11月, 2020年

「風水」の根底にあるのは「自然との調和」

2020-11-18
ときどき占い師やセミプロの方から「風水」に関する質問を受ける。ところが日頃から占いに“関わっている人達”でも、なぜか「風水」に関しては“誤った発想”を持っている場合が多い。「風水」は“魔術”でも“呪術”でもない。生きていくための“調和思想”なのだ。2018年、中国の四川省の成都市で30階建ての高層マンションが8棟完成した。「垂直の森」と名付けられたマンションで、各階のリビングのバルコニーには最初から“緑の森”が備え付けられていた。まるで各階のバルコニーを庭のように緑の植物で埋め尽くしてあったのだ。しかも、自動で定期的に水や肥料を与えられる。そこに暮らす住人は、黙っていても毎日、リビングの部屋からベランダの森を眺めて暮らすことが出来る。これは、まさしく「垂直の森」と誰もが思った。けれども、現在でも、ここに暮らしているのは10組の家族しかいない。全8826室が完成したのに、みんな出て行ったしまった。どうして出て行ったのかと言うと、蚊が大量発生して、とても「緑の森を眺めて暮らす」という状態ではなくなってしまったからだ。植物にしても、異常なくらいの繁殖状態になっていて、棟の壁が覆われ始めている。30階建てのマンションはどれも均一なので、その地域だけ廃墟のようになっていて、景観としても近未来都市の“荒廃した姿”のようで、ちょっと痛々しい。どうして、こんなことになってしまったのか。「風水」という意識があったか、なかったか知らないが「人工の森」は不自然である。遠目で観ると“廃墟の建物”にしか見えない。本来、近代的なマンションの外観に“うっそうとした植物”は合わないのだ。しかも、30階建ての上部は“空の領域”で、そこに突然、植物が生い茂ること自体が“違和感”がある。やはり植物は大地に根を張っているから良いのだ。天空から植物の枝が伸びるのは不自然過ぎる。このままいくと、あと数年もすれば文字通りの廃墟となって、その地域全体が朽ち果てていくだろう。不自然にものを移動するとか、本来の形を変えるとか、強引に理想を継ぎ足すのは「逆効果」に結び付きやすいことを知っておいて欲しい。

「一時代を築く」ということの意味

2020-11-17
昨日、NHKの紅白歌合戦の出場メンバーから「AKB48」が外れたことが話題となった。国民的な番組に2009年から連続11年出場してきたのだから「一時代を築いた」と言える。現在までも続く“大人数歌手アイドル”の先駆けと言える。AKB48の後、続々と誕生した“派生アイドルグループ”、さらに「乃木坂46」や「槻坂46」など“坂道アイドルグループ”と、一時的に“大量アイドル”が生産された時代が通り過ぎて行った。AKB48商法が成功したのは、何よりも「握手会」と呼ばれる“接客商法”にあった。極端なことを言えば、歌などどうでも良いから“親しみ”を与え「恋人幻想」を抱かせることで、コアなファンを獲得して売り上げを伸ばしたのだった。その商法は一時的に大ヒットし、次々とアイドルを誕生させていくことに成功した。どういう形であれ“一時代を築く”というインパクトは大きい。それによって、世界の歴史は塗り替えられてきた。少なくとも日本の歌謡界は、AKB48の出現以降に大きく変わったのだ。けれども“新型コロナ”が、若干、飽きられ始めていたAKB商法にとどめを刺した。再び、ほんとうに実力のある人しか、歌手・俳優としてデビューできない時代に戻りつつあるのかもしれない。いつの時代でも、その時々の時代の流れに、上手くタイミングを合わせられるのは幸運児と言える。昔から「運も才能の内」と言うが、時代を読んで、その潮流に乗っかる術を心得ている人が大衆をリードする。意図的に狙って成功する場合もあるし、別に狙ったつもりでもないのに時代が味方してくれる場合もある。自分自身が意図して行うのではなく、周りが“お膳立て”してくれたものに乗っかって“人気爆発”というケースもある。多くの人達が考えるほど「才能」に大きな違いはない。凡庸な能力しか持っていなかった人物が、あれよあれよという間に人気者になって、いつの間にか世間を、時には世界をリードしていくこともあるのだ。

「コロナ大量死」の一方「ミイラ大復活」の年

2020-11-16
今年は、運命学的な観点から捉えても、なかなかに興味深い年だ。「防ぎようのない自然災害(コロナ死など)」によって多くの方の命が犠牲になった。その一方で、古代に“ミイラとなった人々”が大量に地上へと出てきた。11月14日、エジプトにおける“古代王朝の墓地”として有名なサッカラで、100基以上の未開封だったミイラが出土したのだ。いずれも古代エジプト特有の「人型棺」に入れられ、全面装飾を施されたものばかりで、おそらく末期王朝の高官たちであろうと推測されている。それにしても、今年は古代エジプトやナスカやマヤなどで次々と“遺跡”が発見されている。古代人たちが“蘇って”来ているのだ。タロットカードには「審判」と呼ばれるカードがあって、その図柄には“棺桶から復活する人々”が描かれる。まさしく、それを彷彿とさせるようなミイラたちの出現なのだ。思えば、古代エジプト人たちは「来世」というものを信じた。その来世に蘇えるためには、亡くなった肉体を“ミイラ”に変えなければならなかった。そのため彼らは“ミイラ作り”に励んだのだ。そして、そのせいなのかどうか、われわれは多数の古代エジプトの王や女王のミイラを拝観することが出来る。文字通り、彼らは“元通り”に修復されて展示されている。気温や湿度も調整され、ミイラとして生き続けられるのだ。私が何よりもすごいと感じるのは、3000年間の長きにわたって、彼らは同じ王国として存続し続け、同じ生活形態を持ち、同じ宗教思想を持ち、同じファッションや風習を守り続けたことだ。紀元前3000年頃と紀元前500年頃と、多少のばらつきはあっても、特に王侯貴族たちの“生き方”は一貫している。われわれ日本人は、古代エジプトには及ばないが、約2000年近くを同一民族として「邪馬台国」→「日本」の中で生きてきた。そういう点では同一なのだが、その生活様式や信仰様式は完全に異なる。ただ“信仰形態”だけが、かすかに共通する部分を持つ。その主神は「天照大神」で“太陽信仰”なのだ。古代エジプトも、その点は同一で「ホルス」「ラー」「ケプリ」「アトウム」「アテン」「ベヘデティ」など名称はいろいろだが、要するに「太陽神」なのだ。もしかすると、ミイラの大量復活は「日本人」が“世界をリードする”よう変わっていく予兆なのかもしれない。

49年間の逃亡者も「終身刑」に“時効”はない

2020-11-15
日本とアメリカでは“犯罪者”の扱い方もいろいろと異なる。日本では「祖母の葬儀に参列するため」という理由では、おそらく“仮出所”は認められない。アメリカの場合には「OK」が出る場合もあるらしい。そういう形で1971年「終身刑」を受けていたレナード・モーゼスは“仮出所”を認められた。ところが、その仮出所を巧みに利用し、モーゼス受刑者は“完全逃亡”に成功する。彼がどういう方法を使ったかは明らかではないが、警察からの包囲網を逃れたのだ。その後、完全に彼の目撃情報は途切れた。もちろん、全米に「指名手配」されたが、その足取りさえもつかめなかった。こうして45年が経過した2016年になって、家族の再調査やTV番組も駆使した“見直し捜査”も試みられ、2000件以上の情報は寄せられたが、本人に直接結び付く情報は得られなかった。ところが、今年になって事件は急展開する。規制薬物の違法な処方箋を書いた容疑で、ポール・ディクソンという薬剤師が捕まった。警察では念のため“指紋照合”を行う。そうしたところが、その人物の指紋が、あの指名手配犯であったレナード・モーゼスに一致したのだ。なぜか1999年から「モーゼス」は「ディクソン」として“薬剤師”を生業としていた。元々モーゼスは「終身刑」ではあるが“凶悪犯”であったわけではない。1968年に起こった「キング牧師暗殺事件」の時に、黒人たちの多くが暴動を起こしたその中の1人だった。たまたま彼の投げた火炎瓶の爆発でメアリー・アンプロ氏が大火傷を負い死亡した。それが「終身刑」の決め手となった。偶然だったとはいえ、死傷させてしまった罪は重い。それでも、彼はいつの間にか、生きながらえるための“二つのもの”を手に入れていた。偽名としての“新たなる人物名”そして“薬剤師”としての知識&資格である。この二つがあれば、日本と違って広大なアメリカなら生きていける。それなのに、どうして“違法薬物の処方箋”など書いたのか。もしかすると彼は、もう自分が「終身刑」であったことを忘れていたのではないか。背中に背負うべき“重い十字架”は、決して消えないのだ。

アクシデントに負けない「強い心臓」移植

2020-11-14
俗に「あの人は心臓が強い」という表現があるが、確かに「強い心臓」というのはある。私の母親は事故に遭い、全身火傷で血圧「0」となった。通常は生きていられないらしいのだが、心臓が強かったので、すぐには亡くならなかった。そういえば母親の手相には「心臓線」とも呼ばれる「感情線」が二本も有った。一時期、日本で脚光を浴びた“心臓移植手術”だが、最近の日本ではマスコミで取り上げられることはほとんどない。だが、行われていないわけではなく、近年では年間50名~80名くらいの例証がある。アメリカの方が活発だが、そのアメリカで先日、ヘリコプターを使って運ばれてきた“移植用の心臓”がアクシデントに遭った。移植をする病院の屋上に着陸するはずだったヘリコプターが上手く着陸できず横倒しになって屋上に落下したのだ。もちろん、ヘリコプターは崩壊し、乗員も怪我をしたが、幸い“心臓”は後ろの扉から病院スタッフへと手渡しされ、窮地を脱した。ところが慌てた病院スタッフが床に躓いて転倒し、“心臓”が宙を舞って、床に落ちたのだ。もう一人のスタッフが“心臓”をすぐに拾い上げ、まるで新生児のように抱えながら、手術室へと運んだ。こうして、無事、その心臓移植手術は成功したのだ。映像で視ていても、ヘリコプターはギリギリのところで屋上内に落下している。もし少しでも逸れれば、地上へと落下し、乗員たちの命も心臓そのものも危うかった。また病院スタッフが転んで、心臓が宙を舞った時にも、すぐ拾い上げなければ“心臓”そのものが危うかった。そういう意味では二度のアクシデントを見事に乗り越えた「強い心臓」ということになる。きっと、新たなる人物の身体の一部となっても、強運ぶりを発揮するに違いない。

「ペット」から「人間」に変わる時

2020-11-13
最近、ロボットがどんどん進化してきているが、そうはいっても今のところ「ロボット」が「人間」としてカウントされることはない。イヌやネコのペットも、俗に「家族」と表現はされるが、少なくとも今のところ「人間」として取り扱われることはない。さて「新生児」の場合はどうだろう。誰が、どういう形で産んだとしても、道端に転がっていたとしても“新生児”は「人間」として扱われる。成長後も“可愛い”かどうか誰にもわからないが、少なくとも3~4歳までは“ペット”や“ロボット”とどこか共通する生態行動を持つ。昨日、タレントの最上もが氏が妊娠していることを公表した。彼女は結婚していない。今後もすぐ結婚する予定はない。父親に関しては不明だが、要するに「自分だけの子供」という“捉え方”のようである。最近、そういう女性達が何人も出て来ている。妊娠初期から、シングルマザーとして“子供を得る”という生き方のようである。20年ほど前までなら、世間から非難された“生き方”も、今や“新しい形”として、多くの人が“迎え入れる”生き方に変わりつつある。もちろん、経済的余裕があって、子育ての時間も取れて、独自の愛情観を持つ母親であるなら、それを非難することは出来ない。けれども、彼女たちは一つだけ誤っていることがある。「子供」は“ペット”や“ロボット”と異なり、所有物にはならない。法律的にも20歳以上になれば、本人の意思というものが尊重される。どんなに愛情をもって自分が育てたと主張しても、だからといって、自分の手元に引き留めておくことは出来ない。人間はだれしも、そうやって成長してきたのだ。強引に、手元に引き留めたとしても、だから自分の“指図”に従うかというと、そうではない。その点が“ペット”や“ロボット”と根本的に違うところなのだ。結局、産み育ててくれたことを感謝してくれるかどうかさえも、成長後でないとわからない。もしかすると十代半ばで家を飛び出し、その娘も母親と同じように“自分の子”を産むかもしれないのだ。

女性二人「独身の負い目」を感じる“世代”⁉

2020-11-12
『婦人公論』での光浦靖子氏と辛酸なめ子氏による対談記事の抜粋を読んだ。二人とも独身で、ほぼ同世代で似た感じの“立ち位置”に居るせいか「独身であること」のマイナス面を語る部分が多かった。現代は昔と違って、男女とも「独身」であることは“負い目”にはならない。或る意味では“良い時代”になった。日本人の場合、昭和40年代くらいまでは“男”も“女”も結婚してようやく“一人前”に見なされる時代が長く続いた。どちらかといえば、20代で結婚するのが“当たり前”で、30代まで独身でいると「売れ残っている」という言葉が使われた。男性の場合には「甲斐性が無い」という屈辱的な言葉が使われる。今なら「パワハラ」に該当するような言葉が、親戚からも、会社の上司からも平気でぶつけられた。ただ、それだからというわけでもなく、私は早く結婚したかった。ほんとうは20代で結婚したかったが、出来なかった。もちろん私は“占い”を知っているので、自分は「結婚は出来るはずだ」と頭では解かっている。頭では解かっていても、実際に結婚出来ないと焦る。32歳くらいの時だったと思うが、このまま結婚出来なくても良いが、自分の“血を分けた子供”だけは欲しい、と真剣に思ったものだ。ところが、その後になって、私はメデタク結婚し、子供も出来て、幸せになった。なったはずだったが、実際はそうでもなかった。結婚すれば結婚したで、いろいろなことが起こり、当たり前の話だが“良いこと”だけが続くわけではない。私は女性問題から、最初の妻に離婚され、独身に戻った。独身に戻ると、やはり当たり前の話だが“良いこと”と“悪いこと”とがあった。独身は自由で好い。けれども家事の苦手な私は“再婚”を願った。数年後、気が付いたら私はいつの間にか同棲をしていて、家の購入と共に入籍をしていた。こうして私は、実際には結婚もし、離婚もし、また再婚もした。けれども、妻が寝込むことが多くなって、一人で買い物に出たりすると、ふと“若い時”のような感覚を味わう。「独身のような感覚」とでも言おうか。そこには或る種と“自由”と“未知”と“寂しさ”とが同居している。この感覚は、もしかしたら“私の世代”だから感じるものなのか…わからない。

「便利」などいらない「希望」が必要なんだ

2020-11-11
いつの世の中でも“食み出す”人達は居る。けれども、その“食み出す”人に“寄り添う”人がいれば、“ささやかな希望”でも見出すことが出来れば、人は生きていける。その両方が失われてしまうと、人は「未来」に“絶望”しか抱かない。こうして自殺者が増えていく。今年10月の“自殺者数”が2153人で昨年同月より40%も増えたそうだ。どんなに世の中が便利になって、昔とは比べ物にならないくらい“暮らしやすく”なっても、そういうことで人は幸福は得られない。幸福となるには“お腹の中”を満たすことも必要だが、“心の中”を満たすことも必要なのだ。どちらが欠けても、生きていくのは辛くなる。話を元に戻して、今年10月の自殺者だが、男性1302人に対して女性851人と圧倒的に男性が多い。それは多分、仕事とか、お金とか、人との関係とか、男性の方が窮地に追い込まれた時、助けを得られにくいからだ。例えば予期せぬ形で会社が倒産する。或いは会社からリストラに遭う。今年の場合には、それだからと言って、どこかに助けを求められるかというと、これが難しい。小さな会社の場合、倒産にしろ、リストラにしろ同じようなもので、その後の“保障”が得られない。本人がまだ若ければ、こういう“ご時世”であっても就職活動に奮闘することが出来る。ところが50代に入っていると、男性の再就職は大変に難しい。もちろん“生活保護”という手はある。けれども、50代前半で健康な男性なら、その対象となるかも微妙である。それに、自分に落ち度があってリストラになったのならともかく、別に“落ち度”などなくて、世の中の変化・事情のようなものが原因でリストラされてしまった場合、本人的に“無念”の気持が強い。どこにももっていきようのない“悔しさ”や“虚しさ”のようなものが付き纏う。それでも、本人に多少の“蓄え”があって、生活を立て直す時間があれば“新たなる生き方”を考えることも出来る。もし蓄えもなく、家族も身近に居なければ、待ったなしで生活が追い込まれていく。もし「未来」に“希望”があれば、生きていける。時として「占い」は、その“微かな希望”として“命綱”として輝きを発することもある。

「日本株」が暴騰し始める「初夢」⁉

2020-11-10
中国の故事に「人間万事塞翁が馬」というのがある。“悪いこと”が起こったかと思えば、それが“良いこと”に繋がっていき、“良いこと”が起こったかと思えば、それが“悪いこと”に繋がっていく……そういうことも多いのだから、長い人生は目前の出来事だけで「一喜一憂してはいけない」という教えだ。確かにその通りで、この格言は真実をついているのだが、そうは解かっていても、現実にはなかなかそのように対応できない。昨日、日経平均は514円高となって24839円の終値を点けた。これは1991年11月5日以来29年ぶりの“高値”に当たる。10月迄、日本の株価はぐだぐだと低迷し続けていた。前にもここで書いたが、ニューヨークが“大きく値上がり”するときは上がらず、下げる時だけ“右習え”をする。そういう日々が続いた。ところが、11月に入って事態は一変した。何の理由もなく、むくむくと上がりだしたのだ。ここ5日間の間に1862円も上がった。特に昨日は、最初から何の抵抗もなく上がった。一つには、下げを見込んでいた個人投資家たちが“いっせいに買い戻しに動いた”からだろうとも言われるが、こんなのは後付で、ほんとうのところはよく解からない。とにかく、何かが変わった。さらに、これまで“円高”方向に動いていた為替が、ここにきて急速に“ドル高”に舵を切り始めた。原油価格も一気に値上がりしている。相場の“恐怖指数”もあっという間に低下した。明らかに“何か”が変わったのだ。元々“日本株”の上値は、実質以上に抑え込まれていた。その“たが”が外れたことで一気に上昇し始める可能性が出てきた。もしも、今日も上昇して「6日続伸」で25000円を超えたら、それが“本物”になる。そういう意味では、今日の“値動き”が今後の“日本経済”にとって極めて重要なものになる。株価というのは、大体、半年先から一年先の“状況”を予知する目安となる。今の日本経済は“最悪”だが、それは今年2月3月の頃の“株価状態”をなぞっているに過ぎない。どうして、未来の状態を“株価”から予測できるのかは誰にもわからない。「神秘」としか言いようのない事実なのだ。そういう意味で、今回の“転換⁉”が本物なのか、“騙し⁉”に過ぎないものなのか、今日の値動きで判明する。

日本も「セクシー天気予報」の時代⁉

2020-11-09
かなり前のことだが、海外に行ってTVを観ていて、その天気予報の奇抜さというか、ユニークさに驚いたことがある。どこに行った時だったかは忘れてしまったのだが、とにかく“妖しいセクシー美女”が出て来て、天気予報をするのだが、まともに行うという感じではなく、腰を振りながらギリギリのミニスカートで妖しく伝えるのだ。なぜ、こんなことを書き出したのかというと、我が日本でも、それに近いような“天気予報”がスタートしていることを知ったからである。まあ日本の場合はかなり“抑え気味”ではあるが、それでもニュース番組ながら「セクシーお天気お姉さん」として紹介される。もっとも通常のTV局ではなくインターネット専門TV局の「ニュース番組」だが、それでも明らかに海外の“その種の天気予報”を意識した選出であることは間違いがない。だからといって“お遊び”なわけではない。ちゃんとした気象予報士の穂川果音氏(31歳)だ。彼女は気象予報士であると同時にIカップの“爆乳タレント”としても活躍している。自らの予報が外れたなら「コスプレを披露する」という“罰”まで与えている。考えてみれば、一般の天気予報では、そういう“責任の取り方”をしているだろうか。ほとんどの気象予報士は、自らの予報が外れても謝ろうともしていないではないか。そういう点、何と健気な予報士であることか。その彼女が、今度は“ラップ風の楽曲”で歌手デビューするらしい。まあ、歌手デビューというほどのものでもないのかもしれないが、14か国語で“台風の名前”を次から次へとひたすら連呼していく気象予報士に相応しい曲だ。日本の気象予報士は、総じて真面目な人が多い。その伝え方もアナウンス予備軍のようでさえある。それでも最近は各局によって、かなり“個性”を出そうと努力しているのは感じられる。その中でも、さすがに「セクシーお天気お姉さん」は群を抜いている。これに続く局が現れるのかどうか、“暗いニュース”の後には、ぜひ試みる地上波の局が出て来てほしいのだが…。

窮地に立つ「ススキノ」と「鈴木知事」

2020-11-08
日本の中でも「北海道」は、比較的早く“新型コロナ”に襲われた地域だった。「札幌雪まつり」で外人観光客などからの感染者が出てしまったからだ。そこで、北海道の鈴木直道知事はどこよりも早く2月に「緊急事態宣言」を出した。その成果があったのか、北海道の感染者は急速に減って、4月~9月くらいまで、ずっと十数名とか二十数名とかに留まっていた。そういう意味では数も少なく、安定していて「もう大丈夫かな」と誰もが思い始めていた。ところが、GoToキャンペーンなどで本州から一気に来道者が増え、徐々に感染者が増え始めた。11月に入ってからは特にそうで、5日が119人、6日が115人、そして7日が187人、もはや限界ということで“警戒ステージ”は「3」に引き上げられた。実は北海道の場合、地域的に広く、その全部を一律に規制するのは問題が多い。2月に「緊急事態宣言」を出した時にも、事実上、多くの地域には一人も感染者がいなかった。札幌とその周辺だけが問題だったのだ。そして、現在も、3日続けて100人以上の感染者が出ているが、実質的には札幌がほとんどで、しかも「ススキノ」地域からの感染が圧倒的に多い。そこで、どうしても“夜の街”「ススキノ」地域に自粛を求めることになる。もちろん、それ自体は致し方がない。ただ2月の「緊急事態宣言」以降、ススキノは閑古鳥が鳴いたままなのだ。札幌の最初のクラスターがたまたま“ススキノのライブハウス”であったことも手伝って、ススキノには“客足”が戻っていない。それでなくても、ススキノの接客系の店には“外国人”と“本州からの来道客”が多くなっていた。その“二つの勢力”がバッタリと姿を消している。2月に「緊急事態宣言」を出したのに、現在はなぜか鈴木知事は「緊急事態宣言」は出さない。出さないのではなく「出せない」のだ。今出せばススキノが死んでしまうからだ。これから、ボーナス、忘年会、クリスマス、新年会の時期が来る。これらは“夜の商売”の人達にとっては“かき入れ時”に当たる。完全封鎖は出来ないのだ。仮にこのままだとしても“警戒ステージ”「3」への引き上げは、大打撃なはずで、来年の「雪祭り」も中止となって道内経済への影響は大きい。実は、鈴木直道氏の四柱命式はかなり特殊で、年・月・日とも「辛」が並ぶ。自立心が強く、リーダー型の人物といえる。但し、頑固で協調性には乏しく孤立しやすい。来年は、その「辛」の年なのだ。今後の状態によっては、いっそう孤立が強まってしまう危うさを彼は持っている。但し、もし、窮地を脱すれば、北海道のリーダーから、日本国のリーダーへと歩み出すチャンスともいえるのだが…。

「ミクシィ」活況「エイベックス」苦境

2020-11-07
大手企業の2021年度「中間期決算」が続々と公表されているが、今年の場合は完全に二極化している。つまり極端に“大赤字”となっているか、逆に“大儲け”となっているか、どちらかが多いのだ。昨日、エイベックスは社員100名の“早期退職希望者”を募った。なにしろ、あらゆるイベント・舞台公演が中止や延期に追い込まれて32億以上の“大赤字”に転落することが確実になっている。しかも、先が見通せないのでは、どうすることも出来ない。40歳以上の正社員443人を対象として“早期退職”を募っているから、約4人に1人は消える形だ。この種の企業は、一般的な職種と違って、かなり専門性を要する。それでも“切る”のだから、事態としては相当深刻である。一方、昨日、ミクシィはゲームアプリ「モンスターストライク」が“大ヒット”で今後も好調を持続できる、という社長の自信を持った発言が続いた。一時期“大儲け”していたミクシィも、ここ数年は低迷していて“赤字続き”であった。それが一転、“巣ごもり消費”で一気に収益回復となっている。同じことは任天堂にも言えて、前日に前年同期3.5倍の純利益という驚異の中間決算を公表している。総じてゲーム関係は“大儲け”しているのだ。もっとも、ゲームというのは大人より子供・若者が中心であるから、この自粛期間が収束してしまえば、一気に離れていく可能性は否定できない。若者中心の“人気”はあっという間に変貌する。今は誰もが“巣ごもり”状態で、仲間的連帯感を共有しやすいので、ゲームとかアニメとかに人気が向かっている。或る意味で、持続するかどうかは“コロナ収束”が出来るかどうかに掛かっている。妙な言い方だが、“収束”に手間取れば手間取るほど、苦境に立たされる業界と、活況を持続できる業界とが出て来ることになる。現実世界の「醜さ」から逃れようと、今日もまた一人“ゲームの世界”にさ迷い込んでいく。 « Older Entries Newer Entries »