6月, 2019年

「ホクロ」は身を助ける⁉

2019-06-24

「芸は身を助ける」という諺がある。確かに、何かしらの芸を持っていれば、何とか生きていくことが出来たりするものだ。では、何も“芸”を持っていない人の場合はどうだろう。時には「ホクロが身を助ける」こともあるのだ。かつて活躍した「髭男爵」という二人組を憶えているだろうか。ワインを片手に「ルネッサンス」と乾杯する。要するに、それだけの“つまらない芸”を売り物にしていた。二人のうち、文字通り髭面の山田ルイ53世氏の方は、ブームが去った芸人たちの“その後”を追った本をまとめて注目を浴びた。謂わば“芸人評論家”のような立場を確立しつつある。さて、もう一方の目立たない人物「ひぐち君」の方はどうなったのだろう。忘れるともなく忘れていたが、どっこい生きていたというインタビュー記事を読んだ。それも今や「日本のワインを愛する会」の副会長という要職についていたのだ。名目だけの副会長なのではない。2015年に難関である「ワインエキスパート」の試験に合格し、今やプロのワイン鑑定士でもあるのだ。そして、そういう方面からの仕事がほとんどに変わりつつあるという。見事な転身。けれども、これは偶然ではない。彼には法令線の内部、人相学上で「食禄」と呼ばれる鼻・口・法令線で囲まれている領域内に大きなホクロがある。このホクロは俗に「ご馳走ボクロ」とも呼ばれて“飲食”に縁の深いホクロなのだ。アスリートである高橋尚子氏や池江璃花子氏なども同じ場所にホクロがある。こういう人は飲食に関連する“商売”をすれば必ず成功する。ただ昔から「居候を置く人の相」とも言われていて、そのため余分な出費がかさむのが常である。ひぐち君の場合も、芸能界一の“ウサギ好き”だそうで、そのための出費が多いに違いない。それにしても、お酒をほとんど飲まなかった彼が「ワインエキスパート」の資格を取るために必死でティスティングの訓練を行ったと述べているが、その結果として難関の試験を突破することが出来たのだ。「食禄」にホクロのある人は、昔から「喰うに困らない相」とも言われて困っても誰かが食べさせてくれる。彼の場合には先輩であるカンニングの竹山氏がいつも奢ってくれたらしい。昔の日本では上流階級の家庭では、常に女中や運転手や門下生などを自分の屋敷内に住まわせた。そういう人に多かったホクロでもある。首相であった伊藤博文氏なども食禄に目立つホクロがあった。そういう意味では文字通り「おいしいホクロ」が“食禄のホクロ”なのだ。

午前中に2400回の雷が「夏至」を祝った⁉

2019-06-23

昨日は2019年の「夏至」である。「夏至」というのは、本来なら一年中でもっとも日照時間の長い日だ。ところが、昨日の札幌はほぼ一日中雨だった。雨だけならまだ良い。朝早くから「雷」を伴っていた。それも連続的に続いて切れ目のない雷。きわめて珍しい。午前中だけで北海道では2400回もの雷が生じていたらしい。正に「雷様の日?」そう思いたくなるような一日だった。通常、日本では北海道の緯度が一番高いため、夏至の日には北海道の日照時間が一番長い。16時間以上も太陽が出ている計算になる。それが、昨日の場合はほんの一瞬、晴れ間が見えた時があったが、確かに日の光が差し込むかに見えた時があったのだが、あっという間に消えてしまった。まあ人生上の“幸運”の訪れに…似ているような…似ていないような。とにかく、そういう「令和」最初の「夏至の日」ではあった。よく「北海道には梅雨はない」というが、近年はそんなことはない。間違いなく北海道にも「梅雨」は存在する。なぜ、気象庁が実際に即して変更しないのか、不思議な気がする。北海道だけでなく、日本国全体の気象が変化してきているのは誰でも体感的に感じているだろうに、昔のまま日本の気象は語られ続ける。占いでもそうなのだが、実際に多数の人達を占っていけば、これまで“正しいとされてきた学説”に誤りがあることは誰でも気づく。もし気付かない方がいるとするなら、そういう方は「占い」に向いていないのだ。ところが、それでも、ほとんどのプロ占い師の方は“過去の学説”を捨てない。「本当は正しくないかもしれない」と思いながらも、古典的な学説にしがみつく。「この学説は誤りだ」という勇気を持てないのだ。例えば、四柱推命で「大運法」とか「行運法」とか呼ばれる“十年ごとの運気”の鑑定方法がある。この大運の観方など、まず、占い以前の話として、現代において「十年ごとに運勢が切り替わる」という考え方自体、どうして問題だと思わないのだろう。この目まぐるしい変化の時代において、今から千年以上も前に確立された“十年ごとの運勢変化”という捉え方。確かに、人間には“大きな運の流れ”があることを私も否定はしない。けれども、それが“十年間”ときには“二十年間”同じで、その間はどう頑張っても「どうすることも出来ない」という考え方を、受け入れる方がおかしい。しかも、それは男女間で“真逆に動く”という特徴を持っている。では、途中で性転換したなら、運勢も真逆に変わるのだろうか。誰も、このようなことに関しては教えてくれない。特に四柱推命の研究者には“古典支持派”が多い。古典を支持するのであれば、どういう疑問に対しても解かるように回答しなければならない。それが出来る“権威者”が、日本人でも何人でも構わないが、果たしておられるのであろうか?

私に近づくと「運命」が変わる⁉

2019-06-22

人にはいろいろ不思議な“ジンクス”のようなものがある。私の場合、私に深く関わった人たちの多くが「運命」を変えていく。単に“運”が良くなるとか、悪くなるとかいうことではなくて、職業とか生活とか住居とか“人生そのもの”が大きく変わっていく。つい最近も、私が占いを教えていた方が職業や住居を変えた。その方は、変えるつもりなんかなかったんですけどね、と言っていた。そういうケースが圧倒的に多い。自分が意図していたのではない形で“新たな運命”が始まっていく。もちろん、私も、占いを教える方達の“人生を変えよう”などという気は毛頭ない。第一、変わってしまうと、占いの生徒さんの場合には“授業を継続する”ことが出来なくなるケースが多い。けれども、住居が東京に変わるとか、仕事が不規則な職業に変わるとか、新たな店の立ち上げを任せられてしまったとか、神社の再建をしなければならなくなったとか、親の介護をしなければならなくなったとか、さまざまな理由から、その人の人生が変わっていく。もちろん、プロ占い師に変わっていくケースもある。去年まで教えていた藤野真帆氏は、その後“占い師のユーチューバー”となり、既に7000名以上のチャンネル登録者数を持つようになっている。或いは隈本健一氏・叶レオナ氏・鮫島礼子氏のように“占いコンテンツ”で活躍する人たちもいる。またマザー紅竜氏や紗羅氏のように“占い教室”の講師として活躍する人もいる。さらに石倉康子氏や優月寿円氏のように“占いハウス”を経営する人たちもいる。人は、それぞれ才能の質が違っているので、自分に合った方法を見つけ出すことで“幸運を手繰り寄せるべき”というのが私の持論だ。だから、そういう意味では、どういう方法であってもかまわない。マリー・ルウ氏や三貴氏やパーム桃子氏のように飲食店と併用させる形で“占いを実占”している人たちもいる。愛川千景氏のように“占いのHP”を充実させていくことで、地道に輝いていく人もいる。下妻卓氏や小嶋ルイ氏のように“チャット占い師”や“電話占い師”として活躍するケースもあれば,HANA氏のように“セラピールーム”として繁盛させる場合もある。とにかく私に占いを学び始めると、止まっていた人生の歯車が思いもしない方向へと動き出すことは確かなようだ。

大人しそうでも大人しくない「耳」&「鼻」

2019-06-21

今から十年前に一人の女優が孤独死をした。かつて「お嫁さんにしたい女優№1」と言われた大原麗子氏である。確かに声質も含めて“暖かく優しい雰囲気”を持っていた。けれども、その晩年は決して恵まれたものではなく、実の弟に“孤独死”を発見されるまで誰にも看取られることなく、この世を去ったのだった。昨日、その特集番組が放映された。私は直接見ていないが、ネット上に掲載された彼女の横顔写真を見て、改めて思うところがあった。彼女は、確かに一見大人しそうな美人顔なのだが、耳の内郭が飛び出している。こういう人は男女とも自己主張が強い。自分の“生き方”というものに対して、或る種の“信念”を持っている。そして、その部分に関しては決して妥協しようとはしない。彼女は「女優」と呼ばれることを嫌った。自分は「俳優である」という意識が強かった。自分の“役どころ”に関しても、納得しなければ決して出演しようとはしなかった。彼女でなくても、耳の内郭が外輪よりも突き出ている女性は、自意識が強い。いわゆる“枠の中に納まらない”傾向がみられるのだ。したがって、男性と結婚した場合、相手男性である夫が妻に対して“家庭の役割”を押し付けたりすると、猛烈に反発する。大原麗子氏の場合も、二度結婚しているが、二度とも長く続かなかった。彼女だけでなく、耳の内郭が突き出ている女性は、相手が“自由にさせてくれる人”なら良いが、そうでなければ長続きしないのが普通なのだ。もう一つ、これは大原麗子氏は異なるが、鼻の鼻柱上部が少し“突き出ている”女性も、結婚生活ではなかなか収まり切れない。極端に突き出ていなくても、真横から見て鼻筋に盛り上がり部分がある場合、これはプライド高く“向こうっ気の強い相”で、相手に“譲る”ということが出来ない。「負け」を認めることのできない性質を持っている。こういう鼻こそ、俗にいう「鼻っ柱が強い」人物の相なのだ。したがって、何かで対立した場合、決して自ら“仲直り”しようとはしない。家庭内においても同様で、相手が余程やさしく“かかあ天下”にしてくれる協調型の男性でないと結婚生活は継続しない。もっとも、この鼻柱の途中が突き出す相も、耳の内郭が突き出す相も、共に「美人」を輩出しやすい。だから多くの男性達が寄って来やすいのだ。しかも表面上は“大人しそうに見えたり”するケースが多い。けれども、決して本質的に大人しくも、従順でもない。自分の主義主張に関しては、決して“引き下がる”ということのない“負けん気の強い”女性たちなのだ。

十代半ばで「栄光」を掴むことの悲劇

2019-06-20

多くの人達が思っているように、人は生まれながらに“大きな差”を持って生まれているわけではない。実は9割以上の人達は“ほとんど差のない生れ”なのだ。ここでいう「差」とは“運命的に”という意味でである。つまり、そんなに変わらない。ただ“違っている”ように見えるだけなのだ。例えば昨日、モントリオール五輪に日本女子体操の“若き星”として参加・活躍した岡崎聡子選手が4月下旬に「覚せい剤逮捕」されていたことが明らかになった。今回で14度目の逮捕・起訴らしい。多くのマスコミは「転落した人生」という風な書き方で報道する。確かにその通りではあるが、もし彼女が15歳でオリンピックに出場しなければ、マスコミがこぞって「和製コマネチ」などともてはやさなければ、もっと違った人生になっていたことだろう。もちろん、覚せい剤で14度も逮捕されるのは本人の意志の弱さからである。彼女を擁護することは出来ない。けれども、あまり自覚のないままに十代半ばから“華やかな栄光”を与えられたり、“熱狂的な人気”を得たり、予期せぬ“巨富”がもたらされたりすることで、何かが“狂っていく”人達は多い。昨日は、もう一人人気ユーチューバーのワタナベマホトも“傷害により逮捕”されていた事実が発覚した。この人物も、十代半ばから活躍し、熱狂的人気や巨富を得て来ていた人物だ。特に現代が恐ろしいのは「人気」も一気に拡散するが、悪い噂とかトラブルのニュースとか事件とかも一気に拡散しやすい。したがって俗にいう「シンデレラ物語」が誕生しやすいのだが、何か問題を起こした時のバッシングも半端なものでは済まない。人間というのは、ちやほやされるのは慣れていなくても或る程度対応できるのだが、批判・中傷・誹謗を浴びるのは、よほど精神的に強靭でもなければ耐え続けることが出来ない。近年は“アイドル量産時代”で十代半ばから比較的簡単にTVや雑誌やweb上に登場出来る。そして何らかの“ユニークな部分”が注目を浴びると、一気に人気者となることも夢ではない。但し、実力を伴っていない人気というのは長続きしないのが定番だ。幼い頃から、その分野における才能を発揮するとか、技術を磨いてきたとか、努力を重ねてきた人達は別として、そうではないのにマスコミから注目を浴びたり、世間的に人気が出てしまったりすると、その後どうすれば良いのか、本人の中で迷いや重圧が生じるのは当然のことなのだ。けれども周りの大人たちは誰一人、その部分をフォローしてはくれない。「和製コマネチ」として持ち上げ、タレントとして“人生を狂わせた”のは誰なのか、マスコミとか芸能事務所とかの存在や在り方が、改めて問われる。

直木賞候補が「女性だけ」の哀しい理由⁉

2019-06-19

毎年、注目を集める「芥川賞・直木賞」の候補作品。今回、直木賞の方は候補作に選ばれた6人全員が女性であることが注目を集めた。これは両賞が始まって以来のことであるらしい。かといって、選出されている女性作家たちが、特別有名だったり、華々しい活躍の女性達かというと、そうでもない。というか正直に言えば、私は失礼ながらどの方も名前すら、よく知らない。一応挙げておくと、朝倉かすみ、大島真寿美、窪美澄、澤田瞳、原田マハ、柚木麻子の各氏である。まあ私は最近ほとんど小説を読まないので、知らないのは当然と言えば当然のことなのだ。ただ昔は“直木賞候補作家”と言えば、人気作家として知られる方が、少なくとも大衆に名前を知られているような方が一人や二人は居たもので、そういう点で少し寂しい。もっと寂しいのは、文字通り“男性小説家”が一人もいないことだ。これは、男性達が小説を書かなくなったからだろうか。それとも優れた小説を書ける男性新人が出ていないからだろうか。私はそうは思わない。多分、これは日本の現状と深く関わっているのだ。つまり、紙書籍としての単行本が売れないからである。最近、ベストセラー作家であった百田尚樹氏が「小説家引退宣言」をした。ネット上では「閉店セール商法じゃないの」という見方もあるようだが、小説としての良し悪しは別にして男性小説家がまた一人消えることになる。彼のようなベストセラー作家であれば、巨富を得ることは出来る。けれども多くの小説家は“出版界不況”の影響をもろに受けている。つまり小説を書いても売れないのだ。売れなければ、当然のことながら収入は乏しい。何を言いたいのかというと、男性作家は女性作家とは異なり、生活がかかっているということである。もちろん、その点では女性作家も同様なのだが、ちょっとしたバイトやパート勤務などは女性の方が得られやすい。男性は“若手芸人”のような仕事であれば別だが、基本的に机に向かってじっくり時間をかけて書かなければならない本格的な小説は、アルバイトの片手間に出来るようなものではない。したがって“本が売れない時代”に「小説家」を目指すというのは、なかなかに勇気のいることなはずなのである。昔なら、TVのコメンテーターとか週刊誌のコラムなども作家が担当するのが常だったが、現在ではタレントや芸人が“その席”を奪っている。小中学生たちが憧れの職業として、ユーチューバーは入っても小説家は入ることがない。言い方としてはあまり良くないが“時代遅れの職業”になってしまった感が否めない。もっとも、そういう意味では“占い師”だって同様で、近年は男性占い師はどんどん減っている。占いの鑑定料金が低下傾向にあるからだ。さらに、もう一つ決定的なのは、若い人たちが昔ほど「占い」そのものに興味を持たない時代になりつつある。一つには、占い師の中に“本当に予言できる占い”を追求しようとする姿勢が希薄な傾向がみられる。だから、占いそのものの“価値”というか“地位”というか、それを占い師自身が下げている人たちが出てきている。つまり、“芸人枠の一つ”として「占い師」が存在しているかのような扱いを、芸能事務所などに属している占い師が率先して行っている。われわれは“お飾り”ではない。真摯に悩む人たちの“救世主”でなければならないのだ。

「聖なるガンジス」にマジシャンは消えた⁉

2019-06-18

俗に「脱出マジック」と呼ばれているものが有る。マジシャン自身が両手両足を鎖に繋がれ、水槽とか地底の箱に入れられて、時間以内に脱出できなければ“命はない”という危険なマジックだ。日本では昔、初代・引田天功氏がよく行った。“UFO特番”や“心霊特番”と並んで70年代~80年代の視聴者たちを惹きつけた。私がまだ二十代の頃でドキドキはらはらしながら見守ったものだ。近年、再び「脱出マジック」が世界的に注目を浴びている。6月16日、インドで行われた「脱出マジック」に挑戦したのはジャドゥガル・マンドレーク氏(40歳)で、ガンジス川の分流に防弾ガラス箱の中にロープと鋼鉄の鎖で手足を縛られたまま入り、家族、報道陣、警察が見守る中、クレーンで釣り降ろされた。脱出前の話では21年前にも同じようなことをして、その時には29秒かからず脱出できたと自信満々だった。その一方で「鎖が解けたなら魔法だ。もし解けなかったなら…悲劇だ」とも語っていた。そして、魔法はどうなったのか、聖なるガンジスの川に消えたままマジシャンは今のところ生還していない。現地の警察が必死で捜索中なのだ。マジックには当然のことながらトリックがあるが、すぐに見破られてしまうようなトリックとか、危険がないようなマジックでは本人も観客も納得しない。プロ意識が強いマジシャンほど、ぎりぎりのところまで追い込んで臨場感を出そうとする。もちろん、ちょっとでもハプニングが起こるとマジックは失敗し、生命の危険にさらされる。過去には、イギリスのマジシャンが「弾丸受け止めの術」で死亡したことがあり、炎の中に消えるマジックでガス爆発が起こって死亡したこともある。「生き埋めマジック」で失敗し瀕死の重傷を負った例もあり、「水槽脱出」で出られなくなって死亡した例もあり、「人体切断イリュージョン」で自ら妻を死亡させてしまったケースもある。日本では二代目の引田天功氏がイリュージョンに失敗して重症を負った例もある。最近の日本は、スケールの小さなマジシャンばかりで、80年代のような“危険を伴うマジック”はもはや観られない。小手先のマジックも、それはそれで楽しいが、本当のドキドキはらはら感はそこにない。若くして亡くなった初代・引田天功氏のようなスケールの大きなマジシャンはもう出て来ないのだろうか。ガンジスに消えたマジシャンが生還できるかは疑問だが、彼自身は「悲劇」に納得しているのではないだろうか。

「平成駆け込み婚」&「令和婚」と天王星アスペクト

2019-06-17

私は基本的に自分の宣伝めいたことを書くのはあまり好きではない。ただ今回は占星学の研究者には参考になるかもしれないので、一応記しておく。月に1回(厳密に言えば現在は2回分)ココロニという占いコンテンツ企業からの依頼で「恋占ニュース」という形でwebコラムを寄稿している。テーマは向こうから出してくるので、それに合わせて寄稿する形だ。今月分は18日・19日に掲載されるが「令和婚」がテーマだった。そこで早速、実際に調査してみると、今回の或る種“ブーム的な結婚”が天王星の動きと関係が深いことがわかった。つまり、実際には今年3月以降に「平成駆け込み婚」をしたカップルも含めて、現在まで「令和元年婚」をした女性達の多くには共通性があるのだ。つまり、トランジット(進行中)の天王星と出生時における天王星の位置とが昨年12月~今年5月に120度、或いは150度を形成する女性達が圧倒的に多いのだ。もちろん、これは年齢的なものとも関係があって、大体1982年前後、或いは1989年前後に生れているケースが多い。したがって、年齢的には30歳前後、或いは37歳前後ということになる。心理的に考えれば、37歳前後であれば「令和」が来る前に結婚したいという気分が働きやすいし、30歳前後(1989年生まれ)の場合、元号で言うと「平成元年生れ」となるので、結婚も新しい「令和元年婚」にしたいという意識が働きやすい。そういう心理的なものも加わって、占星学的データが出て来たといえるかもしれない。けれども占星学的な解釈からすれば、トランジットの天王星と出生時の天王星とがアスペクトするときには人生上の変化が生じやすいし、本人の中でも「新たなる世界」「未知なる領域」に挑む状況が生活の中で生まれやすい。それに対して120度アスペクトの場合は周囲も協力的であり、150度アスペクトの場合は予期せぬ形からのスタートとなる。したがって、120度の場合は順調な結婚となり、150度の場合は“急きょ結婚する運び”となるケースが多い。したがって今年入籍した女性の中には、“ブームにあおられるような形”で結婚してしまった人がいるのかもしれない。もう一つ、天王星の動きで興味深いのは丁度「平成」から「令和」に切り替わる直前に、占星学的には「おひつじ座」から「おうし座」へと移動していることだ。そして、この天王星の“星座移動”は「昭和」から「平成」の元号の切り替え時にも起こった。つまり、1988年の年末に「いて座」から「やぎ座」へと移っているのだ。つまり、日本という国は“天王星の動き”と深く関わっている国だということだ。そういう意味では、今年3月~4月にかけて起こった出来事が「令和時代」を象徴する出来事になっていくのかもしれない。

「警察で預かる」と詐欺した巡査長

2019-06-16

職業的にみて「絶対にやってはいけないこと」というのがある。例えば、警察官が特殊詐欺に遭いそうになった人のお宅に出向いて行って“詐欺をする”なんて、これはどう考えたって救いようがない。親切そうだった現職の警察官が、実は“詐欺でした”って、あまりにひどすぎてドラマにも出来ない。「そんな警察官はイヤだ」って言われても、なんだか笑えない。そういう話は海外の話と相場が決まっていた。いつから我が国は、こんな哀しい国になっちゃったんだろう。昨日、京都府警は山科署の現職巡査長・高橋龍嗣(38歳)を詐欺の容疑で逮捕した。2018年11月8日と15日の2回にわたって、同じ78歳の男性から500万と680万を詐欺して連絡を絶ち、その高齢者から警察に相談があって判明した事件だ。最初の日は、実際には巡査部長と共に、高齢者宅を訪れ、巡査部長が席を外したすきに、自宅内にあった500万円を「特殊詐欺にあったらいけないので、お金を預かる」ということで受け取っている。考えてみれば、これほど大胆な犯行はない。どうして、そういう流れになったのかというと、その日、その男性は危うく“特殊詐欺”に遭いそうになった。自ら金融機関に出向いて、680万円のお金を引き出そうとした。何となく不審なものを感じた担当者が警察に連絡を入れ、警察官が出向いて説得し、引っ掛からずに済んだのだ。その日のうちに、今後の対応と正式調書を採るため巡査部長と巡査長である高橋龍嗣とが、その男性宅へと向かった。そのお宅訪問時に容疑者は詐欺を働いたのである。送金に“待った”をかけた警察官が、まさか自宅まで来て“詐欺を働く”とは高齢者でなくても考えない。だから男性は巡査長に言われるまま500万円を差し出した。おそらく何の迷いもなく差し出したのだろう。その様子から容疑者は、もう一度やってみよう、と思ったに違いない。ただ、ここで重要なのは、もう一度やったから発覚したのだが、もし最初の時だけで止めておけば、容疑者が「高齢男性の妄想じゃないですか」と言い逃れることが出来た可能性がある。何の証拠品も残ってはいなかったからだ。ところが、もう一度やっても成功しそうな気がした容疑者は、今度は前日に金融機関へと電話を入れたのだ。「先日の男性がどうしてもお金をおろしたいといっているので680万円の出金手続きを進めて欲しい」金融機関の方ではおかしな指示だなとは思ったが、現職警察官からの指示なので、指示通り出金の用意をした。こうして2回目も詐欺に成功したのだ。ただ、この金融機関への“おかしな指示”が決定的な証拠となった。容疑者は高齢者を騙しただけではなく、金融機関をも騙したのだ。そういう意味では“プロの詐欺師”と何ら変わらない。初回だけなら、単なる“出来心”という言い訳も成り立つが、2回目は現職警察官という立場を利用して双方を騙したという点で、もはや救いようがないのだ。

購買率95%男性「お嬢様聖水」は“美容飲料”⁉

2019-06-15

最近は“ネーミング”ひとつで同じ商品でも売れたり、売れなかったりする。今、密かに話題となっているのは「お嬢様聖水」だ。別に“成人向け”なわけではない。けれども、一般のコンビニなどではまだあまり置かれていないようだ。現在はキャバクラとかガールズバーとか、そういうところからの需要が多いそうである。う~ん、なるほど。最近は「お嬢様聖水サワー」も発売しているらしい。何しろ、購買層は圧倒的に男性で、男性の購買率が95%なのだ。ここが面白いところで、男性100%ではない。けれども、元々このドリンクは“女性向け”に発売された。なぜなら、女性の美と健康に有効な植物由来の酵素をを含んでいる。細長い指で「お嬢様聖水」と大きく記された缶を開け、大きく足を組んで、優雅に口に流し込む女性。或いは逆に、目の前に缶を突き出されて、頬を染め、いやいやながら命令されたまま口に流し込む女性。そのどちらもが“絵”になる。発売元は、どういう意図で売り出したのか、今一つ判然としないが、ともかく2015年4月1日に売り出して以降、人目を気にしながら男性だけが購入していく商品となった。いや、人目を気にする男性達だけではない。何んと鈴鹿市のプロサッカークラブ「鈴鹿アンリミテッドFC」では自分たちのユニホームの目立つところに「お嬢様聖水」と記しているではないか。よく選手たちが嫌がらなかったものだ。それもそのはず、この飲料水の発売元は彼らのスポンサー企業なのだ。つまり選手たちは「僕らは、いつでも、お嬢様聖水を呑んでいるから元気なんだ」とでも言いたげである。実際、この発売元企業に、スポンサー企業となってくれるよう依頼してきたのは、このクラブの社長・山岡竜二氏だった。彼自身が「お嬢様聖水をアピールしたい」と猛アタックしたのだ。それにしても、女性向けの美容飲料が圧倒的に男性達から支持され、しかも、その理由が本当のところは判然としていない。まさか「キレイになりたい」から飲んでいるわけでもあるまい。そうすると、もし一般のコンビニなどにも置くようになれば、或いは居酒屋とか、レストランとかでも置くようになれば、意外と“大ヒット商品”になる可能性があるのではないのか。そうして、それに目を付けて、自分自身の「お嬢様聖水を売って‼」と希望する女性たちが続々と出て来て、製造元も急きょ「ホンモノ・お嬢様聖水」を販売し出す…というようなことには多分ならない。

お手本とすべき「ぱみゅぱみゅ」の言葉

2019-06-14

人間には元々“偏見”の強い人と、少ない人とがいる。口では「平等」などと言いながらも、その言動を見ると、とても平等な見方を持っているとは思えない著名人も多い。昨日、私が感心したのは歌手きゃりーぱみゅぱみゅの“批判”への対応である。まず十代でデビューした彼女も、もう26歳になっていたことを改めて気付かされた。だから、大人としての発言をするのも当然なのだが、その対応は見事の一言に尽きる。彼女は12日SNS上で人生で初めて「ホストクラブ」に行ってきたことを“動画”と共に載せたのだ。それに対して、多くのファンから“批判”や“心配”の声が寄せられていた。それらに対して彼女は《私は銀座のクラブもキャバクラもガールズバーもホストクラブも2丁目スナックも偏見なくどこでも行くよ。どこの世界でも№1になるような人は魅力的だし、学べることがあって楽しいのだ》と返している。芸能人女性でも、ホストクラブにはまって大金を貢いでしまったり、自分を見失って軌道を外れていった人は多い。けれども、彼女がこのような意識の元で店を訪れている限り、心配無用というものだ。大体、世にいう“成功者”が崩れていく時は、男性は女性かギャンブルに溺れるケースが多く、女性は何かへの依存症かオトコに溺れていくケースが多い。もともと人間は弱いもので、ちょっとしたきっかけで“奈落の底”へと引き摺り込まれてしまう。まさか、あの人が…と思うような人が、思わぬ事件の主役として登場することもある。そうかと思うと、多少のスランプはあっても、いつまでも変わらぬ笑顔や若さを維持し続けて、王道を駆け抜けていく人もいる。それを定めるのは「運命」と思っている人が多いけれども、最終的には本人の意志と理性、もっとわかりやすく言えば「性格」なのだ。窮地に陥ることは誰でもある。長い人生には、誰でも「もうダメか」と思うようなときがある。或いは立て続けに不運としか言いようのない「凶事」が重なることもある。そういう時、どう人生を立て直すか、窮地の中で突破口を見出すかは、本人の性格に掛かっている。もちろん、私は運命家であるから、運命的な観点から“現状の分析”“吉兆の把握”“時期の選定”“方向性の指示”等を行うことは出来る。けれども最終的には、本人がどう感じ、どう決断し、どう動き出すかなのだ。その基は性格である。そういう点で、きゃりーぱみゅぱみゅの《偏見なくどこでも行くよ》《学べることがあって楽しい》という姿勢は、この人が決して“道を踏み外すことのない人生”を歩んでいくことを見事に表している。

“過去は幻”として選択した「ビートたけし」

2019-06-13

私が「こいつはスゴイ‼」と驚いたのは、まだ世間的には「ビートたけし」の名が浸透していない頃であった。何気なく見た番組で吉田拓郎氏がゲストとして呼んだのがTVに出始めたばかりのビートたけし氏であった。それは完全にTVの枠を超えていて、吉田拓郎氏が笑い転げていたのを覚えている。実際、TVとか番組とかいうことを完全に無視してボケまくる彼を私も素晴らしいと思った。それまでにはいない“笑いのツボ”を押さえている。台本もないのにテンポが速く、ナチュラルな笑いにもっていく。彼以降もいろいろな“お笑い芸人”が世に出たが、あの当時の「ビートたけし」ほどの“瞬間芸”には達していない。ただ彼が“活きていた”のは、交通事故に遭うまでであって、それ以降の「ビートたけし」には“笑いの神様”が抜け落ちてしまっていた。ハッキリ言うと、もはや“普通の人”以外の何物でもなかった。そういう彼にTV業界が縋りついてきたことは“過去に縋りついている”以外の何物でもなかった。おそらく、そんなことは彼自身も気付いていて、だからこそ「映画」制作に夢中になったに違いない。そうすることで「自分は死んでいない」ということを世に訴えたかったのだ。実際、そのお陰で彼は海外で評価されることになる。映画監督「北野武」として“生まれ変わった”のだ。女性関係もころころ変わった。1980年に幹子夫人と結婚したが、相性が良くなかったのか、一緒に暮らした期間は短かったようだ。広く知られているのはグラビアアイドルとして活躍した細川ふみえ氏との関係だ。交通事故で二人の関係が壊れて、細川ふみえ氏の運命も変わった。すぐに芸能界を辞めてしまえば、幸せな結婚が出来た可能性もある。2014年に週刊誌がスクープしたのは全然別の女性、新たな愛人ともいうべきビジネスウーマンだった。週刊誌の見出しには「100億円の愛人」の文字が躍った。それからすぐに「T.Nゴン」という奇妙な名前の新事務所を立ち上げる。そして2018年には自分が設立した「オフィス北野」からも撤退する。さらに今年5月、これまでの全財産を放棄することで正式に幹子夫人との離婚も成立したらしい。人によって、ビートたけし=北野武氏の“生き方”はさまざまに捉えられることだろう。長年連れ添った妻との“正式離婚”を望んだのは、先に亡くなった内田裕也&樹木希林夫妻とは真逆の生き方である。どちらが「正しい」とか「幸運」と一概には言えない。ただビートたけし氏は“過去の栄光”を捨てたかったのかもしれない。「過去は幻」として「今」を択んだのだ。

未来の「試算」など役立たないのに…

2019-06-12

老後30年で“2000万円が不足になる”という金融庁の試算が問題になっている。このところ将来とか未来に対してのさまざまな「予測・試算・データ」が色々な形で調査・公表されることが多い。大体、日本では、どれも将来的な予測で“明るい未来”を示すものはなく、そのほとんどは“不安な未来”にしかならない。それは、或る意味当然で“現在の日本”というものを土台として、データを紡ぎ出していくからである。ところが、個人でもそうなのだが、“現在”というものを土台にして未来の人生を論理的に推し量っていくと、だいだいは外れることになる。現在から1~2年先の出来事まではだいたい予測に近い現象が出て来ても、5~6年先、10年先、20年先…と未来に進むほど、距離が隔たっていけばいくほど、論理的な予測通りの世界とはかけ離れていく。それが人生であり、だからこそ人生は面白く、不思議なものなのだ。だから金融庁の試算など、どんなに頑張ったって役に立たない。元々そういう風に出来ているのだ。それが証拠に、すべて計画通りに「人生を歩んでいる」という人がいるなら、出て来てもらいたい。仮に、計画通りに人生を歩めるとしよう。そうすると人生は楽しいだろうか。丁度、脚本に書かれてあることを、そのまま演じていく“役者のような人生”となるわけだが、それで幸せを感じられるだろうか。おそらく、これほど“つまらない人生”はない。仮に、それが“素晴らしい人生”で、悩み事など何一つない将来だったとしても、それで満足だろうか。もし、あなたが“人生の脚本家”なら、少しぐらいは困らせるシーン、悩ませるシーンを付け加えようとするだろう。意地の悪い人なら、一度“どん底”に落としてから、這い上がって来る人生を描こうとするに違いない。そうでないと何か“ちっぽけな人生”に思えるからだ。俗にいう「波乱万丈な人生」とまでは行かなくても、少しくらいは「起伏のある人生」にならないと、ドラマとしても面白くない。そのせいかどうか知らないが、なかなか“希望が達成されない”とか、“苦悩から脱出できない”という人々もいる。けれども、自分をドラマの主人公だと思えば、それはそれで“頑張っている自分”で面白い人生と言えるのではないだろうか。だから、人生にあまり「試算」など行ってはならない。特に「論理的な試算」や「経済的な試算」など止めた方が良い。解からない中で“のほほん”と生きていく。或いは逆に“懸命”に生きていく。時には“格闘”しながら生きていく。“無我夢中”で生きていく。そうやって自分なりの“生き方”で人生を乗りきっていく方が、はるかに“幸せな生き方”であると私は思う。しょっちゅう、預金通帳と“にらめっこ”している人がいるが、そういう人が建てた目標額は大体が達成されない。予定通りなら達成されるはずなのに、達成できないのだ。「運命の女神」は、いつも優しく微笑みながら、あなたの“生き方”を見つめている。

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