3月, 2020年

すべては「ジョセル王」から始まった

2020-03-07

あなたは「ジョセル王」を知っているだろうか。多分、知らないだろう。歴史的にはそれほど有名な王というわけでもない。けれども、エジプトにおいて最初のピラミッドを建設したのは、まぎれもなくこのジョセル王からだった。今から4700年位前の王である。この王はその彫像も残っているが、それよりもピラミッドの中にあるレリーフで王自身が儀式を行っている姿の方が有名である。儀式と言っても、横向きに走っている雄姿だ。実は、これが出来ないと、もはや王としての「体力が尽きた」とみなされて、立ち合いの家臣たちから撲殺されてしまう。まさに“命がけの儀式”だったのだ。そういう風に聞くと、ただ単なる“横向きの走り姿”と思って見れなくなる。しかも、王墓を兼ねていた(?)ピラミッド内部に描かれているのだ。ところが、2006年からはその内部が“修復作業”のために閉鎖されていた。このピラミッドでは王墓として唯一レンガも使用されているので、元々崩れやすいのだ。そこで補強材も加えて、内部見学が可能なように修復された。その費用は7億円以上で、14年もの歳月を要した。私が行った時にも、この「階段ピラミッド」は修復作業中で、中まで降りていくことは出来なかった。もっとも、このピラミッドが最初から「ピラミッド」を志向していたのかには疑問が残されている。明らかに、前から存在していた墓を改造して階段状に石を積み上げたもので、真四角でもない。それでも、やや高台にあるせいか、現在までその遺構が残されてきた。その後の王たちは、このピラミッドにヒントを得て四角錐のピラミッド建設を目指した。ただその規模から言っても、その技術から言っても、古代エジプトのピラミッドは4700年前から4400年前くらいまで、つまり第三王朝~第四王朝にかけてがピークであって、第五王朝以降のピラミッドは極端に“縮小化”される。さらに、その石積み方法も良くなかったので、あっという間に崩れ去ってしまった。なぜか第三王朝~第四王朝の間だけが「巨大ピラミッドの時代」となっているのだ。ちなみにこの「階段ピラミッド」は6段組みで63mくらいの高さだ。クフ王の147mの高さに比べると見劣りするが、それでも4700年前と考えると途方もない高さである。きっと彼らは、もう少し高くすれば「星に手が届く」と思っていたのに違いない。

190か国配信「沢尻エリカ」も出演のドラマ

2020-03-06

世の中というのは分からない。「覚せい剤」で人生を棒に振ったかに見えた沢尻エリカ氏だが、蘇ったかのように“人気女優役”でちゃんとドラマに出ていた。しかも、そのドラマは世界190か国以上に配信され、1億3000万人以上の視聴者数を誇るNetflixのドラマ部門でトップ独走中というから驚く。撮影は昨年の3月~7月で、覚せい剤事件よりはるかに前だが、Netflix側からは「彼女の出演シーンをカットしてほしい」という要求は一切出なかったという。堂々と190か国に“人気女優・沢尻エリカ役”として出てくるのだ。監督は蜷川実花氏で、確かに彼女の“お気に入り女優”ではある。もっとも、主役は“女優の卵”である池田エライザ氏と、その素質を見出す“人気写真家”役の中谷美紀氏のダブル主演だ。インスタにアップされた1枚の写真がきっかけで成功女優が誕生していく過程を描く「Followers」というこのドラマには、他にも中島美嘉氏がシンガーとして登場し、夏木マリ氏なども登場する。グッチやケンゾーの店内撮影も初めて可能とし、全スタッフの7割が女性で占められるという異色の作品だ。題材はいかにも“アメリカ人好み”の内容を意識しているようにも感じるが、ハリウッド映画のような華やかさを演出できるのは蜷川実花氏ならではの感がある。今年は、いろいろな意味で、芸術や芸能というものの“本質”が問い直される一年になるかもしれない。いや、芸術や芸能だけではない。個々の「国家」と「世界」との問題。「法律」と「社会」との問題。これらも、これまでの“常道”が通用しなくなりつつある。何が「正義」かさえも、問い直さなければならない時代が来ている。多くの人は知らないが、実は数日前、ロシアのプーチン大統領が「憲法改正案」を提出し、承認された。この“改正案”には、驚くべき内容が含まれている。神への信仰を法制化すべきこと、結婚は男女間でのみ認められると規定すべきこと、北方領土はロシアの領土であり、自分が大統領退任後も永遠に譲るべきものではないことなどが明記されているのだ。私は2019年2月号の『クオリティ』という雑誌の中で北方領土返還に関して「本当はここまでは言いたくないが、この交渉が上手く行かなければ、もう二島はおろか、永久に北方領土は返ってきません」とインタビュー記事で断言していた。こういう予言は当たってほしくない。いつも、そう思うのだが「悪い予言」ほど的中してしまう。もう少し、楽しいことを予言したいのに…。

今年の来月は「辛日生れ」は、ご用心⁉

2020-03-05

あらゆる方面に「新型肺炎」の“余波”が徐々に及びつつある。私が心配していた通り、芸能・芸術関係のイベントもその多くが中止や延期に追い込まれている。私は、何事に対しても“さまざまな考え方”“さまざまな意見”があって良いと思うのだが、今回の騒動に関しては“別な観方”とか、“別な考え方”というものを許さないような雰囲気が世の中にはびこっている。日本人というのは“単一民族的要素”が強く、そういう意味ではまとまりが良い。けれども、それが時には“危険な方向”に動くこともあることは踏まえておかなければいけない。昔、戦争に反対した人は「国賊」と呼ばれた時期もあるのだ。同じように、今あらゆるイベントやライブの開催は「国賊」と呼ばれそうな雰囲気にある。これが怖い。椎名林檎氏率いる「東京事変」の“全国ツアー5公演”が中止となった。2月29日には“東京ライブ”を決行し、それが波紋を読んでいた矢先の決断だった。確かに、長時間の密閉空間でのライブ公演というのは“感染率”が高い。したがって中止は致し方ない部分も多い。けれども、ほんとうに“その部分”で中止を決断したのだろうか。何となく、世論が“許さないから”決断したように見えて仕方がないのだ。もしも、強引に決行したなら、徹底的にバッシングするような風潮があったから中止せざるを得なかったような気がするのだ。文字通り「国賊」として“血祭り”にあげそうな雰囲気が怖い。しかも、その先頭に立つのは、私が「防ぎようのない自然災害」として怖れていた年初の頃には「こいつはいったい何を言っているんだ」的な反応を示していたような人に違いないのだ。さて、そういう“ちょっとズレている”私が、次に怖れるのは今月ではなく「来月」に来る。また何を言っているのだと思われそうだが、実は椎名林檎氏は干支暦で言う「辛」日の生れである。そして、今年は「庚」の年である。推命学的な言い方をするなら「劫財」運気の年度に当たる。さらに4月になると「庚月」が巡って、年と月ダブルで庚がやって来るので「劫財年の劫財月」ということになる。「劫財」というのは「奪い去られる財」で“金銭の苦境”に立たされる運気ということになる。当然のことながら、世の中には“辛日生れ”の人はごまんといて、そのすべての人が“苦境に立つ”わけではないが、自営で事業・商売をやって来ていて、1月後半から3月にかけ“派手な企画や催し物”を行う予定だった人は“一気に窮地に追い込まれる”可能性が強いのが来月4月なのだ。

「濃くて長い眉」の子は親を継承する

2020-03-04

どういう仕事でも、或る程度の年齢に達した親は、自分の子供が“同じ仕事・職業”を受け継ぐ形をとると、うれしくなるものらしい。俳優の藤岡弘氏が同じ道に進んだ息子との“ツ―ショット”を誇らしげに公式インスタグラムに掲げている。藤岡氏は“精悍な顔立ち”で知られているが、その息子さんも同じように精悍だが、まだ16歳でもあり今風のイケメンに仕上がっている。何となく、悪に立ち向かう“正義のヒーロー”的な面立ちなのだ。まさに“父親譲り”的な雰囲気の持ち主である。まだ16歳なので“親子二代”と言ってもこれからがスタートなのだろうが、藤岡氏の方の“公式インスタグラム”に登場するということは「七光り」を使ってでも売り出したい気持ちの表れであろう。この藤岡真威人(ふじおかまいと)氏には、顔貌の中で注目すべき部分がある。眉が濃く長いのだ。父親の藤岡弘氏も眉は濃く太く長い。真威人君の眉は太くはないが、濃く長い。これは性格的には“熱血漢でひた向き”であることを意味するが、それと同時に、運命的には“親子兄弟の関り”が強くて、家系的な仕事を“継承していく人”の相でもある。そして、もし、子供がほんとうに活躍し始めたなら、親の方は静かに“第一線から遠のく”のが相応しい形でもある。これは、どのような職業分野でも言えて、親の方が“第一線”を遠のかないうちは、その子が“中心的存在”として活躍し始めるのは難しい。だから、例えば一般企業であれば、息子をほんとうに活躍させたければ、自分自身はトップの座から降りた方が良い。もっとも俳優のようなフリーランスの仕事は会社と違って“引継ぎ”もないし“資格・証明”もない。父親を乗り越えていくのは容易ではない。いつの間にか“親の名”が出されなくなった時、それは“親を超えた”時なのだ。そして、ここからが“親の光”ではなく、自らの個性や能力で光り輝く時なのだ。

「姓名」が「生命」として動き出す時

2020-03-03

ときどき「命名」や「改名」や「別名」を依頼される。「命名」というのは、もちろん“誕生時の名付け”で、或る程度ご両親の希望する“こういう感じの名前”的な要望を聞かされていた方が名付けやすい。既に出生している場合には、その生年月日時も参考にする。何か“弱点”を持って生まれている場合には、それを補うよう工夫したいからだ。次に「改名」で、たいていの場合は本名の“姓名”に何かしらの“嫌悪感”というか“拒絶感”のようなものを持っている。そういう場合には、実際に改名して“気分一新”生まれ変わるのが良い。但し、戸籍上の姓名はそう簡単には変えられない。だから、とりあえずは日常において“通用名”として使用するのが良い。人間というのは毎日使用していると、徐々にその“名”に馴染んでいく。自分自身も馴染んでいくし、周りも馴染んでいく。当然のことだが、名前は使用しないと「運」が発動できない。神棚に飾って置けば運が良くなる、などという姓名鑑定家もいるらしいが、お呪いではないのだから使わないものに“生命”は宿らない。最後に「別名」というのは、日頃用いる本名とは別に、仕事上であるとか、趣味的分野であるとかの「もう一つの顔」のところで使用するための“新しい名前”のことである。時としては、それが世間に知られていく可能性もある。最近は、副業を持つ人も多くなった。或いは副業とまでいえなくても、趣味的な分野で“その分野に相応しい名前”を持っていた方が何かと都合が良い場合もある。もちろん、自分の名前なのだから、自分自身で名付けるのが本当は一番良い。けれども、いざ本格的に考え出すと、命名というのは中々に難しい。最近は「画数」だけなら無料で吉凶を算出してくれるサービスがいくつもある。ホロスコープや四柱推命式でもそうだが、近年はそういう点で苦労しなくても、答えが出てくる。但し、ただ単に「吉」をそろえれば“幸運な人生”かというと、そうはならない。実際のデータで比較すれば分かるが「吉数」必ずしも“幸運”と言えない事例がごまんとある。私が一番重視するのは、その人のイメージである。なぜなら、名前というのは元々“イメージから名付けられた”ケースが圧倒的に多いからだ。動物でも、植物でも、魚でも、鳥でも、電車でも、町名でも…ほとんどはイメージ先行なのだ。そして、イメージと名前とが符合していれば、誰も“違和感”を抱かない。歌手でも俳優でも“長続きする人”は、その芸名と本人とのイメージが重なりやすい。それが“合わない”と、どんなに“良い名”であっても長く使われ続けることはない。「姓名」に「生命」を宿すためには“相応しい名”が必要なのだ。

何故か似合った「僕らは仲間」の呼びかけ

2020-03-02

昨日、依存症への理解を深めるための「啓発イベント」が行われ、そこに元プロ野球の清原和博氏、元歌手の杉田あきひろ氏、元ロックボーカルの森重樹一氏、元NHKの塚本堅一氏、そして元俳優の高知東生氏などが集った。いわゆる“覚せい剤依存症”のメンバーたちである。その中でもっとも活き活きと話していて余裕が窺われたのは高知東生氏であった。自分は「芸能界から食み出していった存在」と認識していて、だから自分から「芸能界に復帰させてほしい」などと言えるわけがない、と自らを客観視している。この辺のところは、なかなか明快なのだ。ただ「自分たちを必要とするところがあり、呼んでいただけるのであれば、自分は躊躇なく出掛けていく」と微妙な表現で、自己アピールも忘れない。しかも、先に捕まった沢尻エリカ氏に対しても「僕らは仲間だから…」と妙なエールを送っていて「一緒に“自助グループ”に加わりませんか」とまで言っている。この人が言うと、まるで「覚せい剤」が「麻雀仲間」や「釣り仲間」と同様なものに思えてくるから奇妙である。まあ、元々「暴走族」グループの出身だったという話もあり、そういう意味では「仲間」を作るのが好きなのかもしれない。そうして、そういう仲間達グループにおいては“兄貴分”的な役割が妙に似合っている。そこに清原和義氏がいても、何となくリーダー的なものは高知氏の方にある。しかも、自然な形で(薬の影響ではなくて)明るく振る舞うことが出来る。私は、もしかしてこの感覚は沢尻エリカ氏と共通するものではないかと感じた。確かに、二人とも、いろいろ共通点は多いのだ。だから、文字通り「仲間」として、上手くやっていけそうな雰囲気はある。問題は、それがいつ「ついでにクスリもやってしまおうか」とならないか、どうかだけである。その点さえうまくクリアできれば、少なくとも“この二人”は立派に芸能人として脚光を取り戻すことが出来るだろう。俳優は“人生の影”を背負っている方が、本物の“苦悩する”演技ができる。もちろん、一歩誤れば、また“ほんとうのクスリ仲間”に戻ってしまう危険もある。運命の“分かれ目”は自らの自制心に掛かっている。

定例会見で試される「社長の器」

2020-03-01

最近のアナウンサーというのは、時としてタレント以上にマスコミからの注目を浴びる。したがって大きなスキャンダルが出た場合、週刊誌などからの格好の餌食となる。2019年12月「週刊文春」が、テレビ東京の人気女子アナウンサーだった鷲見玲奈氏の同局内既婚アナとの「不倫疑惑」を大々的にスクープした。その直前、なぜか既婚男性アナは営業部へと異動となり、鷲見玲奈アナも生放送を続けて欠席した。そして、その後に3月いっぱいでテレビ東京を退局し、女子アナの宝庫「セント・フォース」入りして、フリーとなることが公表された。何となく、疑惑を肯定するかのような動きであった。けれども、今回行われたテレビ東京の“定例会見”に出席した小孫茂社長は、一連の質問に対して、実に見事な対応をしている。TV局社長の定例会見というのがいつから始まったのか知らないが、大体は“レギュラー番組の改編”などとは違ったところにマスコミは食いつく。そういう部分の質問に対しては、本来ならば適当に受け流しても構わない。けれども今回の小孫社長は違った。その対応をスポーツ報知が詳しく報じている。なぜスポーツ報知が詳しく報じたのかというと、担当記者が、過去において“改編会見”を仕切っていた鷲見玲奈アナのMCぶりを高く評価していたからである。担当記者が何度も挙手しても質問できず終った時、駆け寄って来て「せっかく挙手していたのに当てられなくて申し訳ありません」と頭を下げたという。その鷲見玲奈氏が「不倫疑惑」で退社に追い込まれた。社内の聞き取り調査で“否定した”なら、“異動”や“退局”はおかしいということになる。その部分を追及されても、小孫社長は本人たちの言葉を信じ“不倫疑惑”そのものを完全否定し、そのうえで「本人の希望で退局されると聞いた」と言い「本人の希望を最大限優先したい」と続け「今日集まったメディアの皆さんも、新天地で活躍できるよう応援してあげていただければありがたい」と結んだのだ。五輪中継のメインキャスターの候補でもあった鷲見アナが抜けるのは、決して本意ではないはずなのに「他にも優れた人材はたくさんおりますから…」と最後まで、受けて立った。マスコミ人がマスコミ人相手の受け答えとして、これ以上はないような素晴らしい「社長の器」を垣間見せてくれた。

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