8月, 2019年

「五輪相」と「自宅投げ売り」の運命

2019-08-07

二人の“元歌手”が、それぞれの人生で“新たなる岐路”に差し掛かっている。その一人とは“初入閣”が噂されている三原じゅん子議員であり、もう一人は“3億円で自宅売却”と噂されている株式会社・明後日社長の小泉今日子氏である。ともに「アイドル」からスタートした二人の人生だが、紆余曲折の中で一方は国会議員としてオジサマたちから引き立てられ、一方は“不倫宣言”したことでオバサマたちから反感を買い「社長」とは名ばかりの窮地にある。二人とも「人気運」に恵まれ社会人をスタートさせたが、どちらかと言えば三原じゅん子氏は男性達からの支持が多く、小泉今日子氏は女性達からの支持が多かった。けれども、両方共「結婚運」は“良い”とは言えなかった。そして今、三原氏は三度目の結婚をし、次期「五輪相」が確実とも噂される。つまり、大臣にまで登り詰めようとしているのだ。それに対して、小泉氏の方は一度目の結婚・離婚を経て、今は事実上の“再婚状態”にある。歌手としての活動は消えて、舞台女優にシフトし、さらに映画プロデューサーを目指しているようにも見える。映画製作には金が掛かる。そのために“3億円豪邸”を手放したとも言われる。観ようによっては、惚れた男のために“全財産を貢いでいる”ようにも見える。もちろん、これから映画が完成し、そして成功すれば、社長として莫大な金が入ってくる可能性もある。さらに、名誉や地位、或いは財産を得たから「幸せだ」とも一概には言い切れない。これまで、さまざまな賞を受賞し、エッセイストとしての賞まで受賞している小泉氏にとって、自らの名誉などより、惚れた男の才能を“世に知らしめたい”気持ちの方がはるかに大きいかもしれないからだ。仮に、それが上手く行かなかったとしても、自分の“生涯を捧げる男を得た”というだけで満足かもしれない。個々の人生は履歴だけで推し量れるものでもなく、結果だけで論じられるものでもない。それでも「アイドル」から出発した二人は、いつの間にか“大きく異なる戦場”に駆り出され、それぞれの戦場で闘っている。

誰にでも「ヤヌスの鏡」は存在している⁉

2019-08-06

34年前にドラマ化され、その主演女優の見事な“豹変ぶり”が話題となったのが「ヤヌスの鏡」だ。そのフジ黄金期のドラマが新たな女優・桜井日奈子氏を主演に“再ドラマ化”されるのだが、そのナレーションを34年前に主演を務めた杉浦幸氏が担当するという。元々このドラマは人気漫画をTVドラマ化したもので、古代ローマの神「ヤヌス」が物事の“内”と“外”とを同時に見ることが出来るというところにちなんで命名されている。内容的には優等生の少女が、厳しく育てられ、納戸の中に閉じ込められて、その中で鏡台を見つめている内に“不良少女に変身”してしまうというストーリーだ。誰にでもある「善良」と「邪悪」の内面を、或る種“二重の人格”として捉え、豹変していくところが多くの共感を誘った。「女優」という職業は、本来“自分ではない人物”を演ずる仕事だが、“優等生”と“不良少女”の両極端を一つのドラマの中で演じるのは、或る意味で“職業妙味に尽きる”役どころだとも言えよう。それを女優デビュー作として杉浦幸氏は与えられた。それを見事に演じ切って一気に注目度が上がったのだが、その後の作品に恵まれなかったのか、或いは最初のイメージが強すぎ他の役がかすんでしまうからなのか、その後、今一つ女優として開花していない。けれども、今回、再び“ナレーション”という形で戻って来たということは、いかに多くの人達のイメージとして「ヤヌスの鏡」が彼女に残っているかということでもある。このドラマは私自身の大昔にもつながる。私は会社員時代、日頃は大人しく優秀な社員であったが、時々、上司に対して仕事のことで激しく抗議したり、撤回要求を求めたりした。或る時、同僚社員たちが私のことを「ヤヌスの鏡のようですね」と噂しているのを聴いた。それを聴いた時、私は何故か、顔が赤らむような恥かしさを覚えた。けれども、確かに、周りから見れば、日頃は大人しい私が時として大声で上司を怒鳴っている姿は、そのような豹変ぶりにしか見えなかったのかもしれない。そういえばドラマ「牡丹と薔薇」でも、「ヤヌスの鏡」と同様なテーマを追求している部分があった。あのドラマも潜在意識に語り掛けてくる部分が多かったが、誰でも自分の中に「善良」と「邪悪」な人格が潜んでいることを知らしめてくれるドラマだった。多くの人達は自分自身の中に“そういう部分”があることを知っているので嫌でも引き寄せられ、不思議な共感を呼ぶのだ。

「円高対策」“一刻を争う”時期に入った

2019-08-05

昨今は国際間でのさまざまなニュースが立て込んでいるので、あまり重要視されていないが、実はもっとも不安視すべきニュースが急速に「円高」が進んでいることだ。「円高」なんて庶民には関係ないなんて思うかもしれないが、そうではない。実は“日韓関係”がどうのとか、“日米関係”がどうのとかいうよりも、庶民生活の半年先、一年先を考える時、もっとも日本経済全体を大きく悩ましかねないのが「円高」問題なのだ。8月1日には1ドル=109円台まで下落していた円相場は翌日になって1ドル=106円台半ばまで急速に値上がりした。1日に3円も上昇するというのは世界の金融市場にとって“異常事態”なのだ。本来なら、即刻、日銀が動かなければならない。これがアメリカなら、真っ先に大統領自らが“けん制発言”をするだろう。ところが、日本では日銀も政府も「静観」している。この「静観」という言葉、どこかで使われなかったか。そう吉本興業の社内で「とりあえず静観しましょう」という形で使われた「静観」なのである。そして大体、日本人が「静観」を決め込むときというのは“ヤバい時”なのだ。実はアメリカが中国に対して第4弾の関税を発表したことで金融市場が大きく動いた。株価の下落率をみると「米」&「中」&「日」三か国の株価が何んと“ほぼ同率”で下落しているのだ。本来ならアメリカと中国の二国間のことなのに、直接は関係のない日本が同率で下がっているのだ。しかし、しかしである。これら三つの国よりも大きく下がっているのが「韓国」と「台湾」の株価なのだ。つまり、米中戦争によって傷つくのは仕掛けたアメリカ、受けて立つ中国、そして中間に位置する日本。さらにもっと傷ついているのが「韓国」と「台湾」だということになる。そして、さらにその上を行くのが「新興国」と呼ばれる国々の株価だ。つまり、米・中・日の三か国は2%以上の下落を示したのだが、韓国や台湾では3%以上、新興国では4%以上の下落を示していて、米中のとばっちりを食らっているということである。これらの数字だけ見ると、日本はそれほどではない、と思うかもしれない。ところが、この数字には「円高」の影響があまり反映されていない。つまり、今後の下落率では「日本」がとびぬけていく可能性を秘めている。世界の金融市場で“動揺”が走った時、真っ先に買われるのが「円」なので、仕方がないといえば仕方がないのだが、消費税の値上げを目前にして“輸入品”がどんどん値上がりしていくと、当然、庶民の生活を直撃することになる。だれが「円高」にストップをかけるか。今週は日本経済の先行きを占う(残念ながら「見通す」という意味で「占い」そのものではない)うえで重要な週となる。

ニコライ二世の手相と「龍」の刺青

2019-08-04

Nettlixのドキュメンタリー「ラスト・ツァーリ」はロシアの“ロマノフ王朝”最期を描いた作品だが、その第一話でニコライ二世の腕に「刺青が入っている」ことが注目を浴びた。けれども皇帝が実際に刺青など入れるはずがなく、もしかしたら俳優の“映ってはいけない部分”が映ってしまったのではないか、と妙なことから注目を浴びたのである。けれども、これは映した方のミスなどではなく、忠実に再現した結果であるということが明らかとなった。しかも、その刺青は日本に来た時に、ニコライ二世が或る種のアートとして惚れ込み、自ら志願し7時間かけて入れてもらった「龍」だというのだ。彼がまだ23歳の皇太子の時、1891年の4月に長崎を訪れ5月まで滞在して各地を巡った。その頃、ロシアと日本とは良好な関係にあって、長崎にはロシア海軍の士官8名が在住していたが、何と8人とも日本人妻を持っていたらしい。それを知ったニコライ二世は「自分も日本人妻を得たりできないだろうか…」と日記に記している。歴史家の中には、ニコライ二世は軍隊を率いなければならない皇帝には「もっとも不向きな人物」と評する人もいる。まだ皇太子の時代ではあるが、もしかすると長崎の花街で芸者5人を招いて朝4時まで帰らなかったという彼のエピソードなどにも、大国を統治していくなどの職務は苦手な一面が反映しているかもしれない。実は、私は“もう一つの理由”からニコライ二世に注目していた。それは彼が英国の手相家キロを招いて、手相を観てもらっていた事実があるからだ。元々“英国貴族出身”という触れ込みのキロは貴族階級の女性達に人気があった。評判が評判を呼び、各国の王族・貴族たちの手相も鑑定した伝えられている。ニコライ二世に対しては「皇帝は不慮の死、しかも銃弾に倒れる運命を持たれる」と予言したらしい。もちろん、これは機路が自分の著書の中で語っていることなので、本当にそのようなことを述べたのかどうか誰にもわからない。ただキロはニコライ二世が「短く途切れる頭脳線と土星丘上の十字形がそれを表わしていた」と記している。確かに短く途切れる頭脳線は“事故”に遭いやすい相で、短命の人もいる。土星丘上(中指下)の十字形は“晩年運の良くない相”であり“不慮の災難”に遭いやすい人の相ではある。ただ王宮に招かれ手相鑑定をしながら「銃弾に倒れる」とはなかなか言えることではない。そういう点で、もし本当だとすれば余程の自信家かバカなのであろう。なぜなら王宮を生きたまま帰れる保証はないからだ。ただし、一部研究者によれば「キロの自伝など信用ならない」と偽証部分が告発されてもいる。どこまでが真実かは微妙だが、手相を観たことだけは確かなようだ。

パターン化「少女像」は芸術作品とは言えない

2019-08-03

今、名古屋が“熱い”。どうして“熱い”のかというと、企画展「表現の不自由展・その後」に出展された「少女像」を“撤去する・しない”で問題となっているからだ。この企画展は何故か「国際芸術祭」の中に含まれていて、ジャーナリストの津田大介氏が監督をしている。芸術祭なのだが“ジャーナリスト”本業の津田氏が“総合監督”なのだ。まず、ここがよく解からない。芸術作品の展示会なら、やはり“芸術家”を持って来るべきで、なぜ、クセのあるジャーナリストに依頼したのだろう。もしかしたら、彼の方から“持ち込んだ企画”なのだろうか。問題の彫像制作者はキム・ソギョン&キム・ウンソン夫妻で正式名称は「平和の少女像」という。韓国が世界に設置し続けている“従軍慰安婦像”のことである。もちろん、この像には横に腰掛けがついていて、慰安婦と一緒に写真が撮れるという“お決まりの彫像作品”だ。名古屋の河村たかし市長は、この展示のことを7月31日まで知らなかったらしい。昨日、展示物を確認して、改めて“展示中止”の要請を行った。日韓関係が“対立状態”にある今のような時期に、神経を逆なでするような作品を“企画展”として展示することは、“争い”を助長することはあっても“平和”をもたらすことにつながるとは到底思えない。この中止要請に対して、津田大介監督は「芸術の自由な表現が制限される」として不満ながらも、一応どうすべきか対策を協議中としている。確かに、芸術の“自由な表現”に対して、政治が介入するのは良くない。けれども、この芸術祭に対しては愛知県から8億円、名古屋市から2億円の税金が投入されているのだ。わざわざ県民や市民の税金を投入してまで展示すべきものがどうかは、考えずとも解かりそうなものである。それに、一番の問題は、あの「少女像」は“平和を訴える”ことを意図しているというのだが、ただ単に椅子に座っているだけであって、少しも芸術的ではない。もし本当に“平和”を訴えたいなら、もう少し“芸術的な彫像”で訴えるべきである。「従軍慰安婦の横に座って写真を撮れますよ」という作品は、まるで「慰安婦はアイドルでした」という風な主張にしか私には思えない。実は、この監督を務めている津田氏の作品には、安倍首相・菅官房長官の顔を並べて、その二人が口を開け女性のハイヒールのヒール部分を咥え込んでいるという彫像があって、それも展示してある。これも、芸術作品としてはあまりにも稚拙すぎて笑えない。要するに津田大介氏を起用した時点で、この企画展が芸術とはおよそかけ離れた“特異な思想”の展示会になることは明らかだったのだ。

14歳のおどおどした警察官(?)に…

2019-08-02

最近は“年齢不詳”の人が多くなった。吉本坂46の「さゆり」は50歳だが超ミニふりふりスカートでアイドル路線を突っ走る。そうかと思うと、苫小牧市の中学3年生(14歳)は7月30日“私服警察官”といういでたちで、札幌市厚別区の民家を訪れた。そこに暮らす70代女性から“キャッシュカード4枚”を預かるためである。70代女性は何となく違和感を抱いた。事前の女性警察官からの電話では「私服の警察官が伺います」と連絡を受けてはいたが、まさか、こんな子供っぽい警察官がくるとは思わなかったからだ。しかも、妙におどおどしていた。ただ“悪い人”にも見えなかった。そのぎこちなさから「新米警官で、何もわかっていないのだな」と警戒心を緩めた。「それではカード4枚をお預かりします」最後まで、新米警官は教えられた文言を話すロボットのようだった。このぎこちなさこそ、最近の特殊詐欺グループの「受け子」の特徴なのだ。被害者はあくまでも“カード”を渡している。現金を渡しているのではない。しかも、それは「預からせていただきます」という形で、新しいキャッシュカードに交換する手続きは警察の方で行ってくれる。だから手渡す。どうして新しいカードに交換しなければいけないのかというと、詐欺グループの名簿に“あなたの名前”があったからである。万一のためにカードを交換しておく必要があるというのだ。一人暮らしの老人は総じて用心深いので、犯罪を防ぐため“カード交換が必要”と言われれば、そして、その面倒な手続きは警察の方で行ってくれるということであれば協力しなければ…ということになる。昔の“息子になりすます”手法は使わない。警察官として、堂々と訪問する。ところが、実際には「受け子」である警察官には中学生や高校生を使う。“真面目な印象”“幼い印象”が被害者に「犯罪」を感じさせないからだ。もちろん、そのバイトに応募してきた中学生や高校生には「カードを受け取る仕事」とだけ伝えて仲間に加える。現金には抵抗があっても、カードを受け取るだけなら、罪悪感は乏しい。こうして14歳の中学生が預かってきたカードから、すぐに145万円が引き出された。70代の女性は違和感を抱きながらもカードを手渡した。けれども、その後、すぐ本物の警察に相談して「受け子」中学生はすぐに逮捕された。ぎこちないおどおどした14歳の警察官は、本物の警察官に逮捕されたのだ。

2019年8月の運勢

2019-08-01

「痛い人」同士は“癒し”合わなければ…

2019-08-01

世の中で「痛い人」という表現が生まれたのはいつのことからだろう。そして誰が誰に使ったのが最初だったのだろう。それは謎なのだが、とにかく今は日常の中で“普通に使われる”表現となった。だから、あえて、その説明はしない。さて、歌手の浜崎あゆみ氏がエイベックス松浦勝人会長との関係を赤裸々につづった『M 愛すべき人がいて』を8月1日に出版するという。それに対して女優の遠野なぎこ氏がワイドショーで「最近はインスタとかツイッターとかでしか話題にならないでしょ(中略)自分のことも見えない、ただの痛い人になってしまった」とコメントしたようだ。それは確かにその通りなのだが、その言葉を遠野なぎこ氏から聴くと「⁉」と思ってしまう。なぜなら、この遠野なぎこ氏だって、そういう意味では過去に相当“痛い話題”を提供していた時期があるからだ。もしかしたら、もうそんな時期は“卒業”して、彼女には過去の出来事になってしまったのかもしれないが、大衆というか、世間というか、そのイメージは簡単には消し去れない。だから、本当は一言「私にも、そういう時期は有りましたけどね」と一言加えれば、多くの人に心地好く伝わったような気がする。最近、遠野氏だけではなくて、過去に“似たような出来事”があった人たちからの“この種の発言”をSNS上などで目にすることが多い。世間がそういう風に思うのは解かるけど、その人がいうべきことではないような。本人にとっては、既に“過去のこと”として禊を済ませてあるような感覚で居ても、世間というのは、或いは大衆というのは、なかなかに“忘れてくれない”ものなのだ。だからむしろ、自分の“過去”から抹消してしまいたいような事件や事柄をほうふつとさせるような人物が出てきてしまった時は「私も偉そうなことは言えませんけど…」と一言添えれば良いのだ。そうすれば誰もが納得して、その人の発言を聴く。要するに「痛い人」同士が片寄せ合って生きていくようにすれば、世の中“丸く収まる”というものだ。というか、世の中の“8割方”は「痛い人」というか「叩けば埃の出る身体」である場合が多い。だから「この方も寂しいから、こういうことをしてしまうんですよね」とか「誰でも、こういう風にして自分を癒そうとする時ってありますよね」とか「人はやっぱり、自分が輝いていた時を忘れたくないんですね」とか微笑みながらやさしい表情でコメントすれば、きっと、その人の“痛いイメージ”は忘れてくれるに違いない。

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