8月, 2019年

44年前の「UFO誘拐事件」再掲載の謎

2019-08-18

昨日「文春オンライン」は、なぜか44年前に起きた“UFO事件”の詳細を載せた。なぜ載せたのか。一応の理由としては《夏に読みたい「怖い話」》ということになっている。だが、私には何となく釈然としない。もし、本当に《夏に読みたい「怖い話」》ということで載せるのなら、もっと適切な話がいくらでもありそうだからである。確かにUFOに“誘拐された”という話は怖いが、近年のUFO目撃報道は極めて乏しい。特に日本ではここ数年、UFOに関するまともな報道はほとんどなく、現実と乖離している。したがって44年前に起きたアメリカの事件の詳細を再掲載されても特別な恐怖感は生まれそうにない。しかも、それを「東京スポーツ」のような紙面が扱うなら、それなりに理解できるのだが、どこにもすっぱ抜かれていない事件やスキャンダルを扱って来た「文春」が扱ったことに、何かしら違和感を覚えるのだ。ここ2~3年「文春」はさまざまなスクープで世間をあっと言わせてきた。最近少し“大人しい報道”が多くなった気もするが、それでも圧倒的な取材力でマスコミをリードしてきたことは疑いようがない。そんな「文春」が、なぜ44年前の事件の詳細を“再掲載”したのか。もはや「UFO」は“新しい話題”というより“懐かしい話題”なのに…。もし、これが「大スクープ」の“前振り”だったら、どうだろう。本当は日本人の“UFO誘拐事件”が起こっていて、その本人とか、側近者からの“情報提供”があって、けれどもまだ調査中のところがあって、或いは社内的に掲載すべきかどうか審議中のところがあって、それでとりあえず“昔の事件”を流して、世間からの反応を見て、その事件を詳細に公開すべきかどうか結論する、というのはどうだろう。44年前にアメリカで起きた事件の概要は、7人の森林作業員が仕事を終わって車に乗り込み、街に戻る途中でUFOに遭遇。助手席に乗っていたトラヴィス・ウォルトン氏のみが車外に飛び出し、UFOからの光線を受け、他の人達が車で急発進してその場から逃げ、静かになって戻ってみるとウォルトン氏は居なくなっていた…という事件だ。そして必死の捜索にも拘らず消息不明となっていたが、6日後に衰弱死きった姿で発見された。彼の証言を信じるなら、UFOに誘拐され宇宙人と6日間過ごしたということになる。ただ彼自身は“2時間ぐらいの出来事”としてしか記憶していない。彼によれば、宇宙人は髪の毛や眉毛がなく、指の爪もなかった。放射線を浴びた形跡があり、6キロも体重が減っていた。もっとも一部には、彼の証言が麻薬LSDの“幻覚症状”と共通した部分があるということで、デタラメだと決めつける見方もあった。あの頃、世界では頻繁にUFOの目撃事件が起こっていた。当時のアメリカでは約半数51%がUFOの実在を信じるという調査報告もあった。はたして「文春」が扱うような“UFO誘拐事件”は存在したのか、それとも“心霊事件”より“UFO事件”の方が“暑さ対策”に役立つと勘違いしただけなのか。

「共感」という評価で“トップ3”入り

2019-08-17

芸能・芸術の世界では時々、本人も予想しなかったような“奇跡”が起きることがある。「機動戦士ガンダム40周年のメモリアルに、こんな奇跡が起こるなんて!」と驚きと喜びを隠せないのが歌手・森口博子氏である。何しろ、オリコンの週間アルバムランキングで彼女の「GUNDAM SONG COVERS」が“自己最高の3位”となって、28年ぶりの“トップ10”入りを果たしたのだ。これは女性アーティストのインターバル記録も大きく更新したらしい。或る程度の年齢の人であれば「森口博子」の名前は知っている。けれども、それは“歌手”としてよりも、どちらかと言えば“タレント”や“バラドル”としてであって、歌手であることは知っていても何を歌った歌手なのか…という点になると答えに窮する。実はこの人、最初からガンダムを歌っていたのだ。1985年17歳でデビューしているが、そのデビュー曲がガンダムの後期オープニングテーマ曲「水の星へ愛をこめて」だった。そして、この曲はオリコン16位まで行った。ところが、その後はヒットに恵まれなかった。私の記憶でも、歌唱力はそこそこあるのだが、個性というかインパクトが乏しく、歌手として大ヒットは難しい印象を受けた。けれども“バラドル”としてあちこちの番組に出ていたので、そういう意味ではタレントとしての存在感は失われていなかった。そして、もう一つ、この人はデビュー以来、あまり“見た目”も“性質”も“雰囲気”も変わらない。そういう意味では「森口博子」は多くの人達に“同じ印象”で記憶にとどめた。この同じ印象で記憶にとどめたことが、今回の快挙につながったのだと私は思う。つまり、今回のアルバムは「誰が買ったのか」ということである。もちろん、一番の購入者は残念ながら“彼女のファン”ではなくて、“ガンダムのファン”だと私は思うのだ。けれども、それはそのまま“彼女の応援者”でもある。なぜなら彼女こそガンダムの後期オープニングテーマ曲を歌ってデビューした歌手であり、GUNDAM=森口博子という形で記憶に残されているからだ。しかも、そのファン層は徐々にすそ野を広げている。さらに彼女の元々のファンたちがいる。この人のファンには男性より女性の方が若干多いような気がする。そして、同年代だと大体50歳前後に達していて、その子供の成長期に一緒にガンダムを見て、一緒にガンダムのテーマ曲を聴いていた人たちだ。多分、熱狂的にアイドルとして応援するというよりも“同じ時代を生きた歌手”として「共感」のエールを送ってくれる人たちなのだ。この「共感」という評価は、こういう“物語のテーマ曲”というのが一番得られやすい。或る種の“一体感”を物語そのものが演出してくれる。「エヴァンゲリオン」などでもそうだが、テーマ曲と物語が繋がっている場合、黙っていても歌はヒットする。そして、人々はそれを聴きながら“わが青春”に戻れるのだ。

王女様は公務より「シャーマン」がお好き⁉

2019-08-16

日本の場合は「天皇」は「王」とは微妙に異なるので、その娘が「王女」と呼ばれることはない。ただ実質的には「王」及び「王女」扱いを受けていることは事実だ。さて、ノルウェー王室では現在ちょっとした問題が持ち上がっている。王女・マッタ・ルイーセ氏(47歳)が「王女」の肩書を返上したいといっているのだ。今後は一応これまでやってきた公務は行うが、それ以外の時間は「一私人」として活動したい、ということらしい。どうしてそういうことになったのかというと、国民から猛バッシングを受けたからだ。実は最近、王女は「シャーマン(呪術師・霊媒師)」を名乗る男性デュレク・ヴェレット氏と仲が良く、彼と一緒で「王女とシャーマン」ツアーを有料で企画・募集したのだ。ところが、これは明らかに「王室」の商業利用にあたるということで、国民が猛反発、彼女自身の謝罪へと発展した。多分、彼女はあまりのバッシングに一応謝罪はしたのだが、納得してはいなかったようだ。そのすぐ後で“「王女」の肩書返上”を言い出したからだ。ただ、ここは難しいところで“王室の公務”というのは「王女」だから成り立つわけで、もし「王女ではない」ということになったなら、事実上、公務は出来ない。だから彼女がいくら「それ以外の時は私人ルイーセ」と言っても、それを国民が受け入れるかは微妙としか言いようがない。要するに彼女は“スピリチュアル”に目覚めてしまっていて、どうやら後戻りできない状態にあるらしい。ここで登場する「シャーマン」とは一緒に動画にも出ていて“恋人同士”といった感じだが、“王女”ではあっても“一人の女”と訴えたいのかもしれない。ちなみに彼女は長女で30歳の時に人気作家と結婚し3人の子供をもうけたが2016年に離婚している。一般的に言えば「シングルマザー」だが、王室なので経済的な問題はない。「公務」は仕事だが、好きでやっている仕事ではない。彼女自身は「スピリチュアル」に目覚めたのだ。私の観るところ、どうバッシングされようが彼女は「シャーマン」との“社会活動(?)”を辞めないだろう。彼女は、そこに“生きがい”を見出したのだ。「王女」では見出せなかった“生きている証”を見出してしまったのだ。それに「愛」もある。どんなに「怪しい」とさげすまれようと、王女らしく、堂々とスピリチュアルを発信していく。

“終戦記念日”に産まれた「三太郎」

2019-08-15

正確にいうと順序が逆で“終戦記念日”に「三太郎」が産まれたのではなく、我父親である「三太郎」が産まれた日がやがて“終戦記念日”となった、ということである。明治38年の生れであるから、もし生きていれば114歳になるはずだが既に72歳で亡くなっている。今となっては亡くなる前年に、父親が好きだったプロレスの観戦チケットを得て、連れて行ったことが最後のというか唯一かも知れない親孝行となった。リング上で大仁田厚選手がジャイアント馬場氏から「参戦することになった」と紹介があったが、身長があまりに違いすぎて「子供のようなレスラーだな」と思ったのが印象に残っている。だから、後にあれほど活躍するとは思いもしなかった。プロレスを観戦した後で、一緒に寿司屋に入った。多分、二人だけで飲食をしたのは初めてだったと思う。私は幼い頃から、父親と一緒に食事するのは好きではなかった。なぜなら父親が必ず、他人の悪口を言うからだ。そうして母親などがそれに同調しないと、母親にまで当たり散らす。今考えても、あまり“好い性質”とは言えなかった。だから、こういう大人にだけはなりたくない、といつも思った。寿司屋に入った日も、相変わらず、父親は職場の悪口などを言っていた。けれども、大人になったことで、私はそれを聴いてあげられるだけの度量が生まれていた。ただ、父親の背後に何となく“暗蒙の気”が漂っているのを見逃さなかった。「それなら、もう仕事は辞めても良いんじゃない」私は、暗に、仕事を継続するのは良くないと告げたのだった。けれども父親は、その言葉に反応しなかった。それでも私がプロレス観戦やすし屋に連れて行ったことで上機嫌だった。それから数カ月たって、正月、久しぶりに兄貴の家を訪れた。父親の居る襖を開けた瞬間、私は“一寸法師”のように小さくなった父親の背中を見た。「あっ…」と小さく声を上げると同時に、父親は“普通通り”のサイズに戻った。私は“不吉”な胸騒ぎがして、帰り際、兄貴に対して父親をもう職場に出さない方が良いと警告した。けれども兄貴は「いや、仕事があるから元気でいられるのさ」と取り合わなかった。それから十日ほどして父親のがんが発覚した。もう末期で手術は不可能だった。こうして、その後あっという間に亡くなってしまった。「三太郎」という名を、本人はとても嫌がっていた。この名前のせいで人生が上手く行かなかった、と言ったりもした。そのくせ私が自分の名前を改名して“表札”を掲げると、それには文句を言った。私が「占い師」になることも最後まで反対した。父親の祖父が占いに凝って財産が失われたと教えられて育ったからだった。

“AⅠ”は、なぜ「未来予測」が苦手なのか

2019-08-14

近年、遠くない将来には「AI」が人々の日常を手助けするようになる、と言われてきた。既に多くの分野で、その予兆はある。実際ここ十年ほどの間にも様々な分野に「AI」は進出してきた。ところが、どうもいま一つ、その成果を挙げられていない分野もある。その一つが「投資・相場」の分野だ。こういう世界こそ、AIの独壇場ではないかと思うのだが、実際にはそうでもないらしい。AIを使った国内販売の「アクティブ投信」15本のうち、6月末時点で一年以上を経過している“投信10本”を対象として、ここ一年間の基準価格の騰落率を調べたところ、何とすべての投信がマイナスの成績だったというのだ。ちょっと信じがたい結果である。「囲碁」とか「将棋」とかの勝負では次々と勝利を収めて来たAIだが、“お金”の勝負にはからきし弱かったのだ。もっとも“相場のプロ”であるアナリストたちの予想も、外れるケースの方が圧倒的に多いから、そういう点では“互角”ともいえるが、何となく釈然としない。AIの場合、膨大なデータを読み取り、多面的に分析して、銘柄を抽出する。本来であれば、アナリストよりもはるかに“好成績”を挙げていなければならないような気がするのだが…。けれども、よくよく考えれば、不思議でも何でもない。「相場」は“生き物”なのだ。AIが分析しているのはあくまでも“過去もデータ”にすぎない。そこには百年以上、前のデータも含まれる。時代は刻々と変わり、人や企業や社会の形態も大きく変わっている。昔のデータがそのまま“未来を映し出す鏡”とは必ずしも言えない。昔から相場というのは“美人投票”に似ているといわれる。「美」の基準というのは、有って無いようなものである。最終的には個々の“好み”に行き着く。だから、必ずしも企業業績が優秀だから買われているとは限らない。毎年、大赤字の企業でも、将来的に“大儲けするはず”と信じる人が多ければ、その企業の株価は上昇していくのだ。つまり、投資家はその企業の「未来」を買っていることになる。そういう“データにはない心理”というものが株価には反映されている。したがって「AI」にそういう“投資家の心理”を読めというのは酷なのかもしれない。そして、ここからが重要なのだが、実は「人間の運命」にも同じような部分があって、必ずしも“先天的な素質”に恵まれているから“成功する”とは限らないのだ。人は、微妙な心理から“人を応援”したりするからだ。最終的に「運命」とは、そういうさまざまな応援とか謀略とかも含めて描き出されていくものだからである。

“見えない敵”を持ったマツコ氏の孤立

2019-08-13

世の中には“大衆の一割”から愛され支持される人と“大衆の七割”から愛され支持される人とがいる。本来「マツコ・デラックス」という人は前者のタイプだったはずだ。少なくてもテレビに出始めた時、誰もがそう思ったし、本人もそう思っていたはずだ。ところが、世の中は“ユニークな毒舌家”を待っていた。マツコ氏の発言は的を得ていて面白かった。それに、その風貌が何とも奇妙だった。「女装家」を名乗ったが、女装とは相いれないような巨漢の大男だった。あっという間にその名は“お茶の間”に浸透していった。実は“巨漢の大男”であったことが、女装家である彼にはプラスに働いた。女性から“敵対視”されずに済むからである。女性達は“女よりも美しい”女装家を好まない。明らかに自分たちが“優位に立てる女装家”を好む傾向がある。そういう点でマツコ氏は誰よりも“優位”に立っていた。その後も続々と女装家は登場したが、マツコ氏のような博識で“鋭い観察眼”を持つ女装家は出て来なかった。こうして、いつの間にかマツコ氏はたくさんのレギュラー番組を抱える超多忙な“売れっ子タレント”となった。本来は“大衆の一割”から愛されるべきタレントが“大衆の七割”から愛され始めていた。ここに問題があった。本来“大衆の一割”から愛されるべきタレントは、“大衆の七割”から愛されるような形になってはいけないのだ。そうなると、必ず「敵」が出てくる。“一割”であれば、どんなことを言おうが、どんなことを行おうが誰も何も言わない。けれども“七割”に変ってしまうと、そうはいかなくなってくる。その発言が、社会的影響力の大きいことを誰もが認識し出すからだ。だからタレントが“好き勝手なこと”を言い続けるためには“超売れっ子”になってはいけないのである。最近、マツコ氏は“二手”のところに「敵」を持った。その一つは元SMAPのメンバーと「共演したくない」発言であり、もう一つは「N国」議員に対して「気持ち悪い」発言をしたことである。その両方共に、かなり熱狂的ともいえる支持者を抱えている。実はマツコ氏の発言は、これまでの彼の発言とそんなに大きく変わるものではなく、世の中の多くの人達は“似たような意識”を持っている可能性がある。だから、本当はそんなに叩かれるような発言ではない。けれども彼らは“熱狂的な支持者”を抱えていることを忘れてはならない。これまで、どちらかと言えば“弱者”に味方する発言の多かった人は、そうでない発言をすると必ず叩かれる。特に「女装者」である彼は「気持ち悪い」などと表現してはいけないのだ。それは、そのまま“自分に還って来る”言葉だからである。あまりにもたくさんの番組に出過ぎて、その発言の影響力が大きくなり過ぎたことが、今後のマツコ氏の孤立を深めそうだ。

“数字”や“データ”で「幸福」は計れない

2019-08-12

あれは何年前だったのだろう。「幸せの国ブータン」という“ふれこみ”が誰の耳にも妙に記憶に残った。ところが、そのブータンで、現在、若者たちを中心に“自動車ブーム”が起こっていて、20年前に比べて車の数が5倍以上に増えたそうだ。その結果、街は交通渋滞に陥り、恵まれていた自然環境が徐々に破壊されつつあるのだという。地方から都会に出て来る若者が一挙に増えたことで失業率が高まり、ブームが去って観光客も減少しつつある。「国内総生産(GDP)」よりも「国民総幸福量(GNH)」を重視していたはずのブータンだが、国連発表の「世界幸福度報告書」では156ヵ国中の95位と低迷している。国連発表だから信頼できるのかというと、それは大いに疑問で北欧の国々が上位を独占している。だから国連の「幸福度」の基準も首を傾げる部分はあるが、それでも「国民総幸福量」を重視していた国が、世界基準で95位なのは何んともむなしい。実は昨日、興味深い報告が一部で報道された。それは「幸福度日本一」を“売り”にしている福井県からの報告である。今年に入って1月~7月までの万引きの届け出件数が前年同期比70%も増加している署が出て来たというのだ。福井全体でも314件で明らかに増加している。しかも、高齢者による万引きが増えているという。福井県というのは「学力日本一」「体力日本一」「共働き率日本一」で“三世代同居”の多い地域としても知られている。密な地域コミュニティーを活かして、それぞれが助け合って暮らしている地域だというのだ。ところが、そうではないという反論の声も出ている。「女性が一生懸命働いて家計を支え、家のことまでするのが当たり前の地域」と嘆く女性もいる。「女性にとっては不幸度日本一の県」と公言する人までいる。さらに「助け合いは息苦しさに繋がり、隠れてやりたいことも出来ない」近所づきあいなど苦手な人はつまはじきにされる。「結婚はまだか、子供はまだか」と会うごとに言われ続ける。個々の違いを“理解する”という文化が抜けている、というのだ。こうしてみてくると「幸福」というものの基準が、それぞれに違っていて、それは“数字”や“データ”では計れず、「青い鳥」の話ではないが、本当の「幸せの国」も「幸せな街」も、それを追いかけて捕まえられるようなものではないことを教えてくれている。

「熱さまシート」の“体内版”があれば…

2019-08-11

冬場の寒い時期のイベントとか戸外作業には「使い捨てカイロ」というものが大変に役立つ。パッと見だと解らないという点でも“優れもの”である。同じような観点から。夏場の暑い時期に戸外で活用できるものはないものだろうか。そこで誰もが思いつくのは「熱さまシート」である。あれは発熱した時に大変役立つ。暑くて頭がぼーっとするようなときにも、ひんやりとして快適な気分になる。ただ欠点は目立つことである。人前に出るようなときには、とても使えない。その点で「使い捨てカイロ」とは大きな違いがあるのだ。けれども、その点さえ改良できれば、猛暑の時期にさまざまな形で役立つのではないだろうか。私が思うに「熱さまシート」外れやすい。静かに横たわっているとか、ソファーに座って動かないとか、そういう時であれば良いが、戸外で動き回るようなことは不可能である。何よりも目立ちすぎる。ただ額ではなく服装の中で貼っている分には目立たない。一番良いのは多分、背中の下「仙骨」と呼ばれる辺りだ。この部分が「使い捨てカイロ」でも一番効果的らしい。仙骨には全身の血流を調節する機能があるらしいのだ。だから「(体内用)熱さまシート」もここに貼るようにするのが良いだろう。問題は今のままではすぐにハガレテしまうか、ズレてしまうかする。そこでもう少し大きくして“腰ベルト”のように巻き付け型にして、装着する形であれば、一日中ズレる心配もない。丁度包帯を腰に巻き、その仙骨部分だけが「熱さまシート」になるようなものを開発すれば良いのだ。そうすれば戸外で仕事をする人たちとか、制服着用が義務付けられている人たちとか、戸外におけるイベント時とか、さまざまな形で需要が出て来ることだろう。もしかしたら“熱中症対策”としても一番確実で効果的な方法のような気もする。ただ一日中冷気を保てるか、という疑問もある。もしかすると、あっという間に“冷気”が失われてしまう可能性もある。とりあえず3時間おきに仙骨部分“シート”のみ交換する形で使えば、保てるような気もするが、その辺はよくわからない。そういう部分も含めて「(体内版)熱さまシート」の改良販売を望みたいのだが…。

警察官から「拳銃」を抜き取る母親⁉

2019-08-10

“どちらも必死”だったには違いない。けれども、だからといってやって良いことと悪いことがある。制止しようとしていた警察官の背後に回って、装着している拳銃を抜き取る行為はどう考えたって異常である。“普通の女”が行う行為ではない。したがって逮捕されたのは当然である。そういう女たちであるから、児童相談所の方も、子供を守ろうと必死だったに違いない。しかも、子供を取り返しに来たのは母親だけではなく、2人の子供達を含めた5人組だった。押し問答となり、児相の方はすぐ「子供の保護に納得しない関係者が来て暴れている」と警察に通報、駆け付けた茨城県警水戸署の警察官2人が双方の間に割って入ろうとしていた矢先であった。さいわい拳銃をすぐ取り戻せたから良かったものの、もし取り戻せなければ大変な事態になる可能性もあった。結局、日を改めて、取り返しに来ていた5人は“公務執行妨害”という形で昨日逮捕された。いくら「親」だといっても、状況によっては児童相談所で預かった子供を無理やり取り戻そうとする行為は“処罰の対象となる”という形を示したのだ。こういう事例を児童相談所と警察の“連携”によってつくることが出来たのは大変良いことだ。これまで何度か、似たような事例があっても結局「親」が取り戻すような形となるケースが多かった。その結果、その後の連絡が絶たれて、最終的に亡くなってしまった子供達もいる。もはや児童相談所は自主的に“子供を保護する”役目が求められている。ただ「親」の中には“危険な連中”もいる。だから児相の職員だけでは、奪い返しに来たような親たちを簡単には説得しきれない。どうしても警察との連携が必要なのだ。本当は最初から、児相対応の警察官を配置し、常日頃から細かく連絡を取り合う形を全国的に制度化した方が良い。警察官から拳銃を奪おうとするような母親は、自宅に戻ったら何をするかわからないではないか。妊娠・出産・子育てだけは、AIやロボットに任せきりには出来ない。スマホ世代は元々“人間としての対応”が苦手な中で大人になった人達が多い。急に泣き出す子供に対して、どう対応して良いかわからないのだ。わからないから、殴ってでも黙らせようとする。そうすると、もっと泣き出す。やがて、そういう子供から“逃げ出してしまう”のが、スマホ世代の母親なのだ。産まれてきたときには愛情をたっぷり注げても、徐々に面倒になり、徐々に怖くなって“逃げ出してしまう”母親たち。成長していく「子供」の“問いかける眼”が怖いからだ。

「微妙日本人」が「日本の顔」になる⁉

2019-08-09

実は私は、この問題を2018年3月14日の時点で“提起”していた。けれども、その時点ではまだ「大坂なおみ」の名は日本人のほとんどが知らず、一部のスポーツ紙のみが取り上げていた程度だった。けれども、あっという間に「大坂なおみ」はテニス界のスターとなった。テニス界のスターとなっただけでなく、日本のお茶の間では「日本人」ということでもてはやされた。もっとも、現在でもそうなのだが、彼女は「日本人」でもあり「アメリカ人」でもある。たどたどしい日本語のことを言っているのではない。実際に“二重国籍”なのだ。そうして22歳までに“どちらかの国籍”を選択しなければいけない。実は、多くの日本人ファンは彼女が“日本人選手”として東京オリンピックに出場してくれるものだと期待している。一説には彼女自身が日本選手団の「旗手をやりたい」と希望しているとまで報じている。実際に彼女がそういったかどうかは疑問だが、そうすれば確かに“世界的な注目”を浴びることは間違いがない。但し、その点はまだまだ流動的である。実は、彼女の国籍取得には“税金の話”が絡んでくる。日本とアメリカとでは“税金の比率”がまったく違うのだ。もし、日本国籍を取得することになった場合、何十億円もの税金を納めなければならなくなる。アメリカ合理主義的な考えの持ち主なら、アメリカに居住しているのにムダな税金まで納めて「日本」を選択するのは無意味なこととなる。逆に日本人的な血が濃くて“意気に感ずる”タイプなら、金額の問題ではないということになる。もちろん国家単位で考えた場合でも、日本にとって何十億という税金を支払ってくれる人物は貴重であり優遇しなければならない。もし彼女が望めば「旗手」となることを拒否することは出来ないだろう。確かに大坂なおみ選手は日本人なのだ。けれども、実際問題として「純粋な日本人」と言えるのかどうか微妙でもある。まず“外見的微妙さ”。オリンピックのような「国」同士の闘いで日本選手団の旗手を“国籍”を完全取得したばかりの人物が務めて良いのか、という問題。彼女の場合、日本語も正直“怪しい”。日本で育っていない。ところが彼女以外にも、今回の東京オリンピックでは“純日本人ではない”人達が多い。そういう人達が多数「日本人選手」として登場する。けれども、これは日本に限った問題でもない。近年、急速に各国で「ハーフ選手」「帰化選手」が増えており、国同士の競い合いという部分が微妙になっている。それなのに「国」同士の衝突は“激化”する一方で、オリンピックが掲げていた元々の精神は見事に失われつつある。

「年上女性」が“結婚”をリードする令和⁉

2019-08-08

世界に誇れる「令和美人」の二人が同じ日に“結婚”を公表した。その一人は元宝塚で女優の遼河はるひ氏であり、もう一人はフリーアナウンサーで動物愛護家でもある滝川クリステル氏である。そして、そのお相手は、遼河氏の方がプロサッカー選手・鈴木彩貴氏であり、滝川氏の方が将来の総理候補・小泉進次郎氏である。両カップル共、どのマスコミにも“気付かれることなく密かに”恋を育ててきた。滝川氏の方は妊娠もしていて、安定期に入ったことでの発表となった。両カップル共に女性の方が年上で高収入でもある。特に遼河氏の方は、11歳も年上で収入面でも圧倒的な開きがある。けれども、そういう部分を躊躇した形跡はない。元々宝塚時代“男役”だった遼河氏はリードする側としての心得があった。彼女のコメント「笑えるくらい真面目で純粋な彼」という表現に、愛情の全てが詰まっている。滝川氏の方は「お・も・て・な・し」で東京にオリンピックを引き寄せた原動力であり、“未来のファーストレディ”としての資質を十分に備えている。今や“トップ政治家の妻”は国際人としての素養が必要とされる時代になった。そういう意味では、機転が利き陰からも夫を支えられるし、動物愛護などを通じて表からも“国際交流”で存在感を発揮できる。これまで何度か“熱愛報道”があった滝川氏は、干支暦上では「辛卯」日の生れで、この干支は“愛のさすらい人”に多い。それなりの恋愛遍歴は当然かもしれないのだ。しかも生れ日の十二支と生れ月の十二支とが“支冲”関係で、35歳以前の結婚は離別を招く。実は小泉進次郎氏の方も生れ日の十二支と生れ月の十二支とは“支冲”関係なのだ。そういう意味では二人とも35歳を過ぎて“交際”へと発展したことが「結婚」まで辿り着いた秘訣かも知れない。但し、進次郎氏の方は太陽と金星とが0度一体化している。この惑星配置は愛情が強すぎて“他にも女性が出来やすい”生れなのだ。「鎧を脱いでも良い」女性はクリステル氏だけにした方が良い。“別れることに躊躇しない”のが「辛卯」日生れ女性の特徴だからだ。

「五輪相」と「自宅投げ売り」の運命

2019-08-07

二人の“元歌手”が、それぞれの人生で“新たなる岐路”に差し掛かっている。その一人とは“初入閣”が噂されている三原じゅん子議員であり、もう一人は“3億円で自宅売却”と噂されている株式会社・明後日社長の小泉今日子氏である。ともに「アイドル」からスタートした二人の人生だが、紆余曲折の中で一方は国会議員としてオジサマたちから引き立てられ、一方は“不倫宣言”したことでオバサマたちから反感を買い「社長」とは名ばかりの窮地にある。二人とも「人気運」に恵まれ社会人をスタートさせたが、どちらかと言えば三原じゅん子氏は男性達からの支持が多く、小泉今日子氏は女性達からの支持が多かった。けれども、両方共「結婚運」は“良い”とは言えなかった。そして今、三原氏は三度目の結婚をし、次期「五輪相」が確実とも噂される。つまり、大臣にまで登り詰めようとしているのだ。それに対して、小泉氏の方は一度目の結婚・離婚を経て、今は事実上の“再婚状態”にある。歌手としての活動は消えて、舞台女優にシフトし、さらに映画プロデューサーを目指しているようにも見える。映画製作には金が掛かる。そのために“3億円豪邸”を手放したとも言われる。観ようによっては、惚れた男のために“全財産を貢いでいる”ようにも見える。もちろん、これから映画が完成し、そして成功すれば、社長として莫大な金が入ってくる可能性もある。さらに、名誉や地位、或いは財産を得たから「幸せだ」とも一概には言い切れない。これまで、さまざまな賞を受賞し、エッセイストとしての賞まで受賞している小泉氏にとって、自らの名誉などより、惚れた男の才能を“世に知らしめたい”気持ちの方がはるかに大きいかもしれないからだ。仮に、それが上手く行かなかったとしても、自分の“生涯を捧げる男を得た”というだけで満足かもしれない。個々の人生は履歴だけで推し量れるものでもなく、結果だけで論じられるものでもない。それでも「アイドル」から出発した二人は、いつの間にか“大きく異なる戦場”に駆り出され、それぞれの戦場で闘っている。

誰にでも「ヤヌスの鏡」は存在している⁉

2019-08-06

34年前にドラマ化され、その主演女優の見事な“豹変ぶり”が話題となったのが「ヤヌスの鏡」だ。そのフジ黄金期のドラマが新たな女優・桜井日奈子氏を主演に“再ドラマ化”されるのだが、そのナレーションを34年前に主演を務めた杉浦幸氏が担当するという。元々このドラマは人気漫画をTVドラマ化したもので、古代ローマの神「ヤヌス」が物事の“内”と“外”とを同時に見ることが出来るというところにちなんで命名されている。内容的には優等生の少女が、厳しく育てられ、納戸の中に閉じ込められて、その中で鏡台を見つめている内に“不良少女に変身”してしまうというストーリーだ。誰にでもある「善良」と「邪悪」の内面を、或る種“二重の人格”として捉え、豹変していくところが多くの共感を誘った。「女優」という職業は、本来“自分ではない人物”を演ずる仕事だが、“優等生”と“不良少女”の両極端を一つのドラマの中で演じるのは、或る意味で“職業妙味に尽きる”役どころだとも言えよう。それを女優デビュー作として杉浦幸氏は与えられた。それを見事に演じ切って一気に注目度が上がったのだが、その後の作品に恵まれなかったのか、或いは最初のイメージが強すぎ他の役がかすんでしまうからなのか、その後、今一つ女優として開花していない。けれども、今回、再び“ナレーション”という形で戻って来たということは、いかに多くの人達のイメージとして「ヤヌスの鏡」が彼女に残っているかということでもある。このドラマは私自身の大昔にもつながる。私は会社員時代、日頃は大人しく優秀な社員であったが、時々、上司に対して仕事のことで激しく抗議したり、撤回要求を求めたりした。或る時、同僚社員たちが私のことを「ヤヌスの鏡のようですね」と噂しているのを聴いた。それを聴いた時、私は何故か、顔が赤らむような恥かしさを覚えた。けれども、確かに、周りから見れば、日頃は大人しい私が時として大声で上司を怒鳴っている姿は、そのような豹変ぶりにしか見えなかったのかもしれない。そういえばドラマ「牡丹と薔薇」でも、「ヤヌスの鏡」と同様なテーマを追求している部分があった。あのドラマも潜在意識に語り掛けてくる部分が多かったが、誰でも自分の中に「善良」と「邪悪」な人格が潜んでいることを知らしめてくれるドラマだった。多くの人達は自分自身の中に“そういう部分”があることを知っているので嫌でも引き寄せられ、不思議な共感を呼ぶのだ。

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