9月, 2020年

作る「銅像」間違えている“お粗末”芸術家

2020-09-18

有名人が、その生れ故郷に彫像や銅像を建てられることは珍しくない。そのほとんどは、その街の“誇り”として、記憶に遺したいから建てられる。ところが、たまにはまったく別の目的から、彫像や銅像を建てられることがある。アメリカ大統領トランプ氏の妻メラニア氏の銅像が、その故郷である中欧スロベニアのセブニツァに9月15日、お目見えした。制作したのは芸術家のブラッド・ダウニー氏である。その画像を見れば、おそらく誰もが「えっ、これなの?」と驚く。まず、第一に、誰なのか全くわからない。「似てる」とか「似ていない」とか以前の問題である。よく、これを公開することを“その街”が認めたな、と思うような作品なのだ。実は、ダウニー氏はこれが二度目の制作なのだ。一度目は木像の作品だったのだが、それは放火されてしまった。そこで、今度は“放火されない”よう銅像にしたのだ。銅像の夫人らしき彫像は片手をあげている。それが何を意味するか解からないが、どう視てもメラニア夫人には見えない。よくよく訊くとダウニー氏は、夫人を称えようと故郷に銅像を建てたのではない。等身大だという銅像だが、ほんとうは夫人ではなくトランプ大統領に文句があるのだ。トランプ大統領の“移民政策”に対し「反対している」ことの意思表明として、この銅像を制作したというのだ。つまりは、メラニア夫人には何の関係もない。大統領の下した政策に対して、その夫人を“揶揄するような作品”を作ることで、その意図を反映させたいという“面倒な銅像”なのだ。この芸術家はいろいろな意味で間違っている。もしも、トランプ大統領の政策に対して反対したいなら、トランプ大統領の故郷で行えば良い。わざわざメラニア夫人の故郷で活動する意図が解からない。彼女には何の“罪”もない。最初に木像を作って燃やされたのは、その作品が街に遺したいような“芸術品”となっていなかったからだろう。それにも懲りず、今度は銅像で“燃やされない”ようにするというなら、もっと“誰なのか”くらいは、すぐ解かるよう制作すべきだ。そして、もっと“楽しい風刺”をこめれば、芸術作品として受け入れられたかもしれない。街としては、こんな“ヘタクソな銅像”を建てられても、しかも、樹の切り株の上に建てられても困惑するばかりだろう。

「500年の寺院」と一体化したホテルが誕生

2020-09-17

どのホテルに泊まるかによって、旅の想い出は大きく変わってくる。せっかく京都に泊まるなら、“京都らしいホテル”が良いに決まっている。そこで、おススメなのが9月28日から開業する三井ガーデンホテルだ。一見、何の変哲もないデラックスホテルに思えるが、そうではない。ここ「三井ガーデンホテル京都河原町浄教寺」は、570年前に創建された由緒ある寺院が、新しく建てられたホテルと一体化、というかホテルの一部として組み込まれた珍しいホテルなのだ。つまり、寺院が古くなって老朽化し、建て直さなければならない状態なのだが、その資金がない。そこに大手不動産メーカーが「京都らしいホテル」ということで、ホテルの中に寺院を組み込む“一体型”を提案してきたのだ。そうすれば、国宝級のお宝類も展示できるし、一種のインテリアとしてホテル内に仏像や仏画を安置することも出来る。朝の読経や写経には宿泊客も参加できるし、御朱印も貰える。さらに“精進料理”のような朝食も頼むことが出来る。そして、宿泊客にとって何よりも都合が良いのが、このホテルの立地だ。すぐ隣に高島屋がある。駅から徒歩1分なのだ。ここに泊まると、祇園や東山が徒歩圏で動ける。京都というのは、街中に立派なホテルが少ない。古都ということで、いろいろと規制があって高層ホテルを建てることが出来ない。そのせいもあって、街中に立派なホテルを建設しにくいのだ。その点、三井ガーデンホテルなら、高級なホテルとして名も通っている。それに、寺院好きな人にとっては、ホテルの内部でガラス張りの寺院内部まで見ることが出来、僧侶たちの姿にも接することが出来る。寺院側にとっても、メリットは多い。何よりも立派な寺院として、再建してもらうことが出来たのだ。500年間以上に及ぶ「仏」たちが、それを悦ばないはずがない。また、泊まる方にも、或る種の“お布施”をしたような爽快感もある。今後、この種のホテルが多くなっていく可能性は十分にある。京都は、正直、神社仏閣の数が多過ぎるので、このような形にしていった方が、良い形で伝承を継承できる。それに、京都に来る外国人観光客にとっては、理想的なホテルと言えるのではないだろうか。

占星学による「死」の予兆

2020-09-16

人間にはさまざまな“生き方”がある。それらを批判することは簡単だが、それらから“学ぶ”ことの方が人生には役立つ。昨日、タレントの岸部四郎氏(71歳)が今年8月28日に心不全で亡くなっていたことが公表された。元々は沢田研二氏と同じくタイガースの一員であり、その後に俳優・タレントに転じた。そして多くの人たちに知られたのは朝のワイドショーの司会者に起用されてからである。1984年から1998年まで14年間も務めている。ところが自らの借金により“自己破産”をして、突然、降板した。その後は病気を患うことが多く、やけっぱちの“借金王”として引き出される程度だった。この人に、やや似た人生を歩んだのは俳優の山城新伍氏である。こちらの方は時代劇俳優として一世を風靡したのち、タレントに転じて司会者としても人気を博した。ところが“浮気”→“離婚”→“再婚”→“浮気”→“離婚”と繰り返して、芸能界を追われ、最期は誰一人みとる人無く老人ホームで亡くなっていった。顔が知られる芸能人は、いったん芸能界を追われてしまうと、再出発が難しい。岸部四郎氏の方は、一応芸能界に留まっていたのだが、高収入を得ながら趣味の骨とう品に金を注いで自己破産した風当たりは強く、助けてくれる人は少なかったようだ。ただ彼がワイドショーの司会者になった頃はバブル経済が始まった頃で、誰もが趣味的なものに金を注いでいた。途中で“バブル期”が終焉したことに気付かなかったか、自分はまだ終わっていないと軽んじたことに問題があった。山城新伍氏も同様の時代を歩んでいて、おそらく「日本の変化」に気付きながらも、気付きたくない気持ちを持ち続けたところに“転落”の原因があったのだ。人の「運命」というのは個々別々なのだが、それでいながら「日本の運命」を“無視できない部分”もあるのだ。ところで、私は多数の著名人の「死のホロスコープ」を前にして、時々思うのだ。奇妙なことに、人間の「ホロスコープによる死」は、実際の死亡時期よりも“少し前”や“少し後”に来ているケースが多い。岸部四郎氏なども、2020年7月初旬、トランジットの土星は出生時の土星と150度になり、同時に天王星とも150度になって「ヨッド」と呼ばれる“二等辺三角形”アスペクトを作った。この時、同時に出生時の太陽に対しても135度アスペクトだった。本当は、この時が「ホロスコープによる死」であった。そうすると彼は現代医学により2カ月近く長生きしたことになる。やがて医学は、こうして数ヶ月から、やがて数年も“長生き”をさせるようになっていくのだろうか。それは、果たして“佳いこと”なのであろうか。

現存する世界最古(⁉)「金箔天文図」公開

2020-09-15

何となく「金箔天文図」などと言うと“妖しく”聴こえて良い。実際に金箔を貼り付けた天文図なのだから「金箔天文図」であるのは間違いがない。そして、現存する天文図としては一応“世界最古”であることも事実だ。それは、そうなのだが、どうもスッキリとはしない。10月17日から一般公開されることが決まった「キトラ古墳」の石室天井石に描かれた天文図のことである。一つには、これが純粋に日本人が観測した成果としての天文図ではなく、おそらく中国の長安で西暦前60年頃か、或いは西暦300年頃か、そのどちらかの時に観測された天空上を基にした天文図であることである。つまり輸入品なのだ。しかも、実際の天文星座に比べると、あまり上出来とは言い難いのだ。もちろん、その時代に天井石に350個以上の金箔を貼り付けて作製したのだから、その価値は高く評価されるべきだし、多少違ってるとはいえ、70個以上の星座を特定していたことは素晴らしい努力の結晶だ。先頃「日本天文遺産」に選定されたのも、頷けないことはない。ところが、見栄えで言うと、この天文図は「もう一つの天文図」である「高松塚古墳」に比べると見劣りする。二つの古墳が、ほぼ同時代に作られたことに関しては多くの研究者の意見が一致している。ところが、それぞれの古墳に誰が葬られていたかについては大いに意見が分かれている。中国からの使者だという説もあれば、日本の天皇だという説もある。つまり、ふたりの重要な人物が次々亡くなったと考えられるが、似たような作りながら、その描かれている壁画は大きく違っている。特に「天文図」が異なるのだ。キトラ古墳の方は“実際の天空”を模したものであり、高松塚古墳の方は“呪術上の星座”とでもいうか、密教系で用いる“28宿星座”が整然と並べられている。つまり、実際の天空星座とは切り離した“呪術”或いは“占術”上の星座が用いられているのだ。そうして、高松塚古墳の方は壁画全般が断然に美しい。報道面でも、こちらの方が使われがちなのは画像として見栄えがするからだ。とにかく、現存する世界最古であることには違いない「金箔天文図」なのだ。

「ノーベル平和賞」って“何”だろう

2020-09-14

「世の中」には、“わからないこと”というのがいろいろとある。「ノーベル平和賞」という「賞」もその一つだ。まず、科学的な「賞」と違って、その根拠というのが今一つ解かりにくい。例えば今年度の「ノーベル平和賞」にアメリカのトランプ大統領がノミネートされたというニュース。おそらく、多くの日本人は「なぜ?」と思うに違いない。けれども、この賞には元々「なぜ?」という部分が昔から付き纏っている。例えばミャンマーのアウンサンスーチー氏は「ノーベル平和賞」を過去に授けられている一人だ。ところが、彼女は“似たような賞”で、欧州議会というところが授与している「サハロフ賞」も過去に受賞しているが、この賞による“人権活動の資格”を最近になって剥奪された。既に国家指導者となっているのに、少数派であるイスラム教徒ロヒンギャへの迫害を「黙認している」というのが、その理由だ。つまり、人権を尊重するリーダーと観て授与したのに、実際に権力の座に就くと、過激な迫害も見過ごしているというのだ。実は、この点に関しては、その背景に根深い宗教問題がある。仏教徒の多いミャンマーにとって、イスラム教徒であるロヒンギャの人々は優遇できない事情が潜んでいる。同じことは中東にもあって「イスラエル」という国家を多くのイスラム諸国は認めて来なかった。それが今年9月になってアメリカの努力によってイスラエルのネタニヤフ首相とUAE(アラブ首長国連邦)のアブドラ外相とがホワイトハウスで国交樹立の“歴史的調印”をするのだ。そのために、アメリカの大統領補佐官や国務長官などが何度も中東に足を運んでいる。トランプ大統領自身は直接足を運んでいないが、実質的にそれを指揮したのは大統領であるから、歴史的に観ると“和平に貢献した”意義は大きい。もっとも、トランプ大統領が本当に「和平」とか「平和」を意図してそれに力を注いだのかには大いに疑問がある。実はトランプ大統領が「ノーベル平和賞」にノミネートされるのは今回が初めてではない。2年前にも「南北朝鮮の融和に尽力した」ということでノミネートされている。確かに、そういわれてみれば金正恩氏と抱き合っている。ところが、その後で南北朝鮮は「融和」どころか対立を深めている。それに、この時もトランプ大統領は「和平」のために動いたのではない。もう「平和賞」という賞は、止めてしまった方が良いような…。

「波木星龍インタビュー記事」は誰に役立つ⁉

2020-09-13

時々よく解からない取材や問い合わせが来る。私に対する“インタビュー取材”も、そういう“わからないこと”の一つだ。過日も別々の電話占いの会社から“取材”を受け、それが記事としてまとめられた。その一つは「電話占いセレクト」という会社で、もう一つは「電話占いサーチ」という会社だ。私が、これらの取材を受けるのは、勝手に嘘を書かれたくないからである。昔、似たような取材の依頼があって、放って置いたら「私が話していない内容」が載せられた。それ以来、嘘を書かれるのは嫌なので、極力、この手の話には応じることにした。セレクトの方はhttps://dennwauranai-select.com/namikiseiryu-interview/であり、サーチの方はhttps://dennwauranai-search.com/inteview-namiki/である。ただ、それらの会社の“電話占い師”ではない私への取材記事が、それらのサイトを見る人たちに役立つだろうか。それに一般の電話占いの会社は「分単位の料金制」を採用している。私の場合には一律で、短くても指定料金は頂くが、その代り“延長”という方法を取らせない。というのは、私はこれまでの経験から、電話占いは40分あれば大概のことは判断可能であり、それ以上になると「占い」から離れてしまうことを体験的に感じているからだ。直接鑑定でもそうだが、私は基本1回に付き60分以上の鑑定は、よほどのことがなければ行わない。一人の相談事に関しては大体60分くらいがちょうど良いのだ。逆に短すぎても、訊き足りないところや、言い足りないところが出て来やすい。私の場合、人によって判断の仕方を“大きく変える”ということがない。そういう意味では、どのような相談事でも、たくさんの人数が絡むことは別だが、そうでなければ60分くらいでの鑑定時間が最も妥当なことを体験的に感じている。ただ、問題が一つだけで最初から、その相談事を要領よく話してもらえれば、30分あれば十分に鑑定可能である。インタビュー取材にしても、その取材の仕方というか、質問の内容によっては答え方が大きく異なり、上手い訊き方というか、話の引き出し方が良いと、自分では思ってもいなかったような言葉が出て来ることもある。これからはなるべく、違った答えをすることにしよう。

データが役立たない「気候帯」となった⁉

2020-09-12

最近の「天気予報」とか「気象情報」が、あまり信用できなくて“役立たなく”なりつつある。私は以前にも指摘したことだが、もはや地球世界における「気候帯区分」自体が役立たなくなりつつある。多分、実際にはここ4~5年前から特に大きく変化しているように思うが、公式にはどこも「気候帯が変わった」とは認めていない。したがって、本来なら「スコール」と呼んで良い雨でも「豪雨」とか「局地的豪雨」とか「記録的豪雨」とかの表現しかない。日本列島の多くが、東南アジアのような気候帯に変わったとは信じたくないのだ。私が20年ほど前にフィリピンへ行った時、初めて“本格的なスコール”を体験した。文字通り“強烈な雨の放射”に襲われたのだ。そういえば、その後になって、シンガポールでも、ベトナムでも、スコールを体験したが、フィリピンのスコールほど強烈ではなかった。ところが現地に暮らす人たちは「いつものことだ」と言って気にも留めていない。現地ガイドの人の家に“雨宿り”をすることになった。この勢いで降り続けたら、たちまち大洪水になってしまうのではないかと心配したが「そんなに長時間降らないから大丈夫よ」フィリピン女性は楽しそうに笑った。気候の急変とか、スコールに慣れっこなのだ、と妙なところに感心をした。実際、2時間ほどで雨はやみ青空となった。埃っぽい街には、むしろ必要な雨なのかもしれないとさえ思った。最近の日本の天気予報は、あまり言いたくないが外れることが多い。おそらく、過去のデータが役立たなくなってきているのだ。何十年も前の日本でなら、考えられないような“気象変化”が日常的に起こっている。それなのに、気象予報士の方々が用いるのは、昔からの“日本列島のデータ”なのだ。だから的中しなくなっているのではないか。もはや「気候帯」そのものが変化していることを前提に置かなければ、どんなに過去のデータを組み入れても的中しないような気がするのだ。あちこちで局地的に発生する「スコール」はなかなか“地域全体の予報”に組み入れにくい。そうだとすれば、むしろ「〇〇市や〇〇村の付近では日中2時間ほど激しいスコールに襲われる可能性もあるのでご注意ください」という風な形の予報の方が、役立つようになっていくのではないだろうか。

リストラ回避「こくみんうさぎ」が“カワイイ”

2020-09-11

最近は“新鮮さに欠ける”政治の話が多い。それは日本だけでなく、世界各国がそうである。そんな中で、唯一の“ひかり”は国民民主党のキャラクターとして登場した「こくみんうさぎ」がリストラされそうだったが、かろうじて生き残り、次の“玉木新党”に引き継がれることになったというオメデタイ話。実は、私は今年5月に登場したという「こくみんうさぎ」を知らなかった。こんなにかわいいキャラクターが存在していることを知らなかった。大体が政治絡みのものは“可愛くない”と相場が決まっている。そう思っていたが、昨日、初めて知ったこのキャラクターは実に可愛らしい。別に、誤解されたくないので記しておくが、私は「国民民主党」のシンパでも何でもない。ハッキリ言って“運命的な政治家”には興味があるが、政治にはそれほど興味がない。だから基本的には、どの党が躍進しようがどうでも良いのだが、このキャラクターはリストラされてほしくない。そういえば、私はときどき会社勤めの夢を見る。もう会社勤めから解放されて40年以上経つのに、なぜか私は未だに会社員なのだ。そうして最近の夢では、私の周りの社員たちはみんな忙しそうなのだが、私だけは趣味的なことをやっていて、誰からも咎められない。そんな中で、社長が朝の挨拶をしに会社の中を周ってきた。私にも声をかけて来たのだが、その時、社長は私が暇そうにしているのを見抜いたようだ。そして私に「一つ頼みがあるんだが、今度の観楓会の旅行プランを作ってくれないか」と私に依頼してきた。「別に良いですよ」私は気軽に応じた。ところが、その後社長がいくつかのことを加えていったのだが、会社内のやり取りがうるさくて聴き取れない。なんとなく雰囲気からは「予算は多少オーバーしても良いから豪華なやつを頼むよ」的なことを言われたように思うのだが、聴き取れなかった。それでも、一応私は適当に頷き「もう一人誰か女性の担当者をつけてください」とお願いした。一人で全部を受け持つのは嫌だった。社長は「女性が良いのか、わかった、誰かに頼んでおくよ」と言って去っていった。社長が去ってから、やっぱり何を言っていたか、確かめるべきだったな、と少し後悔した。それにしても、暇な奴を見つけて“幹事役”を引き受けさせるとは、さすが社長だなと妙なところに関心をした…ところで眼が覚めた。

2020年は「運命」を“教える年”になるか⁉

2020-09-10

ようやくというべきか、徐々にというべきか、“コロナの終息”が何となくだが窺われつつある。もちろん、まだまだ「終息」を宣言できるような状態にはないのだが、少なくとも“どんどん拡散していく”という状態からは脱しつつある。現在の状態から推測するに、大体年内のうちには“或る程度の終息”は見込めるのではないだろうか。もし、そういうようなことになったなら、今回の“世界的な騒動”はいくつかの点でとても貴重なのだ。まず、第一に、われわれの人生には「予測不可避なことが起こる」という事実。そして、それは“運命”を信じる人にも、“運命”を信じない人にも、平等に起こって来るという事実だ。世界のどこにいたとしても、安心・安全はない。さらに、いったん、それに巻き込まれると、個々の人達の「予定」とか「計画」とかいうものは、たちどころに覆されていく。人生上の“長期計画”というものは、決して計算通りには進まないものであるということだ。但し、ここからが重要なのだが、そういう「不可避な事態」に巻き込まれた時、人は今後もずっとこういう状態が続くのではないか、と不安になる。けれども、ほとんどの場合、それは“杞憂(きゆう)”に終わる。つまり、或る時を境として、急速に元に戻っていく。もちろん、すべてがそうなのではない。例えば、今回の騒動にしたって、実際にその病に伏し、亡くなられた人が大勢いる。その人たちにとっては、決して戻ってなどいない。永遠に止まったままなのだ。けれども「人間の運命」という“大きな枠”で捉えた時、一時的には「人類滅亡か」に思えたような災難であっても、ほぼほぼ丸一年経てば“正規の状態”に戻る状態がやってくる。個々の「人間の運命」にも、このような面が存在しているのだ。もちろん、その事柄によっては一年などでは終息できず、二年半程度かかる場合とか、十年間くらいかかる場合とか、最悪二十年くらいかかる場合もあるのだが、本来の姿に戻ろうとする機能は失われてはいない。人間の運命には“不条理な部分”が多い。もしかすると、何年か経って「マスクばかりで可笑しかったよね」と“笑える時”が来ているかもしれないのだ。

耳の「内郭」は何を物語るか

2020-09-09

昨日、大麻所持容疑で伊勢谷友介が逮捕されたが、その画像を見ていて、同じく“大麻”で世間を騒がせた沢尻エリカ氏と同じ部位に“眼”が止まった。耳の「内郭」である。沢尻氏も伊勢谷氏も耳の内郭が、耳の外輪よりも極端に突き出ているのだ。沢尻氏の場合は「くの字」に突き出ているし、伊勢谷氏の方は「半円形」に突き出ている。この「内郭」部分というのは、俗に“世間”とか“社会”とか呼ばれる「枠組み」に対して、自分自身が“どう向き合っていくか”を物語る重要なサインとして注目すべき部分なのだ。そういえば、時代はかなり戻るが、かつて薬物事件を起こした押尾学氏も耳の「内郭」が突き出ていて特徴があった。“世間”や“社会”の「枠組み」から外れようとしたがる人は、耳の内郭が突き出た象形となる。実は、大昔の観相書では、ここをその人が「長男」であるかどうか、或いは「家業」を継承するかどうか、その判断の“要”と見ていた。つまり、ここが飛び出している人は、代々続いてきた「家系」「家業」を継承できず“飛び出していく”人の相と観立てたのだ。昔は、長男が“家業を継ぐ”とされていたから、ここが飛び出していれば「長男・長女ではない」と観た。けれども、今は“家業”と言っても、それを継承する人は少なく、よほどの“名家”でもない限り、その種の義務はない。したがって、古典的な相書の観方は役立たなくなったが、“世間”や“家庭”の「枠組み」を嫌うという部分は生きている。そして、ほとんどの場合には、家業も継承しないし、実家から十代後半になれば“飛び出して”行く。そういう意味では「内郭」としての根本的な意味は生きている。その根本には、この「内郭」は“自己”そのものでもあって、特に、その“思想的な生き方”においては、頑固なほどに自己を主張したがる。実は、薬物とは関係なくても、芸能人には耳の「内郭」が“突き出ている”人は多い。そうして、そういう人のほとんどが、特に“生き方”に関しては周囲からの干渉を嫌う。「私は私として」その生き方を貫きたがる。おそらく、伊勢谷容疑者は昔から大麻を常用していたのだろう。そうして、その部分に関しては、周囲からの“助言”も受け入れなかったに違いない。自らの「思想を貫く」のが彼らの特徴であり、生きる流儀でもあるからだ。

手持ち“物件”すべて「30%引き」賭けに出た⁉

2020-09-08

ときどき海外企業の“大胆な戦略”に度肝を抜かれることがある。特に大胆なのは中国だ。昨日から、中国不動産の大手である「中国恒大集団」では、手持ちの“全物件”を1か月間すべて“30%引き”する大胆な企業方針を打ち出した。ビル価格や住宅価格の“正統価格”からの30%引きでは、不動産事業は実質的には成り立たない。つまり、売れても収益率は極端に悪化するので、もちろん儲けられない。にもかかわらず、これを実施するのは、この企業が多額の負債を背負っているからだ。要するに“手元の現金資金”が必要なのだ。だから、収益悪化を覚悟での一大キャンペーンを張る。それでも“売れない物件”は、どうするか。その場合には、さらなる値引きを決行する。30%値引きの値から、さらに12%値引きしても「売る」というのだ。大丈夫なのか。よその国ながら心配になる。日本で、もし、これと同じことをやったらどうなるか。考えたいところだが、日本企業はそこまでの大胆さはない。せいぜい10%値引きくらいが良いところではないだろうか。10%であっても、5000万のマンションなら4500万になる。このくらいなら、日本でも出来そうな気がするのだが、余程“売れ残った物件”ならそうするかもしれないが“一律値引き”は日本では絶対にしない。「なにも売れている物件まで値引きする必要はない」と考えるのが日本人だ。ましてや例えば1億円の物件を7000万円で差し出す…という離れ業はなかなか出来ない。そういう点からいうと「中国恒大集団」の、その後の状況をぜひ知りたいものである。中国人という民族は、元々“賭け事”が好きである。マカオのカジノ場も、シンガポールのカジノ場も、中国人で溢れている。アメリカは中国との貿易交渉で手こずっているが、案外、この中国人の“賭け好きな性質”を利用すれば、アッサリと交渉成立するのかもしれない。

44億円の「損失」と、40億ドルの「含み益」

2020-09-07

珍しく弱気に「悔やんでも悔やみきれません」とのコメントを公表したのは「ZOZO」の創業者で実業家の前澤友作氏である。株式投資の失敗で44億円もの損失を出したというのだ。彼にとっての“44億円”が、どのくらいの価値なのかはわからないが、謂わずと知れた“大金持ち”であっても、さすがに何十億もの損失はこたえたようだ。同じ日、もう一人の“大金持ち”である孫正義氏が率いるソフトバンクグループが株式投資で“40億ドルの含み益”を出したという報道が出た。こちらの方は、個人ではないので、単純に比較はできないが、それでも“40億ドル=日本円で4250億円”の含み益というのは大きい。ソフトバンクグループと言えば、昨年は何千億円もの投資事業に失敗し、巨額赤字を計上したことは記憶に新しい。ところが、元々たたき上げの投資家ともいうべき孫正義氏はまったく気にしていなかった。投資事業がダメなら株式投資で行こう、とばかりに手法を変え、今度はあっという間に何十億ドルもの“含み益”だ。それぞれの“生き方”なので、それに対して口出ししようとは思わないが、人間というのは“自分に不向きなこと”に手を出すと失敗しやすい。前澤氏の場合、最近行っている「お金配りオジサン」という、よく解からないキャラクターは必要なのだろうか。正直言って、私は止めた方が良いと思うのだ。それは、彼の“慈善事業的な行為”そのものが悪いというのではない。それはそれで立派な行為ではあると思う。但し、彼には似合わない。そういう行為は、多数の事業・商売を手掛けて、もう新たな事業からは手を引く…という完全隠居状態になってから、行った方が良い。まだ、現役でこれから次々新たな事業・商売を手掛けていこうとする人物が行うことではない。仮に、本人にはその気がなくても、それは“誤解”を受けやすいし、本業の足を引っ張るようなことにもなりやすい。それに、ほんとうの慈善家というのは、慈善行為を行う一方で、一発勝負に出て大金を増やそうとはしないものなのだ。せっかく“優れた事業家的な素質”を持っていて、まだ44歳の“働き盛り”の人物が、隠居老人と同じような役割を担ってはならない。

「181年前の心臓」が“街”を守っていた⁉

2020-09-06

人体の“臓器”の中でも「心臓」は、やはり“特別な臓器”という印象が残る。その人自身を“象徴している臓器”のような気がするから不思議だ。ましてや、それがアルコールの瓶に密閉され、丁重にブリキの箱に収められる形で埋葬されていたなら、なおのことであろう。しかも、その場所は街のシンボルである“芸術的彫刻が施された噴水”の真下だった。実は、このシンボル的噴水は現在、改修工事の真っただ中にある。その工事によって、ブリキの箱に収められた“アルコール漬けの心臓”が発見されたのだ。「心臓」が誰のものなのかは解かっている。ベルギー東部、スキーリゾートの地として知られるヴェルビエにおいて初代の市長を務めたピエール・ダビド氏の心臓である。なぜなら、噴水の下に埋葬する時、厳かな式典が行われ、本人の希望通りの形で死後44年も経ってから、アルコール漬けの形で組み込まれたことが、市の公式記録にも遺されているからだ。けれども、もうそれから137年も経って「心臓」のことなど誰もが忘れていた。だから改めて“その意義”が見直され、今度は街の美術館の方で、初代市長の心臓は展示されることになった。古代エジプトでは「心臓」という臓器を特別なものとみなしていた。したがって、彼らの“死後法廷”では、必ず本人の「心臓」が天秤に載せられる。その一方には、死後法廷の女神マアトの「毛羽」が載せられる。その二つの“均衡”がとれていれば、無罪放免となる。そういう風に、古代から「心臓」という臓器は“特別なもの”とみなされていた。ヴェルビエの初代市長も、同じような気概を持っていたのに違いない。自分は亡くなっても、自分の魂が“この街”を見守り、市民に“癒しの噴水”を与え続ける。少なくとも、スキーリゾートの地として、街はその当時の“面影”を今にとどめている。人々はもう一度、今度は美術館の中で彼の“人となり”などを知ることになるだろう。

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