることを告げているのだ。水星&土星&天王星による“見事な120度の正三角形”が形成されている。これは「研究者」として社会的に成功する人物のホロスコープである。しかも、孤独な研究者だ。未知なるものを開発・企画、或いは発明・発見する可能性を秘めた研究者だ。そういう人物のホロスコープなのである。しかも、現在移動中の天王星の位置は、出生時の天王星の位置に対して180度の位置にある。こういう時、人は衝動的に「自分を変えなければ…」という気持ちになるものなのだ。しかも、この演技留学は彼女に恋愛的な意味合いの強い“別れ”と“出逢い”を同時にもたらす。つまり、これまで付き合っていた相手とは“別れる”結果をもたらし、向こうで“新たなる相手”が出現する可能性が強い。彼女が戻ってくる時、新たなる発見と恋人が手土産になっていることだろう。

「平岸」という懐かしい地名の爆発

2018-12-17

大変大きな爆発音がしたらしいのだが、私はその音を聴いていない。昨夜、札幌の豊平区「平岸」で雑居ビルが爆発し、四十数名の負傷者が出た。幸い死者は出ていない。雑居ビルと言っても三階建てで、階数の低いビルだったから、飛び降りた人が多数いたが雪道がクッションになったせいもあり、骨折程度で済んでいるらしい。「平岸」という地区名は、私がここに来る前に居た場所で、そういう意味では身近な区域だ。地下鉄「平岸駅」付近の8階建てマンションに暮らしていたので、あの付近に飲食店街などあっただろうかと不思議に思った。地図で検索してみると、私が暮らしたマンションとは道路一つ隔てているが歩いても3分とはかからない。あの付近、というか平岸全域だが、私は今から15年ほど前にはよく歩いたものだ。早朝にも歩いたし、夕方にも歩いた。なぜ歩き回っていたのか、今となっては理由がよく解からない。何か理由があったはずなのだが、それが何であったのか、思い出せない。最近、そういうことが多い。豊平区から中央区へと変わった時、私は何故か、もうあのマンションの部屋には近寄りたくない、と強く思ったものだ。何がそんなに厭だったのか、それすらも今は判然としていない。ところが、あれからもう十年以上が経って、今は「平岸」という地名を耳にしただけで懐かしさだけがこみあげてくる。何の“嫌悪”も“嫌な思い出”もない。ただ忘れてしまっただけなのかもしれないが、すぐ思い出せるのは夕陽を見ながら歩いた懐かしい想い出だけである。特別、自然の美しい風景でも、きらびやかな街並みでもない。それなのに、妙に懐かしい。もっと活き活きとして、何かを追いかけているような“老いなど感じたことのない”自分が居た。今が不幸せなわけではない。何かを失ってしまったというわけでもない。単純に比較は出来ないが、こちらに来てからの方が、さまざまな点で恵まれている。新たな占いコンテンツが出来、新たな著書も何冊か出て、海外にもいろいろと出掛け、表面上ではそれなりに満たされてきた。なのに、この“寂寞感”は何なのだろう。妻が病気となったからであろうか。確かに、それもある。けれども、そうではない。あの頃の私には「若さ」があった。何にも代えがたい「若さ」があった。もしかすると、私は、あの頃の“必死に何かを追い求めていた魂”を呼び戻したいのかもしれない。

「自殺願望」9割が20代女性という衝撃⁉

2018-12-15

厚生労働省が昨日公表したデータによると、SNSなどで“自殺相談”をしてくる人たちの9割が20代で、そのうち95%は女性だったという事実が明らかにされた。このデータだけから考えると、日本は20代女性が“生きにくい世の中”になっている。データ上だけから分析すると、“自殺相談”女性には、未婚者の比率がやや高く、恋愛経験の多い女性の比率が高く、預金のない女性の比率が高かった。因みに、これとは別なアンケート調査では20代女性の6割が「死にたい」と思ったことがあると回答している。もっとも、これらはあくまでも「死にたい」であって、実際に“自殺する”ということと必ずしも同じではない。なぜ、こんなことを言うのかというと、実際の“自殺比率”においては圧倒的に男性の死亡率が高く、女性はその半分にも及んでいない。早い話、一時的に死にたいとは思っても、本当に実行してしまうのは、相談率としては極端に低い男性の方だということである。女性の場合には、誰かに話すことによって、その気持ちが薄らいだり、癒されたりするからかもしれない。もう一つ、男性の方が“切羽詰まった状態”にあって、女性の方は客観的に見ると、死ぬほどの“切迫状態にない”ケースも多いからだろう。そうは言っても、これらの“数字”は深刻である。黙ったまま自殺してしまう男性も含めて、若い人たちが“将来に希望が持てる世の中”になっていれば、このような数字は出て来ないはずだからだ。私は十代半ばの時、自殺を試みて失敗した。すべてに絶望し“自分の将来に光が当たる”ことなどないのだと勝手に思っていた。けれども失敗して目覚めた時、姉が言った「生きていれば良いこともあるよ」という一言に救われた。そう、人は自らが苦しんでいる時、そういう単純な一言に救われるものだ。今回のデータの中で、恋愛経験の多い女性の比率が高いことに、私は注目する。つまり、失恋とか、片想いとか、不倫とか、そういう体験から世をはかなむケースも多いからだ。ところが、そういう女性達が、その数年後には“新たなる恋愛”や“幸せな結婚”をしているケースを、私は占い師として無数に見てきた。女性達の方が、男性達よりも立ち直りが早い。女性達は、死にそうで死なないのだ。

「死刑囚」が“自ら告白”の殺人事件は「無罪」

2018-12-14

ややこしい事件というのがある。昨日「無罪判決」が下されたのは“二件の殺人事件”に対してである。それも、自らが手紙の中で“告白”してきた殺人なのだ。つまり自分が20年以上前に殺していたと“懺悔的に告白”してきた事件なのだ。ところが今回は二件とも“無罪”。どうしてかというと虚偽の可能性が強いからなのだ。しかも、告白したはずの本人が「身に覚えがない」と否定している。関係者のほとんどが死亡している。これでは捌きようがない。しかも、告白してきた本人は「死刑囚」である。だから、仮に今回の事件が認められ、殺人を犯していたとしても、“新たなる刑”は付け加えられない。日本の刑法によって、死刑囚に対しては、それ以外の刑を施行しないことが決まっているからだ。それなら何で裁判など開くのかと言えば、未解決の事件では当然被害者家族が居て、“真相”を知りたがっているからだ。また警察側としても、今後のために“事件の真相”を知っておくことは有意義だからだ。だが本人が否定してしまったのではどうしようもない。手紙では確かに49歳の会社社長は自らが殺し、60歳の不動産業者は部下に指示して殺したと記していたのに…。この死刑囚、実は元暴力団会長・矢野治である。だから、その可能性は十分にあるのだ。それでも、実にあっさりと「無罪」で結審した。これには理由がある。実は、彼の告白とされるものが出されたのは、死刑が確定して後なのである。したがって「刑執行の引き延ばし作戦なのではないか」というのが裁判官の観方なのだ。確かに矢野被告ももう69歳。こうやって裁判を続けていれば、そのうち黙っていても病死する可能性がある。新たな殺人事件の告白をしたのが4年前、一応の審議に4年も掛かっている。それにしても、彼は実際の裁判法廷内では「告白はすべて虚偽」で身に覚えがありません…と、その手紙内容を否定している。その部分が、私には解からない。もしかすると彼の関係者に頼まれて、誰かが告白を偽装した可能性でもあるのだろうか。いずれにしろ、実際に殺されたまま未だ犯人も解らず、どうしてなのかさえ解からない、未解決の殺人被害者が、そして時間が止まったままの家族が沢山いることを、われわれは忘れてはならない。

「福袋」じゃない「福袋」が売られている

2018-12-13

時の流れは、嫌でも物事を“変遷”させていく。正月特有の風物も徐々に姿を変えていく。ビッグカメラは、早くも「2019年福袋」を売り出し始めた。正月より20日も前から「福袋」を売り出すということ自体にも、違和感はあるのだが、それよりも私は近年の「福袋」が“中身が解かっている”ことに、なんとも言えないつまらなさを感じる。大昔、まだ私が幼い頃、正月と言えば「初荷」があった。「初荷」と言っても、若い人たちは解からないことだろう。各商店に向けて問屋や倉庫から、その年初めて出荷する商品を送り出す行事のことで、正月2日に行われていた。すべての業者が一斉に行うもので、早朝から馬車やトラックに積み込まれた荷物そのものが“着飾られている”のが特徴だ。さらにそれぞれのメーカー企業、或いは卸問屋の「ロゴ&企業名」或いは「謹賀新年」とか「迎春」とか、それぞれの“登り”や“旗”など立て住宅街や商店街を太鼓やガンガンを叩きながら走り回るのだ。ハッキリ言ってとてもうるさい。うるさいのだが、誰も文句などは言わなかった。そのガンガンの音や拡声器による音楽などを聴きながら、今年も明けたのだな…という気分を誰もが味わったものだ。幼い私は二階の出窓から、その光景を飽きずに眺めていた。私の記憶が間違いなければ、大体午前5時半過ぎくらいから始まって、午前10時くらいまで続く。だから正月なのに、朝からうるさくて寝ていられない。だが、今みたいに、そういうことに過敏ではなく、一種の“お祭り騒ぎ”としてみんな許していた。そして、それを聴き終えた後、お目当ての店に行って「福袋」を購入するのだ。もちろん、中身など解からない。解からないから「福袋」で、新年の先行きを占う行事でもあった。「福袋」の中身が“豪華てんこ盛り”であれば、その年は幸運が訪れ、あまり大したものが入っていなくて“ガラクタ同然”なら、その年は不運な年だということになる。そういう単純な“占い”は、神社へ出向いての“おみくじ”とはまた違った占い方として面白みがあった。ところが、近年の「福袋」には、そういう“おもしろみ”とか“楽しみ方”というものがない。確かに“ガラクタ同然”のものを引き当てる不運さは無くなったが、同時に“豪華てんこ盛り”を独り占めできる快感もない。「就職企業」や「結婚相手」を択ぶ時でも、現代は“情報”が溢れすぎていて、“予備知識”や“事前比較”が出来過ぎて、予期せぬ偶然からの驚きや発見が乏しい。それでいて完璧かというとさにあらず、実際にはあっという間に“離職”や“離婚”する人が出て来る。結局、合理主義的な人生観は「幸運な人生」になど繋がらないのである。

入場料“1500円の書店”は成功するか

2018-12-12

東京・六本木の青山ブックセンターの跡地に、昨日、新たな書店「文喫(ぶんきつ)」がオープンした。書店としては中型規模の売り場面積だが、入場する時に“入場料1500円”を支払わなければならない。新たなビジネスモデルとしての日本初“有料書店”なのだ。その入場料は美術館や映画館の入場料に見習ったらしい。つまり、美術館や映画館に入るような感覚で“書店を訪れる客”を対象とした“強気の書店”と言えるだろう。六本木という地域性も、もしかしたらあるのかもしれない。マイナーな本を主体とした品ぞろえで、通常の書店と異なり、どの本でも1冊しか書棚に置かれない。ベストセラーの平積みは厳禁。すべての本を公平に扱う。したがって、普通の書店なら表に出て来ないような“高価な本”とか“特殊な本”も書棚に並ぶ。もちろん出版社別に並べることはしない。一応、分野別にはしてあるが、あくまで一応であるらしい。要するに、さまざまな本を眺め、さまざまな本に触れて、出逢いや発見の中から“本を読む”形を提案しようというのだ。こんなことを言うと叱られてしまうかもしれないが、お金と時間に余裕のある人、精神的な憩いの場として書店を利用しようとする人、そういう人達に来て欲しいとのメッセージを感じる。果たして、この書店は受け入れられるのであろうか。一つだけ問題なのは、本の検索機を置いていないことで、つまり、急いで“お目当ての本”を探そうとする人には向いていない。この書店に、本を読むためのテーブルや椅子が置かれているかどうか、私は知らない。もし、私が開くのであれば、それこそ入場料を取るのだから必須であろう。さらに無料の自動飲料水の機械が設置してあることが望ましい。つまり、ジュースくらいは無料で飲めて、本を読むテーブルもあって、それで1500円なら問題ないように思うのだ。そういうものは一切なくての1500円は、どうかな…という気がする。確かに、どの書店に行っても“売っている本が同じ”というスタイルの書籍販売0方式は誰もが飽き飽きしているだろう。これがブティックなら、それぞれの店に入ると、それぞれの品物が楽しめる。だから一日中でも、お店巡りが出来る。書店の場合にはどこに行っても“同じもの”だけが何冊も積まれ、肝心の書籍はなかなか見当たらない。どうして“右習え”しかできないのだろう。書籍に関しては、日頃通販を好まない人でも、一般書店に工夫がないままであれば、そちらに流れていくだろう。

「千尋」から「弌大」への改名は最悪⁉

2018-12-11

私はこれまでにも何度か「読めない文字を使った命名はすべきでない」と記してきた。今回は正にその典型である。昨日、プロ野球の日ハムに新規加入した元オリックス・金子千尋(かねこちひろ)選手の入団発表があった。その席で、金子選手は新たな選手登録名として「金子弌大(かねこちひろ)」として再出発する旨を公表した。そして、この“改名”について本人から「僕は風水をやっていまして、その関係からこの名前に変えることにしました」との説明があった。正直、いろいろな意味で残念な改名である。まず、彼は「風水から…」という表現を使ったが、改名は「風水」にはない。もっと素直に「姓名学」とか「姓名判断」とか言えばいい。もし、本人自身が命名したのであれば「この文字を使うと画数が良くなるので…」と素直に言えば良い。もし誰かに命名してもらったのだとしたら、その“風水師”だか“姓名術師”だか知らないが、その人の名前を出せば良い。こういう読めない文字の改名は、絶対にすべきではない。日本で普段使われていない文字を使うと、多くの人が苦労する。新聞や雑誌、TVやネット関係者も、いちいち“文字変換”を行わないと表記できない。多くの人に苦労を掛ける名前は、まずその時点で“良い名前”とは言われない。読み方だって、このニュースを知らない人達は、まず100%読めない。そして書くのも間違いやすい。その時点で、すでに「アウト」なのだ。彼は、多分、画数的に「こちらの方が良い」と思ったことだろう。けれども姓名というのは“画数”だけでは決まらない。現に同じプロ野球選手で、改名した人たちがたくさんいるが、その後どうなったか。今岡誠→今岡真訪、今江敏晃→今江年晶、中島裕之→中島宏之、川井進→雄大、平尾博司→平尾博嗣…改名してのち大きく飛躍した選手がいるだろうか。特に、オリックス時代の金子選手は、球団でただ一人スコアボード名が「金子千尋」とフルネームで記された。それは“もう一人の金子選手”が入って来た2010年途中からだが、その年、フルネーム表記されたのち彼は大活躍する。そしてオリックスで初めて“年棒1億円超え”の選手となる。この事実をどうして忘れてしまったのか。これまでは「ちひろ」と声に出して声援してくれたファンも、これからは「かねこ」としか声援してはくれない。ボードには「金子弌大」と書かれていても「ちひろ」と呼ぶのは違和感を持つ。それに「姓」と「名」の文字としてのバランスもすこぶる悪い。スポーツ選手としての“躍動感”が感じられないのだ。改名は「姓」に相応しい「名」を当て嵌めないと、“生きている名前”にならない。“生きている名前”にならないと“大衆の中”に埋もれていく。

両肢の間に「跪かせる治療法」は危ない⁉

2018-12-10

世の中には「どう見たって…妖しい」と思うような治療法が山ほど存在する。けれども、それで実際に効果があるのであれば、誰も口をはさめない。ブラジルでは時折、その手の治療法が流行する。私がまだ20代の頃だったが、心霊医として一世を風靡した人物がいた。当時、心霊治療というのはブラジルだけでなく、フィリピンでもあったし、メキシコやインドネシアでもあった。日本からも“心霊治療”の為だけのツアーが組まれたりした。現代は「心霊治療」という呼び方はしないらしい。ブラジルで自称“霊媒医”を名乗っていたのが、ジョアン・ジ・デウスことジョアン・ジ・ファリア(76歳)という人物であった。ブラジルだけでなく、ヨーロッパやオーストラリアなどからも依頼者が絶えない人気の「霊媒医」である。ところが、つい最近、12名の女性達から告発を受けた。治療名目で“性的虐待”を受けたというのである。TV番組内で勇気ある告発を行った。うつ病などの女性達に対して、ジョアン氏は「浄化の力」を注入する唯一の方法だとして、彼自身のペニスを触ったり、或いはしゃぶるよう強要したというのだ。しかも、その中の一人でオランダ人女性は“強姦までされていた”というのだ。このTV番組とは別に、地元新聞社の記者取材からも、別な女性達が「浄化の力」について同様な告発をしている。実際、その治療法はジョアン氏の「スピリチュアル診療施設」内で、患者女性を自らの両肢の間に“下着姿で跪かせる形”で行われており、もう“その写真”だけで「アウト‼」と言いたくなるような雰囲気なのだ。もっとも、昔から中南米に存在する呪術宗教などでも“似たような方法”を行うことがあり、患者を下着姿にすることや患者を接近させること自体はギリギリセーフと言えないことはない。事実、ジョアン氏側は猛反発していてTV報道は“嘘の内容”であるとし、自分は「正統な治療を施している」と主張している。そもそも「霊媒医」そのものが“正当な治療”かどうか疑問だが、やっぱり「両肢の間に跪かせる形」だけは、変えた方が良いような…。

「転落死」しなかったことが奇跡⁉

2018-12-09

欧米人の中には時々とんでもないことを思いつき、そして実行してしまう“危ない冒険野郎”がいる。12月5日に「動画サイト」に投稿され、現在は削除された「ピラミッド頂上で全裸になってSEX」動画がある。映像が合成などでなければ、彼らはギザの“クフ王ピラミッド”に深夜、多くの警備員らの眼を盗んで登頂を果たし、そこで念願の“ハダカ動画”を撮影し、そして頂上の上で朝まで過ごしていたことになる。俗に「大ピラミッド」とも呼ばれるクフ王ピラミッドは、エジプトにあるピラミッドの中でも最大の大きさをほこる。底辺の横幅は230mで、その高さは建造時が147mであった。ただ中世期以降は“キャップストーン”の石が剥ぎ取られ、頂上部を欠いているので、実際には139mの高さであり、その頂上部には6m四方の石畳が広がっている。実は20世紀前半くらいまではピラミッドの登頂が許されていた。ところが毎年事故が多発し、多数の人が転落死するので禁止となったのだ。ましてや深夜、灯りもつけず登るなど“狂気の沙汰”である。登ったとされる男女は二人とも長身やせ型で、そういう意味で言えば登頂には適している。投稿者はデンマーク人カップルらしく「多くの警備員に見つかることを怖れながら登った」とのコメントも付け加えられている。実際、もし途中で発見されれば、撃ち殺される可能性さえあった。しかも、彼らは現在も安全ではない。エジプトのアナニ考古相は「遺跡の冒涜」として、徹底的に追及・処罰する旨を公表しているからだ。私は昔、クフ王のピラミッド内部にまで入ったが、その観光用の入り口まで登るのでさえも怖かった。実際に近づくと、予想以上に石が大きく何の手すりもない。登頂は見掛けほど簡単ではない。そのトンネル内部も暗く坂になっているので、足元が不安定である。特に、大回廊に続くところは大きな段差があって梯子がなければ登れない。私は本当は通路内部を“細かく調査”しながら登ろうと思っていたのだが、実際には足元だけが気になり、とても壁や天井の確認など出来るものではなかった。第一、通常の観光客はカメラを取り上げられる。内部写真を写せないのだ。大ピラミッド以外のピラミッド内部にも入ったし、いくつもの“王家の谷”の墓所内部にも入ったし、アブシンベル神殿の内部にも入ったが、カイロのミイラ安置室にも入ったが、どれも内部撮影が許されない。それでも、高所恐怖症の私が暗いトンネル内を歩き回れたのは「古代エジプトの神々」が見守ってくれたからに違いない。

ミャンマーの「赤い靴」

2018-12-08

「赤い靴」という童謡を知っているだろうか。「♪赤い靴はいてた女の子…異人さんに連れられ行っちゃった」で始まる“もの哀しい曲”だ。私は幼い頃、この歌をなぜか“とても美しい歌”のように思っていた。それは多分、何となくのイメージで、私が親しかった女の子が着飾って船に乗り、ちぎれるほどに手を振って、見知らぬ国へと旅立つ姿が連想されたせいかもしれない。波止場に残された幼い少年はさみしさをこらえながら、女の子はきっと異国で幸せに暮らすんだろう…と佇んでいる。そんな風な歌だと勝手に思っていた。けれども徐々に大人になって、この歌の哀しさが、そういうものではないことが感じられるようになる。そうすると、どうしてこういう歌を「童謡」として子供たちに歌わせたり、聴かせたりするのか、理解に苦しんだ。あれから何十年も経って、また、この歌を思い出した。それは昨日、ミャンマー北部のカチン州とシャン州出身の女性達が中国に売られていき、結婚や妊娠を強制させられている事例が7500名にも達することが報告されたからだ。実は中国では「一人っ子政策」によって、男女比がいびつとなり、男性が女性よりも3300万人も多い。したがって自国の女性だけでは結婚相手が不足してしまう。そこで国境を接するミャンマー、ラオス、カンボジア、ベトナムなどの貧困層が狙われる。毎年、何万人もの女性達が“花嫁”として売られていく。或いは“妊娠・出産用の女”として売られていく。購入するのは、主に中国の田舎や農村に居住する高齢男性達だ。ミャンマーの場合、たび重なる紛争と貧困から逃れるように自ら志願する女性もいるが、大抵は家族や村の長老から懇願され、拒否できない状態で受け入れる女性が多い。若いほど値が高く110万円~170万円といったところだ。必ずしも「花嫁」と知らされての中国入りとは限らない。「就職」という名目で中国へ導くケースも多い。それが嘘だと思っても、拒否は出来ない。村の長老からの懇願は絶対であり、両親や兄弟たちも、それを望んでいる。こうしてミャンマーから“買われていく女性達”は、赤い靴も履かず、着飾ることもなく、異人さんに連れられて行く。

51年をかけ「1400勝」の快挙なのだが…

2018-12-07

人には世間的に“目立ちやすい人”と、“目立ちにくい人”とがいる。例えば昨日、1400勝を達成した名人がいるのだが、さて、あなたには誰かわかるだろうか。というか、この報道をあなたは見掛けているだろうか。一応、全国ニュースで流れて良いニュースなのだが、報道機関によっては完全に無視してしまったところも多い。プロとして「1400勝」というのは偉大な数字である。しかも、一応「名人」なのだ。さらに51年間という年数をかけなければ達成できなかった記録なのだ。それにしては何故か“小さな扱い”だ。かくいう私自身も、初めて、その名を知った。小林光一名誉名人(66歳)。囲碁世界で史上3人目の1400勝達成である。結局、どんなに“偉業”でも、その世界の人なら“知っている人”でも、それ以外の人達にとっては「ふ~ん、そんな人いたの」で終わる人物は山ほどいる。もちろん、“名誉名人”というくらいだから、囲碁世界において成功者であることは間違いがない。当然、その才能もずば抜けていたから“プロ世界”で1400勝を達成できたのだ。おそらく収入だって、それなりのものを50年間にわたって得て来ているに違いない。それなのに、世間の“多くの人”にとっては、何も無かったかのように通り過ぎていく。その一方で、大した“数字”は掲げていないのに、やたらマスコミに登場する人達がいる。いつの間にかわれわれに名前を知られ、顔を知られている人がいる。例えば芸人とかタレントとかスポーツ選手などで、大した実績や経験もないのに、誇れるような記録もないのに、それでもいつの間にか「顔」になっている人たちがいる。私は時折、地味な新聞紙上などで取り上げられている人物の“偉業”とか“記録”とかに驚いてしまうことがある。もう少し公平にマスコミは報道できないものなのだろうか。何度も、同じ人物だけを取り上げたり、くだらない一挙手一投足を追いかけたりする報道は「大衆紙」的なものとして、別ジャンル扱いして良いような気がするのだ。もちろん、地味な報道すべてになってしまうと、それはそれでつまらない。だからその辺は難しいのだが、地味な人であっても“大記録”や“偉業”の時だけでも、大きく報道してあげて欲しい。

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