12月, 2019年

将来の「働き方」の“先駆け”になるか

2019-12-17

「働き方改革」という言葉だけが、何となく“独り歩き”した2019年も既に12月半ばとなったが、ここにきて日本的な“将来の働き方”のお手本となりそうなことを打ち出した企業がある。SMBC日興証券だ。来春から「週休4日制」及び「週休3日制」を導入しようというのだ。それに伴い“副業を行うこと”も解禁する。“副業”に関しては、既に解禁している企業も出て来ているが「週休4日制」に関してはさすがに聞いたことがない。けれども、すべての社員に適用するわけではないという。「週休4日制」の方は40代以上の正社員で、親の介護をするという条件が付く。「週休3日制」の方は30代以上で育児か介護をするという条件が付く。そのような場合に限って、4日制の場合は給与を60%に引き下げ、3日制の場合は給与を80%に引き下げ、社員として継続できるという制度だ。週休4日とか、週休3日とか、一見“進んでいる企業”のようにも思うが、給与を引き下げ、条件付きの雇用継続というのでは、実質的な「働き方改革」にはなっていないような気もするが、それでも日本のこれまでの雇用形態からすれば“画期的”なものらしい。ただ“介護”や“育児”だけに限定しているのは、ちょっとおかしい。現代の日本では、さまざまな人達が“さまざまな事情”を抱えながら仕事に就いている。“親の介護”とか“乳幼児の育児”に限定できないような“さまざまな事情”を抱えている人たちがいる。例えば、本人が何かの持病を抱えていて、週休4日くらいなら何とか働けるけれど、それ以上だと難しいとか、毎日4時間くらいなら働けるけど、それ以上は難しいというような場合もある。或いは家業の手伝いが必要で、週休3日くらいまでなら勤められるけど、それ以上は難しい。或いは働きながら通信制の学校にも通っていて、週休3日くらいなら出勤できるけれど、それ以上は難しい。現代の日本には“複雑な事情”を抱えた家族形態も多い。もう少し“自由な選択”ができる職場が増えていかないと、言葉だけの「働き方改革」が虚しく響く。

「奈良」を「アフリカ女性」はどう描くか

2019-12-16

近年、海外の人達が“われわれの気付かない日本”をさまざまな形で教えてくれる機会が多くなった。おそらく今回も、そういう意味では、われわれ日本人が思いもしない「日本」の新たなる一断面を映像化してくれるに違いない。NPO法人「なら国際映画祭」がユネスコとの共催で、アフリカの女性クリエーターを発掘しようという試みを行うことになった。アフリカ各国から10名の女性を選抜して、奈良の片田舎に2週間ほど宿泊せ、短編映画を撮影してもらおうという企画だ。音頭を取ったのは女性映画監督として有名な河瀨直美氏で、単身パリのユネスコ本部まで乗り込んで、その交渉にあたってくれた。実は「なら国際映画祭」では2013年にも、スイスの学生を招いて、同じような試みを行ったことがあり、その成果が高く評価されていた。もちろん今回の場合には、河瀨直美氏が希望者に直接指導する。実際には、ケニア、ナイジェリア、セネガル、ブルキナファソ、南アフリカの五か国で希望者を募る。そして各国二人ずつを選抜して“1チーム”として民家に寝泊まりしながら、それぞれが奈良の片田舎の風景や日常を、どう“短編映画”として創り出すか、競い合わせながら“新たな才能”を発掘しようという試みだ。かつて河瀨直美氏自身も、2007年にカンヌ国際映画祭に短編映画を出品してグランプリを得ている。アフリカの土壌で育った女性達が「日本」という国をどう見ているか、また実際に泊まり込んでどう感じるか、どういう「眼」で、日本の古都でもある「奈良」を観察し、映像化していくのか、一般人であるわれわれにとっても大変に興味深い。そして、映画人としての河瀨氏は“世界的に通用する卵”を果たして見つけ出すことが出来るのか。映画界の将来を占ううえでも試金石となる試みのような気がする。

やがて来る「大都市郊外」のオシャレ化

2019-12-15

あらゆる時代には「その予兆」というものがある。そういう意味で注目すべき記事がアメリカから発信された。最近、アメリカでは“都市住宅の高騰化”という要素も加わって、大都会そのものではなく、大都会の郊外に位置する街にミレニアム世代(1982年頃~2003年頃出生した世代)の若者たちが、大挙移住し始めているという。ただ単に移住するだけでなく、「住む、働く、遊ぶ、育てる」のすべてを“徒歩圏内で出来る街”へと作り替えようという動きが活発化しているのだという。そういう街づくりを指す“オシャレな郊外”という意味「ヒップスタービア」という“造語”が定着しつつある。カリフォルニア州サンタクララやマサチューセッツ州ブルックラインなどが、その代表的な街で急速に“ミレニアム世代の街”に変貌しつつあるらしい。こういった動きはしかし、アメリカだけのことではない。日本でも、大都市郊外に位置していて、そこに暮らしている人たちの高齢化が進み、少子化のため“空洞化が進んでいる街”が一挙に増え始めている。もし、長期的な視点に立って、新たな“街づくり”を考えるのなら、そういった発想が役に立つ。ただ単に「お年寄りと若者とが共存する街」というのが“日本的発想”だ。けれども、それをもう一歩進めて「オシャレな郊外」にしてしまうことで、すべてが“徒歩圏内で生活できる”新しい街が誕生出来そうである。しかも、それが“先進国における流行”に変わっていけば、そのこと自体というか、そこに住むこと自体が“オシャレなこと”のように変わっていく。そうすれば黙っていても、人は集まる。ただ、そのためには国や街や行政からの“協力”や“後押し”が必要で、民間だけの力では日本の場合難しい。要するに「共存する街」ではなくて「創造する街」に生まれ変わらなければならない。“お年寄りの街”に出現する“若き指導者”が必要なのだ。

「クリムトの絵」が歩いて戻った⁉

2019-12-14

日本では「未確認の何かが飛行していた」というニュースもあるが、もっと現実的でありながら、ミステリー小説に出て来そうな話がイタリアから飛び込んできた。約23年前に盗難に遭っていた絵画が、その盗難に遭っていた美術館の秘められた“壁”の中から出て来たというのだ。しかも、その絵とは巨匠グスタフ・クリムトの作品で約73億円もの価値を持っているものであるという。私も「クリムトの絵」は好きなのだが、正直に言うと“盗まれていた作品”はそれほど好きではない。あまり“クリムトらしさ”が感じられないからだ。それでも、1917年に描かれた“女性の肖像画”であるのは間違いないらしい。盗難は、その80年後に起こっている。当時、美術館の警報器はなぜか作動しなかった。まるで透明人間がすたすた持ち去ったかのようであった。その後の捜査で、美術館の天井に額縁だけが残されていた。警察としては、天窓を使って「釣り糸のようなもので絵画を外し釣り上げた可能性がある」と推理するしかなかった。館内外の徹底的な捜索でも、それ以外の痕跡は残されていなかった。ところが、今月10日、美術館に雇われている庭師が、たまたま外壁を掃除しているときに、つたに覆われて壁の一部に“金属製の扉”があることを発見、念のため扉を開くと壁に埋め込まれるような形で、黒い袋に入った美術品が出て来たというのだ。それこそまさに額縁を失くしたクリムトの作品だった。ただ黒い袋に入っていたとはいうものの20年以上そこに放置されたままであったように見えないと専門家は言っている。考えられるのは、クリムトの愛好家が盗み出し、自宅に飾っておいたのだが、その人物が死去して、その“秘密”を知っていた人物が届けに来た…というのはどうだろう。まともな形で届けることは出来ないので、外壁に隠れるような形にして去っていったという物語だ。いずれは、誰かが発見する。クリムトの絵画にとっても、それが一番心地良い場所に違いない。彼は、売ることも出来たのだが、そうはしなかった。こうして“女性の肖像画”は元いた部屋に再び飾られることになる⁉

「復活」の運気を“活かせるか”が鍵

2019-12-13

ここ数年、大塚久美子社長率いる「大塚家具」は窮地に立たされっぱなしだった。さまざまなところと提携するとか支援を受けるとかしながら、何とか生き延びている。そして、ここにきてヤマダ電機の“子会社”となることが明らかとなった。“家具”と“家電”は相性が良いとの判断に基づく。実はヤマダ電機の方も業績は下降気味で、子会社化されたから大丈夫というほど“安心な関係”ではない。私はこのブログでも「大塚家具」について、或いは社長の大塚久美子氏について過去に書いた。元々、家具店の“お嬢様”として育っている久美子氏は、俗に「家具屋(かぐや)姫」と社員から呼ばれるような存在だった。けれども、彼女が社長として打ち出した方針は、これまでの“高級志向”ではなく、“中級志向”でいくというものだった。なぜ“生い立ち”を活かそうとはしなかったのか。「姫」で育っている人が「中級家具」を売れるわけがない。「ニトリ」が成功したのは、元々が“極貧”の中で育っていたからだ。極貧で育った人は、極貧の気持が解かり、いかにして“良いものを安く手に入れるか”という知恵に長けている。同じことをマネても太刀打ちできるわけがない。しかも、久美子氏は独身を貫いている。“一般的な家庭”を持ったことのない彼女が“一般的な家庭・家族”を相手に商売をするのは得策ではない。運命的にも、彼女の場合、四柱命式では「梟神(偏印)」が強い。梟神は子供運が乏しく、時として子供や家族と離反しがちである。そういう命式を持った女性が“一般的な家族向きの家具”を売ろうとしても難しいのだ。「ニトリ」のような家族向けの“薄利多売”方式ではなく、最初から“富裕層向けの高級家具”に特化した事業を進めた方が成功しやすいのだ。特に、若くして成功している“独身女性社長”や、それを目指している女性達にターゲットを絞って販売していく方針に切り替えれば必ず成功する。日本的な「高級姫家具」こそ「大塚家具(この名称自体も切り替えた方が良い)」が再浮上する一番の秘訣なのだ。ただ今回の“子会社化”は、一つの「運」を呼び込むうえでは大変に良い時に行った。ホロスコープで観ると、現在トランジットの冥王星が出生時の冥王星と120度の位置にある。これは「復活」のチャンスなのだ。さらに木星も木星に対して120度の位置にある。マスコミを活用して「アールヌーボー的高級家具の復活」を宣言すれば、蘇ることが出来るに違いない。

若い女性達が「牛耳る国」が誕生した⁉

2019-12-12

われわれ日本人は欧州について、中でも北欧の国々について、あまり知らない。ニュースが届くことが少ないからだ。例えば、フィンランドのこれまでの交通・通信相が34歳の若き女性であったことを知っていた人は少ない。そのサンナ・マリン女史なのだが、このほどめでたく新首相となった。これまで首相を務めていた人物が辞任し、その後継者に選ばれたからだ。現職の世界の指導者として、34歳は“最年少”である。ちなみにウクライナのボンチャルク首相は35歳。ニュージーランドのアーダーン首相は39歳である。若いリーダーが多くなってきた。実は今日12月12日はサンナ・マリン首相として初めての仕事が待ち構えている。欧州連合の“首脳会議”に出席するのだ。それにしても34歳の首相は若い。しかも、この人、4年前までは国会議員ですらなかった。それだけ有能だったともいえるが、運が良かったともいえる。現在、フィンランドでは5党連立で政権を組んでいる。したがって、実質的には少人数の政党ばかりなのだ。少人数だから“長老”と呼ばれるような人が少ない。その結果、若くても有能なら、経験が少なくても有能なら、首相になることが出来る。さて、若い女性が首相になったなら、若い女性が優遇される国を作るのだろうか。実は、その公算が極めて強いのだ。どうしてかというと、先にも述べたように“5党による連立政権”だからだ。そして5党が5党ともに“若い女性”が党首となっている。どうしてこんなことになってしまったのか。多分、若い女性達が一番、政治に関心を持っているからだ。そうでなければ、こういう事態にはならない。もちろん若い女性達が牛耳っている政党ばかりなのだから、その連立政権で通しやすいのは、若い女性達にとって“暮らしやすい国”としての法案が優先されることだろう。今になって、お年寄りたちが、特に男性のお年寄りたちが、隅に追いやられていくような“国の構造”を作ってしまったと嘆いても遅い。さて、日本は“若い女性達”は、もっとも政治から遠いところにいる。それが良いことなのか悪いことなのか、フィンランドの“未来”が教えてくれる。

「身代わりパソコン」が体調を崩す⁉

2019-12-11

私は12月~1月初旬くらいの間に体調を崩すことが多い。この頃になると、北海道は秋から“真冬”に変化する。12月の頭くらいまでは暖かくても、その後一気に外気が変わる。見慣れた風景も“晩秋”の落ち着いた景色から、鉛色の空と白銀の街景色に変わる。そうするとどうしたものか、急に身体のあちこちに支障が出て来てしまうケースが多い。その年によって、支障の生じる部位が異なるので、どこを用心すれば良いかが分かりにくい。お腹を壊すこともあれば、風邪が長引くこともあれば、何かの病気に感染することもある。とにかく12月になると“ひ弱”になる。ところで、実はこのくらいの頃に最近はパソコンが壊れることも多くなった。仕事用のパソコンが壊れても、どちらかと言えばプライベートに使用している古いパソコンは大丈夫なので、何とかはなるのだが、新しい方に“仕事上の原稿やデータ”が詰まっているので、それが取り出せなくなると万事休すになる。ところが壊れる時は決まって新しいパソコンの方で、今回も前触れなく故障した。何とかなりそうな報告を受けてホッとしている。もしかすると、私自身の身体の代わりに“パソコンが病気をする”と捉えれば良いのか。ところで先日、Webの方の企業からインタビューを受けた。そういえば数か月前にも同じようなインタビューがあった。どうして占い師のインタビュー記事を載せるのか、私には解からないが、この二つを読むと私の“占い姿勢”のようなものだけは解かってもらえるかもしれない。数か月前のが「占いテラス」というところからの記事でhttps://uranai-terrace.com/namikiseiryu-interviewという形で、今回は「スピコミ」というところからの記事で<a href=”https://spicomi.net/media/articles/1599“>https://spicomi.net/media/articles/1599</a>という形で記事になっている。少なくとも、取材もなしにいい加減なことを書かれるよりはよい。ついでに書いておけば、公開はもう少し先になるが、ココロニの「恋占ニュース」では今月、来年“結婚できる可能性の強い女性達”の生年月日を大胆にも公表していく。きちんと生年月日として公表していくのだ。

「本当に初犯⁉」そんな警察官いやだ

2019-12-10

ときどき警察官の不祥事がニュースとなる。その中には、まあこの程度なら…と思うような事件もあるが、許しがたい事件もある。昨日、山形県から飛び込んできたニュースは、いろいろな意味で疑問符がつく。まず、勤務中の犯罪だ。しかも、勤務中なのに私服に着替えていた。その直前まで、警察官の服装で市民を前に講和までしている。その仕事が終わったのが午前11時頃で、新たな仕事(?)ともいうべき「かに缶詰めなど5点の窃盗」を行ったのが11時20分頃だ。この間に着替えてスーツ姿となり、山形のデパートの一つ「大沼山形本店」へと出向き、地下1階の食品売り場で窃盗を働いたのだ。しかも、その後すぐ山形署へと戻ろうとしていた。ところが、警備員に発見されて、店外に出たところで声をかけられた。そこで“万事休す”と認めたなら、まだ救いようもある。彼は振り切って走って逃げたのだ。警備員たちが追走して、やっと捕まえた。岩田知之容疑者(49歳)は勤務中なので公用車を使って、このデパートへやって来ていた。つまり、彼は警察官としての仕事を一つ片づけ、そのまま警察車両を使ってデパートに乗り付け、私服に着替えて食品売り場へと行き、高級食品5点を盗んで、再び警察車両に乗り込み、警察署へと戻ろうとしていたのだ。おそらく彼は「初犯」に違いない。そうでなければ警察官など続けていられない。私が一番問題視するのは、おそらく彼は「初犯ではない」という部分なのだ。残念だが常習犯のような気がする。つまり、いつも“この形”で窃盗を繰り返していたような気がするのだ。そうでなければ、スーツなど警察車両に持ち込まない。おそらく何回も、この形で窃盗を繰り返していたのだ。それが目立ったから、警備員が見張っていた。もちろん、どんな職業であれ窃盗は許されない。外国映画ではないのだから警察車両で乗り込んでの窃盗は止めよう。民間警備員に取っ捕まる警察官も情けない。「かに缶」をそんなに食べたかったのだろうか。

「まっとう」ではあるが「正しく」はない

2019-12-09

TBS系のTV情報番組が元で、元衆議院議員でタレントの杉村太蔵氏と実業家の堀江貴文氏との間で“奇妙なバトル”が勃発している。簡単にいうと、薬物などの使用者に対して杉村氏が「逮捕される前に自首すべき」と主張したのに対して「それに対しての環境整備も必要」というディブスペクター氏と共に反論に回った。それ以来、どうもお互いそりが合わないようでバトルめいた展開となっている。堀江氏は杉村氏のことを「頭が悪い」と決めつけているが、これは頭の良し悪しというよりも“性格”及び“人生観”の問題であると思う。世の中で杉村氏の意見に味方する人は多いと思う。確かに法律で定められた禁止薬物を使用するのは、どう考えてもまっとうではない。というか、まっとうな人は最初からやらない。では、そういうことに“手を出す”のは“まっとうではない人々”だけなのだろうか。ここが問題で、もし“まっとうではない人々”だけなのであれば、議員とか、教職員とか、医師とか、警察官とか、主婦とか、中学生とか…本来であれば「まっとう」を絵にかいたような人たちの中にも、それらに手を出して逮捕されるケースが後を絶たない。当然、それらの人達は“悪い事”との自覚をもって使用している。ハッキリ言って、自首できるくらいなら、最初からやらない、或いは途中からでも止めるはずである。世の中には「100%健康な思想・行動」の持ち主もいるが、それは比率的に意外なほど少ない。この100%健康な思想・行動の持ち主にとって、それ以外の発想とか、生き方とかは“理解に苦しむもの”でしかない。だから、最初から議論が噛み合わないのだ。世の中には“薬物”だけではなく、まっとうだが必ずしも正しいとは言えない思想・行動が色々とある。例えば北朝鮮による“拉致問題”にしてもそうだ。「強引に拉致したのだから一切妥協するな」という人が多い。けれども、それ故に、今日まで解決が長引いている。確かに“まっとうな考え方”からすれば、犯罪なのに譲歩などすべきでないということになる。けれども、それでは“らちが明かない”から“拉致問題”なのだ。そういう点、トランプ大統領は巧みで、核問題でも、一方で金正恩氏と握手し、その一方で北朝鮮を威嚇する“双頭作戦”を試みている。どっちが本当なのか解からないので、金正恩氏はうかつに手肢を出せないのだ。そういう点では堀江氏などの方が“正論に近い”と私は思うのだが、彼の“言葉遣い”と口癖のように“頭が悪い”という言い方だけは改めた方が良い。

「24節気」の持っている“予言力”

2019-12-08

よくニュースなどで「暦の上では…」という表現を使う。その場合の「暦」とは“24節気”に基づく「節気暦」を指している場合が多い。その節気暦からすると昨日が「大雪」に当たる。東北や北海道の一部では、まるでその「大雪」に合わせるかのように大雪が降った。大雪と言わないまでも“小雪”程度が降ったところは多い。その“24節気”だが、俗にいう「旧暦」のもとになっている暦のことで、間違えて太陰暦と記されてある書籍もあるが、立派な太陽暦である。この暦は「二至二分」を基準としている。二至二分とは、冬至・夏至の“二至”と、春分・秋分の“二分”のことで、一日の内の“日照時間”の比率から、最少の日=冬至、最多の日=夏至、そして中間の日=春分・秋分ということになる。この二至二分に四季それぞれの始まりの日「四立」を加える。つまり「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の四つだ。合わせて「二至二分四立」と言い、この“八節”が暦の母体となっている。実際の季節はこんなに整然とはやって来ないが、それでも何となくそれに合わせるかのような具合で、徐々に季節を巡回させていく。だから日本列島ののような南北に長い島国では、どこかで「節気暦」の名称に相応しいような現象が起こっている。“八節”の代表は、誰もが知っている「節分」翌日の「立春」で、ここから“初春”としての一年が始まるとする。中華圏では現在でもこれを重視していて、この“初春”にもっとも近い太陰暦上の「正月」開始を“本当の正月(農暦の開始)”として盛大に祝う。もっとも、最初からそうだったかというと、そうではない。秦の始皇帝は“立冬”の「冬」を一年の開始時期に定めた。それは当時の呪術思想に合わせたからだが、世界の多くの国民は「冬」西暦1月の開始を一年のスタート時期としている。そういう意味では、秦の始皇帝は世界に先駆けて「冬から一年はスタートするのだ」と宣言していたのだ。

「我が生き方」貫く耳の「くの字型」内郭

2019-12-07

「人は見掛けによらぬもの」という教えがあるが、実際、そう思うこともあれば、思わないこともある。合成麻薬所持で逮捕となった沢尻エリカ容疑者の場合はどうだろう。「見掛けどおり」と思う人もいるだろうし「見掛けによらない」と思う人もいるだろう。かつての「別に…」発言以降、嫌う人は徹底的に嫌い、応援する人はどこまでも応援するという“好き嫌いが分かれやすい人物”であることは確かだ。今回も、一節には“謝罪を拒否した形”の保釈とも言われる。観ようによっては「これぞエリカ様」で、そのイメージを見事貫いている(?)と、言えないこともない。私が注目するのは彼女の“耳の形”である。実は個性の強い女優には、耳の内郭部が外輪の外まで突き出ている人が多い。一見、大人しそうに見えても、そういう人は自分の“思想・信条・生き方”に関しては絶対に曲げない。どんな境遇に置かれていても、自分の「意」に反するものを受け入れようとはしない。妥協は出来ない性質なのだ。それが徹底している。同じ耳の内郭が外輪の外まで飛び出す形でも、内郭そのものの形が、丁度ひらがなの「く」を逆向きにした形状の内郭がもっとも「我が生き方」に固執する。女性なら幼い頃から「じゃじゃ馬」的なところを持っている女性なのだ。沢尻エリカ容疑者の耳の形状は、文字通り“その典型”である。但し、それ以外の部分は特別、問題になるような相を見掛けない。したがって、社会生活上では必ずしもそれが支障となることは少ない。けれども、耳は元々外部から見えにくいところで、プライベートの生活においてはその“特徴”がもろに出る。したがって、こういう耳を持っている女性は、昔の相書では「後家相」の一種とされた。後家とは“夫に先立たれた女性”が本来の意味だが、観相学的には“結婚運の良くない女性”全般を指す。江戸時代においては、武家に嫁いだ場合、夫が戦で命を落とすことは珍しいことではない。現代より、後家の確率ははるかに高かった。もう一つ、耳の外輪を家庭の枠と見て、内郭が飛び出す人は「家の枠内に収まらない女性」と観る場合もある。専業主婦には向いていないということだ。したがって、代々家業を継承してきている家系では、内郭が飛び出ている子供は家業の継承者になれない。これは男女ともそうである。十代半ばになったら、家を飛び出す用意をしていると思っていた方が良い。沢尻容疑者も、海外に渡って生活した方が“我が生き方”を貫けるのかもしれない。

中村医師は「IS」存在誇示の標的となった

2019-12-06

アフガニスタン周辺が“危険な地域”であることは誰もが知っている。けれども、少なくとも支援活動をしているNGOに対して銃口を向けることはないだろう…という甘い観測が、平和な国で暮らしていると、どうしても抱いてしまう。けれども、むしろその考え方自体が“真逆なのだ”ということを日本人は知っていなければならない。NGOで現地でも称賛されているような人物こそ、格好の“標的”となる。なぜなら「ヒーロー」を銃撃すれば、黙っていても世界が報道してくれる。無名人70名より、有名人1名の方が“存在感を誇示する”役目を果たしてくれる。実際、半年間の間に外国人のNGO関係者が77人も殺傷されている国なのだ。11月には国連職員まで殺された。したがって中村哲医師も自分の身辺が“危険”であることは知っていた。だからこそ警備の車に先導されるような形で現地に向かっていた。ところが、その“行先”も“走行ルート”も、事前に察知されていた。最初から、走行ルートの途中で“行く手”を阻む形で装甲車が止まり、武装集団が警備車両に近づいた。そして彼らを先に撃ち、その後で後ろの車の助手席に座っていた中村哲医師にも銃口を向けたのだ。あっという間の残劇だった。撃ち終って引き揚げかけた時、振返った1人が「まだ生きているぞ」と叫び、とどめの銃弾を3発命中させた。最近、イスラム国は“脱退者”や“投降者”が相次いでいる。弱体化していると思われたくない彼ら「イスラム国」の“存在誇示”の標的になったのが、現地の英雄であった中村医師なのだ。海外でNGOとして派遣されている日本人はたくさんいるが、特に“過激派イスラム集団”が居る地域の日本人は狙われやすい。それは日本人がどの国へ行っても現地人に友好的だからである。現地人の中に“過激派”周辺の人物が混じっていても、日本人には見分けがつかない。そういうところから情報が洩れていく。イスラム原理主義者にとって日本人は「中立な国」なのではない。「キリスト教国に味方する国」なのだ。だから、どんなに「自分は仏教徒だ」と叫んでも、襲撃の対象となる。イスラムの神は、自分に縋りつく者以外に決して手を差し伸べようとはしない。

「反面教師」が「血が流れる娘」に変貌する時

2019-12-05

歌手・女優の神田沙也加氏と俳優の村田充氏が“離婚していた”ことが明らかになった。結婚当初は「おしどり夫婦」としてマスコミに取り上げられていただけに、あまりにも早い離婚劇が驚きを与えている。正直、私も、こんなに早く離婚するとは思わなかった。私自身は“二人の相性は良い”と思っていたからだ。今でも、それは変わらない。二人のホロスコープを重ね合わせた時、互いの金星同士が120度となる。このような関係の二人は、ごく自然に互いを“好ましく感じ合う”のだ。そして、それは生涯変らない。時折、そういう夫婦でもさまざまな理由から別れることがある。けれどもほとんどの場合、好感は持ち続ける。嫌いにはなれない間柄なのだ。もう一つ、二人を結び付けていたのは太陽と月との“0度一体化”だ。これも夫婦間でしばしば見受けられる惑星配置で、二人の場合は妻の太陽に対して、夫の月が重なる形だ。この場合、夫婦間では太陽側にリード権がある。つまり、神田沙也加氏の方が村田充氏をリードする家庭生活となる。これを無理に変えると、必ず支障が出る。二人のブログから推察すると、早い段階で“子供を作る”かどうかが争点で、夫が子供を望み、妻がそれを拒否した形のようだ。四柱命式では神田氏の四柱命式では年干に「梟神(偏印)」という星が出ている。「梟(ふくろう)」は“我が児を食べてしまう”習性を持っている。つまり、この星が出ていると、妊娠・出産に関して問題が発生しやすい。仮に子供が出来ても、自分自身は子育てをしないケースも多い。そういう神田氏に“子作り”を求めたことで、微妙な亀裂が生じたのかもしれない。そして、もう一つ、神田氏の月干に「印綬」という星が出ている。これは本来「母親」を表す星なのだ。この星を月干に持っていると、本人が意識するかしないに関わらず、社会生活上では“自分の母親に似た部分”が表出するようになる。だんだんそうなっていくのだ。私は以前“二人の結婚”について母親を「反面教師」として“家庭的な村田充氏”を択んだ…と記した。多分、実際にそういう部分はあっただろう。けれども、自分自身が「看板女優」に変わっていったことで、徐々に、同じ血が流れている「母親」に似た部分が“顔を出して来た”可能性もある。もちろん、それを批判することは誰も出来ない。「梟神」のもう一つの顔は“夢とロマン”の星だからだ。

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