1月, 2020年

「不協和音」は不協和音を生み出した⁉

2020-01-24

アイドルグループ欅坂46で不動のセンターとされた平手友梨奈氏が「グループ脱退」を発表した。アイドルグループで使われる「卒業」ではなく自らの意志で「脱退」という表現を択んだらしい。強烈な個性でグループを牽引してきただけに、いろいろな憶測を呼びそうな「脱退」ではある。“不動のセンター”と祀り上げられながら、その一方ではグループ内で孤立していたとも言われる。私がここで彼女を取り上げるのは、その四柱命式でも、ホロスコープでも強烈な個性や才能が感じられ、そういう意味では“つくられたスター”“偽装されたカリスマ”ではないと感じるからである。但し、アイドルグループという観点から見ると、個性が強すぎるので、扱い辛い存在であったことは間違いがない。したがって「脱退」は、或る意味で当然と言えるものだった。このグループのデビュー当時から、私には気になっていたことがある。平手氏の額に掛かる前髪が少し長すぎるのだ。時々目までが隠れる。最近、こういう髪型というか、オシャレというか、意図的に行っている方々もいるが、目まで隠してしまうような髪型は良くない。前髪は眉までで留めておいた方が、運命学的に良いのだ。眼を隠すと、文字通り「心」を隠す。嫌でもそうなる。また上瞼一体が完全に隠れると、目上との間にトラブルが生じやすくなる。言ってみれば“反抗的”になるのだ。或る意味で、このグループにとってはその方がパフォーマンスに合っていたともいえる。その代表曲は「不協和音」で、正にその曲名通りにグループ内に不協和音が生れて、最終的に“弾き出された”のが平手氏なのかもしれない。だから「卒業」ではなくて「脱退」なのだ。さて“不動のセンター”が消えた槻坂46は継続できるだろうか。新たなるカリスマが出て来なければ、このグループの場合は難しい。一方の平手友梨奈氏の方はどうだろう。こちらの方はそれほど心配いらないが、十代半ばで「カリスマ」に祀り上げられた彼女は、自分をどこまで客観視できるかが、今後の運命を左右していくことだろう。特に目上の人達との関係をどう構築できるか、グループを脱退した今から、それは始まるのだ。

「恋」は「世間に謝罪」すべきものなのか

2020-01-23

文春報道で俳優の東出昌大氏と女優の杏氏とが別居していることが明らかになった。そして同時に、東出氏が共演女優・唐田えりか氏と“不倫”したことがその決定的原因であるとも報道された。それらの報道を受けて、不倫恋愛となった双方が、それぞれの事務所を通じ「謝罪コメント」を発表している。もちろん、不倫そのものは良いことではない。けれども、世間に対しても謝らなければならない、という風潮が私には今一つ理解できない。本来、別居とか離婚とかはプライベートな問題である。そして“不倫”と呼ばれる既婚者が絡む恋愛も、プライベートな問題である。もしも仕事上で、例えば年間“CM契約”等で違反契約に属する条項に含まれていれば、それはその仕事関係者には謝罪が必要であろう。けれども、そういうたぐいの仕事がないならば、配偶者や家族への謝罪は行うべきかもしれないが、世間一般に対しての謝罪は必要なことなのであろうか。近年、何かと世間はこの種の有名人を叩くが、古今東西の歴史を調べても“不倫恋愛”や“愛人関係”が存在していなかった歴史など、どこを探してもない。かつて俳優の石田純一氏は「不倫は文化だ」と発言して徹底的にたたかれた。その一方で街には男女関係で山ほど遊んでいる人たちがいる。今から60年前には存在しなかった「ホストクラブ」が繁栄しているのは、男性達だけでなく、女性達も遊び出した証拠であろう。或いは、女性達もそれなりの収入を得て来た証拠ともいえる。家庭・家族を顧みない恋愛や遊びは確かに悪い。だから、その配偶者や家族に謝るのは当然である。けれども個々の家庭・夫婦・家族の“事情”のようなものもある。その全部を“一律”には論じられないのではないだろうか。けれども近年はどのような状況であれ「不倫は悪」として世間から裁かれる。言い訳など通用しない。今回も、だからこそ、双方が“謝罪コメント”を出した。ふたりは、本当に“過ち”だったのだろうか。それは“純粋な恋”ではなかったのだろうか。もし、その“ひとかけら”もなかったのだとすれば、そのことの方が“謝らなければならないこと”のような気が、私にはする。

中国の「春節」は「日本」が1位

2020-01-22

それが何であっても、1位に選ばれるのは気持ちが良い。ましてや“おめでたいこと”ならなおさらである。このほど中国の旅行予約サイトで、興味深いランキングが発表された。今年の春節期間中、どこに出掛けるか、その海外ランキングで「日本」がダントツの1位となったのだ。都市別では、1位が東京、2位が大阪、3位が札幌、4位がソウル、5位がシンガポール、6位が京都、7位がプーケット…と続く。また国別では、1位が日本、2位がタイ、3位がフィリピン…と続く。このランキングを見ると、中国の富裕層は「日本がお好き」ということになる。ところで今年の中華圏における「春節」は1月25日である。つまり25日が「元旦」に当たり、その前日から1週間ほどが“春節休み”ということになる。なぜ中華圏では、毎年、異なる日にちを「春節」とするのか。もちろん、それは「旧暦」による1月1日を春節=元旦と見ているからだが、どうしてそうなのだろう。実は中国には昔から“二つの捉え方”がある。その一つは、日本と同じく24節気による「立春」を、文字通り「春節」とする観方だ。そして、もう一つが「旧暦=太陰太陽暦」による1月1日を「春節」とする観方だ。ところが、占いを嫌う共産党が支配するようになって以降「立春=春節」は排除されていったように思われる。もっとも、紫微斗数という占いでは、この太陰太陽暦による1月1日を、そのまま“年の区切り”として用いている“流派”もある。“24節気”の誕生は、中国の「殷の時代」まで遡る。最初は「二至(冬至・夏至)・二分(春分・秋分)」が突き止められ、やがて中国の戦国時代の頃に“24節気暦”は完成した。24節気暦というのは紛れもなく「太陽暦」である。けれども、その一方で、実生活においては“月の見えない夜”が「1日」で“満月の夜”が「15日」となる「太陰暦」の方が、何かと重宝しやすい。だから「24節気暦=干支暦」と「旧暦=太陰太陽暦」とを“重ね合わせながら使用する”風習が残った。それは、日本でも同様で、昭和の前半までは「日めくり」や「カレンダー」の中に、その両方が記載されていたものである。ところが「日めくり」などが廃れていって、しだいに「旧暦」は日常から排除されていった。だから、中華圏が東南アジア諸国も含めて「春節」を維持し続けたのに対し、日本では「カレンダー」にさえ記載されない国になったのだ。或る意味で、日本はアジア圏なのだが、文化的には欧米文化に近い「特異な東洋」となったのだ。

「日本刀」で、妻と弁護士の魂を分つ⁉

2020-01-21

アメリカ人には時々、ユニークな行動を真顔でとる人がいる。カンザス州に暮らすデビット・オストロム氏もそういう一人だ。彼は今、妻から“離婚訴訟”を起こされ、その内容にひどく憤慨していた。そこで彼は真摯に裁判所に“難しい試み”の申請許可を願い出ていた。彼によれば、妻による“離婚訴訟”によって「自分の人生は台無しにされた」なんとしてでも、この屈辱は晴らさねばならない。そこで一番良い解決方法がある。決闘をするのだ。決闘によって、正々堂々決着をつけようじゃないか。ここは昔から、血統によって“正邪”を付けてきた街だ。まあ、確かに昔の“西部劇”では、そういうような決着のつけ方もあったとは思うが…。こうして、彼は裁判所に対して正式に「決闘による離婚」を許可してほしいと願い出ていたのだ。しかも、この決闘、銃口を向け合うものではなかった。なぜか彼は“日本刀での決闘”を望んだのだった。日本の漫画の読みすぎなのか。彼は真剣だった。彼は、今回の“離婚劇”は妻側の弁護士による“入れ知恵”に違いないと踏んでいて、だから、妻の魂と、その弁護士の魂とを、真っ二つに分つ必要があった。そのためにはどうしても日本刀なのだ。だから、それを購入・輸送するのに必要な12週間だけ待ってほしい。そういう形での「決闘許可」を我が州の裁判所が下してほしい。誰が、どう考えてもおかしな要求なのだが、本人は真剣そのものだった。やがて、彼は、あることに気が付く。もし、この決闘によって死者が出た場合、裁判の本質が歪められるのではないか。元々、この“離婚訴訟”そのものの“不当さ”を訴えたいのだ。けれども、死者が出てしまった場合、その本質は歪められ、理解してもらえなくなる可能性が強い。やっぱり、決闘の申請は取り下げよう。けれども、今のところ、裁判所は「審議中」として、彼からの“申請取り下げ”も認めていない。ここで興味深いのは、彼が買い求めた日本刀だが、ただ単に“二刀”だけを求めたのではない。“脇差”と呼ばれる“短い刀”まで求めていたのだ。普通の日本人なら、東映映画でもない限り日本刀で決闘はしないが、その場合でも“脇差”は差さない。左右に刀を差したら、重すぎて素早く動けない。大体、袴でも穿かないと、おかしなスタイルになる。どう考えても、裁判所はわざと決定を遅らせているとしか思えない。

1日16時間で「歌う弁護士」になる⁉

2020-01-20

或る雑誌に、12歳から芸能活動を始め、17歳で歌手になってTV番組エンディングでも使われ、その後大学に入って大学院まで出て外資系製薬会社で働き、33歳から別な大学で法律を学び、5年後に司法試験を突破し、3年前から弁護士事務所を開業し、時々ステージに立って歌も歌う。元アイドル・平松まゆき氏の記事が出ていた。弁護士になろうと決意したのが33歳、すぐに会社を辞め一日16時間の猛勉強を始めたという。彼女の場合、アイドル歌手としても、まったく目が出なかったわけではない。けれども、純粋にもっと勉強がしたいと大学に進んだ。歌手を継続しながら学ぶことも出来たかもしれないが、それを択ばなかった。芸能界を完全に引退したのだ。そして大学院に進んで外資系企業に入り、そのままいれば出世した可能性もありながら、生きがいを感じられずすっぱり辞めている。そしてぜんぜん別個な大学で新入生として法科を学んだ。人は“一度手にした座席”をなかなか手放せない。それに手放して、その後が上手くいくという保証もない。けれども、昔から「二兎を追う者は一兎をも得ず」というではないか。本当に何かを得ようと思うのであれば、何かは犠牲にしなければならないことが多い。彼女の場合、最初「歌」を犠牲にして「勉学」を得た。そして外資系企業で普通に働いた。けれども何かしら“満たされないもの”が残った。そういう中で報道ドキュメンタリーで弁護士の必死な活動を見た。ぬるま湯につかっている自分が許せなくなった。そこで会社を辞め、振出しに戻って法科に入学した。一日16時間の勉強が始まる。それでも、すぐに合格はしなかった。司法試験の壁は生易しくなかったのだ。もし彼女に“アイドル歌手”としての“過去を懐かしむ”部分があったなら、途中で挫折していたことだろう。昔、マライア・キャリーに憧れた少女は、完全に“過去の自分”を葬っていた。その結果、5年の年月を経て見事合格し、故郷に弁護士事務所を開設出来たのだ。そして、いつの間にかステージで「歌」まで歌うようになっていた。ちょっと意地悪な神様は、時々人間を試したりする。すべてを奪ったりする。そうして、見守りながら、ギリギリのところで、そっと手を差し伸べる。

「チーム風土」なのか「小松美羽」なのか

2020-01-19

現代の芸術・芸能の世界は、その舞台を“片田舎”から…あっという間に“世界”に変える。けれども、そこには“影の仕掛人”が存在しているケースも多い。今や日本を飛び出し、そういう形で世界に羽ばたきつつある人物も多い。その中に一人に新世代アーティスト・小松美羽氏がいる。元々は版画家だった人物で、その頃は正直そんなに評価されていなかった。作品があまりにも“猟奇的”な印象を与えるものだったからだ。けれども、2014年5月に出雲大社に絵画「新・風土記」を奉納した辺りから、彼女の人生は大きく変貌する。翌年には大英博物館に「天地の守護獣」と名付けた狛犬が永久所蔵され、ニューヨークの美術館からも依頼が来たり、世界的オークションに作品が出品され高額で落札されたりするようになる。現在は台湾のホワイトストーン・ギャラリーで作品展示が行われる一方、見物人の見守る中で巨大なキャンバスにパフォーマンス的な形でライブ制作も行う。今や世界的アーティストなのだ。彼女の作品を見ると、確かに迫力はある。音楽で言えばロックの世界だ。ただ正直なところ、私には近年の彼女の作品には「チーム風土」が感じられるのだ。どういうことかというと、彼女が有名になっていったのは“肩入れするスポンサー企業”が出て来たからだが、それ以降、彼女は単独で仕事をすることは無くなって「チーム風土」に所属するアーティストとして動くことになった。確かに、描くのは彼女なのだが、そのパフォーマンスなどはどう見ても“チーム”の臭いを感じてしまう。真っ白な衣裳を身にまとって舞台に立つのだが、激しいパフォーマンスの中で衣裳は絵の具で汚れていき、終わった頃には衣裳だけでなく、床や顔や髪にまで絵の具が飛び散っている。けれどもそれを気に掛ける風もなく、正座して深々頭を下げ絵画は完成する。描くものが“神獣の世界”で、龍や麒麟や狛犬だから“神事”のような所作をするのは理解できるが、果たして最初からそうだったのか。何かしら“演出の臭い”を感じてしまうのだ。ただ現代という時代が世界的に「神獣」を希求していることは事実で、そういう意味では文字通り世界で「美羽」として羽ばたくことだろう。

デヴィ婦人ではなく、孫正義氏が「顔」

2020-01-18

日本では最近、未来に関しては“浮かない話”が多い。せっかく海外からの投資資金を呼び込むのに“絶好のチャンス”だった「IR事業構想」も、一部のおかしな政治家が賄賂など受け取ったことで、もはや“汚い事業”にしか思えない。どうして日本に何千億円も投資してくれる事業者から、個人として先に数百万程度の賄賂を受け取ってしまうのか。政治家は「未来のために仕事をしている」という本分を、どうして忘れてしまうのだろう。その点で見習うべきは孫正義氏である。言っておくが、彼は政治家ではない。けれども、世界に“顔が利く”という点では政治家以上だ。実際、今回、インドネシア政府はアブダビのムハンマド皇太子、英国のブレア元首相、そしてもう一人、ソフトバンクGHの孫正義氏の三名を「首都移転計画」の審議会メンバーとして選出し「インドネシア政府の“顔”となってほしい」と期待をこめて内外にアピールした。インドネシアの首都ジャカルタは“世界一”とも言われる渋滞地域で、交通がマヒしているだけでなく、地盤沈下が深刻で一刻の猶予も許さない。厳密にいうと、予算のめどはたっていないのだが遷さざるを得ないのだ。けれども、そういう“経済支援”を必要とする中で、インドネシア政府は今回、中国を頼らなかった。中東とイギリスと日本を択んだのだ。もちろん、これは政治ではなく「民間からの支援」なのだが、他のアジア諸国とは“異なる選択肢”を見せつけた格好だ。そして、もう一つ、この“選択肢”に元インドネシア大統領夫人であった「デヴィ・スカルノ」の名はない。その代りのように「孫正義」を入れている。もっとも、いくらデヴィ婦人が資産家だと言っても、孫正義氏にかなうはずがない。しかも、孫氏はどんなに投資しても、要所以外は口出しすることが少ない。今回も3兆円から4兆円の支援を約束しているとも言われる。もちろん、商人である孫氏が“損得勘定”をまったく抜きにして支援するはずもない。けれども、少なくともそれ以前として、インドネシアの未来を見つめている。それを確信するから、インドネシア世府も「顔」となってほしいと要請したのだ。

「豪」→「比」→「 」の自然災害

2020-01-17

ご存じのように「豪=オーストラリア」の“森林火災”は自然災害だ。そして今月12日「比~フィリピン」の“タール火山”が大噴火した。ただ、これは序章であって、もっと“大きな爆発的噴火”が起こる可能性もある。現在、半径14㌔の住民に対して「避難勧告」が出ている。居住者の数は46万人もいる。半径を17㌔に広げれば居住者は100万人以上に達する。なぜ、そんなに警戒しなければいけないか、実はスペイン統治時代の1754年、このタール火山は爆発的に噴火しているのだ。その時、付近にあった「古都タール」は無くなってしまったのだ。現在のタールは、その時に移設された街なのだ。壮麗なキリスト教の教会や大聖堂がある。古都と呼ぶにふさわしい街並みだ。現在の首都マニラからは60㌔でほぼ真南の地点にある。実は地震学会の方からは警告が発せられている。噴火に伴う二酸化硫黄が15日までに沖縄周辺まで流れ込んできているというのだ。そう、我が国も安泰ではないということだ。必ずしも、噴火の影響だけではない。オーストラリアに大規模な“森林火災”が生じ、フィリピンに“大噴火”が生じたとなれば、その“自然災害のライン”は北に向かっている。次は台湾か、日本か、ロシアかというところなのだ。どんなに科学が進んでも、結局、自然災害に対しては“お手上げ状態”で、神に祈りを捧げるくらいしか人間には出来ない。中国は“人口の月”を打ち上げるというが、とうてい“ホンモノの月”の足元にも及ばない。明るさだけが月の役割ではないからだ。古代から、月のさまざまな変化は魔力の証しと信じられた。女性の生理が、月の周期に関連を持っているという説がある。交通事故の発生確率が、満月・新月に関係を持っているという説がある。男女の産み分けが、月の位置などから可能になるという説もあった。さまざまな“仮説”が、生まれては消えた。地球生命体の“大暴れ”現象の一つ“タール火山大噴火”がこのまま鎮まってくれることを願うばかりだ。

インターネットが「中国」を変えた

2020-01-16

私が中国を初めて訪れてから、もう25年以上が経つ。だから、国として変わっていくのは当然なのだが、それにしても大きく変わったと思う。或る記事に、最近の中国でSNS上に投稿された何枚かの写真と説明が“論議の的”になっているというのだ。つまり、十代半ばの女子学生が学校の校庭で男性教師から、強制的に化粧を落とされている数枚の写真だ。この何の予告もなしに強制的に“化粧を落とす”という行為が問題ではないかということだ。もちろん、それに対して「学生時代は勉強をするべきだ」というまっとうな意見もある。その一方で、まずは注意して、それからでも遅くはない。いきなりというのは「心を踏みにじる行為だ」と反論する人たちもいる。私が受けた第一印象は「あの中国がこんな風になったんだ」という不思議な感情だった。なぜなら、私が初めて見た中国の女性達は、そこが都会ではなかったせいもあるが、多くの女性がまだ“人民服”を着ていたのだ。この“人民服”そのものが、若い人にはわからないかもしれない。男子の学生服に近い服装だ。髪は後ろで束ねていた。そういう中国の女性達を見て、あのとき私は「どれくらい経ったら、日本のような女性達に近づくのだろう」と思ったものだ。けれどもインターネットの登場は“広大な面積”を誇る中国という国を、あっという間に変貌させた。特に、今の若い女性達の変化は本当にすさまじい。今や完全に日本に並んだというか、日本を追い越したというか、少なくとも経済力だけでなら抜いてしまったことは間違いない。そして、インターネット上で、日本と同じような問題が論議されるようになったことも、文化的にも接近している証拠のような気がする。“倫理観”や“道徳観”など、人間教育が追い付いていない印象も受けるが、全世界的なインパクトとしては「アメリカと互角に闘う国」に成長したことは間違いがない。単一民族で国土の狭い日本のような国の場合、インターネットはそれほど威力を発揮しないが、中国のように国土が広く、多種多様な民族・宗教を束ねていかねばならない国家にとって、インターネットは極めて有効なのだ。その中国よりも「自分たちの国の未来に希望が持てる」と答えている国がある。インドだ。中国もインドも、その未来に対しては楽観的なのだ。日本人はどうかというと、楽観的な人は極めて少なくて、調査した国の中では最低だった。

「匿名中傷者」を減らす第一歩

2020-01-15

世の中には“顔”や“名前”が出なければ何をやっても良い、という困った考えの持ち主がいる。本人としては「罪」としての意識が低いのかもしれないが、“ネット上の批判や中傷”も度が過ぎれば当然「犯罪」の範疇に入る。ただ芸能人などの場合、人気の裏返しのようなところもあって、受け流して来ている人たちが多かった。けれども最近になって、それらに真正面から向き合う人達も出てきた。ネット上の過度の中傷に対しては「発信者情報開示請求」と呼ばれるものが法律的に認められるようになった。それが通ると、どんなに仮名で投稿していても、中傷を受けた側が相手の本名を知ることが出来る。そのような過程を経て、昨日、女優の春名風花氏がネット中傷者の1人に対して“265万円の支払い”を求めて提訴に踏み切った。問題の中傷投稿には「彼女の両親自体が失敗作」という表現があり、これを“許しがたい中傷”と捉えたようだ。実は彼女だけでなく、多くの芸能人・有名人がネット上で中傷・批判にさらされている。同じように「発信者情報開示請求」から投稿者を突き止めた元アイドルで実業家の川崎希氏は昨年10月に「今後は許さない」と警告を発している。彼女の場合「流産しろ」とか「自宅を放火する」という脅迫文めいた内容で、我慢の限界に達していたようだ。このような動きが進んでいくことで、ネット上の無記名投稿でも本名だけでなく、それ以外の情報まで伝わってしまうということになれば、自然と「姿なき中傷」も減っていくのではないだろうか。私は芸能人や有名人に対する批判や中傷をすべて無くすこと自体は良いと思わない。有名人であろうと、誰であろうと、批判されて当然と思う場面もあるからだ。ただ、その場合であっても自らの名前は出すべきで、自らの姿を隠して批判・中傷するのはアンフェアである。私はだから稀に批判してくる方には、必ず「名前を出してください」という。名前を出せないのは、どこかに心やましい部分があるからなのだ。

「金銭感覚」は人さまざま

2020-01-14

9年ぶりの映像として元タレント島田紳助氏がYouTube「misonoチャンネル」に出演した。おそらく近年苦境に立っているmisono氏の“チャンネル登録者数”を増やすのに一役買ってやりたかったのだろう。その島田氏の話の中で私がもっとも注目したのは、同じくゲスト出演していたタレント山田親太朗氏の“金銭感覚”を明らかにしたことである。かつて宮古島でロケがあった時「こいつ(山田氏)は飛行機のチケットだけ持っていて、一文無しで宮古島に来て、平気でいるから金を渡したら、渡した瞬間にみんなにそれでおごってやっていた」と語ったのだ。何んとも、すごい度胸というか、沖縄出身者らしい金銭感覚だと思った。ただ現代の若者たちにも“似たような金銭感覚の所有者”が増えてきているような気が、私にはするのだ。後先を考えないというか、良く言えば“金銭に振り回されない”というか…。そういう点では、住友重機械工業の労働組合の年金口座から、立件出来ない分も含めると12年間で10億円以上をも着服していた会計担当・田村純子の金銭感覚も通常では考えられない。まず、12年間もの間、自分の業務として“労組口座”から“自分の口座”に平然と移し替え、そのほとんどを“乗馬クラブ”に当てていた。男性に貢いだのではなく、“馬”に貢いだのだ。多数の馬の馬主になっていた。よく「男に騙された」という女性がいるが、馬は「もっと金を引き出せ」と喋ったのだろうか。昨年11月に女優の剛力彩芽氏と別れた前澤友作氏は、今年もまた総額“総額10億円”のお年玉企画を行った。さらにTV番組として「お見合い企画」をスタートさせた。この人の金銭感覚も、なかなかにユニークだ。既に何千人もの女性達が応募しているそうだが、中には勤めていた会社を辞めて…という“信じ難い女性”までいる。前澤氏自身は「生涯にわたって愛し続けられる女性」を求めているようだが、どこかで疑ってしまうのはいけないことだろうか。とにかく昔から「お金は人を変える」というが、悪魔にも天使にもなるのが「金銭」かもしれない。

「充実の40周年」&「荒廃の40周年」

2020-01-13

厳密に言えば片方は来年が40周年で、もう片方は昨年が40周年だった。けれども、どちらも“40周年”を強調してアピールしている。来年40周年の方が「歌手デビュー40周年」の薬師丸ひろ子氏であり、昨年40周年の方が「創刊して40周年」の雑誌『ムー』編集部である。そして、薬師丸ひろ子氏の方はそれを記念し1月25日NHK「SONGS」に出演、近年、歌手活動に力を入れてきた成果を披露する。自ら作詞した「アナタノコトバ」なども披露。けっして女優の片手間に歌うのではなく、むしろ最近は歌手活動をメインにしている密着映像なども加えるらしい。確かに彼女の歌声には透明感があり、子守歌のような“癒しの響き”がある。それはデビュー当時から変わっていないのだが、むしろ、さまざまな人生経験を経た最近の方が“癒しの威力”を増している。通常、歌手というのは若い時の方が“歌声”に艶があるものだが、俳優をやってきた方は中年以降に“より艶を増す”傾向がみられる。その代表格が彼女だと言って良い。一方の雑誌『ムー』編集部の方だが、近年はTVにも進出し、グッズ販売にも力を入れている。40周年を記念しウェブマガジン「ムーCLUB」の配信も開始するという。私も昔は『ムー』の信望者だったので、最初はTV番組なども期待をした。けれども、完全にそれは“期待外れ”以外の何物でもなかった。『ムー』はUFO・心霊・古代文明・超能力・予言・奇現象などを扱うミステリー雑誌である。70年代~80年代にかけて、とても充実した内容だった。けれども、近年、雑誌内容はどんどん魅力が薄れてしまった。何よりも雑誌から“緊迫感”が感じられないのだ。かつて「ノストラダムスの大予言」がブームになった時、この雑誌には“或る種の緊迫感”が感じられたのだ。UFOによる“誘拐多発”や“家畜惨殺”、ユリゲラーなどによる“超能力ブーム”でも、何かしら“神秘”や“脅威”が手の届くところに有った。けれども、今の『ムー』には何の緊張感もない。明らかに内容的に“荒廃”してしまった。TV番組などは単なる“同好会番組”でしかない。どうして昔のような“緊迫感”のある雑誌やTV番組がつくれないのだろう。「真実に挑む」という姿勢が、どうして失われてしまったのだろう。

十二支はなぜ「龍(辰)」を入れ「猫」を省いたか

2020-01-12

新聞記事からの抜粋に「十二支」では、なぜ“ネコ”を加えなかったのか、という趣旨の話が載っていた。そして動物学者に問い合わせて、十二支選定の時代にはまだネコが古代中国には存在していなかったからではないか、という結論に辿り着いていた。確かに、今から4000年ほど前の中国にネコは存在しなかった。エジプトでは5000年以上前から存在していたネコが、中国にまで進出してきたのは、今から2000年前頃のことだろうと推測されている。存在しないものは取り入れようがない。そこで気になるのは「龍(辰)は存在していたのか」という問題である。十二支には、古代中国における“身近な動物”が当て嵌められた。その当時、虎(寅)は既に人々の暮らしの中に溶け込んでいる動物だった。ところが、その当時というか、現在でもそうだが「龍(辰)」は実在していない。にもかかわらず十二支の中に紛れ込んでいる。どうしてだろう。私は昔、そのことが不思議で仕方がなかった。古代中国人の生態を調べると“想像上のもの”にはあまり関心を示さない。あくまでも実生活に“関与”するもののみに関心を示す。だから、古代中国の“自然観”では「海」というものは存在していないのだ。その代りのように「大河」が、実質的には海の役割を果たす。原初の十二支は、動物それ自体ではないので、甲骨文字(象形文字)としては「巳→蛇」と「亥→猪」くらいしか、動物の象形をそのまま十二支の源字としていない。ちなみに「巳」の蛇には二種類あって、実際に蛇の象形と思える形と、人間の乳幼児の象形とである。「亥」の方は“猪の仲間”である豚の象形である。さて「辰」の方はどうかというと、これにも二種類あって、その一つは明らかに“大蛤”の象形。もう一つが“謎の動物”の象形。そして多分、この“謎の動物”が実際の古代中国に生息していた動物に違いないのだ。つまり「龍」だ。私はそれを「イリエワニ」だと確信している。なぜなら、あまりにも“伝説の龍”にいろいろと似ているからだ。まず顔立ち。その横顔、眼や鼻や口の位置などピッタリである。四つ足であり、しかも“五本指”を持つ。硬い鱗で全身おおわれている。尾が長い。普段は水中に暮らす。古代中国にはイリエワニは生息しなかったという説もあるが、もしかしたら殷王朝の祖先が“生息地域の出身だった”可能性もある。

 

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