5月, 2019年

誰でも“身の丈に合った生活”が心地好い

2019-05-19

大昔のアイドルで現在は女優の大場久美子氏が18日にブログを更新し、現在のサラリーマンの夫との“質素な生活”が「とても心地よくリラックスできる」と綴っている。もう少しで“還暦”を迎える今になって気付いたという風な綴り方で、何となく微笑ましい。そういえばこの人も“いろいろな過去”を経験して今日を迎えている。今の結婚が二度目なのか、三度目なのか知らないが、ごく普通のサラリーマンと結婚されたようだ。その方は彼女に対して「芸能人なのにこんな狭い普通のマンションでごめんね」といってくれているらしい。素晴らしい旦那さまではないか。確かに、結婚後は数度しか外食もしていないらしい。けれども、それで良いのだ。大場久美子氏も、それを承知で“妻”になったのだ。誰もがIT社長と結婚できるわけではない。それに社長や著名人と結婚したから“幸せ”とも限らない。誰もがうらやむような男性と結婚し、そして離婚した芸能人女性が何人もいる。人が自らの“幸せ”を一番強く感じるのは「自分らしい生活」が出来ている時なのだ。その基準として覚えておくべきは、子供時代の“楽しい状態”である。子供時代に“楽しく”“幸せ”に感じられた生活というのは、虚飾を剥ぎ取った自分の“もっとも自然な幸福状態”なのである。だから、子供時代にどういう時に“幸せ”を感じられたのかはとても重要で、少しでも“それに近い生活”が出来れば、その人にとってそれは“幸せ”を得ている生活となる。したがって、例えば子供時代に“欲しかったおもちゃ”を購入してもらった時に“幸せ”を強く感じた人なら、経済的に恵まれた生活が“幸せ”と同義語になるに違いない。けれども、そういうことではなくて“友達と一緒”に遊んだ時に幸せを一番感じていたなら、それは“愛する人と出掛ける生活”が幸せにつながるに違いない。“母親の膝”で甘えていた時に幸せを感じていたなら、それは自分も子供を持って“子供を抱きしめられる”生活が一番なのに違いない。“一人で漫画を描いていた”時に幸せを感じていたなら、一人で“趣味に打ち込める時間”を得られる生活が必要なのに違いない。人それぞれ“幸せ”を感じる感覚は異なる。そこに他人が入って来る余地はない。だから、どうであれば「幸せなのだ」と決めつけることなど出来ない。ほとんどの人達にとって、大人になったからといって子供時代に感じたのと、そう大きな違いは出て来ないものなのだ。人は誰でも“身の丈に合った生活”が心地好いよう出来ている。

「宗教」が世界の「平和」を奪っていく

2019-05-18

サウジアラビアの記者がトルコの大使館内で殺害された事件は記憶に新しいが、政権批判はどの時代や地域においても“暗殺”の対象となる。特に、それが“宗教批判”とも密接に関わっている場合、その危険性がより高くなる。人口13億人のインドでは現在「インド総選挙」が行われている。モディ政権が誕生して後、インドでは“ヒンズー至上主義”という宗教的な「生活規範」を国民に浸透させつつある。イスラム教国が、国民に対してイスラム教に基づく「生活規範」を浸透させていくのと同様である。一応、建前的には「世界最大の民主主義国家」とされるインドだが、それは名ばかりのようだ。2017年5月、ジャーナリストでモディ政権に批判的だったガウリ・ランケシュ氏は自宅前で4発の凶弾に倒れた。その捜査で捕まった容疑者宅から34名もの“暗殺者リスト”が出てきている。つまり、現政権に対して、或いは“ヒンズー至上主義”に対して批判的な著名人を“抹殺しろ”というリストなのだ。実際、ヒンズー至上主義に批判的な映画は上映中止に追い込まれたりしている。現政権モディ氏が率いる「インド人民党」の支持母体がヒンズー至上主義の“民族奉仕団”と呼ばれるヒンズー教徒たちなのだ。彼らは古典的なヒンズー教の“教え”に従って生きている。インドという国の歴史には、イスラム王朝に支配されていた時代があり、大英帝国に支配されていた時代もある。彼らは、それらを「よそ者」と呼び、ヒンズー教こそが自国本来の宗教であり「生活規範」にすべきものであると考える。したがって、それを批判するような者は許しておけないのだ。実は、このような傾向はインド固有の問題ではない。世界各地で、本来のというか、古来のというか、“自国の在り方”を復活させようとする動きが加速し始めている。アメリカのトランプ大統領が登場以降は特にそうだ。そして、その根底には“宗教”の問題がある。まるで、古代世界に戻ったかのように各民族がそれぞれの宗教を「生活規範」に掲げ、それと相いれないものを締め出していこうとする。解かりやすく言えば「宗教の違う人は、この国から出て行ってくれ」という強硬派たちで世直しをしようとする。そのためには“暗殺”もいとわない。日本人の感覚では「宗教」というと何となく“世界平和に貢献する”存在のような気がするのだが、それは日本人だけの幻想なのだ。むしろ、それぞれの宗教が、それ以外の“生き方”を許さず、世界を平和から遠ざけていく。インドにおける総選挙の結果は23日に判明するのだが、ヒンズー至上主義がますます強まるのか、批判票が勝利して本来の民主主義を取り戻すのか、インドだけでなく「世界の行方」を占う意味でも注目の選挙なのだ。

「過去は幻」なぜ「今」を信じなかった⁉

2019-05-17

誰にでも「過去」はある。時には“触れてはならない過去”もある。日本でも年末になると、普段は「宝くじ」を購入しない人が、不意に思いついて“宝くじ売り場”に並んだりする。この人も、そういう人の一人だった。そして、その“思いつき”が、わずか1400円の籤(くじ)で、5億6000万円の当選金を射止めることになる。彼女はイギリスで25年以上もタクシードライバーをしていた。イギリスにおける“運転手”の社会的地位は、日本などと比べるとはるかに高い。そういう意味では長年にわたって“名誉ある仕事”を続けて来たのだ。ところが「宝くじ」が、彼女の人生を変える。まず、長年続けていた運転手の仕事を辞めてしまった。そして、もう一つ、奇妙な行動に出た。疎遠となっていた子供達に逢おうとしたのだ。なぜ奇妙なのかというと、実は彼女はトランスジェンダーで、元々は“男性”だったからだ。父親が途中から“女性”に変わっていったのだから、子供達との関係がギクシャクし始めたのも当然といえば当然なのだった。それに彼女メリッサ・エド(58歳)氏には、既にパートナーとして生活しているレイチェル・ネルソン(28歳)氏という年下男性の存在もあった。二人は宝くじで得たお金で新居も購入していた。そういう状態の中で、なぜか“疎遠となっていた”4人の子供達に逢いたいと願ったのだ。しかも、既に大人となっている子供達から「お父さん、戻ってきてほしい」という言葉を聞きたいと願ったのだ。この人は「過去」というものをどう考えていたのだろうか。百歩譲って、私も親として「逢いたい」という気持ちはわかる。けれども、この人の場合、子供達からしてみれば“父親”から“女性”に変わっていき、あげくは自ら“出て行った人”だ。そして現在は昔からの仕事も辞め、宝くじで当てたお金で新居を購入し、20歳も年下の男性をパートナーとしている。そういう人に「お父さん」とは言えないだろう。「戻ってきてほしい」とは思わないだろう。それが、どうしてわからないのだろう。けれども「戻ってきてほしい」とは誰も言わなかったが、マスコミの協力もあって「子供達と逢いたい」という願いは果たすことが出来たのだ。ところが、5億6000万円当選から一年半が経った今年5月6日、彼女は急に“胸苦しさ”に襲われた。心臓発作かも知れないと病院へ駆けつけたが、どこも何でもないと診断された。けれども“胸苦しさ”は翌日も続いた。彼女は「その時が来た」とうわごとのように口走った。あまりの異様さに緊急入院となった。そして苦しみ続けて原因不明のまま5月11日に亡くなったのだ。私は、かつて作家の戸川昌子氏がエッセイで書いていた《過去は幻、今だけが信じられるものなのである》という言葉を思い出した。もし、彼女がタクシードライバーを続けて、パートナーとの生活だけを守り通したなら、別な人生が待っていたような気がする。“過去”をも手に入れようと追いかけ始めた時、運命の扉が音を立てて崩れたのだ。

「貿易戦争」が「仮想通貨」を上昇させる⁉

2019-05-16

アメリカから第4弾の“制裁関税”が通告された14日から、中国の外務省はそれまでの「貿易摩擦」という表現をやめ「貿易戦争」という表現に切り替えた。このタイミングに合わせるかのように一気に暴騰したものがある。仮想通貨「ビットコイン」だ。一時期、目も当てられないほどに低落し続けていた“ビットコイン価格”だが、ここにきて再び急騰し始めている。数日間の間に30%も上昇する異様ぶりなのだ。もちろん、こんなに上がり下がりの激しい“通貨”では“正式な通貨”になど切り替えられない。一時期、“未来の通貨”と期待された仮想通貨だが、現在では誰もその役割を期待していない。上がり下がりが激しいということもあるが、それより交換所などでの“盗難・紛失”が相次いでいるからだ。管理するのがあまりに難しい。そこで名称も「デジタル資産」に変更したはずだったが、いつの間にかまた元の名称に戻ってしまった。中国外務省の「貿易摩擦」から「貿易戦争」への名称の変化も、元々「貿易戦争」と最初は使われ、いつの間にか「貿易摩擦」にすり替えられていた。だから正しくは、本来の名称に戻ったに過ぎない。けれども、今回の意識的な“名称変更”には、習近平政府の「われわれは負けない」という“強いメッセージ”が感じられる。もしかしたら、その一つの表れかもしれないのが「ビットコイン」の急騰なのだ。今、世界には自国通貨の“安定していない国”がいくつかある。それらの国の投資家たちが、自国通貨を「仮想通貨」に変えていく可能性は大いにある。ベネズエラはもはや“通貨の価値”さえもなしていないが、トルコでも韓国でも、自国通貨が危うくなってきている。もし中国が、国家という尺度で秘かに自国通貨「元」を「ビットコイン」に変え始めたならどうなるのだろう。そんなことはあり得ないと思うものの、仮想通貨急騰の背景に“国家の動き”が関与している可能性は、日本から盗まれていった仮想通貨が北朝鮮領域で“消えた”可能性も指摘されているだけに、無いとは言い切れない。一時期40ドル付近まで低迷していたビットコインだが、現在は80ドル近辺まで盛り返してきている。もし、もっと「貿易戦争」が“激化”し、さらに“長期化”すれば、間違いなく仮想通貨は、投機対象としての存在を高めて、もしかしたら夏までは高騰していくに違いない。

ちょっと恥かしい「現金200円」の恐喝

2019-05-15

多分だが茨城県警はこの事件を公表する時ちょっと気恥ずかしかったに違いない。なぜなら事件は「現金200円の恐喝事件」であり、それも無職の41歳の男と13歳の中学生の間で「大人をなめんじゃねぇ」といって脅し取った事件だったからだ。おそらく無職の笠島英幸(41歳)にとっては、自分より“ひ弱そうな相手”なら誰でも良かったのだ。要するに“脅し取れそうな相手”なら、誰でも良かったのだ。そして、それくらい、彼は切羽詰まっていたに違いない。相手が中学生であることは見ればわかる。普通なら、中学生であれば現金などそんなに持っていないことは解かりそうなものである。同じ“ひ弱そうな相手”を択ぶなら、まだ老人の方が良かっただろうに…と思われる。老人であれば、もしかしたなら同情して“黙ってお金を渡してくれた”かもしれないのだ。ところが、この中学生は確かに“ひ弱”だったが、現金を持ち合わせていなかった。だから笠島容疑者から「千円ちょうだい」といわれた時、無いよ、と応えたのだ。大体、見ず知らずの男から「ちょうだい」といきなり言われて差し出す者もいないと思うが、それに、恐喝するのであれば、もう少し“恐喝らしい言い方”「おい、財布出せ」とか「おい、小僧、千円よこせ」とか、もう少し“言い方”があると思うのだが「千円ちょうだい」と子供のように言われても、なんか出しにくい。そこで、無いと応えた中学生に対して笠島容疑者は「大人をなめんじゃねぇ」とすごんで見せたのだ。そこでヤバいと思った中学生は財布を出して「200円なら…」と、その中に入っていた200円を手渡した。一瞬、男はその金額に戸惑ったような表情を浮かべたが、2枚の硬貨を握りしめると疾風のように走り去ってしまった。中学生はすぐコンビニに駆け込んだ。脅し取られたのがコンビニ駐車場前での出来事だったからだ。店員さんがその場で110番通報してくれた。やがて防犯カメラの映像から犯人が割れ、それから一日経った昨日、逮捕となったのだ。ちなみに「恐喝罪」は金額には関係していない。200円でも“立派な犯罪”なのだ。ただ警察発表の場では妙に静まり返る…とは思うのだが。

小柄で茶目で縮れっ毛が「縄文人」

2019-05-14

日本の“先住民”ともいうべき「縄文人」のDNAを分析していた国立科学博物館などの研究チームが、3500~3800年前に生存していた女性の歯の遺伝子から、彼らが常に小集団で移動しながら生活し、狩猟による肉食を中心とした食生活をし、その身長は140センチ前後で瞳は茶色、細い縮れ毛でアルコールに強い体質を持っていたことを突き止めた。顔の復元も行っているが、眉骨高く、眼窩凹み、顔の横幅広く、口唇大きく、法令線クッキリとして、観相学的には闘争本能が強く生活力の強い顔立ちといえる。このような「縄文人」の遺伝子が伝わっている可能性ある日本人は現在では10%前後、アイヌ民族では70%くらいであるという。したがって、現在の日本人で、小柄で茶目で細い縮れっ毛を持ち、アルコールに強く、肉食好きな人は間違いなく「縄文人」の祖先をもっていたことになる。言ってみれば日本の先住民ともいうべき血統を備えている“生まれ”なのだ。アイヌ民族の方達は、眼窩凹み、顔の横幅が広く、口唇大きく…という部分は似ているといえるかもしれない。ただ「茶目」や「細い縮れっ毛」ではない。人種や民族という点からいうと、アイヌ民族と沖縄の先祖の方達は、同じ日本列島でも“異なった遺伝子”を持っているよう感じられる。今回の研究対象となった人物が、3500~3800年前に生存していた女性で、そんなに遠くない。それなのに、その後「弥生人」が入ってきて、やがて「現在の日本人」に繋がっていくのだとしたら、われわれ多くの“一般的日本人”はまだまだ「新顔」で、出来上がって間もない種族というか民族というか、新しい時代になって誕生していることになる。言ってみれば、元々の先住民ともいうべき「縄文人」や「弥生人」の土地を“間借り”させてもらっているような立場で、或る意味ではみんなで“シェアハウス”しているのだともいえる。だから、飲み屋さんに行って、小柄で茶目で縮れっ毛でアルコールに滅茶苦茶強い女性を見たなら、どうぞこれからも「シェアハウス」させてくださいといっておくべきで、新顔なのに“偉そうな顔”で飲んではいけないのだ。

秘密の部屋「スフィンクスの間」の大発見⁉

2019-05-13

歴史上にはいくつかの“世界を牛耳った”王国や帝国というものが登場する。間違いなく、その一つは「古代ローマ帝国」である。今から2000年ほど前に隆盛を極めていた帝国だ。その第5代ローマ皇帝が「暴君」として知られるネロ・クラウディウス皇帝だ。18歳で皇帝の座につき、30歳の若さで自害している。そのネロ皇帝は「黄金宮殿」と呼ばれる“巨大複合施設”を作ったことでも知られるが、その中に“皇帝の隠れ家”として秘密の部屋「スフィンクスの間」が造られていたことがわかった。地元の遺跡を管理・発掘しているコロッセオ考古学公園という名の学術団体が、偶然この部屋へとつながる通路に出くわし、それを掘り進めていって“隠し部屋”の存在を発見したのだ。ネロの「黄金宮殿」は当時としては最新の“巨大複合施設”であったが、敵の多かったネロは後の皇帝たちから忌み嫌われ、彼に関連あるものは徹底的に破壊された。次の皇帝トラヤヌスは黄金宮殿のあった場所を埋めて“大浴場”とし、その次の皇帝は“池”となっていた場所にコロッセオを建設した。したがって、ネロの「黄金宮殿」を偲ぶものはほとんどなかったのだ。そういう点で、秘密の隠し部屋「スフィンクスの間」の発見は当時を知る貴重な資料ともなる。2000年前のまま神話伝承などの絵画やレリーフが天井や壁に描かれている。ところで「暴君」として後世に伝えられた皇帝ネロは、本当に“暴君”だったのだろうか。近年、これに関しては大きな疑問が投げかけられている。大体、新たな権力の座についた者というのは、自分と相いれない思想・主義・宗教の王の遺物は徹底的に破壊する。これは、どの時代、どの地域、どの君主でもそうである。特にネロの場合、ローマにおける“キリスト教の弾圧”ということを手荒に行った。このことが、やがて「キリスト教」が支配していくように変わったヨーロッパ諸国において“許しがたい行為”として映ったのは当然といえよう。何しろ、当時の「ローマ帝国」はローマ神話に由来する“多神教の国家”だったのだ。その“ローマ神話”の元になっているのは“ギリシャ神話”であり、さらにその元をたどれば“バビロニア神話”と“エジプト神話”に行き着く。イタリア観光の見どころは多いが、あと何年か経って「スフィンクスの間」も“古代ロマ帝国”の遺跡の目玉として公開され、その部屋の中で「暴君」とは思えないような神話上の神々に囲まれ、日本からの観光客も改めて“歴史の真実”を噛みしめることだろう。

旅先での「親切心」が招いた悲劇

2019-05-12

今年2月に仲間数人とノルウェーからフィリピンへ旅行に来ていた24歳の女性がいた。冒険好きな彼女たちはフィリピンをオートバイでツーリングしていた。爽快にオートバイで飛ばしていたビルギッタ・カレスタッドさんは道端で動けなくなっている子犬を見つけた。道脇にバイクを止めて、しばらく観察していたが、仲間から促され、その子犬を抱き上げてオートバイの籠の中に入れ、滞在先であったリゾート施設へと連れ帰った。普段、看護師をしていて病気の世話をすることに慣れている彼女は、動けなくなっている子犬を見捨てられなかったのだ。さいわい、子犬は徐々に元気になった。彼女は「旅先の外国で“小さな命”を救えた」ことを悦んだ。そうして子犬と一緒に広い施設の庭先で遊んだ。その時、興奮し過ぎたのか、子犬は彼女の指先を噛んだ。一瞬、不安がよぎったが、大事には考えなかった。看護師である彼女は自分で素早く手当てしたのだ。こうして彼女はノルウェーへと戻った。ところが、それからしばらくして彼女に異変が訪れた。病院で検査を受けると「狂犬病」を発症していることを告げられた。あの時の子犬からであることは明らかだった。目の前が暗くなった。なぜ、あの時、仲間達から「早く行こうよ」と促されたあの時、子犬を見捨てて走り去れなかったのか。自分が“助けた子犬”が、皮肉にも自分の命を奪おうとしている。涙が留めなく流れたが、もう遅かった。こうして彼女は仲間達に見守られながら、5月6日に亡くなったのだ。人は“旅先”でいろいろなことに出遭う。予期せぬ出来事に出遭った時、どう行動するかはさまざまだ。誰も彼女の“やさしさ”を責められない。旅先での“ちょっとした気持ち”が人生を変えていくことは稀ではない。日本では「狂犬病」はほとんど発症しない。けれども、今も海外では数多くの人が狂犬病に掛かり、そして亡くなっている。年間、6万人近くもの人が「狂犬病」により亡くなっているのだ。どうして神は、彼女の「親切心」に“待った”をかけなかったのだろう。

週刊誌の「袋とじ」への疑問

2019-05-11

私は時折、他の雑誌などと共に週刊誌を購入する。大抵は見出しに“興味深いタイトル”を見つけた時だ。ほとんど躊躇することはなく時には2~3冊まとめて購入することもある。男性の多くは、私と似たような“購入の仕方”をするのではないだろうか。ところが最近の週刊誌には“袋とじ”になっている箇所が多い。前日に購入した週刊誌は3か所も“袋とじ”になっていた。その一つは“薬品関係”の図表記事。その一つは“過去の特集”をまとめた写真記事。その一つは“グラビア写真集”の写真記事。そのどれもが、ハッキリ言って“袋とじ”にしなければならないような内容ではない。その一つの見出しタイトルには「女性器」という言葉が入っている。だから袋とじにしたのだろうか。ところが、その中を開けてみても、どこにも「女性器」など出て来ない。女性器どころか「ヌード写真」さえ出て来ない。過去の雑誌の“見出しタイトル”だけが沢山出て来る。唯一、女性器を連想させるのは多数の女性の下腹部を撮影したらしい個展会場の写真なのだが、その“下腹部に当たる部分”にすべて“ぼかし”が入っているため、それが下腹部なのかどうかさえも解からない、奇妙な写真なのだ。こんな小さな写真で、しかもそのすべてにわざわざ“ぼかし”を入れて、何が何だかわからない写真を載せて、しかも、それが“袋とじ”にされている。最近は、だからいちいち“袋とじ”を開かないことも多いのだが、今回は一応全部開いてみた。けれども、その三つが何ら“秘密”にすべきようなものではなく、一体、何の意図をもって“袋とじ”にしているのか理解不能のものばかりであった。大体、自宅であれば問題ないが、よく旅先などで時間つぶしも兼ねて週刊誌を求めることも多い。そういう時に、乗り物の中で“袋とじ”を開くのは躊躇してしまうこともある。昔の“袋とじ”は切り取り線が付いていて、そこから切り取れるようになっていたのに、今はそれもない。したがって、本当に破り取るようなことをしなければ、その中身が観れない。それでいながら、実際に破いてみると、いったい何を“隠しているのか”理解に苦しむようなケースが圧倒的に多い。編集者のセンスを疑うというか、いったいどういうつもりで“袋とじ”にしているのか、問いただしたいような内容のものが多い。「見出しタイトルに騙されて買ってくれれば…」ということなのだろうか。実際に“袋とじ”にしただけで、そんなに売れ行きが違うのだろうか。大昔、私は地元の雑誌社から依頼を受け『占い堂』という雑誌に執筆していたことがある。その時、その社長はよく私に「袋とじにしてしまおうか、と思うんですよ」と語っていた。「どうして?」「コンビニで読む人たちって、読んでも買わないからです。“袋とじ”なら買わなきゃ読めない」「占いの本で“袋とじ”ですか…」「ただコストがかかるんですよ。だから、そうするなら値段をあげないと…」結局、その年も“袋とじ”にはならなかった。やがて、その雑誌社そのものも閉じられてしまった。

「情熱の97%」が明かした“三つの偉業”

2019-05-10

ビジネスの話題というのは、興味のない人にとってはナルホドで終わってしまう。だから私も積極的に取り上げることはない。けれども「人間の運命」というものを考えるうえで重要と思ったことは必ず記しておく。今回、取り上げるのはソフトバンクの孫正義社長である。彼が企業家として「巨人」であることは誰もが認めるだろう。特に“株式投資”に関心のある人たちにとって、“孫氏のソフトバンク”は“堀江氏のライブドア”や“村上氏の投資ファンド”が騒がれる以前にもっとも注目を集めた企業だった。ITバブル崩壊直前にはソフトバンク(現在のソフトバンクグループ)の株価はあっという間に19万8000円まで暴騰し、誰もが眼をみはったものだ。ところがITバブル崩壊で、その株価は200分の1以下まで急落した。解かりやすく言えば、現金換算で2000万円だったものが70000円くらいまで叩き売られたのだ。誰もが、ソフトバンクは倒産するのではないかと思った。それまで孫社長を“ITバブルの寵児”として褒め称えていたマスコミは、手のひらを返したように“詐欺師”とか“大ぼら吹き”とか書くようになった。それ以降も借金比率が高く、常に“危ない企業”として綱渡り的な事業を展開してきたのが孫氏であった。その孫氏が、5月9日の決算会見では81%増の2兆3539億円の営業利益を発表した。それは前日に行われた“日本一の営業利益”を誇るトヨタ自動車の2兆4675億円に迫る勢いであった。同時に連結純利益は4期連続1兆円を突破することが確実と自信を見せた。かつて借金にあえぎ、倒産寸前とまで言われた企業は、いつの間にか毎年1兆円以上の純利益を生み出す企業に変っていたのだ。その大きな利益を生み出すもととなっているのは「ビジョンファンド」と呼ばれる“投資事業”だ。そして今の孫氏はこの投資事業に対し「私の情熱の97%」を注いでいると語っている。10兆円とも言われるその資金は、各国の投資家たちから集めたものだ。いくらソフトバンクが“金持ち企業”になったとはいっても、10兆円はひねり出せない。実は昔から、孫氏の優れている点は“投資家集め”なのである。彼はどのような人物にも“その情熱”で口説き落とす秘術を持っている。まだまだ10兆円でも不足らしく「ビジョンファンド2」の設立も宣言した。再び10兆円を集めて来るというのだ。もちろん、自分や自分の企業を応援してくれる“投資家たち”への還元も忘れない。6月27日を基準日として、ソフトバンクグループの株式を分割して、その配当金を実質2倍とする。小さな企業とか、設立間もない勢いある企業が、前年の“81%増益”“株式の2分割”“新たな投資事業”を行うことはそう珍しくない。けれども、ソフトバンクグループのような巨大企業が“81%増・株式分割・新たな投資”は滅多にない。正に“世界に誇れる偉業”なのだ。最近、世界に向けて発信できるニュースの少なくなってしまった日本企業にとって、孫氏の後を追う人物や企業は出て来るのだろうか。

「自分じゃない」と言い張る男女⁉

2019-05-09

最近は「防犯カメラ映像」というものが犯罪捜査では大いに役立っている。そのせいで“路上犯罪”は言い逃れが利かなくなりつつある。一方、室内犯罪の方はどうだろう。室内で防犯カメラが備えられているのは公共施設とか一部の大邸宅とかで、通常の家屋や個人商店などでは取り付けていないのが通常だろう。仮に、新築の際「室内にも防犯カメラを設置しましょうか」と問われたとしても、ほとんどの人が「そんなものは不要です」というに違いない。余程の大邸宅とか、家の中に宝物が秘蔵されているとか、家を空けがちな職業とか、寝たきりの病人を抱えているとか、心霊現象が絶え間ないとか…まあ、そういう家でもない限り、防犯カメラを取り付けようとはしないだろう。ところが、室内で“殺人事件”が起き、その時居合わせた二人が共に「自分が殺したのではない」と言い張った時、防犯カメラがあれば…と裁判官は思うに違いない。そういう事件の公判が昨日行われた。三重県鈴鹿市で起きた殺人事件。DVの激しい夫を、その妻と交際相手の男が共謀し、自ら経営するスナックの店内で“絞め殺した”とされる事件だ。事件当時、その店には被害者以外、妻とその男しかいなかった。したがって二人が殺人に関わったことに関しては否定しようもない。そこで“共謀して殺した”ことまでは、二人の供述も一致しているのだ。ところが、実際に手を下した犯人という点で、二人の供述は真っ向から対立する。共に、自分は直接手を下していない、と主張しているのだ。そこで、今回は妻の交際相手だった上山真生(30歳)の公判なのだが、それに検察側の証人として“共犯の妻”が出廷したのだ。そして、妻は電話で呼び出したところ、電気コードを使って上山が夫の首を絞めた、と供述した。一方、上山の方は弁護人質問で、妻がピンクのビニール手袋をはめて首を絞めた、と供述している。勘違い的な“違い”ではなくて、明らかに“相手に罪を負わせる”目的で、或いは自分の罪を少しでも軽くするための「うそ」を、どちらかが供述していることになる。妻・横山富士子(46歳)は2013年に20歳年下だった麗輝氏と結婚した。その後、夫のDVが激しくなるなかで店の客として出逢った上山と恋愛し夫の殺害へと動いていくのだが、どちらが殺人の首謀者なのかは客観的判断が極めて難しい。証言の中で妻は「二人で罪を償って一から頑張りたい」と涙を流したが、果たして、その“涙”は信じられる涙なのだろうか。

「筆談ホステス」は国会に必要なのか

2019-05-08

まず最初にハッキリさせておきたい。私は政治的に特別な思想も主義も持っていない。誰が、どこの党から出ようがかまわない。ただ政党が最近“障害者”や“性的少数者=LGBT”の有名人の人気を利用しがちな傾向があるよう感じられる。昨日、7月の参議院選に「筆談ホステス」として有名になった斉藤里恵氏(35歳)が、立憲民主党から比例代表候補として出馬することが発表された。2009年に出版された『筆談ホステス』は、視聴覚障碍者である著者が銀座のクラブで“筆談”だけの接客で日本一の売り上げを勝ち取ったという触れ込みで40万部のベストセラーとなった。もっとも、その内容には関係者から疑惑が指摘されている。ちなみに故郷青森では“不良少女”だったという噂もあり、万引きで捕まった過去もあるらしい。2015年には東京北区の区議に立候補し、最高得票で当選した。“視聴覚障碍者”“シングルマザー”“銀座のホステス”“ベストセラー作家”の肩書が、過去の闇の部分を消し去ってくれたらしい。善良な市民は障害者、シングルマザー、そして美人に優しいのだ。実はこの時、彼女は「日本を元気にする会」という政党に所属していた。ところが、現在はその政党が無くなってしまっていた。そういう中で、誰がどう関わったのか知らないが、いつの間にか「立憲民主党」から“国政選挙”に出る手はずを整えたようだ。さすがは“敏腕ホステス”である。ただ私が問題にしたいのは、彼女の議員活動には常に“二人の女性が付き添う”ということである。一人は彼女の筆談を読み上げる役、もう一人は手話で通訳する役、常に女性二人がサポートしなければ彼女の議員活動は成り立たない。さらに、彼女には小3の娘さんがいるのだが、その娘さんの世話役として、青森から実母が東京で一緒に暮らすことが決まっているらしい。つまり、彼女の国会活動は実質三人の女性が“付き添う”ことで成り立つらしい。私は何故か『五体不満足』で有名な乙武洋匡氏の“スポーツライター”や“小学校教師”を思い出した。彼も、常に“手助け”を必要とする仕事をわざわざ択んだ。銀座ホステスは、基本的にお客さんが“筆談でも良い”ということであれば、誰の手助けも必要としない。だから、そういう意味では「立派に職務を果たしていた」といえる。けれども、三人もの“お手伝い”を必要とする仕事は、果たして彼女でなければ出来ないのだろうか。むしろ日頃から、そういう“お手伝い”をしている側ボランティア活動をしている人物が国会に出てくれた方が、はるかに“障碍者のためになる”といえないだろうか。もちろん、そういう人物では得票するのが難しいのかもしれない。けれども、万引きの過去を持つような女性を国会に送ることが日本のためになると信じる政党そのものが、私には残念で仕方がない。

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